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第1話 それはきっと、俺のよく知る導入部


 六時三十分。枕元に置かれた時計がちょうどその時刻を示すと同時に、俺の目は覚める。上体を起こして軽く体を伸ばしたら、その刺激で脳は完全に覚醒してくれる。

 別段生活リズムは整っていないはずのだけれど、特に用事がないときは、いつも起床はこの時間。その後は直ぐに制服に着替え、今日の授業の時間割を眺めて一喜一憂し、リビングまで降りていく。


 階段を下りている間に聞こえるのは、料理の音と、テレビから流れるニュースキャスターの声。俺がリビングの扉を開くとともに、トースターから焼きたてのパンが顔を出す。


「おはよう勇樹、朝ごはんはちょっと待ってね、すぐできるから」


 実年齢に見合わないような『可愛らしい』エプロンを身に着けた、壮年くらいに見える女性……俺の母が、明るい声で俺に言う。


 そう、勇樹。それが俺の名前。フルネームは熊野勇樹。隣町の普通科の高校に通う、体格小さめの男子高校生。あまり自分のことをぺらぺらとしゃべるつもりはないけれど……勉強嫌い、運動嫌いのゲーム好き、とだけは言っておこう。

 俺以外でこの部屋にいるのはあと二人、俺の母と父だ。

 父はテーブルでコーヒーを片手にスポーツ紙を読み、母は台所で朝食の用意にいそしむ。まあ、父がいまだに寝間着でいることを除けば、これもよく見る光景だ。


「うん、おはよー」


 母の言葉に適当に返事をすると、荷をソファーの近くにおいて父の向かいの席に座る。


「相変わらずいつも通りの時間だな。おはようさん」

「おはよう、父さん。……今日の朝食当番って父さんじゃなかったっけ?」


 そういうと、母さんは目玉焼きとウインナー、野菜の乗った皿をテーブルに並べて言う。


「そうだ、聞いてよ勇樹! この人今日に限って寝坊して、すっごいのんきにリビングに来たと思ったら、寛いでた私に『寝坊したわ。わりぃ、朝ごはんよろしくー』って言うんだよ!? しかも欠伸しながら!! おまけに働いてる私をしり目に勝手に自分のコーヒー用意して新聞読み始めて……」

「い、いやぁ。その代わりに明日は俺が変わるからさ。悪かったよぉ……」

「許すかっての! いただきます!」


 母はそのまま乱暴に椅子に座りながら、いつの間にか並んでいた朝食に手を付ける。父も苦笑いしながらトーストに苺ジャムを塗る。

 母は生真面目で父はお気楽。共通した趣味は料理以外になく、どこかちぐはぐな印象を受ける二人だが、それでもどこか馬が合う。あれだけ言っておきながら、母は父を嫌ってはいないし、父もまたそれを深刻に受け止めていない。あんなものは一種のじゃれ合いのようなものだ。


 仲の良い両親のやり取りをしり目に、俺も朝食に手を伸ばす。


 普段通りの朝、普段通りの日常。そんな日がいつまでも続くと、その時の俺はそう思っていた。

 あんなにも魅力的で、幻想的で、それでいて……あれほどに過酷な体験をすることになるだなんて、このときの俺には想像も出来なかったのだから。





 高校に行くための交通手段は、基本的にバスと電車。家の近くから出るバスに揺られ最寄りの駅に行き、そこから電車で二つ先の駅まで向かう。その駅から高校までは近いので、そこからは徒歩になる。

 高校にも趣味の合う友人はいるが、あいつらは俺の家とは真逆の方向なので、いつも駅を降りた後で合流する形になる。


 なので家から高校近くの駅までは基本一人……のはずなのだが、今日はなんだかいつもと違う。


 バス待ちにいじるゲームの画面。それを俺の頭越しに見ている謎の少女。

 あれは白いローブ……と表現すべきなのだろうか、少なくとも恰好からして現代日本の人間とは思えない。もちろんこんな奴は俺の知り合いにはいない。


 違和感はそれだけじゃない。朝の住宅街のバス停、いつもなら同じバスを利用するはずのビジネスマンや爺さん婆さん、学生の姿が見えない。

 車が通り過ぎることもないし、通行人の影だって見えない。確かこの時間には小学生達が列になって登校しているはずだ。それもないなんて明らかにおかしすぎる。


 今日って祝日だっけ? 学校休みだったっけ? 雰囲気もあってなんだか不気味だ。嫌な汗を流しながら、気を紛らわせるために、プレイしていたゲームに意識を向けなおす。


 今やっているゲームは、魔王討伐の使命を負った勇者が、その使命を果たすべく旅に出て、行く先々で様々なトラブルを解決していくような……なんというか、とても王道じみたRPG。数か月ほど前からどはまりしてしまい、何周もしてしまうほどやりこんでいるゲームだ。

 ゲームの名前は『アナザーワールド・ブレイバー』。名前からなんとなくわかる人もいるかとは思うけど、勇者は異世界から……いや、俺たちからすればごく普通の『現代日本』から召喚され、故郷の日本へと帰るために。そして何よりも、自らを呼び出した世界の人間を救う為に、魔王へと立ち向かう。


 仲間にできるキャラクターの数が多く、パーティ編成の方向性も自由。タンクや回復職を寄せ集めゾンビパーティにするもよし、アタッカーのみを集めた脳筋パーティで頭悪くごり押ししてもよし。ステージの広さや数多のギミックはプレイヤーを飽きさせず、世界観の作りこみもそこそこで、物語も普通に楽しめる、そんなゲームだ。

 ……もちろん、これらはあくまでも私見。このゲームは認知度が低く、良い評判はおろか、悪い評判すらもほとんどないので、今あげたのが一般的な意見とは限らないことは、予め言わせてもらいたい。


 で、この認知度の低さが原因で、このゲームの楽しみを共有できる人間が俺の身の回りにはいない。なので俺は、こうして友達がいない間……バス待ちや電車の中など、手持ち無沙汰になったときに一人で遊ぶことにしている。


 さて、長々とゲームについて語ってしまったが、状況は一切好転してない。

 取れる手段自体はいろいろある。家に帰っても良いし、学校に電話をかけて今日は休みかどうか聞いても良い。アクションを起こすなら今だろうか?


 ……い、いや、今はバスを待つべきだ、時間になればバスは来るはず。そうしたら、こんな気味の悪い空気からも抜け出すことができるはず。この時の俺はなぜかこんな事を考えて、その時が来るのを待っていた。

 ボタンを押してキャラクターを進ませ、ゲーム内にてダンジョンを奥に進んでいく。すると突然耳元で……。


「なに……しているんですか?」

「うわぁぁあっ!?」


 女の子の声が聞こえた。


 背筋がぞわぞわする……も、もちろん悪い意味ではない。巷でよく聞くASMR的なそれだ。女性にはあまり免疫がないため、こんな耳元で、透明感のある女性の声が聞こえてきたら、驚くのは無理もないと思う。


 体が飛び跳ね、転びそうになった体を何とか立ち直らせて、声の主のほうを振り向く。


 そう、声をかけてきたのはあの少女だ。ゲームや漫画の世界から出てきたのではないかという風体の女の子。深くかぶったフードで気が付かなかったが、顔立ちや髪色は日本人のものとは大きく異なり、とても愛らしい印象を受ける。

 その少女は口元に手を当て驚くようなしぐさをすると、フフッと笑みをこぼした。


「ごめんなさい、まさかそんなに驚かれるとは思っていなくて」

「い、いやぁ……こちらこそすみません……」


 待て待て、俺は何に謝っているんだ。謝る場面でもないだろう?

 俺が頭の中で自分の対応にヤキモキとしていると、少女は俺に近付いて更に一言。


「ところで、お兄さんは今何をやっていらしたのですか?」

「えっ? げ、ゲームですけど……」

「『ゲーム』……どのようなゲームなのですか?」


 ……俺のやってるゲームに興味があったのか。いや、普通気になったとしても、見ず知らずの人にそんな事を尋ねる人は居ないだろうが……しかし、その時の俺は何故かそんなことに疑問を抱くことはなかった。

 むしろ、知り合いがやっていないこのゲームに興味を持ってくれる人がいてくれる方が嬉しくて、少し興奮していた。


「あ、ええっと……これは『アナザーワールド・ブレイバー』って言うゲームで……」

「『アナザーワールド・ブレイバー』……そのゲームは、面白いのですか?」

「……! う、うん。すっごい面白いんだ! このゲームはロールプレイングゲームっていうジャンルのものなのだけれど……」


 それから俺は、多分十分以上はこのゲームについて語っていた。嫌われるオタク特有のマシンガントーク。好きなものについて語りだすと止まらない……自分で気がつくか、何かに阻まれるまでは言葉が止まることは決してない。

 これのせいで俺の交友関係は非常に狭いのだが……いや、それは今語るべき内容じゃないだろう。学校の交友関係がどうだなんて話は、このすぐ後に意味がなくなってしまうのだから。


 マシンガントークを続ける俺に対し、その少女は実に愉快そうに相槌を打ってくれた。そうやって興味を持っていそうなリアクションを返されると、こちらだって嬉しくなってしまう。こんな俺の話に興味を持ってくれるのかと。

 しかし、なんだろうか。懐かしいとは少し違うが、それでも何というか、そう……このやり取りを、俺は知っている気がする。既視感やデジャヴとは僅かに違う気がするが、しかしそれと似た感覚……。


 ふと、彼女は何かを思い出したように笑うのをやめた。彼女の表情の変化に気が付いて、実はうざがられているのではと思ってしまい、俺は慌てて言葉を飲んだ。


「……あっ。え、えと……俺ばかり喋っててごめん……」

「いえ、気にしないでください。私も楽しめましたので。でも、実は少し時間がなくて……なので手短に」

「え、えっと……?」


 すると、彼女の顔が俺の眼前に迫る。端正な顔立ちは、女性慣れしていない俺の目には毒でしかなく、鼻孔をくすぐる『女の子の匂い』が理性を激しく揺さぶる。

 そのまま彼女は俺の唇に人差し指を当てて言った。


「このゲームは……この物語は、あなたにとって面白かったですか?」

「うぇっ!? は、はい。すごく、面白かったです……!」


 そう返事をした後、俺はやっと、違和感の正体に気が付いた。

 そうだ、知っている。知っているんだ。不思議な恰好の少女が話しかけてくるシーン、少女がゲームの話を聞いて面白そうに笑う事。


「では最後に……もし、もしあなたが『その世界』にきて、世界を救ってくださいと言ったなら……」


 ――勇者になって、私たちを救ってくださいますか? 


 その言葉と同時に、足元が光り輝く。そうだ、そうだとも。これは……。

 『アナザーワールド・ブレイバー』。このゲームの導入部分と全く同じ展開なのだから。


 ゆっくりと、足元から光が漏れ出す。まるでガラスが割れていくかのように、アスファルトが、ブロック塀が、標識が崩れ、その向こうからまばゆい光が溢れてくる。


「うわっ!? ナニコレ!? どうなってんの!?」


 おいおい、まじかよ。これは夢なのか? 俺はまだ起きていないんじゃ? 夢にしてはいろいろリアルだったけど、それにしたってこの状景は現実離れしすぎている。

 俺の視界はついに光に飲まれてしまった。目に映るすべてが白……瞳を閉じていても、まるで焼き付いたように白い世界が広がっている。なんだかとても気持ちが悪い……。




 ……そんな不思議な景色も時間にしたら、たぶん数秒程度でしかなかったと思う。白一色だった視界が、徐々に色付き、輪郭を取り戻してきた。……いや、取り戻すという表現は、この場ではふさわしくないだろう。

 理由は単純明快。俺の目に移るこの世界は明らかに俺の良く知る『住宅街のバス停』ではないからだ。


 見慣れたコンクリートやアスファルトは存在しない。あるのは松明のような淡い光と、その光に照らされる石の壁と床。あとは、見慣れているはずもない衣服をまとう、なんというか……そう、『いかにも』な格好の人達。

 ……それと、今までに感じたことのないような不思議な感覚が右腕から伝わってくる。ちらりと目を向けると、俺の隣に、先ほどの少女が腕に抱きつくようにして引っ付いていた。


「うわぁっ!?」


 女の子にここまで密着された経験なんてない俺は、気恥ずかしさのあまりその腕を振り払ってしまう。

 が、しかし。彼女は手を払われたことに驚いた表情こそ見せたものの、特に嫌な表情をすることはなく、すぐに俺に微笑みを返す。


 何なんだこの女の子は。もしかして……い、いや、そんなことよりもまずは状況だ。周囲のざわつきを聞いて、意識をそちらに向ける。

 表情は人によってまちまち。成功したことに喜んでいるのか、明るい顔を見せる明るい者もいるが、中には何かが気に食わないのか、敵意に近い表情で睨む者もいる。中でも一番多いのは……品定めような視線や疑問の表情だ。


 ここにいる人の中で最も煌びやかな格好をしているのは……俺の予想が正しければ、これが本当にゲームの世界と同じものであるのならば、それは国王だろう。

 名をジュラル三世。ゲームの舞台であるグランマイト王国のトップに君臨する男であり、魔王、魔物の討伐に尽力している人類側の救世主の一人。多大なリスクを負いつつも勇者償還に臨み、そして……今回の召喚によって、俺が呼び出されたのだろう。


 もちろん、流れが酷似しているだけで、ここがゲームの世界と決まったわけではない。類似点が多いだけ、それもまだこちらに来たばかりだ、断定するには早すぎる。


 ジェラル三世……いや、それらしき男性が俺を見て安堵の表情を見せる。


「おお、なんと……ついに成功したか……」

「王よ、まずは……」

「ああ、分かっておる」


 そう言うと、彼は一歩だけ俺のほうに歩み寄る。


「勇……いや、少年よ。いきなりこのような場に呼び出され、頭も混乱していることだろう。しかし、まずは落ち着いて聞いてほしい。我々は君のいた世界とは異なる世界に生きる者である」


 聞いたことのあるセリフだ。いや、『聞いた』は厳密には正しくない。ゲームの画面の中で何度も見たことがあるセリフ……。


「今回、そなたをこちらに呼び出したのには理由がある。少年よ、頼む……!」


 まるで、彼が紡いだ言葉をなぞらえるように、俺の口も自然に動く。……否、なぞらえたではない。紡いだ言葉はその続き。知らないはずの言葉の先をなぞる俺の唇は、彼の言葉とリンクする。


 ――勇者となって、この世界を救ってほしい。

誤字脱字や罵詈雑言、作品の感想等気軽に書き込んでいただけると、作者は大変喜びます!

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