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この世界の住民は、かの有名なショパン大先生を知らない。


私の質問攻めから解放されたリシュールは、やがて”ユリジェス”を呼んで来るといって部屋を後にした。


程なくしてリシュールとともに部屋に入ってきた”ユリジェス”という男は、リシュールが私の執事である朔谷に生き写しであった事とは訳が違うようで、会った事も見たこともない、完全に見知らぬ容姿をした使用人だった。


紺色の髪に、形の整った瞳と薄めの綺麗な唇。見上げるほどの高身長。


(えーっと、この二枚目男がユリジェスね)


「お嬢様……お目覚めになられたのですね」


ユリジェスが、そう言ってその綺麗な瞳に涙を浮かべる。


「本当に良かった。お嬢様が病に冒され床に伏せられている間、私は生きた心地がしませんでした」


私としては完全に初対面の人間に目に涙を浮かべながらそう言って手をとられ、動揺を隠すのに必死だった。


「心配かけて悪かったわね。まあもう大丈夫よ」


自然に、自然に、ばれないように。そう心がけていたのだが、私のそんな返しにユリジェスが小さく目を見張った事に気がついて心臓が跳ねる。

(どうしよう、何か変だった?)


「ど、どうしたのユリジェス」

「いえ、以前よりもお嬢様の雰囲気がどこか、活発に明るくなられたような気がしました故、嬉しく思っていたのでございます」


そんなユリジェスの言葉に一瞬ギクッとしたが、ユリジェスの晴れやかな表情を見て、きっと他意はないのだろうと胸を撫で下ろした。


というか、ユーリアって一体どんな性格で、どんな雰囲気をしていたのだろう。それが分からない事にはユーリアに寄せる事は出来ないし・・・。


「ユリジェス、あなたさっき私に雰囲気が変ったって言ってたけど・・・ちなみに私って、どんな女性だと思う?」


そんな不審極まりない事を尋ねると、ユリジェスはいぶかげな表情を浮かべる事なく質問に答えてくれた。


「ユーリアお嬢様は聡明でお優しく、物腰柔らかで、人々に安らぎを与えてくれるような、そんな笑顔をお持ちの素敵な女性でございます」


「・・・・そう。」


お優しく、人々に安らぎを与えてくれるような笑顔を持ったって女性って・・・ユーリアは、ふわっとした癒やし系の女性だったという事か。


(これはマズい。私とは正反対だわ)


幼い頃から自分に対する自信だけは一人前だった。自信家だったことも相まってか私は気が強いし、周りの人に安らぎを与えるというより、どちらかというと緊張を与えるような人間だ。


これは一体どうしたものかと眉間にしわを寄せ頭に手を置いた私に、心配するようにリシュールが声を掛ける。


「お嬢様、ご気分が優れないのですか?病み上がりですし、やはりまだベッドで横になられていた方が・・・」


「いや、大丈夫よ。それよりも私、今すごくピアノが弾きたい気分なの」


リシュールの言葉に首を振ってそう答える。体は本当に何も苦しい所はないくらいにピンピンしていた。


本当はピアノが弾きたい気分だという訳ではなかったのだが、はやい所この執事達に私のピアノの腕前を見せつけ、お屋敷のこれからの事を安心させてやろうと思った。


いや、別にこの人たちの為ではなく、そう、自分のこれからの生活の為だ。

お屋敷は広いのだし、使用人だってもっと欲しい。



「あなた達も一緒に来なさ・・・じゃなくて、一緒に来て」








やはり屋敷の作り自体は私が元いた屋敷と一緒だった。だが、窓ガラスの種類や家具、飾ってある絵などが古めかしく変化している。


ただ、グランドピアノと、それが置いてある部屋の位置は元いた屋敷とそのまま同じであった。

この世界にも、ピアノがあって助かった。そう心の中で呟いてピアノの椅子に座り、その蓋を開ける。


───私がいままで演奏した曲の中で何が一番好きだった?


───お嬢様がショパンピアノコンクールで優勝したときに演奏された、即興幻想曲でございます。


まず何をひこうかと考えたとき、ふと死ぬ前に交わした朔谷との会話がよみがえった。


(ショパンの即興幻想曲か・・・)


ユーリアのピアノのポンコツ具合がどの程度だったのかは分からないが、きっとこれから2人は私の演奏を聴いて腰を抜かす程驚くであろう。いくら私が本物のユーリアではないとばれるような事は避けねばならないとしても、ここでピアノの技術までもユーリアに寄せて私のピアノの腕を隠そうものならこの屋敷はおしまいだ。


ここで目が覚めて、私が自分の名前は西園寺ユリアなのだと主張した時、リシュールはそんな私の言動を生死をさまよう程の高熱を出していたのだから、記憶が曖昧になっていても仕方がないと言った。


自分の名前を正しく覚えていないなんて普通に考えてあり得ない事をリシュールはそう受け止めていたのだから、私が"生死をさまようほどの高熱を出した事がきっかけでピアノの才能が開花してしまった"とでも考えて貰う事にしよう。


「リシュール、ユリジェス、ちゃんとそこで聞いてなさいよ…じゃなくて、聞いててね」


ついついきつくなってしまう言葉遣いを正しながら、ピアノの側に立たせた二人にそう声をかけ、ピアノの鍵盤の上に手を置いた。



ショパンの即興幻想曲。

朔谷が好きだと言った曲。


ポーランドのかの有名な作曲家、フレデリック・ショパンが作曲し、ショパンの4曲の即興曲のうち最初に作曲されたピアノ曲。


すっと息を吐いて、最初の和音を力強く奏でた。

続いて流れるような、それでいてどこか陰りのあるような美しい旋律を鍵盤の上でなめらかに踊らせる。


リシュールとユリジェスが息を飲むのが空気で分かった。


星の粒子のように煌びやかではやい旋律を奏でながら、視線だけをリシュールとユリジェスに向けて僅かに微笑んで見せた。


どこか冷たいような暗いような曲の温度を感じながら鍵盤を撫でるように指を滑らせる。


ここは強く、ここは少し音を緩めて、

ここは速く、ここはおさえて、



もっと、もっと、二人の心に響くように!




久しぶりに夢中になってピアノを演奏をしたなと、柔らかく比較的テンポを落としながら最後の一音を弾き終えた時にそう思った。




「…ふぅ、どうだった?」




5分と少しの演奏を終え、ピアノの椅子に腰掛けた体を二人の方向に捻りながら得意げにそう尋ねる。


想像通り、リシュールもユリジェスも、2人ともまるで夢をみているかのようなポカンと惚けた顔をして私の事を見ていた。


まぁ当たり前の反応だろう。

私、天才だし。



「私、幼き頃からユーリアお嬢様にお仕え続けて早20年ばかり…このような素晴らしい演奏も、曲も…拝聴したのはこれが初めてでございます」


ユリジェスが右手を胸に当て、小さく頭を下げながらそう述べる。一方のリシュールは、まだポカンと目を丸くしたまま私の事を見つめていた。


(まぁ驚くのも無理はないわね。ユリジェスの言葉通り、こんなに素晴らしい演奏も曲もユーリアにはこなせないものだっただろうし…って、あれ?)


このような素晴らしい演奏も、曲も…拝聴したのはこれが初めてだというユリジェスの言葉が引っ掛かった。


演奏だけでなく、曲…?



「ユリジェス、あなたこのショパンの曲聴くの初めてなの?」


「初めてにございます。それと、失礼ながら"ショパン様"というのは一体、誰の事にございますか?」


──は?



ユリジェスの言葉に、今度は私が呆気にとられる番だった。


この曲は凄く有名な曲だし、曲とその曲目が一致しない人が殆どだとしても、この曲を耳にした事がある人は大勢いる筈だ。


(あぁいやでも、私は音楽家だからショパンに親しみがある訳だし、クラシック音楽に興味のない人ならショパンを知らない人がいても当然か。私だってポップスや洋楽にはすごく疎いし…


でも、音楽一家に仕える執事なら、ショパンの名前を聞いたことがあってもいいと思うんだけど…)



「ショパン…は置いといて、じゃあベートーヴェンはわかる?モーツァルトとか、わからなくても、聞いたことはあるでしょう?」


「申し訳ございませんお嬢様、ベートーベン様、モーツラルト様という方のお名前も、一度も耳にした事がございません」


そんなユリジェスの言葉に目をむいた。

(聞いた事すら無いですって・・・!?)


あなた今まで学校の音楽室の後ろの壁を一度も見たことは無かったのかと突っ込みそうになったのをこらえる。


──・・・もしかして、ユリジェスが無知なのではなくて、この世界には本当に・・・?


「リシュール、あなたは?あなたも知らないの?ショパンもベートーヴェンも、モーツアルトも、みんな有名な偉人達よ・・・?」


そうリシュールに尋ねると、少し困ったような顔をして首を横に振られた。


「失礼ながら、この世界にそのような名前の偉人はおりません」


「・・・・。」


「先ほどの曲は、お嬢様がおつくりになった曲ですか?」


リシュールの言葉に頭を金槌で打たれたような衝撃を受けた。

この世界には、私が知っている有名な音楽家達は存在していなかったのだ。


だとしたらさっき私が演奏したショパンの即興幻想曲は、ここの世界には存在する筈のない曲なのだ。あの曲をこの世界で初めて演奏したのも私で、あの瞬間、即興幻想曲は初めてこの世界に誕生したのだ。


──先ほどの曲は、お嬢様がおつくりになった曲ですか?


だとしたら、リシュールの言葉通り、私がこの曲を作り出してしまった事になる。




「ショパンとかベートーヴェンとか、変な事言って悪かったわ。寝込んでいる時に見た夢に出てきただけだから気にしないで。・・・あと、この曲なんだけど、」


激しい罪悪感。通常の世界でなら感じる筈のない感情。

私はこれから嘘をつく。大きな大きな嘘をつく。




「───これは、私が作った曲よ」












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