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いたずら青年、世にはばかる  作者: 堀尾 朗
第4章「強引な訪問販売と詐欺は紙一重」
15/36

―2—

 彼女を家に送り届けることになり、ひとまずビルを後にする。

人気のないオフィス街を抜け、タクシー乗り場へと向かっている途中――それまで押し黙っていた雪音が、ふと口を開いた。

「ねぇ、清水くん。……わたしの話、聞いてくれる?」

「そりゃもちろん」

即答である。

卑しい奴と言われようが、こちとら、なんとかして彼女に許しを請いたい立場だ。

いや、そもそも、こんなにも美しい女性の相談を無視する理由がどこにある。それを知ってて「聞いてくれる?」などと訊くあたり、どうにも狡い。むしろ「聞け」と命令してくれた方が、よっぽど気前が良いってもんだ。

「……ちょっと話、長くなるけど」

あまりに人気のない真っ暗な路地での長話は、物騒だし迷惑なので、場所を変えることを提案。

幸い、近くに深夜営業のバーがあったため、そちらへ流れることにした。


ふたり並んでカウンターに座り、カクテルを片手にほろ酔い気分。

落ち着いた空間のなか、彼女は少しずつ、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。

「あの……この前、清水くんが、わたしの家に来た時……」

雪音はそう言いながら、途中でふっと言葉を詰まらせた。ちらりとこちらを見たものの、すぐに視線をカクテルのグラスへと落とす。両手でグラスを包むように持ち、指先がそわそわとコースターの縁をなぞる仕草が、彼女の戸惑いと不安を物語っていた。

「えっと……その……父が、また……契約書に、サインしちゃってて……」

語尾はか細く、今にも泣き出しそうな声。喉が詰まるように一度言葉を飲み込み、浅く息を吸ってから、また口を開く。

「でも……わたし……どうしたらいいか……わかんなくて……」

そう呟いたあと、彼女は小さく身をすくめるように肩を縮めた。まるで、誰かに叱られるのを恐れている子どものようだった。

いつものしっかり者で、凛とした雪音からは想像もできない。

今の彼女は、どこか壊れそうで、誰かの支えを切実に求めているように見えた。

仕方なしに、俺は彼女の話を辛抱強く、黙って聞いてあげた。


気づけば、説明が終わるまで三十分は優に過ぎていた。

彼女の可愛らしい言い回しや、無駄に遠回りな語り口は――まあ、この際割愛しよう。

とにもかくにも、彼女の話を要約すると――こうなる。


以前、俺が佐伯家を訪ねたときにも来ていた、あの訪問販売員――どうやら、あれ以降も何度も家を訪れ、雪音を執拗に苦しめていたらしい。

彼女は懸命に応戦していたが、口達者な相手に毎度言い負かされてしまい、結局これまでの全ての商品を購入してしまっていたという。

とはいえ、今までは何とか生活を圧迫しない程度の金額で済んでいたらしい。

しかし、つい先日――

その男が提示してきた請求額は、なんと「百万円」だった。

「……さすがに、目眩がしたよ」

ぽつりと呟いた彼女の声は、冗談めかしていたが、目は全く笑っていなかった。

とりあえず、留守中に父親が勝手に支払ってしまうことのないよう、彼女は父親を遠くのビジネスホテルに押し込め、家から遠ざけているという。

そして、その間は販売員の呼びかけを完全に無視する戦法を取っていた――が、相手はかなり粘着質でしつこく、家の前まで押しかけてきては、執拗にインターホンを鳴らしてくるのだそうだ。

昨夜は、深夜ずっと玄関のチャイムが鳴り続け、眠れぬまま朝を迎えたという。

出社しようと家を出たところを、男に尾行され、「父親の居場所を教えろ」と付きまとわれた。駅まで延々と付き纏われ、恐怖のあまり交番に駆け込んでようやく振り切ったという。

その際、警官に昨夜の嫌がらせについても相談してみたが――

「あー、そういうのね」と適当にあしらわれてしまい、なんの助けにもならなかった。

「これからどうすればいいのか、もう……本当にわかんない」

そう言って、彼女は深く頭を抱え込んだ。

百万円を支払う経済的余裕などあるはずもなく、そして何より――「また今夜もあの男が来たらどうしよう」と思うだけで、気が狂いそうになるのだという。

俺は顎に手を当て、打開策を模索していたが――ふと、あることに気づいた。

「……因みに、その百万円って、何を買ったことになってるの?」

「……ジュエリーネックレスだけど?」

その言葉を聞いた瞬間――ぐるぐると考えていた脳が、一気にひとつの結論に飛びつく。――これだ!

俺は勢いに任せて、隣に座る雪音の手をがしっと握りしめた。

「決めた!その商品、買っちゃおう!」

「……はぁ?」

怪訝そうに眉をひそめる雪音に向かって、俺は熱く、粘り気すら感じさせる視線を送りつける。


佐伯家の前には、色白で、やけに目つきの鋭い男が仁王立ちしていた。

小綺麗なスーツに身を包み、髪もきっちりと整えてはいるが、どこか“やりすぎ”な印象を受ける。眼鏡の奥からこちらを射抜くように睨みつけてくる視線には理知的な鋭さがあり、眉ひとつ動かさずに立ち尽くす姿は、一見すると物腰の落ち着いたビジネスマンのようにも見える。

――だが、それが逆に、胡散臭い。

作られた品の良さ。計算された沈黙。人当たりのよさを装いながらも、目だけが絶対に笑わない。理屈で人を追い込むことに快感を覚えていそうな、薄っぺらな“インテリ感”。

その佇まいは、まるで「詐欺師の教科書」から飛び出してきたかのようだった。

「……あっ、どうもどうも、はじめまして!」

敵意がないことをアピールするため、あえて陽気な口調を装いながら、小走りで近寄る。

あからさまな敵地に乗り込むには、まずは形から――だ。

男は不機嫌そうに眉をひそめたまま、俺の背後に目を向けた。

「誰ですか? この男は?」

その視線の先には、虚ろな目で突っ立っている雪音がいた。

彼女は、なにも答えられない。無理もない。この男に対して、強い恐怖心を抱いているのだろう。

本来こういう場面では、間髪入れず矢後が助け船を出すのだが、すでに帰ってしまっている。仕方がない。今回は俺がやるしかない。

「やだなぁ~、恋人に決まってるじゃないですか~」

「違います。ただの友人です」

即答。しかも鋭いトーンで。

よっぽど俺のことが嫌いらしい。ここまで徹底して否定されると、むしろ清々しくなってくる。

「フッ……それで? その“ご友人”を連れて、一体なんのご用ですか?散々と威勢のいいことを言っていましたが、結局は男に頼って私を脅そうとでもしているんですかね?」

――これが、雪音が言っていた“口の減らない、いけすかない野郎”というやつか。

その態度、その言い草、ムカつくにも程がある。

だが、ここで感情を出しては負けだ。

俺は努めて、いつも以上に明るく、軽やかに口角を上げた。

「いやいや、滅相もないですよ~。彼女から話はちゃんと伺っています。百万円のジュエリーネックレスを購入されたんですよね?カタログも見ました。いや~、実は僕、あれ前から狙ってたんですよ。ようやく巡り会えたって感じで!」

男は無言でこちらを睨みつけている。

だが構わず、俺は笑顔のまま、調子を崩さず続けた。

「それなのに、どうしても彼女は支払えないって言うじゃないですか。あれは困りますよねぇ~。契約したんだから、責任を持つべきです。無責任ですね~ほんと。そう思いません?だから代わりに――僕が買い取ろうかと思いまして」

すると男は、ねっとりとした視線を雪音から俺へと移し、顔だけをゆっくりとこちらに向けてきた。

「あなたが? 見たところ――無職のようですが。本当に支払えるんですか?」

見たところ無職ってなに!?

無職って、見た目で判断できるものなのか? どんなサーモグラフィーだよ。

「はっ……働いてますよ! なにを根拠に言ってるんですか。バリバリですよ、バリバリ。今日だって、上司に呼び出されて大変だったんですから!」

慌てて言葉を重ねたせいで、逆にうさんくささ倍増。

「なんか勘違いしておられませんか? 百万円ですよ? 百円ではありませんよ?」

「そんなことわかってますよ!さっきから僕のこと馬鹿にしすぎじゃないですか?」

「本当に理解しておられます?見た目からして――幼稚園卒ですが」

見た目から幼稚園卒ってなに!?

この国、中学まで義務教育だろ! 明らかに制度上の矛盾があるぞ!

「そもそも、おかしいと思いません?なぜ、ただの“友人”のあなたが、そこまでしてやるんですか?」

「いやいや、ですから恋人…」

「違います。ただのストーカーです」

……ただのストーカーってなんだよ!?

なぁ雪音、お前に協力する気あるか? っていうか、俺の立場、どこに置いてきた!?どう考えても、その設定は無理がある!

「ストーカー? 見たところ――性犯罪者ですがね」

……人をバカにするのも大概にしろ!!

“見たところ性犯罪者”って、もはや生きてるだけで通報レベルじゃねぇか!それ、街歩いてたら職質どころかタイホだろ!

「そんな……ひどい……!」

雪音が青ざめた顔でそう呟く。

――雪音よ。お前も大概酷い。

口元に手を当ててるけど、その下……絶対笑ってるだろ!?ちょっと楽しんでるよな!?なぁ!?人の尊厳が地に落ちていく様を、なんでそんな乙女顔で見ていられるんだ!?

「まぁ、私としては誰が支払ってくださっても構いませんが……一度契約された以上、きちんとお支払いいただかないと困りますよ。毎度毎度、手を煩わせやがって……実に迷惑だ」

どの口が言うんだ。こっちは迷惑される側なんだが。

「……ですから、この方が支払いますから」

そう言って、雪音は俺の袖をそっと掴んだ。

潤んだ瞳で、上目遣いに助けを求めるその表情――その瞬間、柔らかな指先の感触に、心臓がバクンと跳ねる。

……この女、魔性か!!!

つまり彼女の中で俺は――女の手のひらで踊らされ、百万円のネックレスを買わされる、“哀れな貢ぎ男”という設定らしい。

腑に落ちない。納得なんてできるはずがない。だが――仕方がない。ここは、大人の対応ってやつをしてやるとしよう。

「とにもかくにも、僕が支払いますから。ご安心を。今日はもう銀行も閉まってますので、また後日、改めてお支払いしますよ」

すると男は、薄っすらと笑みを浮かべながら頷いた。

「まぁ……今日のところは、その言葉を信用してお暇することにしましょう。ですが――次回、お支払いがなかった場合は、即刻、法的手続きを取らせていただきますので。よろしくお願いしますね?」

……仮にも“客”に対して、どこまで上から目線なんだ。この野郎、最後の最後までムカつく!

俺は苛立ちを隠しきれなくなり、思いっきり鼻で笑ってやった。

「ヘイヘイ、お兄さん。明日も明後日も、仕事でめちゃくちゃ忙しいんで。こっちに来る暇なんて全然ないんですよ。だから土曜日にでもお願いします」

そう言いながら、わざとらしく雪音の肩をポンポンと叩いて見せる。

「あとさぁ?インターホン鳴らしてすぐに出てこなかったからって、早まんないでくださいよ?もしかしたら、雪音ちゃんと――あんなことやこんなことをしてる真っ最中かもしれませんからね~」

にやりと笑ってやると――

「絶対にそんなことはありません!」

横から即座に雪音がぶった切ってきた。

ちょっとくらい味方してくれても良くないか!?不満から彼女を睨みつけるが、視線すら合わせてもらえず、そっぽを向かれる。

……冷たい。

と、そこへ男のとどめの一撃が飛んでくる。

「幼稚園卒の性犯罪者で、無職のあなたが――どうして“仕事で忙しい”んですか?」

ぐぬぬぬぬぬ……っ!!!

「だから違うって言ってんだろうがああああ!!!」

ついに、俺の堪忍袋の緒がブチッと音を立てて切れた。


――――――――――――――――――――――――――――――


 一つ、自覚したことがある。

どうやら俺は、雪音の中で「軽蔑すべき男」のカテゴリに分類されてしまったらしい。それなのにこの図々しい女ときたら、露骨な態度を示す一方で、時には打算的な振る舞いで俺を手玉に取ろうとしてくる。つまり――都合の良い男ってやつだ。

この状況を打開すべく、俺はある男のもとを訪れた。

かつては世界を股にかけ、豪遊と女遊びを極め尽くした男――“煤だらけ”。

今ではその面影は跡形もなく、ただの公園の主と化していたが、藁にもすがる思いで助言を求めることにした。

「おう、情けねぇ面してんなぁ」

煤だらけは、以前と変わらず公園のベンチで寝そべっていた。俺の姿を見つけるや否や、片手をひらひらと振って招いてくる。

ペコペコと頭を下げつつ近づくと、鼻腔が悪臭を感知したが、なんとか顔に出さぬよう気を張った。

「どうなった? 恋敵とは」

黄ばんだ歯を見せて訊かれ、「それは解決しました」と応じる。手を後ろで組み、彼と向かい合うと、煤だらけはベンチを軽く叩いて隣を促してきた。

隣に腰を下ろす。

公園では、子供たちが走り回り、母親らしき数人が木陰で井戸端会議をしている。誰も使っていないブランコが、風に吹かれてギィ……ギィ……と揺れていた。

「お前も、ずいぶん変わったヤツだな」

なにが?と小首を傾げると、煤だらけは薄ら笑いを浮かべながら言った。

「普通な、若いのが俺みたいなのに話しかけたりしねぇよ。お前の惚れてるあのねえちゃんもそうだ。大抵の女は、俺に“汚物を見る目”をしてくるもんさ」

 ……誠に申し訳ない。今まさにその表情を全力で抑えているだけで、決して邪念なしに接しているわけではない。

「どうですかね? 最近の彼女の態度は酷いもんですよ。この前なんて、終始まるでゴミを見るような目を向けられて……どうしたらいいんですかね、ここまで嫌われてしまったら」

「なにか、あったのか?」

俺は、これまでの出来事を包み隠さず、煤だらけに吐き出した。彼は自ら訊いておきながら、まるで他人事のように気のない相槌を返すばかりだったが、それでも愚痴を吐き出すだけで、幾分かは気が楽になった。

一通り話し終えると、しばしの沈黙が訪れる。

その静けさを破ったのは、煤だらけの低い呟きだった。

「……俺からしたら、まだ会えてるだけ、羨ましいがな」

その虚ろな瞳を見た瞬間――息が詰まった。

孤独の深淵がそこにあった。

俺の悩みなんて、なんてちっぽけなんだろう。どうにもできる希望がまだあるのに、それすら嘆いていた自分が、たまらなく未熟に思えた。

「それでも俺は、諦めてはいないがな」

煤だらけはそう言い、退屈な話だったとでも言いたげに、大きく背伸びをした。

俺は、その一言を噛みしめるように胸の中で何度も反芻した。

そのとき、ボールがコロコロと転がってきた。

広場で遊んでいた子どもたちのものだろう。だが、彼らは取りに来ようとせず、代わりに母親らしき人物の袖を引っ張り、こちらを指差した。

母親は一瞬戸惑い、足踏みしたかと思えば、表情を引きつらせる。

誰も近づいてこようとしない。

それでも――煤だらけは諦めないのだという。

お読みいただきありがとうございます。

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