エっちゃん(3)
野営である。
周辺の獣や盗賊達に気をつけながら眠らなければならない野外泊も、二人にとってはゆるくて楽しいキャンプだった。
この森は木こりや狩人の手が入っていた様子は見られたが、決して安全な場所とは言えない。。
それでもやっぱり、二人は久しぶりあるいは初めての本格的な野宿を和気あいあいに準備していた。
「ケン、その結界はもっと緩めろ。あんまり強くするとかえって警戒されるぞ?」
「そうなの? でも、あんまり弱くすると危なくない?」
「そこは、こうだ。止めるんじゃなくて、迷わす。こっちに誘導するんだ」
「…なるほどー。幻術も使うんだー」
二人の自称「ふつうの魔法使い」の手によって、着々と設営されていくキャンプ場あらため「要塞」。
どこから取り出したのか分からない天幕の方はともかく、周囲に張られた防御魔方陣の方はまさに城壁ような堅牢さだった。
勝てる訳ない。二人の普通はおかしいのだ。
フィーネが単身挑んだことも無謀だったが、結果的には一人で挑んだ方が被害も少なく済んで良かったようだ。
軍が崩壊し死傷者多数という結果よりも、フィーネが一人、束縛魔法でぐるぐる巻きにされるだけに終わったことは双方にとって幸運な結果ではあった。
そしてフィーネは、今は二人の姿を恐怖よりも興味の視線で見つめていた。
あまりに二人が楽しそうに作業しているから、その気分が自然とフィーネにも移ってしまった。
それが「楽しい」なのかはフィーネには分からない……ただ、温かい気持ちは、好きだった。
そして今。
温かいスープの入った器がフィーネの手に収まっていた。
「どうした? 遠慮せずに食べろ」
「おいしいよ? もしかして嫌いなものでも入ってた?」
二人の言葉に、戸惑うフィーネ。
手にのせられた異物を、どう処理すれば良いのかフィーネには分からなかった。
その様子に、「やっぱりな」とつぶやくE・E。
「…それが料理、食べ物だ。おまえ、今まで薬ばっかり口にしてただろ?」
「えっ?」
「……」
驚くケンと無言のフィーネに、E・Eは続けた。
「切った髪が透明に、白く変色するだろ? おまえ」
「……」
いまのフィーネの髪は淡い桃色。焚き火の明りかを受けて柔らかく輝いている。
その髪の毛が、身体から離れると白色になる……それが普通では無いことはフィーネも自覚していた。
そんなフィーネと、目を丸めたままのケンにE・Eが説明する。
「むかしは魔女なんて呼ばれていたけどな、別に不思議な話じゃない。
魔法を極めようとした者はいずれ、そこに至るんだ。
最初からそうか、途中からそうかの違いしかない」
その言葉にはフィーネも目を丸くした。初めて知った豆知識と、自身の出自についての話だった。
その横で、別の初耳だったケンが問い返す。
「…エっちゃんも、その、魔女なの?」
魔法を極めようとした者は、という言葉にケンが反応すると、E・Eは口角を上げた。
「全部の色を混ぜると何色になる? そういうことだ」
E・Eの髪は美しい黒髪だ。
そしてケンは……千年前、ネイザーに拾われた直後は白髪だったが、今は立派な黒髪だ。
E・Eの言葉に「えっ、もしかして、僕も!?」と驚くケンに、E・Eは注意した。
「そして魔女は、滅ぼされた。だから髪が透明になる奴がいても口外しないでやれよ?」
「滅ぼされた!? ……って、どうして、滅ぼされちゃったの?」
「知らん。強い魔力を警戒されたのか、協力を断られてムカついたのか、数が少ない奴らを迫害したかったのか……知らないけど、すごく下らない理由だったはずだよ。それが……」
見つめられてビクッとしたフィーネ。彼女を見ながらE・Eは続けた。
「勝手に滅ぼして、勝手に復活させて、どいつもこいつも本当に……」
ゆらりと光が灯りかけた瞳を、E・Eはスッと閉じた。
再び開いた目からは危険な青火は鎮火して、柔らかい黄金色がフィーネの瞳の奥を見つめていた。
「お前、眠っていた所を起こされたな? だけど今は――いや、ここまでにしておこう」
「「?」」
「とにかく、ちゃんと食べろ。変なやつらの言うことなんて聞かなくていいぞ?」
そう言いながら、フィーネの冷めた器をE・Eが取ってしまったので、ケンが鍋から新しい器にスープをよそってフィーネに渡した。
瞬きするフィーネに二人は言った。
「我が輩たちも久しぶりの外だからな、しばらくは胃に優しいものを作るつもりだったんだ」
「ちゃんと味見はしたから、おいしいはずだよ?」
「……」
水と薬以外のものを口にするのはいつ以来だったか、フィーネも覚えていない。
それでも不思議と、手にのせられた器からはほんのり焦げたような甘いような匂いが、フィーネの忘れた感覚……食欲を刺激して……
気が付けば、口へ、喉の奥へと一口、フィーネは流し込んでしまっていた。
「……あったかい。 …気持ちい」
「それがおいしいだ。あわてなくて良い、ゆっくり味わえ」
星空の下、三人の食卓の時間はゆっくりと流れて行ったのだった。
その翌日も、フィーネはE・E達と一緒にいた。
E・Eが彼女を帰さなかったからだ。
「まずはその毒を身体から全部抜け。
ついでに解毒魔法を覚えて帰れ。
どうせそいつらはまた、お前に薬を飲ませようとするんだろ?
飲んだ振りをする方法とか、我が輩がいろいろ教えてやるから覚えて帰れ」
戸惑うフィーネだったが、E・Eが彼女のために言っているのは分かってしまったし、なにより食事がおいしすぎた。
だが、このままここに残るのはまずい…ような気がするフィーネであった。
葛藤でグラグラしているフィーネを見て、ケンが言った。
「…んー、エっちゃん? このままここに残ると、いろいろとまずいんじゃないの?」
「なんでだ?」
「んんー……
だって、ほら、勇者ちゃんは僕らを倒しに来たんだよね?
それが帰って来ないなら……やっぱり負けたとか、裏切ったとか? そういう風に考えるでしょ?
でさ、今度はここに第二、第三の刺客なんかもやって来ちゃって勇者ちゃんのこともバレちゃうだろうから……」
ケンの懸念にE・Eが返した。
「まだ大丈夫だろ?
だいたい我が輩を相手に三日や五日で片が付くとでも思うのか?
解毒魔法を覚えて帰るくらいの時間はあるだろ。
それに第二、第三の刺客とやらが来たら、喜んで歓迎してやる」
「そう言われてみれば、そうだねぇ」
…そうだね、って、そうなのだろうか? フィーネは首をかしげるが、ここに普通の答えを出せるものなど一人もいない。
結局、フィーネは流されるままに、二人と一緒に野営と魔法訓練を続けることになってしまうのだった。
◆ ◆ ◆
そんなこんなで、七日が過ぎた。
結構過密な日程の訓練だったが、フィーネはどうにか解毒と解呪の魔法の基礎はものにした。
だが、基礎と言っても二人が基準の「基礎」である。
そんじょそこらの魔法使いよりは遥か上をいく治癒魔法の使い手にフィーネはなってしまっていた。
ケンは「僕は50年くらいかかったのに…」と才能の差に愕然とした。
そして――
「――魔王を倒した証拠としてコレを持っていけ」
「「っ!?」」
E・Eが空間からニュっと取り出した悍ましいそれに、二人はギョッとした。
円筒状の、銀で縁取られているガラス瓶。
瓶の中に浮かんでいるのは、おそらく男の、老人の生首。
眼、鼻、耳が縫われていて、唯一自由な口からは、何やらぶつぶつとうわ言を言っていた。
受け取って、まじまじ見ているフィーネの姿にケンは「勇者ちゃん、度胸あるね?」とつぶやいた。
ドン引きのケンに、E・Eは言った。
「『謝罪する首』だ」
「…謝罪する……首」
言われてみれば、円筒の中の人はぶつぶつと「もう許してぇ……許して下さいぃ…」と言っている。
一体何があったのか?
聞いていいのか? まずいのか? 言い淀んでいる様子のケンに、E・Eが答えた。
「こいつか?
……こやつはな、昔、ろくでもないことをしおってな……」
なんだか口調が魔王っぽくなっているE・Eが、理由を語ろうとしながらも……やはり、語らなかった。
「…いや、やめておこう。思い出すだけでも不愉快だ。
とにかく! その首なら魔王にしちゃっても問題ない!
煮ようが焼こうが好きすれば良いし、草葉の陰で喜ぶ者達がいても悲しむような奴は一人もいない!」
「問題無いって……問題しか無さそうだけど……どうやって説明するの、これ?」
ケンから見ても、やばい代物だ。
かなり危険な魔法使いを、かなり強固な術式で封印していることは見て分かった。
封印したのは間違いなく、エっちゃんだ。
こんなもの、本当にエっちゃんを倒したい人達(?)に渡してしまってもいいのだろうか?
だが、E・Eの答えは明快だった。
「説明なんてしないで良い。むしろ黙って渡してやれ」
「「?」」
「それが何か理解できぬ連中なら、魔王かどうかなんて最初から判断できっこない。
それが何か理解できた連中なら、それを魔王にせざるを得ない、その程度には厄介な奴だ。
何も言わずに渡した方が、勝手にいろいろ想像するだろ?
それでもしつこく聞いてきたら、一言『大変だった』とだけ答えてやれ」
「わかった」
「わかっちゃったの、勇者ちゃん!?
…で、でもエっちゃん? これ、本当に大丈夫なやつなの?」
うっかり瓶が割れたりして、中の人が出て来ちゃったら……ものすごく危険じゃないだろうか?
「ケンは心配性だな。 …だが、そうだな……ふむ」
フィーネが持っていた円筒を180度振り向かせてから、中の人にE・Eが囁くように語って聞かせた。
優しくて甘い口調で語って聞かせるE・Eの……その邪悪な笑み。
まさに魔王にふさわしいものだった。
「上手くそこから逃げおおせたなら……もう休憩は終わりだ、我が輩が直々に続きをやってやるからな? 覚悟しておけよ……」
円筒の中の首がピタリと固まった。
…死んじゃったかな? と思ったが、E・Eが離れるとまた弱々しく「許して下さいぃ」とつぶやき始めた。
ケンもちょっとだけ心の中で「許してあげて下さい…」とエっちゃんに祈っておいた。
満足したE・Eが、勇者を送り出そうとして……再び止める。
「よし。念は押したし、大丈夫だろ。気をつけて持って帰れ……
…いや、待て! まだ足りないな!」
「えっ、まだ足りないの…エっちゃん……?」
この首の他に一体何をお土産に渡すつもりなのか?
震えるケンに、E・Eが答えた。
「七日七晩、魔王と戦ったにしてはキレイ過ぎるだろ?
ぜんぜん死闘を潜り抜けた感じに見えない。もっとそれっぽく見せるべきだ!」
「そう言われてみれば、確かにそうだね」
「?」
それからE・Eは、色んなものを用意した。
半壊した剣と盾、使用済みの回復薬の空き瓶や魔法の道具、ボロボロの服に、もじゃもじゃの頭……
…なんだか死闘というよりも、大袈裟すぎて「爆発オチ」みたいな感じになってきた。
そろそろ止めようと思ったケンだったが……あー、そういえば昔、ネイザーちゃんと一緒に研究塔を爆発させていたころもあんな感じで二人でボロボロになってたなー、なんて思い出し笑いでウフフとしている間にも、E・Eの演出の方も完了してしまった。
煤だらけの顔に、もじゃもじゃ頭のフィーネがバンザイした。
「できた」
「うむ。見た目は良い。だが、あっちに着くころにはもっと疲れ果てた感じで振舞うんだぞ?」
今度は演技指導が始まった。
それでも何だか二人が楽しそうだったから、もうケンも協力することにしたのだった。
「おい、ケン! お前も手伝え!」
「…うん。
まず、そのもじゃもじゃ頭、爆発してもそういう風にはならないよー――」
無事に全ての準備を終えて、勇者はついに帰宅した。
遠ざかるもじゃもじゃ頭の背中を見送りながら、E・Eがケンに問いかけた。
「……我が輩のことが怖くなったか?」
「えっ?
…いや、別にそっちはもう、良いんだけど……」
ケンはさっきの事を思い出した。
あの首と、エっちゃんの様子。
あれには驚いたし、少し怖かったことは間違いない。
だが、だいたいのことは許してくれるエっちゃんをあそこまで怒らせたのなら、それなりの理由があるのだろう。
それにエっちゃんにだって許せないことくらいはあるはずだ。
だからもう、そっちは気にしない事にした。
「それよりも、さ」
「なんだ? 勇者が心配か?」
確かに彼女も心配だったが、今はそれほど心配していない。やれることはやって、送り出せた。
ちょっと演出過剰かもだけど、あの首の衝撃が強すぎるから、釣り合いを取るにはあれくらいでも良いと思う。
そう、勇者を送り出した。
自分の命を狙ってきた勇者を受け止めて、彼女のあれこれを助けた上で、送り出したんだ――
――ケンはE・Eに笑いかけた。
「エっちゃんがさ、エっちゃんらしくて良かったな、って」
かつて箱の外でエっちゃんが何をやっていたのか、その一端が垣間見れた気がした。
困った人を見つけてしまったら、それが誰であっても手を出さずにはいられないのがエっちゃんで……
…そして彼女は魔王になってしまった。
……それでも、だからこそ好ましく思えてしまったケンだった。
きょとんとしたE・E。
だが、「良かった」のならそれで良い。
うれしそうなケンにE・Eもニッと笑い返したが、
「なんだ、我が輩に惚れ直したか?」
「………」
徐々に赤くなっていくケンの顔に、E・Eの顔も赤くなる。
「…っ!? なんだよそれっ!? い、いくぞ! 今度こそ出発だ!」
そして二人はしばらくの間、一緒に旅をして、やがて別れた。
仲違いとかではなく、今の世界を一人で見て回りたいというE・Eの願いを叶えるためだ。
それに勇者が魔王を倒しに来た件もある。
二人一緒に箱から出たところを目撃されているのだから、一人ずつ別行動した方が追手をまけそうな気がする……という理由もあった。
二人は「また後で」会うことを約束して、東と西へ、それぞれ旅立って行ったのだった。