一番ヤバイから一聖(前編)
王都で大きな事件が起きた。
貧民街で起きた火災と謎の霧。
そこから周囲に溢れ出す、正体不明の「甘美な香り」。
一体なぜだか分からないが、特に若い男女を中心に皆がソワソワしてしまった。
特に男は、その理由まではちょっと口にはしがたいが、多くの者たちが歩行困難になってしまった。
薬学や魔法に詳しい者は媚薬や【魅了】というキーワードを連想し、だが、こんな大規模にそれが可能なのかと困惑しだしているうちに……
火柱とともに響き渡った「怪人」の悲鳴。
王都中の人々が一瞬、冷水でも浴びせられたように竦み上がった。
結局、何が起きたのかは謎のまま。
やりすぎた誰かがついに「王都の怪人」の逆鱗に触れてしまったのだという噂。
結果をいえば、王都に組まれていた大規模術式のいくつかが破損、王都在住の女性の多くが一時的な体調不良。
そして、王都のすべての男性がおよそひと月ほど「不能」になった。
「…まぁ、俺達にとっちゃありがてぇ話なんだけどよぉ」
王都の裏社会で違法な薬を売りさばいていた、その組織のボスである男がイスの背もたれをギシリと鳴らして、机の上に投げ出した足を組み直した。
闇市場でこそこそ売りさばいていた違法な精力剤が飛ぶように売れた。
実際、その薬を使っても「たたない」のは彼自身がすでに検証済みだったのが、それでもとにかく売れてしまった。
中央政庁と王都の連名で「この状況は一時的なものなので心配する必要は無い」と臨時声明を出すほどに、その手の薬の売買が社会現象になってしまっていた。
「だけど、いまは派手に動けねぇんだよなぁ……」
本当はこの機に乗じて薬を一気に売りさばきたい。
だが今は貴族相手の別の商売が入っていて、うかつに目立つマネはできない。というより、その貴族から「しばらく動くな」と厳命されてしまっているのである。
だが、王都の怪人がらみの(?)この一連の騒動が収まるころには、ほとぼりも冷めることだろう。
「どのみち、こっちにゃ都合がいいんだが、なんか煮えきらねぇんだよなぁ………」
「ボス!!!」
扉を壊さん勢いで飛び込んできた大男。
その慌てように、「なんだよ、ガサ入れか? 聞いてねぇぞ」と舌打ちをする。
頭の中でどうやって切り抜けようか考え始める彼の耳に、彼の予想の斜め上の報告が──
「たた、大変だっ……し、下に、いっ、いっ……いち──」
◆ ◆ ◆
ヴェノム政策研究所こと「変人達の巣窟」は静かだった。
行き詰まっていた。
静寂のなか、書類をめくり、ときおり紙にメモ書きを走らせる音だけが室内に落ちていた。
貴族街で起きた夜会事件と、それにまつわる奴隷の売買、誘拐事件についての分析。
事実と推測、その因果関係についてはほぼ整理ができていたものの……最後のひと押しが、できなかった。
これ以上、情報を集めることが困難になってしまっていた。
ある程度の方向性が定まってしまったせいで、ヴェノム達が集めようとしている情報や行動それ自体が、その核心に近づくほどに犯人側の警戒の網にかかってしまうのだ。
相手が高位の貴族である以上は、その派閥の者達が関係各所で働いていて、あらゆる場所に耳目がある。
こちらの動きが犯人側に知られたが最後、彼らは「尻尾を切って」隠れてしまい、すべて台無しになってしまうのだ。
「………」
「………」
今日は珍しくヴェノムも席について無言で書類をめくっている。
そのすぐ横で、机の隅にあごを乗せて、じーっとヴェノムの顔を見つめている聖女ソフィア。
誰もツッコまないその奇妙な光景に、ついにヘドラがソフィアを注意した。
「…ちょっと、あんた、そんなところにいたらヴェノム様の邪魔になるでしょ?」
それに返事をしたのはソフィアではなく、いつもどおりの「整った笑顔」のヴェノム。
「邪魔ではありませんが、なにか?」
「いや、別に、あなたが良いなら、それでいいけど……」
すると今度はソフィアの視線がヘドラの方へとロックオンされた。内心で「やば、こっち見んな」と少し戸惑うヘドラ。
「…ドラちゃんも、大変?」
「私は、まぁ、それなりよ」
そう言いながらヘドラが机の引き出しにそっと戻した紙は、最近届くようになってしまった「自称婚約予約者(?)」からの手紙である。
頼んでないのに届くようになってしまった恋文。
最初のころは甘ったるくて胸焼けがしそうな文面だったが、最近はヘドラの忙しさを知ったせいか、彼女の体調や精神面の心配をする親戚のおじさんみたいな内容になってしまっていた。恋文というよりも励ましのお便りだ。
そんな励ましのお便りをつい、気分転換のために手にとってしまうくらいにはヘドラの心は疲れていた。
彼女が整理した情報は、最終的には王都警備兵か軍への密告か、あるいはヴェノムが関連する貴族を脅迫するために活用されることになる。
だが、ここで間違った情報を与えてしまえば、罪のない者達まで巻き込んでしまう恐れがあって、その精査にはヘドラも神経をすり減らし続けているのである。
片付けた手紙のあと、机の上に残されていたのは王都の地図。
関連すると思われるいくつもの「組織の拠点」が地図上にメモされていた。
「(…これ以上は、さすがに無理よね)」
ため息をつくヘドラ。
これ以上はもう推測の域を出ない。確証がない。証拠が足りない。
分析の確度には自信があるが、ここで賭けに出てしまうには、まだ……
再び出そうになったため息をそっと飲み込むヘドラと、
「………」
それをじっと見つめるソフィアと、
「…!」
ソフィアの空気が変わるその瞬間を察知し、無理やり微笑みを作るヴェノムが──だが、ここで今お嬢様に何か言うのは逆効果で、焦る心と裏腹に、こうなってはもはや祈ることしかできないヴェノムと、その祈りも虚しく、即決即断、その言葉を口にするソフィアが──
「──あとは、私が行ってくるよ?」
「…は?」
「?」
「…──」
宣言したソフィア、何を言ってるんだと眉をひそめたヘドラ。
目をぱちくりさせた窓際に座るシェリーと、そっと目をつぶり天をあおぐヴェノム。
いつの間にか増えていたハーヴィの「こうなっちまったらもう、姫様は止まらねーにゃ」という言葉に、ラルフがとても楽しそうに笑い出したのだった。
あくまでちょっと「お話を聞きに行ってくる」だけだ。
王都の裏通りに点在する関係各所を訪問するのは、ソフィア、ハーヴィ、シェリーの三人。
服装こそ聖女の法衣と政務局職員の制服姿の三人だが、歩く姿は少年少女の仲良し三人組のお散歩である。
途中、通りすがりのフィーネに遭遇。
聖女様ご一行に、勇者が仲間になった。
「やべーにゃ、いきなり過剰戦力の投入だにゃ」
「ソフィアの引きはすごい。天運。きっと日頃の行いのせい」
ハーヴィのつぶやきにシェリーも続いた。
さらに通りすがりの第一王子も仲間になりたそうにこちらをじっと見ていたが、残念ながら彼の従者達に引きずられるように去っていった。従者達の英断だった。
そして始まる電撃訪問ならぬ「襲撃」。
あやしげな事務所の扉を勇者フィーネが問答無用にバーンと開き、あわててソフィアが訪問理由を説明しようとするも、一言もしゃべる間もなく二人の姿に目を見開いた男達が、
「げぇ!? 一聖!!?」
「それに勇者ッ!?!?」
「ぶっ!? ぶっ殺せ!!!」
「えっ!? なんで!?」
流れるように、いきなり開戦。
フィーネがいつもの「謎の棒」で次々に男達を突き倒していき、ソフィアもわけが分からぬまま【聖壁】を次々に繰り出し、襲い来る彼らが勝手に壁にぶつかっては次々に倒れていく。
「クソがッ、タダで終わると思うなよ……!!」
組織のボスが懐から取り出したのは短杖。
杖の先端の大きく見事な宝石には、使い捨ての強力な魔法が込められている。
彼ら悪党の裏にいる貴族達だって当然、彼らがあっさり捕まってしまっては困るのだ。高価な切り札の一つくらいはちゃんと彼らに提供していた。
組織のボスが、仲間もろとも屠るつもりで、狭い部屋の中で容赦なくそれを振るった。
放たれた雷撃──
──それを阿吽の呼吸で、出現した無数の【聖壁】が一瞬のうちに壁から壁へと乱反射して、完封。
まさに無敵の一聖の真骨頂。
「…ハハ………マジかよ、おい……」
男は目を見開き、そして幻視した。
この人生で間違いなく最大で、最高最悪の戦場。
そこに乱立する【聖壁】という名の墓標。
その向こうで、こちらをじっと見つめている白い法衣の聖女の姿。
逃げ場のないこの棺の中を──部屋の中を、壁を、天井を、縦横無尽に駆け回る鬼火が──桃色髪の勇者が舞う。
「…どんだけだよ」
俺ごときの小悪党の最期に、なぜこんな奴らを連れてきたんだ、クソッタレな神は。
過剰戦力にもほどがあるだろ!?
俺は、邪龍じゃ、ねぇんだぞ……ッ!?
天井から容赦なく襲いかかってくる勇者の姿に、男は思わず、破顔したのだった。




