聖女と先生、そして魔女(1)
この国の中心である王都であるが、意外なことに夜は早い。
夜通しきらめく都会とか、深夜も賑わう繁華街とか、そういうものが王都には無い。
不夜城なのは中央政庁くらいのもので、貴族も平民も日が暮れるころには帰宅をはじめ、夜にもなれば外出を控える。
王都ともなれば各地から人が集まってくる。
人や財や権力が集まってくるこの都市で一旗あげようとやって来る。
中には変人達や困った者達もやって来る。
特に戦いや冒険で名を馳せるような者達は、だいたいが一般人には程遠い者達で、荒くれ者達ばかりである。
まともな神経の者達ならば、わざわざ危険に飛び込むような職業にはつかない、とも言える。
荒くれ者達の中で名を上げたい、つまり荒事待ちの者も大勢いる。
乱暴に言ってしまえば、自分が活躍したり目立ったりしたいが為に、事件や事故を求めているような者達が、王都には少なからず集まってきてしまうのである。
王都の夜とは、つまり、そういう者達が歩き回る時間なのであった。
静まり返った大通り。
向こうからやって来る人影に、吸い寄せられるように近づいて行く二人の大男の姿があった。
人がぶつかるような道幅では無い。わざわざぶつかるために軌道修正しながら歩いているのだ。
明らかな体格差だった。
あちらとこちらで、大人と子供くらい影の大きさに差があった。
やがて正面から対面する二人と一人。
二人の大男が、闇夜の向こうからやって来た少女に声をかけるが、
「おうおう、嬢ちゃん、こんな時間……に…」
言葉を失った。一目で見惚れてしまったのだ。
吸い込まれるような漆黒のワンピースの上に、包み込むような優しい夜色の外套を来た、艶やかな黒髪の少女。
美人。男には他の語彙が出て来なかった。
少々小柄な体躯だが、むしろ今ここで新しい扉が開いてしまいそうな、とても妖しく危険な女の子が男の前に立っていた。
「「……」」
「……」
何秒待ったか分からない。
絶句したままの二人を前に、律儀にも待ち続けていた少女だったが、そろそろ良かろうと再び歩こうとしたところで男はようやく立ち直った。
「ハッ!? お、おい待て、お前!!」
「待ったぞ?」
「そうだな! 待たせたな! じゃなくてっ!
あー、その、おー…………おい、嬢ちゃん、こんな夜の王都で一人歩きかい?」
「見ての通りだ」
「お、おう。そうだな。 …ここは王都だ、危険だぜ? 俺達が送り届けてやるよ?」
「必要ないぞ?」
「まぁ、そう言うなって。どこに行くのか知らねぇが、急ぎじゃねぇなら……って、おい! 待てよおい!」
再び歩き出そうとした少女を慌てて止める送り狼達。両手を広げてあからさまに、道も視界も閉ざすように立ち塞がった。
「まぁ、待てって! そんな急ぐなよ嬢ちゃん!!」
「何がやりたいんだ? 分からないから、要件を手短に言え」
ここまで話せば、だいたいの相手は大男達を前に委縮するか、にらみ返してくるかの二択である。
だが彼女はまるで平然とした口調ではきはきと、本気で分からないという疑問の顔で大男に返して来た。
だから条件反射で男は怒鳴った。
怒鳴りつければどうにかなる、怒鳴りつける以外の手段を知らない。
沸点の低い男の口が、噛みつかんばかりに吠えかかった。
「おい!! てめぇ調子に乗るなよ――」
「――止めたいのならば、止めてみせろ」
少女が前に出た。
大男も即座に出した手で、胸くらいつかんでやろうと思っていたが、無意識にガシっとつかんだ場所は少女の両肩。
「おい、待て、ぇええええええ!?」
そのまま後ろへ直進。
幻視したのは馬車だった。轢かれる! ありえない馬力で押して来るそれに男は叫び、体勢を必死に立て直そうとして押し返した。
だが止まらない。徒歩の速さだが、いっさいブレずに真後ろへ押し戻される恐怖に、男は叫ばずにはいられなかった。
隣で見ていたもう一人は、理解できないその光景を、立ち尽くしたまま見送っていたが、
「お、おい! 手伝えっ!!」
「え? お!? おう!!」
手伝え? 何を? 一瞬、訳が分からなかったが、押し戻される男を手伝うのなら、一緒に押し返せということだろう。
とはいえ、荷車ならまだしも小柄な少女を覆い隠しそうな体格差でなお押し負けている状況だ。
どこをどう手伝えば!? とっさに選んだ場所は大男の後ろ。つまり、押し返す男の背や腰を押して、力を合わせて押し返した。
「「うおぉぉぉお!?」」
そして、びっくりするほど、止まらない。
問題:
点Eは毎秒2.5歩の速度を保ったまま大通りを一直線に進み、その延長線上には大男A・Bが存在し続けている。
では30秒後、点EおよびA、Bはどうなるか? 推測される結果と、その理由を述べよ。
「ねぇ? 君達なにやってるの? 楽しそうだね?」
答え:
警備兵に怒られる。理由は、近所迷惑だから。
呆れた顔の警備兵五人の姿に、二人が絶句し、一人が元気に返事をした。
「「……」」
「ああ、そこそこな!」
大男二人が奇声を上げながら後ろ向きに大通りを一直線に滑り続けていたのである。謎の奇行を警備兵達だって止めざるを得ない。
そして体格差せいで遠くからは姿が確認できなかった少女の姿に、警備兵達もいま気が付いた。
だいたいの事情を察した警備兵達の兵長が、残りの四人に指示をした。
「そっち二人を連れて事情聴取。こちらのお嬢様は俺が一人で送り届ける」
「「はい!」」
慣れた様子で男二人を連行していく警備兵達。
5人いるのに残った兵が一人だけなのは、一番厄介そうな奴に一番強い者を割り当てておいた結果である。
とはいえ、別に戦う訳ではない。
被害を最小限に食い止めるのが彼ら警備兵の仕事だ。治安維持とか、大きなことは言いたくないのが兵長だ。
相手が厄介そうならば、飯でも奢ってお引き取り頂くのが最良だとすら思っている兵長である。
また歩き出してしまう彼女の横に並んで、男は一応の職務質問を試みた。
「それで? お嬢様はこんな夜中に、怖そうな男達相手に何をして遊んでいたんですか?」
「押し合いっこだぞ?」
「うん。そのまんまだね」
言いたいことは分かったが、違う、そういうことではない。
だとしても、夜中に王都の大通りのど真ん中で楽しむような運動? ではないのだ。
…まぁ、大事にならなかったようで良かったが……
兵長はもう、彼女が見た目通りの女の子だとは思ってなかった。
この王都には、見た目通りでは無い連中なんてごまんといる。魔法使いは特にそうだ。
油断などできるはずも無い。
だけど、彼女が何者であろうとも、こんな時間にこんなところで力比べとかやめて欲しい。
男の困り顔に彼女も気が付いたのか、なぜあんなことになっていたのか事情を説明してくれた。
「無視したらかわいそうだろ? だからだ」
「…かわいそう?」
ねじ伏せた相手に、かわいそう?
眉をひそめた兵長に、彼女は続けた。
「わざわざ向こうからぶつかって来たのは、寂しいからだ。
相手の方が強いかもしれない、返り討ちにあって死ぬかもしれない、それでも相手を求めてるんだ。
なのに、無視しちゃったらかわいそうだろ?」
「……」
「だから、我が輩が正面から受けて立ってやった。あいつらだって、すごく喜んでたろ?」
「あー、うん。 …最後の点はちょっと、疑問が残るかなぁ?」
だが、それ以外については兵長も納得した。
納得したのは理由というより、彼女が何者なのかである。
彼女は絶対強者だ。
向かって来たから受けて立ったという彼女の理論の大前提は、「自分は決して相手から奪われない」という自信である。
受けて立ったから死にましたでは、彼女はとっくにこの世にいない。
実際、大男を押しのけたあれが筋力なのか魔法なのかは知らないが、彼女は間違いなく、強い。
あぁ、今夜はやべぇのに遭遇しちゃったなー。
これは困った、どうしたものかと考え始めた兵長は……ハッとした。
「…っ!? ちょ、ちょっと待った! こっちはまずい! 回れ右っ!」
「?」
後ろを指さして叫ぶ兵長。押し合いっこを挑む気は無いから、身振り手振りで止めるしかない。
「このまま進めば貧民街だ! 危ない!
…あぁ! だから何って顔してるけど! 何、理由聞きたい? じゃぁ言っちゃうよ!?」
止まる気の無い彼女に、そこがどういう場所なのか、まくし立てる。
貧民街は危ない。
強者を装い恐喝してくる。弱者を装い同情を買う。仲間を装い騙して来る。老若男女あらゆる者が襲ってくる。
上から毒が振ってくる。下には罠が掘ってある。前から明りで目つぶししてきて、後ろから【催眠】魔法や薬で自由を奪ってくる。全方向が油断できない。
入る前から狙ってきている。入ればずっとこちらを見ている。出てからずっと知らない奴がどこまでもどこまでもついて来て、一度関わればもう二度と、離れられない。
あまり知りたくは無いけれど、職業柄あの場所については嫌でも知ってる。
だから言いたい、危ない場所だから近づかないで、と。
そんな職務に熱心な彼に、彼女が純粋な疑問を返した。
「そんな危ない場所が、なんでこんな所にあるんだ?」
「痛いところついて来るね?!」
こんな所。
どこにあるなら良いというものではないが、よりにもよって王都の「中」にそれがあるのはいかがなものか?
王都の隅っことかではない。平民街のど真ん中で、むしろ貴族街にも近いくらいの位置に、危険地帯があるなんて。
なぜそのまま放置してしまっているのか?
言いたくないが、隠す答えでも無いので男は返す。苦々しい表情で。
「…政治だよ。
危ない場所に危ない物を隠しておきたい奴。扱いに困る奴らを一カ所に押し込めたい奴。下には下がいることを見て安心したい、安心させたいと思っている奴ら。
色んな理由でそこを必要としている奴らがいて、そいつらは権力を持っている」
そんな奴らが「貧民街を無くしましょう」という意見を「いや、あそこは必要だから」と一蹴する。
正そうとする者達にそれらしい横やりを入れて、台無しにする。
「あっ!? 何言ってんだこいつ、って顔しないで!
俺も自分で何言ってるんだって、悲しいから! ホント!」
「……」
口をへの字にした少女が、ついにその歩みを止めた。
「あいつが居たのも、そんな場所だったんだろうな…――」
――牢の外には、恐ろしい、醜い生き物がいっぱいいたんだ。
あいつが誰かは知らない。まして彼女の同棲相手のことなど、兵長は知るはずも無い。
少女とは思えぬ整った顔に憂いを見せて、彼女はつぶやいた。
「…思ったより、つまらないな」
何を思って失望したのかは分からない。
だが、夢を求めて、夢破れた者達が大勢いるのがこの場所だ。
光も影も、両方あるのが王都である。
そこを守り、日々見続けてきたのがこの男だ。
「こう言ってはなんだけど、な」
男はぼりぼりと頭を掻いた。
「ここは王都だ。機会はいくらでも転がってるよ。あんたくらいの実力があるなら、な」
彼女が相手なら、きっと言っておいた方が良いという予感だった。
「本気で変えたいと思うなら、中途半端にかき回さずに、ちゃんと上から変えてくれ」
暴力では無く、正義をもって変えろ。
たとえ相手が貧民街であろうが、その元締め達であろうが、筋を通せ。
実力があるならそれ相応の権力を手に入れて、国の政策や都市の運営として正しい手順で救ってくれ。
横から割り込んだところで「大義名分」という名の暴力でもってねじ伏せられるのがオチだ。最終的には被害が広がり犠牲者が増えて、救おうとした者達にまで飛び火する。
見た目はまだ年端もいかない少女を相手に、つい熱く語ってしまった兵長。
それでも、きっと彼の言いたいことは、彼女にも伝わったのだろう……
…だが、伝わってしまった。
ゆえに、彼女は不敵に笑い返した。
「本当に、それを我が輩がそれをやってしまって良いのか?」
ゾワリと背筋を走る悪寒。
やべぇ! 言って良い相手じゃ無かった!? 外れた予感に男は心の中で叫んだ。
見たことの無い青い眼光の少女が、怯んだ男の瞳を見つめる。
「前向きな話を聞かせてくれた礼だ」
彼を見上げるその瞳は、さらにずっと先の、何かを映して警告した。
「今宵、止めるべきは、止まらぬ者は我が輩では無い。
…ちゃんと諫めねば、今度はただでは済まないぞ?」
「……」
言いたいことは言い終えた彼女は、呆然としている男を残して再び歩き出した。
ちゃんと回れ右をしてくれた。
彼女の行く先はもう貧民街では無かった。
…そっちの方角なら問題ない。止める理由はもう無いはずだ。
……止めなくて良い。もう終わった。
余計なことは、もうしゃべるな。
それでも職務に忠実なのか、謎と危険への好奇心なのか、また口が自然と開いてしまう。
「…待て。君、名前は――」
その横顔だけで振向いて、立てた人差し指に口づけしながら彼女は二ッと笑い返した。
「聞くな。今度はホントに後悔しちゃうぞ?」
すでに彼女が消えた闇夜を見つめる。
…可愛いんだか、怖いんだか、謎の女を相手に混乱した頭を落ち着けようとしてみたが。
「…うおっ!? 寒っ!」
ひやりとした背中。汗びっしょりだったことにようやく気付いた。
彼は職務に忠実だっただけで、彼の本能の方は始めからずっと警鐘を鳴らし続けていたのだった。
そして、その翌日。
王都にある精霊教会本部、その聖域内の、貴賓室。
一人の男の惨殺死体が発見された。
聖職者しか入れぬはずのその場所へ、魔物が襲撃したのであった。