聖女と先生、そして魔女(3)
邪龍を相手に勇者フィーネが戦った時、勝手に同行したソフィア。
偽の命令書で招集されたのはフィーネだけだったのだが、おまけで付いて来たソフィアのおかげで大勢の兵士達の命が救われた。
あの時のことは未だに悔やまれる、とはヴェノムの言葉。だが彼は同時に、結果的には(ヴェノム以外にとっては)最善の結果になったことも認めていた。
ヴェノムならばそんな危険な場所にソフィアを「行かせない」。だが聞いてしまった以上はソフィアは「行く」。
そして邪龍が相手ではさすがのヴェノムも守り切れない。
残念ながら、ヴェノムは勇者ほどには強くないのだ……対「人」戦で無い限りは。
つまり、勇者が守れないならば、ヴェノムにだって守れない。
「…という訳です、お嬢様」
「……べのむー? それ、今する話じゃ無いんじゃないのかな?」
移動する馬車の中で言い出したヴェノムに、ソフィアが苦情を述べた。
先日、アルフレッドが「守られる側にも自覚が必要」と忠告したのを踏まえてのヴェノムの言葉である。
昨日、「べのむーがいれば安心」というソフィアの言葉へのヴェノムからの返信でもある。
そして、次のセリフのための布石でもあった。
「なので、いざという時にはアルフレッド様を盾にして下さい」
「そうだね」
「いや!? そこはせめてアランカを盾にせよ!
……も、もちろん俺も守るのだが、それでもな、なんというか…」
念の為に繰り返すが、アルフレッドは第一王子だ。盾にしちゃダメなお方である。
そんな三人の会話に「ハッハッハ」と朗らかに笑う、戦士アランカ。
アランカ・G・パンコネール。
戦士であるが、本職はパン屋さんである。少なくとも本人はそう思っている。
太い腕も、パンをこねることで得た力である。周囲が「絶対ウソだ!」と言おうが、本人はそう言っている。
王都で「ふつうにおいしいパン屋さん」としておなじみの「パンコネール」。庶民がふつうに利用するお店である。一流店には味も値段も及ばない。
その一方で、王都で知らぬ者はいないアランカ。盾役として最強と言われている。誰もが認める一流の戦士である。
「…ところで、やはり余の元で働いてくれぬか、アランカ?(戦士として)」
「まだ修行中の身ゆえ(パン職人として)」
「お二人とも、また会話が噛み合っていませんよ?」
と、ヴェノムが二人にツッコミを入れるところまでがいつもの光景であった。
最後の一人、勇者フィーネは馬車の窓からじーっと外を見つめていた。
王都周辺の景色は見慣れたものでも、それが車窓となるとフィーネにとってはもの珍しい景色だった。
王都を出てしばらく経った後、5人が乗った馬車の中で、アルフレッドが気が重そうに語り出した。
「…さて、そろそろ今回の作戦について話す、べきなのだろうが……
…お前の方から説明するか? ヴェノム?」
「いえいえ、遠慮なさらずに」
とりあえずヴェノムに振ってみたが、断られた。
…そりゃあ、お前だって「ソフィアに」話したくは無い内容だろうな。
アルフレッドは一呼吸ついて、居住まいを正す。
その姿に、他の者達の背も自然と伸びた。
「さて。ソフィア。君は元一聖、フレシアのことは知っているな?」
「! はい! 私の先生です!」
聖女フレシア。
聖女のあり方を「今の形」に変えた聖女として広く名が知られている。
聖女を引退したフレシアは各地を放浪していたと言われていた。
フレシアは魔法が使えなくなった。それが引退前からなのか後からなのかは、定かではない。
田舎領主の娘であるソフィアの前に現れた時には、フレシアはすでに魔法は使えなかった。
だが使えなくとも知識はある。フレシアの指導のもと、ソフィアはその才能を開花させた。
これはソフィアが「不動の一聖」となったからだが、実はフレシアは自身の後継者を探すために世界中を旅していたのだと噂されるようになっていった。
現在、フレシアの消息は不明である。
ソフィアの時も、ふらりと現れて、ふらりと去って行ってしまった。
その後のことはソフィアにも分からなかった。
…先生、まだ元気でやってるといいなー、と懐かしんでいるソフィアに、アルフレッドが重い口調で話を続ける。
「…これから我々が向かう東の森に、魔物がいる」
「えっ」
魔物。
主に魔法を操り、人に危害を加える生き物のことを指す言葉。
だが、大型の動物や、人を襲う生き物や無生物もすべて魔物と呼ばれている。
魔物と動物、魔物と人、その境目は特に決まっていない。
正体不明の生物は、だいたい魔物と呼称されるのだ。
魔物自体はどこにでもいる。
特に王都が人が大勢集まる場所のせいなのか、王都周辺にも強力な魔物が集まってくることも度々ある。
その魔物の規模や種類に応じて、国の軍や、民間の冒険者達が臨機応変に対応していた。
…もしかして、その森に先生が調査にでも行っているのかな?
少し嫌な予感がしてきたソフィアの前で、アルフレッドの話は続く。
「その魔物は、最初、王都に現れた」
「!? それって、わりとおおごとじゃないのかな!?」
ソフィアの言葉に、アルフレッドの表情が険しくなる。
「そうだ、大問題だ。
よりにもよって王都内部に魔物の侵入を許した。しかもそれが、精霊教会の聖域内部だ。
大至急、対応せねばならぬ事態だというのに……
…あろうことか奴ら、これまでずっと隠蔽しておったのだ!」
「で、殿下? お顔が怖くなっちゃってますよ…?」
どうやら精霊教会所属の聖女である自分も、アルフレッドから見れば「奴ら」の側だ……その事件のことは今知ったのだが。
アルフレッドの剣幕に、ちょっと、かなり、怖いなと引いたソフィアの左隣で「大丈夫ですよ」とヴェノムが言った。
ちなみにソフィアの右隣では、フィーネが変わらず車窓にご執心である。
アランカは無言で腕を組んだまま会話に耳を傾けている。
深いため息をついてから、落ち着いたアルフレッドが話を再開した。
「…精霊教会側の報告では、聖域内で査問会の重鎮が惨殺されたらしい。
時間は夜、被害者はその男一人だった。
そして彼らは否定しているが、その日、その重鎮である男と聖女候補者である女が、夜に、二人きりで密会する予定があったらしい」
「それって、魔物とはぜんぜん別の意味で、大問題なんじゃないのかな?」
一聖である自分ですら事件を知らされていない理由が、なんとなく分かった気がしたソフィアだった。
「聖域内での密会も、聖域を破られたことも全てが問題だったのだろう。
問題を隠したがった一派がすぐさま情報統制を行い、魔物を追撃、王都の東に魔物が逃げたことを突き止めた。
……そして、送り込んだ討伐隊が全滅した」
「全滅」
通常、全滅などはあり得ない。半壊する前に、撤退する。
まして初心者冒険者達などではなく、精霊教会が送り出した部隊である。当然、撤退用の魔法や道具も持っていたはずだろう。
それにも関わらず、撤退すら許されずに全滅した。
「そして三度目の討伐隊の生き残りが王都へと帰還して、ついにそのことが発覚した」
「三度目!?」
全滅を三回も繰り返していたらしい。
「帰還魔法で戻って来たその兵士は、その全身を徐々に石化させながら駆けつけてきた王都警備兵達に事情を説明したという。
…未だに石化の解呪はできておらず、三聖を招集しているところだそうだ」
「……」
人が集まる王都にあって、未だ誰にも解呪できていないなら相当強力な呪いである。
心の中で勝手に「真なる聖女」に認定している三聖が解呪できなかった場合は、私にも無理だとソフィアは思った。
彼女の活躍をソフィアは祈った。
そしてアルフレッドの説明はついに問題の核心へと至る。
ソフィアがここに呼ばれた理由だ。
「石化した兵士が最後に、魔物の正体を口にした――」
――一体、どんな強い魔物なのか?
恐怖と興味でどきどきしていたソフィアは………自分の耳を疑った――
「――その魔物は、
元聖女フレシアである、と」
「……えっ?」
◆ ◆ ◆
あまりの衝撃に、半ば放心状態だったソフィアにヴェノムは「大丈夫ですよ、お嬢様」と声をかけた。
「何かあったとしても、殿下が揉み消しに協力して下さるので」
「あまりそれを肯定するわけにはいかないのだが………我々が現地に向かい、主導権を握らねばならぬという点ではヴェノムの言う通りだ」
アルフレッド自らが現地へと赴く理由は大きく二つ。
一つは、アルフレッドが武力としても権力としても強いからだ。
剣の腕前は王都随一と軍務局長も渋い顔で認めている。最強の武力でさっさと解決してしまったほうが被害が最小限にすむ。
そして「殿下自らが指揮を取り、解決なされた!」という話なら、余計な横やりも入りにくい。
なにやら王都の権力者がらみのきな臭い事件らしいので……第一王子のアルフレッドが問答無用で片付けてくれれば助かると、政務局長が苦い顔で認めていた。
そして宰相が「殿下が死んだらさらに問題が悪化するだろう!」と正論を言ったので、アルフレッドは聞こえない振りをしてさっさと出発したのだった。
そう、二つ目の理由は「アルフレッドの我儘」だった。
宰相以外はアルフレッド自らが「俺が行った方が早いだろう?」と説き伏せた。
討伐隊もアルフレッド自らが「仲良しな者達」を手続きを無視して招集した。
今頃、城の文官が事後処理に追われている頃である。
フィーネの招集も対魔王研究所を通していない。
フィーネの前で片膝をついて手を取って、「俺に力を貸してくれ、フィーネ」という王子に「うん」と二つ返事で引き受けちゃったフィーネだった――
――王都の中央政庁、その中庭、陽光を浴びてきらめく花々の中で、勇者の手を取る若き王子。
きらきらの王子がきらきらの戦女神にきらきら救いを求めてきらきらな図。
やべぇもん見ちまった、と目を丸める通りすがりの目撃者達――
――空気を読んだ目撃者達は「なにも見なかった」ことにしたのだが、この数年後、聖女フレシアの一件が明るみに出て悲劇として語り継がれるようになった頃には、この中央政庁での一幕もしっかり劇にされるのだった。
だが、アランカの方は噂にも劇にもならなかった。おっさんは人気が無かった。
ヴェノムは自分からアルフレッドのもとへとやって来た。
アルフレッドが「聖域内での殺害事件」の件を知った日に、呼ばれる前にやって来た。
文官経由の情報よりも、ヴェノム経由の情報の方が詳しかったことにアルフレッドは「本当に味方にしておいた良かった…」と、うれしく思う反面、文官達の情報収集力に不安を感じて頭を抱えたのだった。
すぐにアルフレッドとヴェノムの二人は話し合い、見解は一致した。
魔物がどうこうはさておき、元一聖に命を狙われ、それを揉み消そうとした一派がいる。
東の森の魔物の正体が何者であろうとも、彼らは必要ならばフレシアを犯人にする。
そこから更にフレシアの弟子であるソフィアも一緒に排除して、フレシアがやった聖女改革の逆をやろうともしかねない。
三度目の討伐隊が失敗し、その発覚によって関係者達が混乱しているその隙に乗じて、さっさとけりをつけてしまうことにした。
ソフィアを連れて行くのは、戦力的なことに加えて、フレシアがらみの政治問題で不利にならないようにするためだった。
そして、今に至る。
そんな諸々の事情を馬車の中でみんなに説明したアルフレッドは、
「余とそなたらが行った方が、話が早いからな」
と端的に総括した。
そんな王子の説明で、どうにか心を落ち着けたソフィア。
彼女も、なにもアルフレッドが悪い訳では無いのは理解しているつもりだった。
だからどうにもならないモヤモヤは、もう一人の方へと八つ当たりした。
「どうして先に教えてくれなかったの、べのむー」
「申し訳ございません、お嬢様。
実は、本日我々が向かわずとも済むようにと、ぎりぎりまで調査し続けていたのですが、間に合わず」
ぎりぎりどころか、実は今もヴェノムは配下を動かし続けていた。
これから向かう森では無く、王都の方で何が起きて、何を起こそうとしているのか調査と根回しを継続中だった。
ふと、ソフィアの右手を柔らかい感触が包んだ。
それはフィーネの両手だった。
「大丈夫、私が守る」
「…ありがとう、フィーネちゃん」
「大変だ、先に言われてしまったぞヴェノム?」
「お望みであれば丁寧に八等分して差し上げますよ、殿下?」
「はっはっは、皆仲がよろしいですな」
政治のことには口を出さないアランカも、この場の皆が互いに助け合おうとしていることだけは確信して、それがただうれしかったのだった。