霧之嵐
◆ ◆ ◆
とある隠れ里に天才児がいた。
この里の女の大半は皆「里長」のお手付きだったから、子供の多くは「里長の子供」だったのだが……彼女まだ、里長と血が繋がっていなかった。
里長は、その少女にも目をつけて、手を出そうとした。
「この娘は使える。
だから俺様みずから色を仕込んで、立派なくノ一にしてやるのだ」
そんな二人を前に……今まさに毒牙にかからんとする幼馴染みの姿を前にして、少年の獣耳がざわりと逆立った。
「一度だけ、おまえの流儀に本気で付き合ってやるにゃ」
義憤では無い、それは自分のものだと勝手に思っただけだった。
湧き上がる怒りにただ身を任せてしまっただけ。
その言い訳に「弱肉強食」とやらを使ってしまった。
その夜、少年は「ハンゾウ」になってしまった。
「…おれっちと一緒に、逃げて欲しいにゃ」
「…うん、ハンゾー君」
そして朝にはハンゾウをやめて、里の皆への解散と転職の指示だけを残し、二人は里から姿を消してしまったのだった。
◆ ◆ ◆
臨む……
……もの、みな……
前にあれ……ッ
「…おい、これ……」
「…霧?」
屋根の上に隠れる二人の獣人の男達が、周囲の変化に気づく。
周囲で燃え盛る煙とは違う、湿り気のある霞の匂い。
…臨むつわもの、
闘いしもの、
皆、陣ならべて、
前にあれ……!
「なんだ!? 今度はなんの魔法だ!?」
「いや、これは……忍術!?」
霞は霧へ、さらに濃霧へとあっという間に塗り替わって──
…臨む兵、闘いし者、
皆、陣列べて、前に在れ……!
「おい、まさかこれ!?」
「霧隠れの──」
臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前ッ!
【霧隠之術】!!
「──術、じゃ無い!?」
「なんだこれ!!?」
轟と巻き起こる、嵐。
視界一面を塗り潰した白が、さらに烈風で周囲を、世界を、真っ白にかき混ぜる。
霧の暴風。
飛ばされまいと屋根にしがみつく二人の獣人。
危機的状況であるがゆえに、二人は無意識に、必死にその発生源を探す。
ニンジャの本能。
反撃しなければ、逃げなければ、死。
危機であるほど、混乱するほどに、敵を見極めんと神経が研ぎ澄まされるも……敵が、見つからない!!
霧が、濃すぎる!!
時間にして、十秒程度。
それでもあまりに長すぎる十秒が、暴れに暴れて、周囲一帯を白い嵐で舐め尽くした。
焼け焦げた空気と毒々しい炎と煙が支配していたはずの貧民街は、一転して、白い靄と水の残り香につつまれた景色へと豹変してしまった。
「……これ、は」
「…ぜんぶ、消しやがった」
恐る恐る顔を上げた二人は、周囲を確認する。
むせ返るような湿度におおい尽くされた、洗い流された霧の街。
上空にくるくると渦巻く嵐の残滓。
徐々に消えつつある、ゆったりと揺らめく霧の渦の、その中心。
向こうに見える、あの廃屋の、屋根の上。
「「………」」
この霧は…………やはり【忍術】……
気配を殺しながらそこへ急行する二人。
だが行ったところでどうする?
こんな術を使える者など、一人しか……
…だが、その一人が、もしそこにいたなら、俺達は一体どうするつもりだ?
発生源の屋根の上。
だが、そこには誰もいなかった。
残念なような安堵のような、複雑な心境で周囲を見渡す二人。
「…やはり、いないか」
「…ああ。だが、この術は間違いなく──誰だっ!!」
振り向きざまに投げた苦無は弾かれ、霧の向こう、その人影が……ゆらゆらと手をこちらに振っていて……
二人の背筋に悪寒が走る。
ほぼ同時に二人は飛ぶも、一人は頭の上に、とっさに避けたもう一人の肩をかすめて足元に、ほぼ真上から直撃してきたのは小さな袋。
その袋からバフッと粉が舞い散った。
「…ゴホッ!?」
「痺れ薬か!!」
頭に直撃してまともに吸ってしまった方は膝から崩れ落ち、もう一方は息を止めつつ大きくその身を翻しながら飛び退くが──その視界が、グルンと回る。
全身に受ける強い衝撃。
何かにぶつかった!?
倒された!
飛び散ったのは屋根の破片で、自分の身体は、うつ伏せに、叩き落とされ組み伏せられて──このザマかッ!?
うつ伏せのまま、背中にずしりと乗せられた一人分の重み。
ヒタリと首に当たった冷たい感触は、鉄の刃。
「…ッ!!」
詰んだ。
それはあまりに、あっという間のできごとだった……
…だが、まだ生きている。
……自死、相討ち、悪あがき。逡巡するも、為す術なし。
背中に首に、ひしひしと伝わってくる隙の無さは彼のすべてを許さなかった。
おそらくたった一つ許されているのであろう、その言葉を彼は口にする。
「……ま、参った……降参だ」
「………」
すると、背中の上の誰かは無言のまま、彼の眼前に一枚の紙きれをペラリと見せた。
紙には「もうひと声」の文字。
ニャンだかカワイイ「ネコの挿絵つき」で。
……もうひと声? もうひと声!? って、なんだ!?
…あと、霧で文字がにじんで、ちょっと怖いし!?
だが、分かってしまった。
あの忍術、ああも見事な投げ技からの、この悪ふざけ。
さすがにもう、気づいてしまう。
正体を知ってしまった上で、あらためて「背中の上の彼が望むであろう言葉」をどうにか必死に、絞り出す。
「ハ、ハンゾ……違う!! お、俺達は誰も見て無い!! 何も知らん!!
これは……そ、そう! 王都の、暗部と思しき者達に遭遇した俺達は……敗走、したことにしますッ!!」
「………」
その言葉に首元にあった刃が離れて、背中に乗っていた気配がスッと消える。
どうやらちゃんと「正解」を言えたらしい。
霧と冷や汗でびっしょりの青ざめた獣人の男が、わずかに緊張がゆるんだことでつい、背中から去ろうとするその気配に、うっかり声をかけてしまった。
「……ですが、ハンゾウさ……ま?」
身を起こそうとした彼のその目の前に、コロリと転がった導火線付きの球体。
その導火線はすでにジリジリと着火済みで──
「──ハンゾウさまーーッ!!?」
まさかの「とどめ」に男は叫んだ。
すぐさま逃げ出そうとするも、もう一人の痺れ薬で動けない仲間のうめき声に足を止め、彼を担いで決死の覚悟で駆け出し、屋根から飛び降りる。
まだ靄のかかった屋根の上で、それでも湿気ることなく火花を散らす導火線は、みるみるうちに短くなっていき……
その長さがついに尽き、球へとジュっと着火。
………ジュっと音を立てて、種火はただ消えたのだった。
「…導火線付きの、ただの木の球にゃ」
そういうジョークグッズである。
それでも木の球をキレイに丸く削るのは難しいにゃ、なんて言いながらその球を回収したハーヴィ。
そして誰もいなくなった屋根の上を一人、歩いて……
ばさりと取り払った迷彩布。
布の下でぐったりと眠っていたのは、ミスティだった。
夢でも見ているのだろうか、彼女がうわ言を口にする。
「…ごめんね、ハンゾーくん……」
「まったくだにゃ」
きっと「他の人の前で術を使うな」という約束を守らなかったことに対して謝罪している夢でも見ているのだろう。
正体がバレることに対する心配もあるが、それ以上に、こうやって全力を出すたびに気絶するようでは危なっかしくて見ていられない。
だが、それを指摘すると「そんなことないよ!」とミスティが反論するので、ハーヴィはいつも困っている。
ミスティの首すじに指をあてて脈拍をはかるハーヴィ。
少し衰弱しているものの、命には別状なしとみてホッと一息つく。
ミスティは天才だ。
術が一つしか使えない落ちこぼれ、なんて評価をしていた里の連中は、まるで分かっちゃいなかった。
むしろ分かってなくてホッとしていた。
それほどまでに危険な才能だとハーヴィは思っていた。
実際、そんなミスティの霧を自在に操るだけの「たのしい一発芸」に、一目で活用方法を言い当ててしまった男だっているのだ──
ミスティ、あなたのその術に「私の薬」を…
待つにゃ!? ちょっと待つにゃ!!
べのにゃん、ちょっと向こうで話があるにゃ!!
──そう。ヴェノムの言う通り、「術」にひと手間加えるだけで良い。
毒でも酸でも、可燃性のガスでも、何だって良い。
それを自由自在に操れてしまうのがミスティの真の「恐るべき天賦の才」だ。
どれだけの規模で何人殺すのも、ミスティならば思いのままだ。
それが嫌で、里から連れ出した。
今のミスティのままでいて欲しいから連れ出した……なんて、完全に自分のわがままだとハーヴィは自覚している。
「…だけど、あながち間違って無かったにゃ。
あいつらも、ちゃんとおれっちが言った通り、転職を考えないとダメだったにゃ」
結果論だが、里を解散させたのは正解だった。
ヴェノムの下で働くことで色々と知ってしまったのだ。
世界は広い。
あのニンジャの里は、今の時代では生きていけない。
ニンジャというのは汚れ仕事で、金次第でなんでも引き受ける世知辛い職業だ。
わりに合わない。実力だって足りない。
なぜなら、戦う相手がいつも弱者ばかりとは限らないからだ。
それこそ、ついさっきまで空を飛んでいた聖女や、大暴れしていた魔法使いの少年を「ちょっと行って殺してきてヨ」と無茶ぶりされるのがニンジャという職業だ。
あるいは姫様やアルフレッド王子のような「善の象徴」を暗殺しろなんて依頼されちゃうお仕事だ。
「本当にわりに合わねーにゃ」
今はきっと乱世なのだろう。
英雄、英傑が多すぎる。
千年ぶりに魔王が復活するなんて騒いでいるこのご時世、そういう巡り合わせの時代なのだろう。
そんな中に、ミスティを飛び込ませる訳にはいかないのだ。
……なのに、
私もハンゾー君や姫様の役に立ちたい!
「…本当に困ったにゃ。
姫様や、べのにゃんや、その周りの人達を参考にしちゃダメだにゃ」
頭を抱えるハーヴィ。
ちょっと目を離した隙にいつの間にやら、こんな事態になっていた。
こんな事態に巻き込んでくれたヴェノムをちょっぴり恨みそうになったハーヴィ。
でも、よくよく考えてみれば、ミスティが姫様に直談判でもしてしまったら、もっと制御不能な事態になりかねなかった。
だから落とし所として、ヴェノムはあえて「聖女」を選んだのだろう。
人族の社会では立場の弱い獣人で、かつ里の者達にまで命を狙われる抜け忍で、ソフィアの身内という「弱点」でもあるミスティ。
それならば、いっそもう聖女くらいにでもしてしまった方が、後ろ盾や権力も得て安全を確保しやすくなって……なるのか? ……ほんとうに、それで良いのか?
ハーヴィは首を横に振った。
「…ああもう、やめにゃ、やめにゃ!
そういう難しいことは考えたくないにゃ。
そういうのは全部べのにゃんに任せるにゃ。
いざとなったら逃げる、それで十分にゃ」
そう言いながらミスティを抱えるハーヴィ。
やることはやったし、今日はもう退却だ。
「だから、ゴメンにゃ」
屋根の上から「彼」を見下ろすハーヴィ。
…何度もミスティを助けてもらったのに申し訳ないが、こればっかりは自分では力不足だ。
うすうす彼の正体に感づいている以上なおさら、撤退以外はありえない。
王都の怪人 V.S. BBQ。
むしろハーヴィの心配は、一体どこに逃げれば安全なのか? その一点に尽きるのだった。
「もう全裸はかんべんだにゃ」
三階建ての廃屋の屋根の上には、誰もいなくなったのだった。




