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 待ちに待った翌日の夜、午後8時に私はいつもよりも勢いよく飛び起きた。カーテンをさっと開けて、今日の月の形を確認する。満月だ。まんまるの月に、影の模様ができているのがよく見える。

 “朝ごはん”を食べた私は、普段楽譜を入れているトートバックは持たず、通販で買ったお気に入りのおしゃれ鞄を持って玄関まで急いだ。

「あら、今日は楽譜はいいの?」

「うん、今日は外で人と待ち合わせがあるから!」

 私がはっきりとした声でそう言うので、声をかけてきた母は心底驚いた顔をした。それもそうだろう。これまで母には昴のことを伝えていないので、私はずっと一人で音楽室に引きこもっていると思っているだろうから。それが、いきなり人と待ち合わせをしているだなんて、母にしてみればビッグニュースに違いない。

 母は勢いよく玄関から出ていこうとする私に、「行ってらっしゃい」と手を振った。

 その目が穏やかに笑っていて、細かな皺が刻まれている。とても嬉しそうな表情だ。

「行ってきます!」

 母に手を振った私は、ようやく家の中から外の世界へと飛び出した。

 真っ白な満月は、普段よりも明るく夜道を照らしてくれる。今日は『月の光』は弾かないけれど、昴との待ち合わせの場所へ向かう私の胸には、あの絵画のように美しく儚い音が、ずっと流れていた。




「やっほー」

 私が昴との待ち合わせをした公園に辿り着くと、昴は指先でくるくるとサッカーボールを回していた。まるで、バスケットボール選手がするみたいに。私は「おお」と思わず感嘆の声を漏らした。

 公園は住宅街の一角にある、かなり広めの公園だった。公園の周りには桜の木が植えられており、春になると桜を観に来る住人たちでいっぱいになる。普段、昼間は地域の子供たちが、それこそサッカーなんかをしてよく遊んでいる風景を、去年まではよく目にしていた。

「早速やろうか。と言っても、2人だからたいしたことはできないけど」

 彼はそう言いつつ、ドリブルを始めて私にボールをパスしてきた。正直私はサッカーなど、学校の体育の授業でしかやったことがない。でも、昴は初心者の私にも優しくボールの蹴り方やドリブルの仕方を教えてくれて、私は初心者ながら楽しんでボールを追いかけた。

「そうそう、いい感じ! 光莉、上手いじゃん!」

 普段は私がピアノを弾いて、穏やかな顔で昴が私を見ているのだが、今日ばかりは昴の顔に、プレーヤーとしての闘志が宿っていた。

 彼が、本気の目をしてボールを追いかける姿を見て、私は胸が熱くなった。

 そうか。これが本来の昴だったんだ。

 私の弾く『月の光』を穏やかな表情で聞いてくれていた昴にも、こんなふうに活き活きと追いかけられるものがあった。その事実を知って、私はたまらなく彼のことを愛しいと思うようになった。

 ああ、好きだな。

 少年のような笑顔を浮かべる昴を見て、心からそう思う。湧き上がってくる愛情と、胸をつままれたような切なさは、昔始めて同級生に恋をした時と同じものだった。

「どうしたの、光莉?」

 パスをされたボールを受け取ることができず、微動だにしない私を不思議に思ったのか、彼が私の名前を呼んだ。すっかり昴のことを見入ってしまっていた私は、慌てて「なんでもない」と言ってボールを取りに駆けた。

「はい!」

 彼の方へ、思い切りボールを蹴飛ばす。最初よりも少し蹴るのがスムーズになったような気がする。「さんきゅ!」と言ってボールを受けた彼の右足首のズボンの端から覗く肌に、青い痣が見えたのはその時だった。ちょうど、月明かりと街灯に照らされたせいで、はっきりと見えてしまったのだ。私は思わず、「足、どうしたの」と聞いた。

「え、足?」

「うん、ほら。右足首。結構大きな痣ができてる」

 彼の足元に視線を落としてそう言うと、彼の身体がさっと固まるのが分かった。

 あれ、どうしたんだろう?

「ごめん、言いたくないことならいいよ。痛くないのかなって心配になっただけだから」

 慌ててそう付け加えると、昴はほっと息を吐いた。

「ああ、これは、昨日テーブルの足にぶつけてさ。ああいうのってめちゃくちゃ痛いくない?」

 子犬のように笑いながらそう話してくれた昴の表情につられて、私は「なあんだ」と一緒になって同意した。

「わかるわかる。足の小指とかぶつけたら、超痛いよね」

「でしょ」

 どうでもいいことでケタケタ笑いながら、昴はまたボールを蹴り始めた。額の横から汗が滑り落ちている。こんなに汗をかくまで必死にボールを追いかけている昴を初めて目にした私の胸はもう、彼以外のことを考えられなくなっていた。




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