よみがえらなかった邪龍と、その顛末(前編)
複数の思惑が絡む事件だった。
邪龍についての情報が欲しくて「貴方のように優秀な指揮官なら倒せるに違いない」とけしかけた一派。
邪龍討伐という栄誉が欲しくて、命令書を偽造してまで兵をかき集めて出兵した一派。
倒せるはずもない邪龍との戦いに勇者を巻き込み、いっそ亡き者にしてしまおうと画策した一派。
お散歩中に巻き込まれた二名。
結果、勇者と一聖が邪龍を撃退。
これは誰しもが予想していない結果だった。
ただの失敗ではない、新たな損害だった。
「魔王の首」を持ち帰った勇者フィーネ。
不動の序列一位の聖女ソフィア。
そんな二人に、これ以上の功績を奪われる訳にはいかなかった。
それに加えて、この一連の事件について余計なことをしゃべらないようにと機密を理由に口止めしておく必要もあった。
事件に関わっていた者達は皆、焦っていた。
この会議室に集まった者達は、事情聴取という名目で、二人を徹底的に吊るし上げるつもりだった。
…そもそも本件は慎重に秘密裏に進めるべきだった案件で、勝手な行動でかき回すことは重大な背信行為である……という感じで言いがかりをつけて、お手柄どころか犯罪行為だと糾弾してやるつもりの男達がこの会議室で待っていた。
聖女と勇者を、手ぐすねを引いて待っていた。
そんな禍々しい雰囲気の会議室に、徐々に近づいて来たのは……悲鳴だった。
「――確かに楽しいって言ったけど!? もう自分で歩けるからっ!
え、到着? ……って、ちょっとちょっと待って待って、べのむー!?」
賑やかに入場してきたのは荷車だった。
その荷車の上には、勇者フィーネ。
耳まで赤い顔を両手で隠している一聖ソフィア。
そして荷車を押す、執事服姿の凛々しい青年――
――ソフィア・ブルームランドに仇なす者達を葬り去る猟犬。
ヴェノム・ブラックウィードが荷車を押して入場して来たのだった。
◆ ◆ ◆
最初は大人しかった。
むしろ、これなら押し切れるか? と思わせた。
二人の少女の前に守るように立ちふさがった青年は、何を聞かれても、
「それは病み上がりのお嬢様ではなく、参戦した兵士達からお聞きください」
の一点張りだった。
怒鳴られても、嘲笑われても、冷笑されても恫喝されても、冷静どころかずっと微笑み続けている青年の姿はむしろ不気味ですらあった。
男達は叱責した。
なぜ聖女がいて、なぜ戦っていた? 邪龍の件は機密だった、作戦指示書は誤りだった、それを確認もせずに一聖ソフィアは勝手に動いた。
命令違反だ、機密漏洩だ、背信行為だ、それについてはどう弁明するつもりだ! と男達の声に熱がこもる。
ヴェノムの後ろから、心配そうな一聖ソフィアがススス…とヴェノムの顔をのぞき込みながら声をかけようとして……ヒュッと引っ込んだ。
その姿に、察しの良い一部の者達が「あ、ヤバイ」と気が付いた。
そうだった。
この青年はむしろ笑顔の時の方が「危険」だったことを思い出した。
気付いた男達が、熱に浮かれて勢いづく正義執行人達を止めようとざわつき始めるが……
「…つまり、皆様のお話をまとめると」
遅かった。
ついにヴェノムが、定型句以外の言葉を口にした。
「機密であるはずの本件について、邪龍調査から作戦指示書の偽造の件まで、なぜか知っている、あるいは関与している方々が今まさに、この場にいらっしゃるということですね?」
そうだ。
直接的ではないにせよ、彼らは関与を自白していた……ヴェノムに自白させられていたのだ。
ここから先は、ずっとヴェノムの番だった。
ヴェノムは説明する。
そもそも、偽の指示書などとは無関係に、聖女の中でも第一席のソフィアにはあらゆる事件に介入できる特権がある。
これは有事の際にあらゆる者達を苦難から救い出すための聖女の権限で、現に今回、一聖ソフィアは国を危機から救ったのである。
ソフィアがいなければ兵士は全滅し、邪龍は飛び立ち、今頃この王都も邪龍の塒になっていたことは兵士達の証言からも明らかだった。
そして、手違いにせよ故意にせよ、そんな一聖ソフィアの命を脅かし、国を滅ぼしかねない状況に陥れた者達がいる。
「ことの発端は、皆様にもご説明頂いた通り、この作戦指示書です。
……ああ、これは複製です。例の『本物の偽の指示書』では無いのでご安心ください」
ざわりとする会議室。なぜ、お前がそれを持っている?
嫌な予感に応えるように、これまでと変わらぬ口調でヴェノムが丁寧に説明する。
無事に生還した兵士達の証言と、各部署で書類や手続きを管理する者達への問い合わせで、その全貌は見えてくる。
兵士達はどのように招集され、作戦指示書はどの部署で処理され、誰の承認を経て、そもそも誰が最初に作ったのか?
正式な書類はすべて記録に残る。つまり記録に「無い」手続きが不正の手がかりだ。
途中、軍務局と政務局で使うインクの違いや、指示書で使われている紙の材質と、その理由などの豆知識まで交えながらヴェノムの解説が続いて行く。
もう誰も「なぜお前がそれを知っている!?」とは思わない。
そして徐々に、「これ、まずいんじゃないのか?」と話がむかおうとしている結末に気付いていく。
ヴェノムの話は時系列を順番に、逆にたどっていた。
指示書が作られ、書類が処理され、兵士達が戦うことになったそれを時間を遡るように話している。
つまりこの話の終点は「偽の指示書を作った者」、つまり「元凶」へとたどり着くのだ。
実際にもう、本来指示書を止めるべきだったのに上からの圧力やら特例やらで指示書を通した部署、なんて絶対に他言できない話題まで登場し始めてしまっている!
ちょっと待て!? その辺で止めろ! やめてくれっ!!
事件にかかわった者、無関係な者、全員が心の中で絶叫する。
聞いてはいけない、聞きたくない! うかつに知ったら消されかねない話はやめろ!
やばい部署名や人名の、豆知識付きの分かり易い解説を前に、男達の顔がみるみるうちに青ざめる。
彼らの顔色など気にもせず、ヴェノムは続けた。
そしてついに核心部分、最も聞いてはいけなさそうな容疑者あるいは犯人の話題が目の前にせまる。
ヴェノムの口が、毒牙が、そこにかかろうとしたその時、
「…ちょ、ちょっと? べのむー?」
ヴェノムの背からもう一度、スススと顔をのぞかせた一聖ソフィア。
救い手だった。
ソフィア本人は、救うというより、あまりにも重く緊迫した雰囲気にさすがにまずいと思って止めに入ったわけなのだが。
「もうそろそろ止め――」
一聖ソフィアの前にヴェノムがスッと差し出したのは、指輪収納箱のような小さな箱だった。
箱の中身は宝石みたいなアメ玉。それを一聖ソフィアがひょいパクリ。
甘い、そしておいしい。
べのむーは一体どうやって、毎回こんな違う味を思いつくのだろう?
スススとヴェノムの背へと引っ込むソフィア。
救い手の退場である。
むしろ、出しかけた手を引っ込めるなんて、上げて落とした分だけ余計に罪深かった。
だがそんなソフィアの言動を、貫禄のありそうな男が勝手に拾った。
「一聖ソフィアも言った通り、この話はここまでにするべきだ」
「おや? よろしいので?」
ヴェノムの微笑みに、眉間にしわを刻んだ男がにらみ返す。
「これ以上の話は捜査に関わる。差し控えるべきだ」
問答無用。お決まりの政治用語だった。
…ここで口をはさめば自身の関与も疑われかねないが、それでも止めざるを得なかった。
ここで実名まで出されてまっては、後で揉み消すのが大変だ。
「あとは、当局からの報告を待つべきだ」
あとはその当局へと働きかければ、どうとでもなる。
貫禄のありそうな男の、口元がわずかに歪む。
……だが、その考えは甘かった。
「そう言って頂けると、助かります」
「何だと?」
変わらぬ微笑みでヴェノムは返す。
「報告書はもうじき仕上がりますので、ぜひ期待してお待ちください」
「なっ!?」
驚愕した男も、それ以外の者達も、ヴェノムの言葉で「前回」を思い出す――
――前回の、ソフィアの暗殺未遂事件。
事件そのものはすべて未然に防がれたが、これについて大々的に抗議文が発行された。
ソフィアの実家であるブルームランド家と精霊教会の長である大司教の連名で発行されたその文書。
そして問題は、抗議文本文では無く、それに添付された「参考資料」の方だった。
それは事件の容疑者達についての詳細な報告書だった。
彼らの略歴、事件への関与内容、事件前後の行動内容と証言・証拠、事件に絡む関係者や表・裏の組織との相関図、本件以外での余罪と疑惑。
まるですぐ後ろで観察でもしていたかのような緻密な描写の、もはや言い逃れ不可能な内容の、分厚い冊子の参考資料が各所へと配られた。
これにより、何人もの権力者達が表舞台から消え去った。
もっと言えば、裏でもいくつかの人や組織が闇から闇へと葬り去られたのだが、それは知っていること自体を、知られてはいけないような話だった――
――そして今回、再びの一聖ソフィアの殺害未遂事件だ。
考えてみれば、ヴェノムが出て来ない訳が無い。
むしろ今まで暗躍していたヴェノムは、この会議を手ぐすね引いて待っていたのだ。
それを肯定するようにヴェノムが告げる。
「今回は軍務局長にも『なかなかの内容』とお褒め頂いた力作です」
軍務の長!? 全員が目を見開いた。
だが邪龍の件は軍としても顔に泥をぬられた案件だった。
犯人共を叩き潰すために、軍務局がヴェノムの協力を受け入れたとしてもなんら不思議なことではなかった。
ヴェノムが胸に手を当てて、整った顔で微笑みかける――
――微笑みながらも、
まったく笑っていない瞳で、
一人一人の目を見つめて告げる。
「その理由が何であろうと、誰であろうと…」
ヴェノムが言い含めるように、一言ずつ、一人ずつ、すでに彼の中で確定しているのであろう「獲物」へ向けて告げていく。
「お嬢様の命を脅かす者は、この私が…」
彼の服の裾がバタバタしているのは、彼が放つ殺気とか覇気とかでは無く、彼の背中でそのお嬢様が「もういい! もう良いって、べのむー!」と一生懸命引っ張っているせいである。
そしてヴェノムの瞳が、最後の一人の顔を映した。
「一人残らず、この世から」
それは最後にヴェノムを止めた「貫禄のありそうな男」だった。
男はごくりと息を飲む。もう、何も言い返せない。
にらまれたカエルに、毒蛇が告げた。
「……ここに居ない方もまだいらっしゃるので、続きは報告書を待ってから、に致しましょう」
数日後、この男達をはじめとした数人が「表舞台から」姿を消すことになる。
その後どうなったか? については誰も知らない、ことになる。
そこにパン、と、手を叩く音が響いた。
「さて、議論はもう出尽くしたか?」
この国の第一王子の声だった。
一体誰が呼んだのか、なぜか彼までこの会議室に座っていた。
だが今になってみれば、彼がいなければこのまま死人まで出てしまいそうな雰囲気だった。
一連の事件に「関わりの無い者達」は今、王子の存在に感謝していた。
ホッとする者達、うつむいたままダラダラと脂汗を流し続ける者達、一仕事終えてすまし顔の微笑み男の姿を一瞥してから王子は言った。
「勇者フィーネ、君からは何か言うことは無いのか?」
そう言えばいた。
わざわざここに呼び出されてしまった当事者の一人なのに、発言の機会が全くなかったフィーネに対して王子が問いかけた。
その質問に、ニュっとヴェノムの背中から顔をのぞかせたフィーネ。
彼女はぴっと口の前に人差し指で小さくバッテンを作った。黙秘権の行使である。
なにそれカワイイ!? 隣のソフィアも何となくピッと真似してみた。
その様子に、ヴェノムも微笑みながら口の前に人差し指を持って来て、そんな三人に王子も苦笑した。
その光景に思わずクスッと笑う者達……ここで笑えるか否かが、この件での立ち位置を暗に示してしまっていた。
「邪龍に関わる一連の疑惑については報告書を待つとして」
王子が続ける。
「此度の邪龍の撃退ならびに生還は、ひとえに勇者フィーネと一聖ソフィアの活躍あってのものである。
彼女達、そして現地で奮闘した兵士達の活躍によって我が国は守られた。
ここで国を代表し、あらためて感謝を述べたい。ありがとう、フィーネ、ソフィア」
どこからともなく拍手が起こり、ソフィアがはにかんだ。
これまでソフィアは心配されたり叱責されたりで、感謝されたのは実はこの場が初めてだった。
ここにきてようやく苦労の実感と、それが報われたような気分になったソフィアは素直に喜んだ。
そのまま王子が会議を閉会した。
王子が議長という訳では無かったが、これ以上続けたいとは誰も思わず、王子の言葉に文句は出なかった。
「これにて本会議は閉会する。解散。
あと、フィーネ。好きだ。結婚してくれ」
最後の最後にぶち込まれた余計な一言に、初めて聞く者は聞き間違いかと目を見開いたが、それ以外の者達は気にもとめなかった。
こうして、会議はしまらないままに終了したのだった。
◆ ◆ ◆
「…なぜ残った、一聖ソフィア?」
「べのむーが帰らないので、なんとなく?」
「…なぜ残った、ヴェノム?」
「むしろこのまま帰られると、殿下の方が困るのでは?」
「「……」」
そしてここから、三人だけの延長戦が始まった。