悲願(2)
◆ ◆ ◆
わずか十年足らずで、魔王の脅威が人々の記憶から消えつつあったのも無理はなかった。
実害が出なかったというのもあるが、そもそも多くの人々は魔王のそのものを漠然としか理解できていなかったのだ。
実際に歴史や伝承を掘り起こし、あるいは魔王が関わったとされる魔法や術式にふれてみたことがある者にしか、その真の恐怖は理解できない。
まして登場とほぼ同時に退場した魔王だ。
学園関係者はその魔力を直に感じ、あるいはその翌日に激怒した「あのネイザーですら敵わなかった」という事実を通じて、魔王が何者であるのかを体感できた。
だが、それ以外の全ての者達にとっては、魔王はやはり、おとぎ話の存在に過ぎなかったのだ。
それでもなお、勇者の名が残る場所。
それは「彼」が生まれたとされる村だった。
「勇者カミィが大好きだった、このカミィ村の名産キノコだよ!」
「さぁさぁ、これを食べなきゃ真の勇者になんてなれないよ!」
かつての勇者の名と同じ、カミィ村。勇者の生地であり聖地……を名乗る村。
魔王の脅威は知らないとはいえ、英雄の存在というのはいつも夢や希望を与えるもので、人々の興味を引くものだ。
それゆえに、かつて寒村だったここも、今や立派な観光地に変わっていた。
連日、お祭りみたいな盛り上がりの中、村人達は観光客に勇者の子供時代を語り聞かせる。
「あの子はその頃から、とても賢い子でなぁ」
村の老人が彼を語る。
かつては彼に数学の基礎を教えたのだという。
勇者カミィは大人も顔負けの算術の天才だったという。
「じゃぁ、キノコ料理は食べなくちゃ! うちの名産!
これを食べれば、カミィみたいな魔法の達人になれるよ、きっと!」
村の女が彼を語る。
魔王を倒したカミィは魔法の名手だったのだと。
初めて知る「勇者の実像」に、観光客も感心する。
なるほど、さすが魔王を倒した勇者ともなれば子供時代も違うのだな、と。
その話を皆が信じた。
そこに訪れた魔女とその従者達を除いて。
「アネット様。なぜお義母さまは怖い顔をしているの?」
「私に敬称をつけてはいけません、お嬢様。
それと、ご主人様は──」
◆ ◆ ◆
「さぁ、全員集めたぞ。理由を話せ」
やっかいな客が来た、と村長は苦い顔をした。
集められた者達は、かつてのカミィを「よく知る」村人達。観光客にカミィの「実像」を語って聞かせていた者達だった。
用心棒達はまるで役に立たなかった。
高い金を払っていたのに、「あれは一人や二人殺した女の目じゃねぇ!」と言って一目散に逃げ出した。もう二度と雇わぬと心に誓った。
だが、そんな用心棒の怯えっぷりを見せられてしまえば、ひとまずは従っておくしか無い。
この女の見た目はどうみても、それなりに実力もあるのであろう魔法使いだ。
だからこそ今は従ったふりでもしておいて、いざとなったら詠唱中に村人総出で袋叩きにでもしてやれば済むことだ……と、魔法使いについて中途半端な知識がある村長は心の中でほくそ笑んだ。
村の広場で対峙する、一人の女魔法使いと村人達。
観光客がざわざわと遠巻きに離れてそれを見ているのは、使用人服の女と小さな女の子が「もっと離れて下さい、危険です!」「あぶないですよー!」と会場整理みたいなことをやっていたからだ。
そんな中で、ついに女魔法使いが語りだした。
「…カミィは、文字すらまともに読めなかった」
「そんなことは──」
勝手に勇者カミィのエピソードを上書きされたらたまらない、営業妨害だ! ふざけるな! とばかりにすぐさま反論しようとした村人達だったが、
「黙れ、【沈黙】」
「──!?」
即座に消えた声に、ぎょっとした村長。
えっ? 詠唱ってそんなに短いものなの!? と目を見開く。
何事もなかったように、そのまま女魔法使いが続ける。
「算数どころか、足し算すらもおぼつかなかった。
カミィが数学の天才? 笑わせるな」
「「………」」
迷惑なことこの上ない女魔法使いを睨みつける村人達。
一体何が起きているのだろうと見守る観光客達の中で、女魔法使いがさらに続ける。
「あの子は、キノコが大の苦手だった。
特に、たまにスープに入っていた赤いキノコは吐き出すほどにキライだったが、それでもちゃんと残さず食べろと、言われたそうだ」
そう言いながら、彼女が取り出した赤いキノコ。
「これが、この村周辺で取れる唯一の赤いキノコだ」
「「…ッ!?」」
村人達の青ざめた顔を見れば、それが一体どんな種類のキノコなのかは想像がつく。
「カミィの好物だと言ったのはどの口だ? 遠慮するな、私がその口に今、これをねじ込んでやる」
「「……」」
誰も名乗り出ないのを見て、その毒キノコを女魔法使いが魔法の炎で消し炭に変えると、数人が「ヒィッ」と声を上げた。
それから女魔法使いは、村人達が語るカミィの実像、その全てを片っ端から否定した。
魔法の達人どころか【点火】すらも最後までできなかった、というように。
否定しなかったのは性別くらいだ。
ここまでくれば、突然この村に現れた彼女の正体も察しがついた者だっている。
「寒村だった、と聞いていた」
こんな状況でもなければ、英雄たる彼女の姿に歓声の一つや二つも上がっただろう。
彼女のもとに「握手して下さい!」と駆け寄る観光客もいただろう。
「多少のことには目をつぶろうとは、思っていた」
だが、あの魔女の顔。
煮えたぎる激情を、凍えるような殺気で無理やり抑え込むような、ただならぬ気配。
すべての者達が固唾をのむ中、
「だが」
最強の魔女が村人達にはっきりと告げた。
「これ以上、私のカミィを貶め、その名を穢す者達は、私が……ネイザー・ヒートウェイが許さん……!」
「「──!!」」
村人達が何かを叫ぶも、それをかき消した【沈黙】。
再び、今度は長い詠唱を始める魔女。
──殺される!?
声なき悲鳴を上げる彼らの中、村長が近くの男達に慌てて身振り手振りで指示を出す。
すぐさま動いたのは、村の狩人の男。
狩人が投げた、魔女の顔めがけて飛来した短剣が、シュッと蒸発する。
「「ッ!?」」
この国でただ一人、本気で魔王を倒そうとしていた魔女が、詠唱中の弱点などむざむざ晒すわけがない。
止まること無く紡がれる詠唱、巻き起こる熱波、血の気の引いた村人達の前で、ついにそれは完成する──
炎よ、炎よ、炎よ、
我が怒りに応え此処に集え
我が敵を贄として宴に酔え
爪を研げ、牙を剥け、
余さず貪り喰らうために
さぁ、憎き仇敵よ、
歌え、叫べ、笑い泣け
最期の手段は禁じられた
今際に叫べ、獄に啼け
その血肉を焼べて、乱れ咲け!
【許されざる終の楽園】
──現れた巨大な牢獄。
炎の鳥籠に呑み込まれたネイザーと村人達。
煌々と輝く、いっそ美しいほどに眩いその牢獄の出現に、観光客も息を呑む。
あまりの神々しさに、跪き拝む者すらもいた。
その牢獄の中、一体何が起きているのか理解が追いつかない囚人達。
そんな彼らにネイザーが最後の言葉を投げかけた。
「そんなに客を呼びたいのなら、カミィを使わず、お前らが踊ってみせろ」
ネイザーが村人達の足元に投げ捨てた、銀貨五枚。
それはかつて、この村出身の少年が、やってきた貴族に売られたときの金額。
そんな五枚の銀貨を前に、村長の震える口が何かを発する前に、ネイザーの姿は陽炎のようにフッと消えてしまったのだった。
あっと言う間のできごとに、人々が遅れて騒ぎ始めた頃にはもう、三人は村の外を歩いていた。
「………もっと火加減を覚えて下さい、ご主人様。
ぎりぎり過ぎて、ものすごく焦りました」
「これでも限界まで我慢した」
「…あの、お義母様? あの炎の檻は、あのままで良かったんですか……?」
◆ ◆ ◆
ネイザーからの警告にも関わらず、カミィ村は十年後には再び「元通り」になってしまった。
そんな様子にネイザーの再来を恐れて村を離れる者達がいる一方で、残った者達はある意味で筋金入りの村人だった。
その上で、外から新たに参戦した商人までもが加わって、結果として勇者カミィの武勇伝はさらに悪化の一途をたどったのだが……
後に二代目ヒートウェイ伯爵は、成し遂げた偉業に対する報酬としてこのカミィ村を国に要求。
自領となったその村の名前を強制的に改名し、勇者カミィの名で商売をした者は厳重に処罰すると布告した。
もともと何もなかった村の唯一の「特産品」を失った商人達は村を離れ、やがて村は消滅した。
そして三代目ヒートウェイ侯爵が、燃えるような赤や紅の花の咲き乱れる絶景地「名も無き庭園」を国に返上。
王の直轄地となったそこは、王族以外の立ち入りが禁止され、やがて人々の記憶からも忘れ去られた。
こうしてかつて勇者が生まれたというカミィ村は、完全に消滅したのだった。




