V.2-8
「パスタを食べに行った帰りに……覚さんに話しかけられて」
「……」
なんで覚と出会うのだろう。大学でなら分かるが、今は夏休み中だ。梢と呉家くんに出会す確率はどのくらいなのだろう。
ただし、万が一にも、覚が後をつけたなんてことはないだろう。なぜなら、そんなことをするメリットがあるとは思えないからだ。
「それで、あたし、やらかしちゃって……士乃助くんに嫌われちゃった」
とても後悔しているのか、愁に沈んでいる。この様子は過去に一度見ていた。私と梢が出会った、大学の入学式の後のことだった。
この日は春時雨だった。断続的に繰り返す雨の下、大地に根を張り、冷たい雨や強風に耐えながらその美しい花を咲かせ、七日という短い命を生き抜く。散ったとて、花筏で見る人を虜にしてしまうそんな姿に目が離せなかった。
その中に溶け込む一人物、それが梢だった。
梢は紅の涙を流していた。雨が傘を伝い落ちていくように、雫が頬から落ちていった。その横顔からは、何を想っているのかは分からない。桜を見て深く感動をしたのか、悲しみのあまりに流れたのか。
でも、私は梢から目が離せなかった。通り過ぎていくスーツの人々は風景となっていくのに、梢に焦点を当てていた。
雨が上がり、花曇りの向こうを見上げた。人知れず流した涙を隠して。でも、ふいに私を捉えた梢は再び頬を濡らすことになる。
悔しそうにぽろぽろと涙を溢す梢を見て、私たちの出会いを思い出していた。元カレとの別れで泣いたあの頃と、想い人を不快にさせた失敗を悔やむ一方でこれからも彼の隣にいたいという願いが溢れる今。似て非なるものであった。
「覚さんが士乃助くんの気を引こうとしてたから、パニックになっちゃって。気づいたら、士乃助くんがあたしから遠ざかっていっちゃった」
梢と覚の間に漂う雰囲気は、想像しなくても分かる。その場にいた呉家くんは、居心地が悪かったであろう。でも、本当に梢を嫌いになって去ったのだろうか?
二人は、激しい口論になったのだろうか。それとも、チクチクと精神攻撃を続けたのだろうか。
「ねぇ、君歌。謝ったら許してもらえるかな?」
「その前に話し合いは必要だろうね」
「そ、そうだよね。そっか…うん」
「あいつともね」
「あいつ……?」
「覚」
そっとティッシュペーパーを渡すと、梢は目頭を押さえる。顔色も一層悪く見えた。
「……自信ないなぁ、あたし。何度も思い描いてはいるんだけど、相手を前にすると冷静でいられないよ。だって、何を言ったかすら覚えてないもん」
「私があいつと話す」
「君歌が? でも、それじゃあ」
「今日のことというより、梢についてどう思っているか聞く。今までの行動を含めて」
理解することに時間がかかったのか、扇状の睫毛を何度も上下させる。そして、沈痛な面持ちをするが充血した目と少し赤い鼻先のせいもあり見るに見兼ねる。
「私のためだから。これ以上あいつの好きにはさせられないだけ。内兜を見透かしてやらあ!」
旗を振る動作をすると、梢がなにかを想像したのか吹き出す。悲しみの中に笑いが少し顔を出した。
それから、梢と女子会を楽しんだ。梢の恋の話から私が高嶺の花だという話になり、そんなことはないと否定する。泊まりなよという誘いからお泊まり会がちょっぴり強引に決定し、その流れで弥雷と同じベッドで何時間か寝た話までする羽目になった。
短夜というがまさにそれで、梢との時間はあっという間に過ぎていった。梢に出会う前の私に言ってあげたい。その先に運命を変える出会いがあるよ、と。
梢は、闇に包まれようとも絶えず私を照らし続ける光だ。
ーーー…
私は覚との戦いのため、準備に取りかかる。準備とは、覚と会う約束を取り付けることだ。覚とは友だちではないため、メッセージでコンタクトを取ることはできない。そうなると、大学が夏休み中にできることといえば友だちの友だち頼りにすることだった。
思い返すと、私の友だちの友だちが、覚の友だちの友だちだった。友だち経由で覚に連絡ができる。
そう思った私は、友だちに頼み込み、覚に伝言をお願いした。その伝言は覚に届いたようで、三日後にコーヒーチェーン店で落ち合うことになった。
覚との決戦に備え、食も睡眠もたっぷりとった私は、その日を迎えた。
昼間のうだるような暑さが少しだけ和らぎ、時折涼しい風が吹き抜けていく。それでもじんわりと出てくる汗をハンカチで拭いながら、混み出す前に入店する。
冷房により体内から余分な熱が出ていくのを感じながら、冷たいミルクの上にアイスがトッピングされた飲み物を注文し、受け取る。
店内の人数や配置を確認しながら、居心地のよい場所を探そうとキョロキョロしていると、こちらを凝視する人がいて、目が合った。
一瞬恐怖を感じるも、その姿と私の記憶の中の人物が一致した。近づいて、隣の席に座ろうと椅子を引くも、少し距離をとってから腰を落ち着かせる。
「私の方が到着が早いと思ったのに」
こんな近距離で話すことはなかった覚に、嫌味っぽく言った。すると、覚は負けじと言い返す。
「は。うちからしたらそのまんまだけど。残念でしたー」
ふん、と効果音がつきそうなほどそっぽを向くと、自分の飲み物をぐっと飲む。動く喉仏。顎からの首筋までのラインが綺麗だった。
「言った通り、このあとバイトあるから相手できるのはあと十一分ね」
「バイトあるから、今日の雰囲気違うわけ?」
大学での覚は、梢のようなロングのカールにワンピースがほとんどだった。でも今は、白のブラウスに黒のスキニーのスタイルだ。私が覚だと分かるまでに時間を要したのはこういう理由からである。
「みんなそんなもんでしょ?」
「まぁ、確かに。バイトだから変える人もいるわ」
梢をいじめるようなやつが意外とバイトに対しては真面目だったことに驚いたことは言わないでおいた。なぜなら、これから話すことがややこしくなりそうだったからだ。
「で? この間のこと?」
「そう。何があったのか、どういう行動をしたのか聞きたい」
簡潔に伝えて、飲み物を口に流す。それから、喉が乾いていたことに気づき、もしかしたら緊張しているのかもしれないと思い始める。
「ちょっとからかってあげたの」