悲願(1)
(四話ほど回想に飛びます。時系列としては、第一話のつづきです)
◆ ◆ ◆
それははるか昔、千年ほど前の物語。
魔王が去ったその日。
漆黒の空には雷鳴が轟き、降り注ぐ雨はより激しさを増していた。
それは英雄を讃える万雷なのか、あるいは嘆きの号泣なのか。
ずぶ濡れになって帰宅したネイザー・ヒートウェイ。
そんな女主人の姿に、使用人アネットは驚いた。
真っ青な顔で、別人のように気力を失いきったネイザーに深刻な事態を覚悟せざるを得なかった。
ぽつりぽつりと語ったネイザー。
学園で魔王が復活し、そして「カミィ」がどうなったのか。
消え入りそうな声でネイザーが語った。
ボロボロの女主人。
せめてそのズタボロの心と身体をほんの少しでも癒やすために、すぐさま着替えと温かいスープを用意するのが使用人としての責務なのであろうが……
視線もうつろなネイザーに、アネットが切り出したのは別の言葉。
感情を押し殺すように震える声で、ネイザーをじっと見つめて彼女は言った。
「………そう、でしたか。
…では、私は、しばらくお暇を頂きます」
「えっ」
まさかの言葉に驚くネイザー。
なぜ、どうして?
…おまえまで、私を置いていくのか……?
思わぬ追い打ちに頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなる。
さらなる恐怖と絶望に、そのまま膝から崩れ落ちそうになるネイザーのもとへとかけ寄ったアネットが、その両手で──ガッと、ネイザーの胸ぐらをつかむ。
アネットが叫んだ。
「あなたがやらないのならば! 私がやるしかないでしょう!?」
叱咤するアネットが、ネイザーを焚きつける。
「カミィがいなくなって、それで!?
魔王が封印されたその後、どうなったのです!?
魔王を解き放ちカミィを犠牲に逃げおおせた愚か者たちは、どうなったのです!?
あなたがダメなら、あなたの代わりに、私が、後始末をつけてきます!!」
「………」
たった一人の使用人が叫ぶ。
ネイザー、あなたは一体、何者なのか、と。
「しっかりなさい!! ご主人様!!」
「………」
…そしてネイザーの瞳の奥に……再び、炎が宿った。
◆ ◆ ◆
「なんだよもう、臨時集会って!
走ってきたのに、結局、間に合わねーじゃねーかよ!?」
学園の教室まで走り続けてきた二人の生徒。
どうにか遅刻は免れたと思ったら、教室には誰もいなかった。
どうやら今朝は、講堂に行かなければならなくなったらしい。
「…でも講堂集合なら、遅刻扱いにならねんじゃね?」
「そうか!? 頭いいなオマエ!?
だったら別に急がなくて……も……?」
「「…!?」」
ようやく大講堂にたどりついた二人の生徒は、異常な光景を目撃した。
すでに集まっていた人だかり。
大講堂には取り囲むように人の輪ができていて、中央に何かが燃えていて……
…炎の檻。
そんな物騒なものがなんと、屋内で天井を焦がす勢いで、メラメラと燃えていた。
檻の中の囚人(?)は三十名前後。
その魔法の檻をつくった張本人であるネイザーは腕組みをして立ったまま、檻の中に囚われた者達ををじっと無言で見つめていた。
いったい今度は、誰が何をやって、ネイザー教授を怒らせたというのか? というのが、二人の生徒の最初の感想だったのだが……それでもどうやら、今回はいつもと様子が違うように見える。
「「………」」
張り詰めた空気に誰もが沈黙する中、ただ不気味な檻の炎のゆらめきだけが賑やかだ。
ネイザー教授の、凪いだ水面のように静かな表情。
瞬きもせずにじっと見つめるあの瞳の中に映るのは、檻か炎か、彼女の獲物か。
怒りも殺意もそのすべてを身のうちに飲み込んで、ただじっと見つめていた。
一触即発。
集まった生徒も、教師や事務員もそのすべてが、大講堂の中心にある炎の檻とネイザーをじっと見守っていた。
何も起きないことを、自分たちまで巻き込まれないことをただただ祈るように。
そんな中、ネイザー教授の隣に立ってあからさまに困った顔をしている学園長。
ものすごく「嫌だなぁ」が顔に出ている。
この状況で、あの位置に立ってあんな表情ができる学園長を生徒達は勇者だと思った。
そんな学園長が、手に持った懐中時計を確認してから、ついに口を開いた。
臨時集会の始まりの時間だった。
「…さて。
こうして集まってもらった諸君らの中には、すでに知っている者も少なくないだろう。
魔王の復活。
昨日、一人の生徒の尊い犠牲によってそれが阻止された。
…そして、この炎の檻。 ……うん、どうするの、これ?
あー、とにかく、この檻の中にいる者達は、その魔王復活に深く関わりのある者達だ」
檻の中にいるのは生徒、教師、警備担当とさまざまだ。
昨夜のうちに突然つかまったのであろう、その大半は私服、あるいは旅装に見える者達だった。
旅装──それは昨夜のうちに逃走を試みたものの、ネイザーに阻止されたことを示していた。
よく見れば服の所々にに残る焦げ跡が、実に生々しい。
学園長が、そんな檻の中の者達に問いかけた。
「君達から何か、言っておきたいことはあるかね?」
その問いに対して、すかさず一人の男がまくし立てる。
「確かに!! 昨日、この学園において惨劇が起きた!!
魔王の復活という由々しき事態だ!!
だがっ、学園長もおっしゃる通り、それは未然に防がれたのだ!!
一人の名も無き生徒の献身によって!!
悲しいことだ!! もちろん私も反省し、そして彼の活躍に深く感謝しているッ!!
でも、だからこそ、この反省と教訓を活かして前に──」
「──反省?」
スッと、ネイザーの静かな声がそこに割り込み、男の口がキュッと閉じた。
「…反省、してるのか?」
「………も、ももっ、もちろんだともッ!?」
やや疑問形気味に勢い良く返したその一人以外は、ネイザーに向けて涙目で首を横に、小さく速くブブンと振って見せた。
反省していません! という意味ではなく、違いますコイツの発言に私達は無関係です! という意思表示のブブンである。
どうにか論点のすりかえを試みた反省男に、ネイザーが告げた。
「そうか。なら、おまえも封印してやるから、千年後、カミィに謝れ」
「は?
……はああぁぁぁ!?!?」
なんだか収集がつかなくなりそうな気配に学園長が口をはさんだ。
「その術は未完成ではなかったか?」
「完成させる。すぐに」
「いや、いいから。
ハァ、まったく……それに君には……君達にはまだ、誤解があるようだ」
学園長が檻の中の者達にむけて警告した。
「ネイザー教授が君達を封印するかしないか以前に、君達の命はない」
「「!?」」
驚きの死刑宣告に、反省男が激昂する。
「なっ!? そんな横暴、許されるわけが!!」
対して学園長は半ば呆れるように、檻の者達に説明した。
「当然だろう。魔王の復活だぞ?
形や理由はどうであれ、君達はそれに関わったのだ。
国家反逆罪で一族郎党、極刑なのは間違いない」
魔王の封印を解いちゃいました。
そう? 次から気をつけてね? …で終わるわけがない。
「「………」」
彼らが思っているよりもはるかに事態は深刻だ。
これを裁くのはネイザーでも学園でもない。
国、あるいは大陸全土が、彼らを決して許さないのだ。
「むしろ君達はネイザー教授の温情に感謝したほうが良い」
仮に昨夜のうちにネイザーが片っ端からとっ捕まえに行かなければ、その時は国軍がとっ捕まえに行くことになっただけの話だ。
逃げ切れる訳がない。国が、民が、大陸全土を危機に追いやった者達を地の果てまでも追いかけてくるのは明白なのだ。
それなら最初から素直に調査に全面協力した方が、まだ減刑の余地がある。
ネイザーにはそんなつもりは欠片も無いのだろうが、結果的には、誰も逃げなかった(逃げられなかった)ことは彼らにとって幸運だった、と学園長は考える。
学園長はそのまま、周囲の者達にも語りかけた。
「そして我々もまた、誤解している。
わしもまた、もっと早くに皆に告げるべきだったと反省している」
「「………」」
一体なぜ、こんな事態になってしまったのか。
「君達は、ネイザー教授の研究の数々を見たことがあるか? 知っておるか?」
ネイザーの研究の多くは学園の資料として閲覧可能になっている。
ネイザーの有能さはほぼ全員が知っていても、その研究内容についてまで細かく知っている者は、どれだけいるのか。
「魔王を倒す術式、封印するための術式。そのすべてが未完成。
…だがそれは、ネイザー教授とカミィの二人にとって、未完成なだけだ」
魔王は倒せない。封印できない。だが。
「これまで加工できなかった素材を変形、変質させることができる術式。
状態を維持することができなかったものを保管できる術式。
生活を激変させる可能性を秘めた、すばらしい魔法であり研究成果の数々だ」
応用すれば様々な分野で有用な魔法の数々。
それは単純に未完成、失敗作と呼んでいい代物ではない。
「それでも、なお届かぬのだ。
神代魔法の残りカスにすぎない今の魔法を、どんなに威力を高めたところで、その神代魔法の使い手たちには遠く及ばぬ。
つまり、我々は残りカスで、神代の魔法使いの頂点たる魔王に挑もうとしていた……そのことにネイザー教授は気づいていたのだ」
かつての魔法を調査解析し、疑い、変形し、新たな魔法を模索し続けたネイザーと、それを支え続けていたカミィ。
「本当の意味で、魔王を倒すつもりでいた者は、その覚悟があった者達はこの国でたったの二人。
ネイザー教授とカミィだけだ」
「「……」」
周囲の生徒や教授達を学園長がぐるりと見渡す。
「……そんなことは無い、と思った者。
いいぞ、その意気だ。
まずは隔離塔の一つや二つ、爆発させてみせろ」
ネイザーとカミィのように。
もちろん本当にそれをやられたら予算的に困るのだが、そもそもあれは安全確保のために作った塔で、そう簡単に壊れるようなものでは無い。並の魔法使いでは傷一つすらもつけられまい。
そんな塔を何度も何度も爆発させておきながら、それでも生き残り続けた二人の方が異常なのだ。
学園長が言わんとしていることを徐々に理解してきた者達が、ネイザー教授と、今はもういなくなったもう一人を思い出して、それぞれに表情を曇らせる。
「「………」」
「わしらは今、重大な分岐点に立っている」
学園長がゆっくりと、一人ひとりの目を確認するように、周囲の者達に語り聞かせた。
「ネイザーの挑戦と、カミィの勇気、そしてその価値を、わしらは真に理解できるか?
わしらはこの先、何ができるのか?
よく考えてみなさい。
…魔王復活の場にいながら、二人に何一つとして助力できなかったわしらが、むしろ足を引っ張り続けていた者達が、このまま何も知らずに過ごしていけば、一体、どうなると思う?」
周囲を一周、ゆっくりと見渡した学園長が、苦々しく首をゆっくり横に振った。
「きっと、学園にいた者達一人ひとりの名が。
このさき千年、稀代の愚者として、歴史にその名が刻まれることになるであろうな」
ただいたずらに魔王を復活させただけの、無策無能の、愚者達として。
「「………」」
「…さすがにもう、事態の深刻さを理解したであろう?
もう一度言おう。
まずはネイザー教授とカミィが、何を成し遂げてきたのか、一人ひとりがこれから理解しようではないか」
静まり返った大講堂の中で、学園長は振り返った。
「さて、ネイザー………って、もういなくなってるし!?」
すでに姿を消していたネイザー。
とはいえ、このままここに居続けたならば、うっかり彼らを燃やしかねない。
ネイザーが彼らを許す気などさらさら無い以上、立ち去ったほうが、きっと賢明だったのだろう。
やっぱりネイザーは不器用なだけで、きっと心根は優しいのだろうと学園長は思っている。
やりきれぬ気持ちに、学園長はため息をついたのだった。
………だが。
…再び学園長は振り返る。
「………この檻、どうするの?」
結局、炎の檻はまったく消える気配が無かった。
その日の午後、国から派遣されてきた軍属の魔法使いが解呪を試みるも、まったくビクともしない炎の檻。
どうやら未完成の「魔王を閉じ込めるためのやつ」らしい。
学園の教授と生徒が総出で解析や解呪を続けつつ、この監獄の唯一の抜け道と思われる「床」を、その他の学園関係者と軍人達が昼夜を問わず深く深く掘り進めていって……今度は檻が、地面の下までニュッと伸びて……
そんな三日後の夜明け頃。
檻の中から「見捨てないで!」と泣き顔で見つめてくる者達を前に、連日徹夜で疲労困憊の作業者達が「ははは、無理」と乾いた笑いを返しつつ、いよいよ諦めようとした、まさその時………フッと嘲笑うかのように炎がかき消えて……
ようやく解決なのか、やっぱり徒労だったのか、一斉にバタバタと倒れ伏した者達の姿に、学園長は苦笑いしかできなかったのだった。
◆ ◆ ◆
ネイザーはあの日を最後に、学園に現れることは無かった。
魔王もカミィもいなくなった今、教授を続ける理由など無かったからだ。
ネイザーが残していった研究成果を学園が引き継ぐも、その内容を追いかけるだけで精一杯で、彼女の研究をさらに前に進めることはできなかった。
結局、学園はその後百年、ネイザーとカミィの二人の足跡をただ辿ることしかできなくて……それでも、現代魔法の発展に大いに貢献できてしまったのが、なんとも皮肉な話だった。
勇者カミィを育てたネイザーにはあらためて爵位が与えられたのだが、このことについて国と貴族はかなり揉めた。
もともとヒートウェイという家名すらも、ネイザーにとっては国につけられた首輪にすぎない。
多くの貴族たちにとっても、成り上がり者のネイザーに立派な爵位をくれてやることに反対していた過去があった上での、今回の「魔王撃退に関する貢献」によるさらなる陞爵だった。
ネイザーに最初に与えられた爵位は子爵。
これにはさすがに一部の貴族たちが猛反発した。
子爵でも過分だとのたまう者達を相手に「じゃぁオマエは魔王倒せるのか!?」「それなら伯爵、侯爵は一体何を倒せるんだよ!?」と一斉に反論した。
結局、伯爵位におちついたわけだが、ネイザー本人にはそんなものなどどうでも良かった。
ネイザーの知らない場所で、ネイザーに関係ない者達が、勝手に騒いでいる話に過ぎなかった。
そしてネイザー、カミィに加えてもう一人の貢献者である学園長。
猛獣ネイザーを最後まで見限ることなく、彼女が魔王を倒すことを信じて支援し続けていた学園長もまた「本気で魔王を倒すつもりでいた者」の一人だった。
だが彼は最後まで裏方に徹した。
魔王撃退による報酬についても、その一切を固辞した。
親しい者達にだけ、学園長は語ったという。
もしも歴史に名が残るなら、せめて名前だけでも「二人一緒に残してやりたい」、と。
それに……
「…ネイザー、カミィ、そしてわし?
あの二人の間に割って入れるほど、わしは勇者じゃないわい、まったく」
いくつもの隔離塔を破壊してくれた腹立たしい二人。
その楽しげな、あの笑顔。
成果や結果だけではない。
報酬でもない。
その過程に宿る、あの二人の姿こそが。
……はるか遠く、手の届かぬ何かを見つめるように、学園長はかつて隔離塔があった方角に目を細めたのだった。
(…なんだか「めでたしめでたし」みたいになっちゃいましたが、まだ続きます)




