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べのむーと愉快な配下達(4)

  ◆ ◆ ◆


 いつかこの日がやって来ると、彼女は覚悟していたつもりだった。


 だが、それは想定外に早かった。

 論文でまさかの高評価を受けてしまったせいで──当時はまだ男爵令嬢だった彼女には、いくら家族の動向が怪しかったとはいえまさか、こんなところに落とし穴があるだなんて思いもよらなかった。


 いつもすべての書類仕事を彼女一人に押し付けていた毒親達が、こういう時の手際(てぎわ)だけは早かった。

 それでも通常書類の中に闇商人から買った偽の戸籍証を放り込むという間抜けさのおかげで、彼女はいち早くそれに気が付けた──



 ──貧民街出身の平民、ヘドラ。

 五歳って。偽造戸籍とはいえ、手抜き仕事にもほどがある。

 そして「ヘドラの売買契約書」という恐ろしい書類。

 自分の末路が、分かってしまった瞬間だった。



 継母の娘である妹に名前を奪われ、()身着(みき)のまま家から脱走した彼女。

 服の中に隠せた硬貨や食料の数などたかが知れていた。


 しかも、その日は雨。天も彼女に味方しなかった。


 夜陰に隠れて行動するには曇り空の方が都合が良い……なんて、いくら前向きに考えようとしたって無理がある。

 このままでは雨と夜風の寒さで、早くも絶命しかねない。


 考えろ、考えろ、考えろ。

 どうやれば生き延びられるか、凍える身体で彼女は必死に考えた。


 王都に味方は一人もいない、となり街までは距離がある。

 何よりまず今夜を乗り切り、門が開く夜明けまで生き延びることさえも命がけの状況だ。


 クソッ、頭が回らない……

 怒りで、憎しみで、煮える脳が、悲しさと(みじ)めさで締め付けられた心が、「雨で」(ゆが)む視界が、世界をぐしゃぐしゃにして……なにも、考えがまとまらないっ!!



 想定外に弱い自分。

 怒りだけでは(くつがえ)せないほどに、弱気と無気力が襲い掛かってくる……


 ついに路地裏で足がもつれて、倒れて……結果的には上手にゴミに擬態できてしまった自分の惨めさに……このまま冷え続ける心も身体も、もはやどうでもよくなってきた。



「……あんたなんで、まだここにいるのよ?」



 目の前に立っていた子供。

 さっき追い払った獣人の娘だ。


 こんな時間にこんな場所に子供の獣人、どこかの悪趣味な貴族が愛玩用に飼った娘が逃げ出して来たのだろう。

 門番に通じるであろう口上となけなしの通行料(ワイロ)をにぎらせて送り出したのに……戻って来た。


 しくじった?

 しかも、使用人らしき服装の男まで同伴? 私も捕まえに?

 畳みかけてくる不運に、自分の見通しの甘さに、余計なまねをした結果やってきた危機に、ヘドラはもう笑うしかなかった。



「…ハ、ハハ。なんなのよ、もう……」



 愚の骨頂。

 身の(たけ)に合わないことをやったばかりに……身の丈ってなんだよ? じゃぁ、何が、どうすれば正解なんだよ!? 私の、人生はッ!!


 こちらに近づいてくる使用人の男は、落ち着いた立ち振る舞いとは裏腹にまだ若い青年だった。

 しかも美形。

 薄闇と氷雨の中で、いっそ不気味なほどに。


「…私は慈善活動に興味は無いのですよ、ミスティ? 今回だけですからね?」


 こくこくとうなずく獣人の女の子の肩に手を置いてから、青年がやって来る。

 なんだ? どうやら自分を捕らえにやって来たわけでは無さそうだが……


「……そちらのお嬢様、一風変わった野宿のところ申し訳ございませ……おや? これはこれは…」



 その青年は、汚泥女(ヘドラ)に対して「(ヴェノム)」と名乗った。



「私と取引をしませんか?」


 そして全てを見透かす蛇のような目をしたその毒は──




  ◆ ◆ ◆



 ──ヘドラは今の生活がまんざらでもなく思えていた。


 仕事さえきっちりとこなしていれば、自由が保障されるどころか住居さえも確保してくれる雇い主のヴェノム。

 ちまたでの浮かれた噂と違って、今のヘドラの状況を冷静に受け止めて、過度に騒ぎ立てずにちゃんと彼女の立場を認めてくれている一聖ソフィア。


 職場の同僚。

 セクハラに手足が生えたような生き物であるラルフは正直、早く死ねば良いと思っているが、それでも「変態」である点にさえ目をつぶれば、よほどまともな部類の貴族であるのはヘドラにだって分かっている。


 変人達の巣窟(そうくつ)であるヴェノムの事務所は、自身の異常性を薄めてくれる点で、忌々(いまいま)しいくらいに居心地よく感じてしまっていた。


 支給された文官服に、ヴェノムの関係者であることを示すブラックウィード家の徽章を付けてさえいれば、中央庁舎の図書館さえもフリーパス。

 学習環境という面で言えば、過去より今の方がよほど恵まれていた。



 図書館で目の前をちょろちょろしていた勇者。

 明らかにトラブルの匂いしかしないが……つい余計な口を出して、(なつ)かれてしまった。



 高貴なる者は施せ(ノブレスオブリージュ)という発想は、合理的であると思っている。

 それは慈悲では無く、利己のために。

 平穏でいたくば、自身の周りの環境も平穏にしなくてはならない。

 ならば周囲に自らの名で施すのが、もっとも合理的に平穏を得る手段である。


 だから(あわ)れな勇者を、勇者と呼ぶにはあまりにも頼りない少女をほんの少しだけ手伝ってやった、という偽善。

 話せば話すほど、なぜ彼女が勇者なのか分からないくらいに本当に……いや、人に同情なんてできるほど立派な生き方はしちゃいない。


 ヴェノムから課される仕事にも日々まじめに取り組んだ。

 まじめにというのもおこがましい、当たり前のことをやって、平穏という報酬を得ていただけのことだ。


 すこしの優しさ、まじめな仕事、ふつうの人を演じてみせた。

 戸籍も名前も偽物の、そんな自分のわずかな矜持(きょうじ)と、(いつわ)りの世界を守りたかったのかもしれない。



 忌々(いまいま)しい世界の、(いつわ)りの平穏。

 甘やかな毒。

 それでも彼女には、もうそれで十分で、もうたくさんだった。



不躾(ぶしつけ)ながら、少々、お話させて頂けないだろうか?」



 勇者に手を繋がれてやって来た、その青年。

 何者なのか、一目で分かった。

 一般兵の軍服姿がこれほどまでに似合わない、無駄に漏れ出す後光と色香が隠しきれない優男(やさおとこ)もそうはおるまい。


 だからこそ、あえて彼が名乗らないこと、身分を隠しているつもりなのであろうことを逆手(さかて)にとってやった。


 上げ足をとり、論破して、徹底的に言い伏せた。

 (みにく)い八つ当たりだ。

 貴族を恨み、王都が嫌いで、世界を憎んでいる彼女が、その世界の「善の頂点であろう男」にぶつけてやった負の感情。

 いま思い出せば立派な黒歴史の一つである。


 そして同時に、あれは人生最大の失敗だった。


 彼の笑顔。


 貴族然とした仮面を脱ぎ捨てた本性あふれる、獲物を見つけた強者の笑顔──マズイ、やり過ぎたッ!!


 ゾッと凍えた背筋と頭。


 あの時、何を言ったかはもはや覚えていないが、とにかく話をたたんで、速攻で離脱したことだけが記憶に残っている。

 後日ラルフから聞いた「剣魔」なんて二つ名、なぜ先に言わないと思わず八つ当たりしてラルフを(よろこ)ばせてしまったが、それに嫌悪を感じる余裕さえ無くなっていた。



 それ以来、図書館通いは(ひか)えていた。



 …(ひか)えていた、と言ってもまだ三日しか経っていなかったが……




 …なのに今、もう彼が──アルフレッド第一王子殿下が、この事務所にやって来やがってしまった。



「ちょっと地下に行ってるから」

「おや、なぜですか?」


「いいから、黙ってて!」

「なるほど、ヘドラ嬢は隠れてじらす派」


 訳の分からないことを言うラルフであったが、それでも彼は自然にアルフレッドの目を引く役を買って出てくれた。


 その隙にそっと地下室へと移動するヘドラ。

 だが、同時に地下室から出て来たハーヴィとばったり目が合った。


「「………」」


 チラッと部屋を見渡しただけで、察しの良いハーヴィが人差し指をそっと口の前に立て、ヘドラも無言でうなずいた。

 ヴェノム研究所の変人達は、なんだかんだでヘドラに優しい。


 ハーヴィの手招きに従い、ついて行くヘドラ。


 どうやら机に隠れながら入り口の方へと逃げるらしい。

 たしかに地下室では逃げ場がない行き止まり、可能なら外へと離脱するべきだ。



「…なんとなく、甘酸っぱい匂いがするのよねー。もう少しだけ隅っこにいさせてもらって良いかしら?」

「構いませんよ? ところで追加の依頼ですが、消臭剤について相談を……」



 一部の者にはすでにバレてしまっている(?)ようだが、それでもまだ逃亡作戦を続行するする二人。

 腰をかがめて、ハーヴィの後ろでゆらゆら揺れる尻尾を追いかけていたヘドラだったが……その尻尾がピンと立って、ドキッとした。



「ここにはもう一人いると聞いていたのだが」


「ヤベェにゃ、隠れたのが逆効果だったにゃ」

「…ッ!」



 こうなってしまっては、これ以上ハーヴィの後ろに隠れて迷惑をかける訳にもいかない。

 何ごとも無かったかのようにヘドラはすっと立ち上がって、いけしゃあしゃあとアルフレッドに返した。


「…オーシックなら地下室です。殿下」


「なぜ中央庁舎の一部屋に、勝手に地下室が増設されているのかはおいておくとして。

 一人だけ地下にいる理由は?」


「「漏らすからです」」


 声をそろえたラルフとヘドラに、気まずそうに「それはつまり…」と確認するアルフレッド。


 自分が逃げるためにとっさにオーシックを差し出してしまった件については、後日あらためて謝罪……するとかえって余計な負担になりかねないから、菓子折りでも買って行くことを決めるヘドラ。


 あたりさわりの無い会話をしつつ、それでも彼女はじりじりと、再び退室を試みる。


 だが、アルフレッドの方も同じく流れるように自然な動作で、彼女の目の前に立ちふさがって……ついに退路は絶たれてしまった……


「それはそれとして、君とは図書館での出会い以来だな」

「……はい」


 あ、ダメだ。

 完全にバレている。()んだ。

 不敬罪。

 王族に対するそれは、最悪、斬首だ。



「君の名を聞いても良いだろうか?」


「…ヘドラです、殿下。家名はございません。

 先日は多大なるご迷惑をおかけ致しましたこと深く謝罪申し上げます」



 スッと(ひざ)を折るヘドラ。

 あまりの危機に、いっそ冷静になってきた。


 つまらない奴等とつまらない世界に振り回されて踊りに踊って、この末路。

 いや、つまらないなんておこがましい。

 今は違う。

 言いたいことを言って、書きたいことを書いた結果がこれを招いたならば、むしろ僥倖(ぎょうこう)とも言える。



 いっそ最後まで私は私として、毒を()き散らしてしまえばいい。



 (みにく)い八つ当たりだ。

 貴族を恨み、王都が嫌いで、世界を憎んでいる彼女の目の前にいる「善の頂点であろう男」。

 恥のうわ()りだ。

 失うだけ失い落ちるところまで落ちてなおここにいる私が、ここにいることを主張したいというわがまま。

 私は子供か?

 弱者ではなく強者相手なら殴りかかっても良いんだなんて、どれだけ甘えた理屈なんだ。

 私は一体なにを求めて。

 …そして世界に、誰に、どう求められたかったのか……



 理性と感情が頭の中でグルグルまわって、自分の右手をそっとすくい取るやたら神々しい男をヘドラは冷めた目で見下ろす。



「では、ドーラと呼んでも?」


「わざわざ墓標に愛称を刻んで頂けるとは身に余る光栄です殿下……なんて言うとでも? 馬鹿じゃないの? 死ねば良いのに」



 一人一殺。もうヤケだ。

 この国の第一王子の精神力を徹底的に検証してやる。



「おれと結婚してくれ、ドーラ」



「………???」



 ヘドラは混乱した。


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