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結界仮説   作者: 磊川 聖悟
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◇音の実験

 その日は研究所の門を入ったところのプランターが交換されていて、夾竹桃(キョウチクトウ)やランタナ、ルリマツリ、半夏生(ハンゲショウ)に替わっていました。ラベンダーも一鉢。良い香りです。午前から鋭い陽射しに、姿勢を正してたたずむ植物達に心の中で敬礼。緑の木々の足元の花々が研究所を彩っていました。

「先生、プランターが新しくなっていますね」

「ああ……、ええ、お花忍者の方々が交換して下さったみたいです」

「お花忍者?」

「ここの庭回りの面倒を見てもらっている方々です」

 業者さん?

 何だか変な名前と思いました。

 時折、プランターが交換されていたり、庭の木々が剪定されていたりされていることは気が付いていました。

「園芸会社ですか?」

「いいえ、テロリストです」笑。

「は?」

 近頃、世間を騒がせている勝手に植物を植えていく人達のようです。

 政治的な抗議活動の一環として、蔦やスペヤミントなどを庭に植えていくそうです。ある企業の社長さんの別荘が蔦やスペヤミントで覆い尽くされたことがあるそうです。

 都心でもビルの周りに、抜いても、抜いても、生えてくる植物が植えられ、最終的に除草剤を使用して根絶されたそうです。でも、翌年、除草剤を中和する作業を密かに行なったうえで、また植えられたと聞いています。

 彼らの主張は「この国は政治体制が寡頭制になり、民主主義ではなく、一部の企業と政治家達の利益優先に陥っており、国民を(かえり)みていない」というもの、これを民主主義へと回帰させることを目的として「花」を植えるという、常人には理解しがたい論理や行動を示しています。根本的な主張に賛同する人もあり、手段が平和的なことから、理解者も増えつつあるらしいです。その「お花」が若干迷惑なことが少々問題ではあるようですけれども……。

 先生がお花忍者とどんな関りがあるのか、興味はありましたが、訊くことはやめておきました。冗談なのか、本気なのか、時々先生は判り難い時があります。

「こちらへ、どうぞ」

 先生に案内されたのはフロアの南東にあるリビングエリア。

 まだ朝の感覚が消えていない光が、窓の向こうの緑の木々に反射して、ガラス壁から差し込んできます。

 このエリアにはカウチがあり、テレビがあれば映画鑑賞に最適に思えます。しかし、先生はテレビをご覧にならないそうで、テレビはありません。

 庭の緑が陽に照らされて、枝の奥で小鳥達が遊んでいました。

 雀が一羽、木の根元に降り立ち、木陰から日向に出ては、また木陰に逃げ込み、小鳥らしく跳ねては、首を傾げて、まるで何やら考え込んでいる様にも見えます。

「ここへ座って下さい」

 カウチに座るように促されました。

 先生はガラス壁の端にあるドアを開け、外壁のドアも少し開けてから戻ってきました。

「では、音の実験を始めます。

 これは、君が世界をどのように認識しているのか調べるための実験で、君に行なってもらうことは次のことです。

 まず、カウチに座り、アイマスクをしてもらいます。

 次に、僕が質問をしますので、質問に答えて下さい」

 先生はそこまで仰って一時停止。

「解りましたか?」

「解りました」

 またもや意味不明です。

 カウチに座り、脚を投げ出し、アイマスクを先生から受け取りました。

 初めてのアイマスクです。付け方は教えられなくとも知っていますが、いままで必要としたことがなかったので、どんな時に使うものかと思っていましたが、こんなことに使われていたとは想像もしませんでした。

「僕の声が聞こえますか?」

「聞こえます」

「他に何が聞こえますか?」

 ええ?

 あ、耳鳴り。

 高周波。

「先生! 耳鳴り! 耳鳴りがします。キーンって」

「……」

「あ、すご。キーンって……、先生! 先生?」

「……」

 ちょっとアイマスクをずらして先生を見ると、先生は肩を震わせて笑っていらっしゃいました。

「先生?」

「ごめんなさい」

 先生は一所懸命に笑いを(こら)えようとしては破顔して、仕舞いには私とは違う方向を向いて盛大にお笑いになられ……。

 私はアイマスクを押し上げたまま、先生が笑い終わるのを待っていました。

「ごめんなさい。笑い過ぎました」

「ええ、笑い過ぎです」怒った振り。

「すみません。もう一度、初めから……」

 先生はそう仰って私にアイマスクをするように促されました。

 またカウチにもたれかかり、耳を澄ませます。

「耳鳴りは、普段から鳴っているものです。気にしなければ聞こえません。その他の音に集中して下さい」

 そんなこと言われても、普段から耳鳴りなんて聞こえていません。

「何が聞こえますか?」

 何って……、(ひぐらし)

「蝉が鳴いています」

「他には?」

 ええ?

 他は……

 耳を澄まします。

 耳鳴り。

 意識を他へ集中すると、やがて耳鳴りは徐々に弱まり意識の裏側へ消えて行きました。

 フロアの隅から微かな機械音。

 強い風に葉が擦れる音。

 自動車の走行音。遠ざかってゆく。

 高校生がふざけ合う声。自転車の車輪。

 遠くの新道を走る自動車の音も聞こえてきました。ここまで音が届いていることに少し驚きました。

 ジェット機のエンジン音も遠くに聞こえます。

 そして、どこかの家でドアを閉める音。

「いま、どこかでドアを閉めました」

 いままで気にしなかった音に、新鮮な驚きを感じます。

「いま君は君の世界の隅々を感じようとしています。君の感じている世界は、どうですか?」

「いままで気が付かなかった世界を、いま感じています」

 本当にそう思いました。

 いままでは目の前にある音だけに意識を向け、それ以外は聞こえていませんでした。耳鳴りと一緒です。

 私の周りの世界は、私が意識するよりも広い。

「他には何が聞こえますか?」

 ええ?

 他なんて、もう聞こえな……、聞こえる。微かにズズズというような低い周波数の振動音。地鳴り?

 あれ?

 中程度の周波数でも、耳鳴りと違う、ゆったりと変動する音。

 定位も位相も判然としない音が微かに聞こえます。何の音だろう?

「言葉にできない音があります」

「良い答えです」

 先生は、言葉にできる世界と、言葉にできない世界を、もっと意識してほしいと仰いました。言葉にできる世界は分別された世界であり、言葉にできない世界は純粋世界と説明されました。

「厳密に言いますと、分別され意味をもつ言葉にされた世界は理世界。感じられた世界は感世界。感じたと認識されていなくとも君に感じられている世界を含め純粋世界です。知覚していても認知されていない世界があることを今日、君は感じたはずです」

「リセカイ、カンセカイ」

「理世界は分別され、言葉に置き換えられ、定義づけられた世界。理性の世界」

「分別……」

「そうです。君は感じた世界を分別して認識し、言葉に置き換えています」

「理世界は感世界の中にあるという事ですか?」

「少し違います。純粋世界のうち感じたと君が認知した世界が感世界。感性の世界です。感世界のうち更に分別し言葉などの記号に置き換えられた世界が理世界。しかし理世界は、その(ことわり)を以って世界を認識し直すことがあるため、感世界のうちに留まりません。遠い宇宙の星々や、目では見る事の出来ない微細な事象を世界として認識します。それは感世界のみならず、純粋世界をも超越します」

「では、感世界は純粋世界のうちに留まりますか?」

「いいえ。感世界も想像や空想の力を以って世界の見直しを行います」

「想像と空想」

「結界学では違う言い方をします。理世界の理で論じるのが論理(ろんり)ならば、感世界の感覚で論じるのは論感(ろんかん)です」

「論感」

「そう。この論感について基礎的な構造を定義していないため、いまだに誤謬性(ごびゅうせい)が強く、一般的に妥当的な信頼性は得られていません」

 論感……、初めての言葉です。何となく意味は解りますが、自分の経験や知識に上手く組み込めない不安定な感じがします。

「先生、論感が本当の意味で、私には理解できていないと思います」

「なるほど……。いま君が、音を頼りに世界を感じた時、知識や経験が、感じるより前に在りましたか?」

「いいえ、何もありません。遠くの音を感じて、それが新道を走る自動車の音だと分かった時は驚いたくらいです」

「その何もないところから、感じ、且つ、認知することが論感の基本です。その後、分別し、認識し、言葉に置き換えて理解することが論理の基本となります」

 世界を感じる。思っていたよりも広い私の世界。私にとっての純粋な世界は少なくとも新道までは在ります。音が聞こえたのだから、私が意識しなくとも、私にとって在る世界。

「在るがまま感じる。洞察も解釈も止揚(しよう)して、君が何ものかを在ると感じる、その瞬間に意識を向ける。それが論感の開始となります。やがて君の意識は、それらに意味を見出そうとします。それが論理の始まりです。この素朴な始まりこそが論感と論理の最も純粋な状態であり、純粋な経験に最も近い認識となります。この素朴に世界と関わる状態こそが実存ではないでしょうか。

 僕達は瞬間、瞬間を理解し、何事かの対処行動を行ないます。

 その瞬間の前に、瞬間を感性でとらえ、必要・不必要を分別し、解釈された世界が成立します。

 この解釈された世界は理性による解釈、即ち『理解』された世界です。

 理解以前の感性の世界は、感性による解釈、即ち『感解』された世界です。

 逆に、言葉により成立した世界、これを記号世界としますが、これを理解はできても、感解が難しいのです。

 君が、意味は理解できても、不十分な理解と感じるのは、それを感解できていないからだと思われます」

 実存……、論感……、素朴に関わること……、純粋な経験、感解。

「少し話しを先へ進め過ぎたようです」

 先生に促されてアイマスクを取ると、世界は眩しいくらい明るくて、今までと違う感覚を覚えました。

 私の世界は、先程までとは全く違う世界に変わっていました。

 梢を渡る小鳥。

 遠慮がちな蝉時雨。

 木々の足元を照らす木漏れ陽。

 青空の雲。

 新道を走る自動車の音。

 陽の光り。

 葉を煌めかせて通り過ぎる風。

 微かな潮の香り。

 子供たちの笑い声。

 その直中(ただなか)に居る、恵まれた自分の在り方に、初めて気付かされました。

 何でもない平凡が、豊かな平凡であることに思い至ります。

 世界の中に居ることは、実に素晴らしい事だと思えました。

 先生は仰いました。

「無自覚に、世界に存在する事それ自体で、もはや実存し、実存の純粋な経験の内から知覚に関心を寄せる事で感世界を成す。関心の(のち)に分別し、意味のある認識へと至る事で理世界を成す。即ち、論感、論理による世界認識の変更が加えられる前の純粋な経験から認識に至るまでの世界は素朴実在であると同時に実存であり、一般的な意味で私達が関心を寄せる日常の根底でもあります。それは感情の寄辺(よるべ)としての根本ではなく、感情へと発展する前の純粋に近いと直観的に感解すべきものです。実存の根本的状況は純粋であり、分別以前の純粋を直接的に語る論理は存在せず、論感さえ近寄るに困難を伴います。

 申し上げられる事はたった一つ。

 実存は今を生きている。

 今しか生きられないのが実存。(ゆく)川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。今と言ったその瞬間にも水は過ぎ去ってゆく。

 いま君は世界を感じていますが、同時に世界の中に居ることも客観的に意識して欲しいのです」

 世界を自己の意識からのみ捉えようとすると、他の実存と共有する世界を見失う恐れがあると先生は仰いました。

 実存という個の意識があるように、世界もまた実存に依らず、存在すると認めなければ、世界は個の意識の中のみ展開される認識の連続体でしかなくなってしまう。この個の意識に依らない世界を先生は「実世界」と仰いました。

 実存が今を生きるのと同じように、いま存在する世界。その実世界が如何なるものかを記述する方法としての科学は非常に重要であり、その論理による超越的認識は実に驚かされるものであると同時に、非常に有益な成果をもたらしている。

 先生は科学の恩恵も「結界」だと仰いました。

 人の行ないの方向性、その行く末に何があるのでしょうか。それこそ護るべき何ものかではないでしょうか。もっと良く考えなければなりません。結界によって護られているものこそ、私達が存在している理由と考えられなくもないからです。

「そのために、正しく世界を感解しなければなりません」

 振り返って見た先生は、天井から降り注ぐ木洩れ陽の中で、畏れ多いほど真剣な面持で私に視線を向けていらっしゃいました。

 豊かな世界で、深い知見を持つ先生と、未だ(つたな)い私。

 私が知覚しても認知せず、無造作に捨て去っていた世界は、考えもしなかった程に豊かで美しいものでした。人々が息づき、育み、ささやかな望みを託し、何でもない日常を生きている。屈託のない笑い声さえ、比類ない価値を持つように感じられます。

 無関心に世界を捨てていた私は、この豊かな日常の殆どを無意味なものにしていました。世界を理解しているとは言えません。

 拳を強く握り締めました、痛いほどに。世界の中で私は、他愛もなく粗忽(そこつ)です。

「私は何も解っていない」

 この時、私の哲学は始まったのです。

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