10.障壁
ザッカーマンが、オフィスと廊下を隔てる扉を開けると、微かに柑橘系の香気がフワリと匂った。瞬間、彼女は後ろに飛び退く。
すると、サイレンサーの付いた拳銃を構えた兵士が、ゆらりと眼前に現れた。
咄嗟に手に持つ回転式拳銃を、顔の前に上げた。
――ガキンッ!
放たれた金属弾に回転式拳銃は弾かれて、後方へと飛んでいく。
ザッカーマンは追撃を避けるため、さっとデスクの影に転がり込む。
そして、すぐさまガスマスクを装着した。
息を止め、腹這いになり床に耳を当てると、回り込むように足音が遠ざかる。
弾いた銃を回収に行くのだろうか。
「オラァ!」
足音が真横に来たのを確認し、立ち上がる勢いで、デスクを投げ飛ばす。
予測が的中し、敵がデスクを躱すために横に飛んだ。
この機を逃さず、床に転がる回転式拳銃に向かって走り出す。
前転しながら銃を掴み立ち上がると、眼前に投擲された何かが迫っていた。
――パリンッ
身を捻って躱そうとするが、寸での所で間に合わず左腕に当たって、中身の液体がシャツに掛かった。咄嗟に拳銃を宙に放り投げ、シャツを左肩から裂いて捨てる。
この隙を逃さずに、接近した敵がナイフを突き出す。
「ぐっ!」
左の掌で受けると、切っ先が手の甲を貫通した。
そのままナイフを掴み、肘を破壊するために右手でアッパーを繰り出す。
たまらず、敵はナイフを離して後ろに飛び退いた。
そして、ザッカーマンはタイミング良く落ちて来た、回転式拳銃を掴もうとする。
――キュッ、ブンッ!
そうはさせじと、敵は片足を軸にした強烈な回転蹴りで右手ごと銃を弾く。
一撃では終わらずに、遠心力で勢いを増した二撃目が迫って来る。
左腕でそれを防ごうとするが、直前で起動を変え前蹴りが顔に飛んできた。
体勢の崩れたザッカーマンに追撃するため、大きく踏み込み発勁を放つ。
しかし、ザッカーマンは無理に踏み留まろうとせず、仰向けに倒れていくことでソレを躱した。
――タンッ!
地面に両手を打ち付け、敵に向けて勢いよく両足を繰り出した。
ザッカーマンは一本の槍と化し、敵の腹部に突き刺さる。
余りの勢いに、敵は吹き飛ばされて床に転がった。
「オェ…ゲホッゲホッ!」
どうにか立ち上がった敵は、ガスマスクを外し呼吸を整え始める。
それを確認したザッカーマンも、同様にマスクをはぎ取り、荒い呼吸を整えていく。
「いまだったら、まだ間に合うぞ…シンユエ」
「一流の暗殺者は確実に依頼をこなすネ。火傷女、バカな事言うんじゃないヨ」
「ソレを外したんだ、もう毒ガスは使えない。無理をするな」
「そっちこそ、お得意の早撃ちは封じられたヨ。大人しく殺されるネ」
呼吸を整え終わった二人は、再度構えを取る。
「交渉決裂だな」
「元から交渉するつもり無いヨ」
そう言うや否やシンユエは、隠し持っていた小瓶を投擲してきた。
ザッカーマンは体を逸らし、辛うじて回避する。
その隙を見逃さずに、シンユエは一気に距離を詰めてきた。
すると、何を思ったのか一瞬後ろに振り返った。
――ブンッ!
この機を逃さまいと繰り出した、ザッカーマンの拳が空を切る。
すると突如、胸部に激痛が走り、仰向けに体が吹き飛ばされた。
シンユエは、振り帰った次の瞬間には身を屈め、回転の勢いを利用して後ろ足でザッカーマンを蹴り飛ばしたのだった。
――ドンッ、ガラガラッ!
オフィス机に激突し、書類やらパソコンやらがザッカーマンの上に落ちて来た。
息が出来なかったが追撃を避けるために、どうにか立ち上がった。
そんな彼女の目前に、再度ナイフが迫って来る。
避けようとして前に一歩踏み出そうとするが、脚が動かない。
ナイフが突きたてられる寸前に、顔を背けられたが頬を引き裂かれた。
夥しい量の血が噴き出してくる。
「くっ」
幸運な事に、それが目潰しとなってシンユエが怯む。
ザッカーマンは、ナイフを握る彼女の腕を掴み力任せにへし折った。
彼女の反撃はそれだけには止まらず、シンユエの手をナイフごと鷲掴み、彼女の太ももに突き刺した。
「うぎゃぁ!」
激痛に悲鳴を上げるシンユエに、体当たりを食らわせ地面に叩きつけた。
ザッカーマンは、そのまま馬乗りになって、シンユエの首をぐいぐい絞めつける。
「あぐぅ…おぇ…」
うめき声を上げつつも、シンユエはどうにか抵抗しようと、左手で突き刺さったナイフを引き抜いた。そして、ザッカーマンの背中に深々と突き立てた。それでも、首を絞めつける彼女の手が緩まることは無かった。むしろ、力が強まっている。
霞ゆくシンユエの視界には、裂けた頬から血を垂らし、笑顔を浮かべる死神の顔が映っていた。
――ジン君…ごめんね。約束、守れそうにないよ。
一粒の涙がシンユエの頬を伝い、彼女の瞳は閉じられた。
「何故泣く、シンユエ」
やはり、ジンに深入りしすぎたのだろう。
平穏な生活、無償の愛、幸福な時間。
兵士にとって、それらは毒でしかない。判断を鈍らせ、技にもキレが無くなる。
シンユエも分かっていたはずだ、それでも彼女はジンの愛情を受け入れた。
「お前は…私と違って、前に進むことが出来たんだな」
ザッカーマンは気を失ったシンユエを一人残し、社長室を目指して歩み出した。
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