第3話 恥ずかしい宣誓と勇者の扱い
「失礼します」
扉の向こうから聞こえてきたその声に、俺は自らの気分が明らかに落ち込んでいくのが分かった。
聞き覚えがあるというか、この部屋に入るまでに数度は聞いたこの声……。開いた扉の向こうにいるのは、まぎれもなく彼女だ。
この城のメイド共通の、黒を基調としたゴシックなメイド服。黒いショートもあいまってなんだか統一感のある姿。おまけに釣り目でなんだか冷徹な雰囲気のある身長小さめのロリ体形。
そう、俺をここまで案内してくれたあの黒髪メイドである。
「紹介しよう、彼女はマルティナ。この城に努めている使用人の一人で、城の有識者の中でも特別頭が良い。そこらの知恵者など彼女には及ばない。それどころか賢者にすら匹敵するほどの逸材だ。その知識は必ずそなたの旅の助けになるであろう」
力にはなってくれるかもしれないけれど、俺のモチベーションは上がってはくれない。もちろん可愛いには可愛いのだけれど、なんだか性格的な面で、俺とはあまり合わない気がする。
……いや、この気分の落ち込み具合は、彼女が選ばれたことだけが要因じゃない……。もう一人が自分の推しキャラであったことが問題だったと言えよう。アタリとハズレの二択、50%で勝てる賭けでハズレを引き当ててしまった時のこの気持ち、共感できる人間は結構いると思いたい。
「案内人として、これから身の回りのお世話や旅のサポートなどを行わせていただきます。よろしくお願いします、勇者様」
「ど、どうぞよろしく……」
「む? どうやら顔色が優れないな、何か問題でもあったかな?」
「い、いえ! 何でもないです、はい……」
いやいや、彼女にも王にも非はない。非があるとすれば、勝手に期待して勝手に敗北した俺のほうだ。こういうのをあからさまに態度に出すのは、それこそ二人に失礼というもの。
それに、ゲームで登場しなかったキャラクターと旅をするのも悪くはないとおもう。むしろ、ゲーム内では語られなかったこの世界の裏話なんかも知ることができるかもしれない。気持ちを切り替えていこう。
「説明は以上になるが、わからないことはあったか?」
「いえ、特には……」
「そうか。それでは……早速勇者として一つ、仕事をお願いしたい」
ん? 何かこの後イベントなんて……あ。
「えと、そのお仕事って……」
「一刻も早く我が国の民を安心させてやりたいのでな、勇者が召喚できたことを知らせてやらねばならん。なに、案ずることはない。ユーキ殿にはただ一言二言、魔王討伐に対する心境などを言ってもらうだけだからな」
そう言われて彼に連れ出されたのは、城の高いところにあるバルコニー。ちらりと顔を出してみると、眼下に広がるのは大勢の人の姿。これらすべてが、王の声を……いや、たぶん、勇者の姿を一目見ようと押し寄せてきたんだろう。
それにしてもとんでもない数だ……。ここまで注目を集めているということはつまり、魔王や魔物といった存在がそれほどまでに恐れられている証拠なのだろう。
俺に多くの人を前にしたしゃべった経験はない。実際、大勢の注目を集めるのはどうにも気恥ずかしくて、あまり好きではない。だから今も、心臓がバクバク脈を打って、顔が緊張で真っ赤に染まっている。
「何をしゃべるか決まったかな?」
「ひゃ、ひゃい……!?」
「はは、まだ行けそうにはないな。まあ案ずるな、勇気を出してたった一言『頑張ります』と言えれば、民はみな分かってくれるはずだ」
そうは言うけれど、不安なものは不安だ、恥ずかしいものは恥ずかしい。他人が理解を示してくれるとわかっていても、さらけ出すことを憚ってしまうことがあるはずだ。
一言、一言でいい……なにを、何を言えばいい……? 考えろ、考えるんだ俺……!!
「あまり待たせるのも申し訳がないな。ユーキ殿、先に失礼する。焦ることはないが、なるべく早く気持ちを整えておいてくれ」
王は一歩前に出る。俺の緊張が落ち着くまで、話して時間を稼ぐつもりなのだろうか。今はこれを好機だと思って、そのうちに言葉を探そう……なんて考えていると。
「勇者様。前を」
「……え?」
それはメイドの……マルティナの声だった。俺の後ろからそんな言葉が聞こえてきたのだ。彼女はその鋭い視線でまっすぐに俺の目を見つめ、小さな声で語りかける。
「前を見てください。王の背中を」
それだけ言って、彼女は前を向く。何でこんなことを……自分は何をしゃべろうか考えている最中なのに……。しかし、俺の顔は不思議と前を向く。
王はバルコニーに出て、民衆を見渡す。俺に見えるのは彼の背中だけだけど、まるで彼が民衆一人一人の顔を見ているようにも感じられた。
「皆の者、よくぞ集まってくれた! この国が今、復活した魔王の手によって窮地に追いやられていることはみなも承知していることだろう。今もなお多くの戦士が、国を、人を守るために戦線に赴き、その命が尽きるまで武器をふるっている。しかし……いまだに芳しい成果は上げられていない。われらの砦が奪われ、戦線が徐々に押されているという知らせが来るたびに、私は自らの無力さに心が苛まれる……」
力のこもった声だ。俺に頭を下げたあの時よりも、言葉が重く感じる
ジュラル三世はとても感情的だ。特に自らに責任がある事象なんかを語る時、彼の言葉はとたんに重みを増す。これは、ゲームの設定がどうこうの話じゃない、交わした言葉はわずかだが、この短い時間で俺が確かに感じたことだ。
「しかし、我々はついに勇者の召喚に成功した! われらはついに、奴らに対抗できる手段を得たのだ! これでようやく……ようやく我々は、失われた兵の、民の命に報いることができる。そなた達の犠牲は無駄ではなかったと、胸を張って言えるだろう!」
期待。勇者への期待。これで滅びを待たずに済む。失われる命が減る。未来に希望を抱ける。集まった民衆から、どっと歓声が沸き上がった。
俺という存在に、いったいどれほどの思いが向けられているのだろう? 少し前まで、俺はただの学生だったはずなのに。この信頼はどこから湧いてきた? 答えは問いかける前から分かっている。
勇者。俺のもとにぱっと湧いて出たその運命が、俺にここまでの期待を向けさせる。
王が振り返り俺の顔を見て、安堵の表情を見せる。
「ユーキ殿、こっちへ」
手招きされて、俺もバルコニーから顔を出す。まばゆい光と民の視線を受けながら、俺は実感する。この世界は、俺の知る世界であって、そうじゃない。ドット絵で見るのとは違う、狭いゲームの画面で見るのとは違う綺麗な世界が、そこにはあった。
今の俺に、何ができるだろう。それを考えて、口にするだけ。簡単な……簡単なことなんだ。
「俺は……守りに来ました。この世界を……この美しい世界を」
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「なかなか良かった。これで皆も安心してくれる。だからそんなに真っ赤になって恥ずかしがることはないぞ」
「今は見ないでください……放っておいて……」
あれは空気に充てられただけだ……空気に酔っていただけなんだ……あれは何かの間違いなんだぁ……!
あんな恥ずかしいセリフなんてもう思い出したくはない。穴があったら入りたい。誰か俺を一人にしてくれ……。そんなことをぶつぶつ言いながら廊下にうずくまる俺に、王は優しく声をかける。
「どうやらお疲れのようだな。突然勝手の知らない世界に連れてこられてしまってはまぁ無理もないだろう。マルティナ、ユーキ殿を部屋へ案内してあげなさい」
「仰せのままに」
寝転がる俺を尻目に王は去っていく。仕方ない……彼は国のトップに立つ存在で、なおかつ今は緊急事態。いつまでもこんな奴に付き合っている暇はないのだから。
「勇者様、失礼します」
残ったマルティナが俺の手を引く。俺だっていつまでも横たわっているわけにもいかないので、引かれればおとなしく立ち上がった。
人前で、それも可愛い女子の前であんなことを言ってしまったことに関してはやっぱり恥ずかしいけれど、彼女の俺に対する接し方がアレなだけに、多少は恥ずかしさも和らぐ。リサちゃんの前だったらと思うと……たぶん一日は部屋に引きこもってたかも。
「それでは部屋に案内いたします。こちらへどうぞ」
そうしてまた、広い城の中を彼女の案内で歩いていく。
で……十歩も歩かないうちに、俺は思い立ったようにマルティナに声をかけた。
「あ、あの。さっきは助かりました。ありがとうございます」
「さっき……とは?」
「ほら、あの……バルコニーで俺に声をかけてくれたでしょ。あれ、すごい助かったです。だから……」
さっきのあれも俺としてはだいぶ恥ずかしかったが、もしあれがなかったら、もっと酷い恥を晒していたに違いない。
落ち着いて喋れたのは彼女のおかげだ。だから、感謝を伝えねば。そう考えてのことだったのだけれど……。
「お気になさらず。ただ、あの時の勇者様の姿が酷すぎてとても見ていられなかっただけなので」
「え?」
なんか毒吐かれなかった? 聞き間違いかな……なんだか、『酷い』とか言われた気がするんだけど。
……まあ、聞き間違いだということにしておこう。そう、きっと心配だったってことだよね。他人に気配りができる女の子は周りからも好かれやすいんじゃないかな。そういう人、俺も好きだよ。
「つきました、こちらがお部屋になります」
いつの間にか、俺に用意された部屋までたどり着いてしまっていた。
マルティナが扉を開く。中はとにかくだだっ広い。
とても豪華な客間……いや、当たり前か。ここは城、それもこの大陸の中では最も強い勢力を持つ国……財力だって馬鹿にならない。家具のみならず、様々な調度品までもが豪華仕様。入って間もないのに目が痛い。
「今日から旅に出るまでの間はこちらで寝食していただくことになっております。この部屋にあるものはご自由に使っていただいて構いません。食事は三食、お望みとあらばご希望の時間にご用意いたしますが、いかがでしょう?」
「いや、特には……」
「わかりました。では午前の7時、午後の1時、7時にご用意いたします。何か食べられないものや好みのものなどございましたら……」
……等々、しばらくの間欲しいものはあるか、好きなものはなんだと尋ねられた。これが特権階級か。これが身分の高い者に客人として扱われる感覚なのか。俺のような人間には無縁の感覚だ。
極めつけには、「何か欲しいもの、困ったことなどございましたら、いつでもお申し付けくださいませ」だ。日常生活でこんな言葉は聞いたことなんてあるだろうか? いや、ない。断言してやる。
この部屋に入った時はさすがに家具の絢爛さに目がやられて寛げるか心配だったが、ここまでいろいろと気を使ってもらってしまうと、逆になんだか気が大きくなってしまう。
世界を救う存在に選ばれたのなら、今日は少しくらいチヤホヤされて、この贅沢な感覚に浸っていていいかもしれない……。
そう、俺は勇者に選ばれた。それも、ゲームの知識というこれ以上ないチートを持った勇者だ。効率のいいレベリング、強力な武器のありか、敵の弱点……この知識を生かしてこの世界で無双する。そんな王道の展開がある、なんて。
そんな展開があるって考えることは、おかしくないと思うんだ。
そんなもの、ただの夢物語にされるだなんて、思ってもいなかったんだから。
「それでは勇者様、お勉強のお時間です」