あなたのために、すべてを
むせ返るような薄紅の霧の中、てらてらとぬめり輝く赤の広間の、その中心。
うっとりと妖艶な微笑みを向けるフェローマと、ケンだったはずの、ドロドロと溶けている肉の塊。
「まだお名前も聞いてなかったわね?」
肉と、欲と、魂の具現化。
現実と幻術の狭間。
そこは「ケンの内側」であり、フェローマの術中であり、二度と出られぬ夢の世界。
「はじめまして、ね? 私はフェローマ。
あの王都の主よ、ご存知かしら?」
「………」
返事は無い。当然だ。
人族、まして男がフェローマの術から抜け出せる訳がない。
すべてフェローマで満たした。
残った理性はこの目の前にある肉塊ただ一つのみ。
あとはもう、噛んでも、舐めても、溶かしても。
好きなように味わうだけ。
「…あなたがE・E様に遊んでもらっている間、私はずっと、ずっと待っていたわ。
分かる? この気持ち?」
これは会話ではなく、独り言。
フェローマは目の前の肉塊に聞かせるように、その奥に残る記憶の中の「彼女」へと問いかけるように、甘い声で囁き続ける。
「……あなたの脳をぐちゃぐちゃに洗って、私の色に染め直したことをE・E様が知ったなら……すこしくらいは泣いたり怒ったり、興奮したり、して下さるのかしら?」
「………」
「私、待ってたのよ、ずっと」
二千年の間、ずっと。
「待ちながら、E・E様のことを考えてたら……
…そうね、それで王都なんてものも出来ちゃったのよね……」
そこはフェローマにとっての餌場であり、E・Eのことを想いながら作った玩具だった。
そんなおもちゃを作ってみて、少しだけ理解できたことがある。
「人に憧れるE・E様のお気持ちはちょっとだけ分かったわ。
食い散らかすばかりじゃ能がないって、E・E様が言いたいこともちょっぴり、分かった気がするの」
喜怒哀楽。
最近見たのは、とある王子と、薄幸少女の恋の一幕。
ああいうものも、キライじゃなかった。
「たしかに、あれは尊いわ。
ほんのりとした甘酸っぱさは私も好きよ?
でも……でもね?
…あれは、人の愛で、人の恋──
──そう、きっとE・E様がお人形さんを使って楽しんだはずの、おままごとなの──」
──この千年、人形遊びで無聊を慰めていたのだろう。
きっと王都で遊んでいた私と同じように……そういうことなら、納得もできる。
でも、そうじゃない。
おまえじゃない。
E・E様は、私は、そんなもので満足できるはずがなくて──
「──永遠を生きる私達は、そうじゃない。
足りない……ぜんぜん、足りないはずなのよ」
激しさが、足りない。
そう、私は知っている。
E・E様は隠しているつもりでも、私は。
私だけはちゃんと見ているし、知っている。
「…私はちゃんと、知ってるの」
E・E様が抱きしめたあの『謝罪する生首』。
これだと思った。
彼女を傷つけるものがまだこの世に存在した。驚いた。
そして嫉妬し、理解した。
あれでようやく、でも、まだ足りない。
ぜんぜん、たりない。
「平穏じゃ、安寧じゃ、心が淀んで、腐ってしまう。
E・E様に幸せなフリなんて似合わない、これ以上、無理をさせたらいけないのよ」
彼女の弟子を僭称していた道化。
なるほど、たしかに。
人の不幸こそを嗜好とする人族らしく、まさにその王らしく。
味わい深い喜劇をちゃんと踊ってみせた。
E・E様の心を深くえぐってみせた、その大団円。
E・E様がずっと手放さなかったことこそが、その証左……
…でも足りないのよ、アレじゃ。
詰めが甘いの。
私ならもっと、もっと激しく……
二度と引き返せぬほどに昂ぶらせ、絶頂させてみせるのに……!!
「たりない、たりない、たりない……ああ、たりない……っ!!」
E・E様が、たりない。
そしてE・E様には、私がたりない。
たりないんだ。
「…そう、足りない……私達には足りないの。
決して消えない爪痕を残すほどの愛が、憎しみが、足りないのよ。
他のものなど見えないほどに、私だけしか感じないように、その肉体に、魔に、焼き付ける感情が、激情が」
愛らしく、可愛そうで、愛おしい、E・E様。
絶対無二の何人たりとも並び得ぬ存在、E・E様。
今はこの想い届かずとも、いつか、必ず。
「私が……」
あなたの、最高の宿敵に。
あなたのすべてを私で満たす存在に。
…………なのに。
「…なのに、なのに、なのになのに!!
いつまでたっても、私ではなく、なんで……!!
…私たち♀✕♀の大事な営みに……
……オマエがッ!
E・E様の、愛も、尊厳も、激情も、すべてを、ぐちゃぐちゃに逝かせてみせるのは、私だけ!!
E・E様の処女から断末魔まで、泣きじゃくるほど満足させてみせるのは、私だけなの!!
オマエじゃ無いッ!!
おもちゃが、
愛玩動物風情が、
たかだか千年程度のオママゴトで調子に乗って、
E・E様を──」
「──ち、がう」
ポッと灯った、一つの鬼火。
「………あら。
なにかしら? 【点火】?
一体なんの悪あがき……
……いや、違うわね……これ、まさか……【原初の炎】?」
ポッと灯った、二つ目の鬼火。
「…やるじゃない。
でも、ここはあなたのナカよ?
自滅覚悟で火を灯しても、実体の無い私には──はぁ!?」
さらに灯った三つ目の鬼火に、フェローマは思わず声を上げる。
一つでも脅威。
二つ同時はありえないのに。
それは並ぶように次々と、二人をとり囲むように増えていく。
一秒に一つ、数えるように増えていく【原初の炎】を前にすれば、さすがのフェローマも目を瞠る。
ケンだった肉塊から、いつの間にか開いた口が語りだす。
徐々にその身を燃やしつつ、人の形を取り戻しつつあるそれが、口だった部位から少しずつ、語り始めた……
「……ちゃんが……ったん、だ……」
「………」
「……誕生日の……ロウソクを……たら、ケーキじゃなくて、ロウソクを食べる、ことに、なっちゃうって……」
誕生日の、ケーキの、ロウソク?
…たしかに人族の風習に、歳の数だけロウソクを立てて誕生日を祝う儀式があることは、フェローマも聞いたことがある。
でも、それが?
……E・E様の誕生日ケーキって? なんの冗談?
【全存在を逸脱せし者】の誕生日のお祝いなんて……そんな発想は………なかった、わね……?
周囲をとり囲む炎が一つ、また一つと増えていく。
千年の流れのなかで紡がれた、「彼と彼女の思い出話」が語られる。
「…エっちゃんは、そんなのいらないって言ってたけれど、きっとそうじゃないって思ったんだ」
一緒に祝わなくちゃいけない。
いつか、必ず。
ケンは、ずっと、ずっと、想い続けた。
祝う人がいないだなんて、
祝った人はもう、みんな先に去っただなんて、
そんなことは無いって、言わなくちゃ。
ずっと、そう思っていた。
一緒に過ごす数百年間、いつか必ずと、思い続けた。
そして……
「…だから僕は、世界で、一つだけの、ロウソクを用意したんだ」
「? …ッ!?」
フェローマは周囲を見渡す。
その儀式。
並びながらひとつずつ増え続け、やがて一周しつつある炎の円環。
彼女のための、最高の魔法。
ゾワリとする、ぬくもり。
フェローマの震える口から声が漏れる。
「…やめなさい」
フェローマの知らない、知らなかった彼女の……
だがフェローマだからこそ分かってしまうのだ……
二人が、小さなケーキをはさんで向かい合う、その姿。
むしずがはしる。
「エッちゃんを」
「もう聞きたくない、やめて!」
もう、目の前の肉塊だった少年は、人の形をした「炎」。
周囲を取り囲む灯の数も、九十七、九十八、九十九……ついに一周し、真なる円を為してしまう。
その大団円は。
その答えは。
最高の炎。
ケンの魔法の集大成にして、唯一無二の、無敵の灯火。
それはお誕生日ケーキの上の、たった一つのロウソクにふさわしい、小さな光を灯すため、それだけのために。
彼女が、真に望むもの。
きっと彼女自身も、そんなお誕生日ケーキを前にして、はじめて気づいてしまったに違いない。
二人きりのささやかなお祝いに、きっと彼女は、照れながら、はにかみながらも──
──ヤメロ!!!
「僕が、幸せに、するんだ」
フェローマだからこそ忌々しいほどに想像できてしまう彼女の──笑顔を!!
認めるものか!!
消し去らんとするフェローマを、ケンの魔法が迎え撃つ。
「だから僕は──
【一のために百を燃やす】」
「オマエの惚気など聞きたく無いッ!!!」
【百火燎乱】




