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私の名前は西園寺ユリアであって、ユーリア・シャイオンジーではない



「・・・様」



「・・・嬢様」



「・・・お嬢様」



ん・・・?



ふかふかの布団の感触と、私を呼ぶ朔谷の声で意識を取り戻す。

ゆっくりと目を開くと、そこには驚いたように目を見張った朔谷の顔がすぐ側にあった。


(私、生きてた?)


無理もない。私も正直驚いている。まだ自分が生きていて、さっきまで息をすることさえままならなかった体が嘘のように軽くなった。


少しだけけだるい体をベッドから起こすと、朔谷がまるで信じられない光景を目にしているかのような顔をして私を見つめた。やがてその表情はゆるみ、心から安堵するようなため息をついた。やがて朔谷のその長い腕が伸び私を優しく抱きしめる。


「夢を見ているようです・・・・やっと目を覚ましてくださいました。」


朔谷の腕の中でささやかれたそんな声が少し震えている事に気がつき、本当に心配をかけてしまっていたんだと心が痛んだ。やっと目を覚ました、という事は、私はあれからどれだけ眠ってしまっていたのだろう。


「本当に良かった。ユーリアお嬢様がお目覚めになったと、すぐにユリジェスに伝えに行きます」


そう言って朔谷が腕を解き──・・・私は、瞬時にその一度はなれた腕を掴んで引き留めた。


(ユ、ユーリアお嬢様?)


「待ちなさい。あなた今・・・私の事を何て?」


「ユーリアお嬢様の事を、でございますか?」


「いや、だからそれよ。何なのよその、ユーリアって。ユリアよ、私の名前は西園寺ユリア」


朔谷は生真面目な男で、17年間一度も私の事をあだ名で呼んだ事なんか無い。

そんな朔谷からのいきなりの”ユーリアお嬢様”呼び。驚かない方がおかしいだろう。


それなのに何だ、その、まるで私がおかしな事を言い出したかのような朔谷の顔は。


「・・・お嬢様はきっと熱が引いた直後で頭が混乱されていらっしゃるのでしょう。ご自身のお名前に関する記憶までも、きっと混乱されているのですね」


「は?」


「サイオンジユリア、ではなく、ユーリア・フォン・シャイオンジー様。これがお嬢様のお名前でございます。生死をさまよう程の高熱で倒れられたのですから、今はまだ記憶が朦朧としていても仕方がありません。それにしても心配ですね・・・何か、他に思い出せない事はございますか?」


「・・・・。」


朔谷のそんな言葉に一瞬思考回路が停止しそうになった。


ユーリア・フォン・シャイオンジーですって?笑わせるんじゃない。

私の記憶は誰に何と言われようとはっきりしている。ずっと西園寺ユリアとして生きてきたのだ。


ついでに言うと、さっき朔谷が口にした”ユリジェス”という名も気になる。

確かこの屋敷に外国人の使用人は置いていない筈だ。


いや、それをいうならユーリアだなんて名前も随分と欧米チックだと心の中で呟いた時、見上げる朔谷の瞳の色の違和感に気がついた。


「朔谷、カラーコンタクトでもはめてるの?」


朔谷の瞳の色がどこか灰色がかっている事に気がついてそう尋ねると、朔谷は一瞬目を見張った後に小さく首をかしげた。


「お嬢様、サクヤというのは・・・」


「何言ってるの、あなたの名前でしょう?」


「私の名は、リシュール・ラ・リストでございます」


(な、何ですって・・・?)


いい加減馬鹿な事を言うのはやめなさいと言おうとした口を閉じて留める。

これ以上朔谷の言うことに突っ込んでいては、お嬢様の頭がおかしくなってしまったと医者に突き出されかねない。


「ユリジェスを呼びに行くのは後よ。あなたの言うとおり、今の私は記憶がおぼろげみたいなの。だから、私から私がする質問に答えて貰うわ」


「ですがお嬢様・・・」


「これは命令よ、いいから答えなさい」


ユリジェスとやらを呼びに行くのは後だという私の言葉に困ったように眉をひそめた朔谷をそうやっていいくるめる。いや、朔谷ではなくリシュールか。この男は、朔谷と同じ顔、同じ声をしているが朔谷ではない。朔谷はこんな瞳の色をしていないし、朔谷はきっと何があっても私の名前を間違ったりしない。


それに、どこかおかしいのはこの屋敷の部屋も同様だ。同じつくりだから最初は気にならなかったが、置いてある家具が違う。こんなにアンティークチックな棚や机はおいていなかった筈だ。私が眠っている間に運び込んだと考えるのも、無理があるだろう。


「私の両親の職業、ここのお屋敷について、今の自分の記憶が事実と異なっていないか確かめたいの。だから私にすべて説明してみて」


そう頼むと、朔谷はかしこまりましたと小さく頭を下げた後、私の質問に答え始めた。


「まず旦那様と奥様のご職業についてですが、旦那様と奥様、お二方ともこの国だけには留まらず世界中で活躍なさっていた、世界的に有名なピアニストでいらっしゃいました」


そこは何もおかしい所は無いのかと頷く。ただ、気になったのは、それが”ピアニストでいらっしゃいました”という過去形だという事だ。

もしかしたらと感づきカマをかける。


「そうね。お父様とお母様は生きていらした頃、本当に素晴らしいピアニストだったわ」

「左様でございます」


そんな朔谷の返しに息をのんだ。やはりここは、私の知らないどこかの世界なのだと確信する。だって私の両親はふたりとも死んでなんかいないし、むしろ・・・


───死んだのはきっと、私、西園寺ユリアだ。


私は、あの時、一度死んだのだ。


(そして、今私──・・・きっと知らない世界に転生しちゃったんだ。)


そんな事実に気がついて生唾を飲む。


「ここのお屋敷についてですが、旦那様と奥様の亡き今、多額の収入が絶たれた為に非常に生計が苦しい状態でございます。かつての使用人の多くはこの屋敷を次々と去っていき、今この屋敷に仕えております使用人は、私リシュールと、ユリジェス、今は城への使いで屋敷を空けておりますヴァレンヌのたった3人にございます」


「なっ・・・」


リシュールの口から語られた衝撃の事実に目を見開いた。

まさかこっちの世界での西園寺の屋敷、いや、シャイオンジーの屋敷がそんな経済状況にあるなんて。

というか使用人がたったの3人って・・・。そもそもこの世界の私であるユーリア・シャイオンジーは屋敷がこんな状態になるまで一体何をしていたんだ。


「ちょっとリシュール、でも私だって世界的ピアニストの血を継いだ天才ピアニストな訳だし、その稼ぎでどうにかなるもんなんじゃないの?」


そう素朴な疑問をぶつけた時のリシュールのいかにもピンときていないような、気まづそうな表情を見て察した。


「野暮な事聞いて悪かったわ。その、ユーリア・シャイオンジーって、あまり両親からその、音楽的な遺伝を受けていない感じなのよね?」


「お嬢様、ご自分の事をそのように他人行儀に質問されなくても…それに、ユーリア・フォン・シャイオンジー様でございます」


リシュールのそんな困ったような返しに、私は右手を額に当てた。


──なるほど。サラブレッドといえど、皆がその才能を両親から等しく受け次ぐ訳ではない。私のような天才もいれば、両親の才能やセンスを受け継げなかった人間もいる。そして、ユーリア・シャイオンジーはその後者だったのだ。


「いいわ、ありがとう。何となく記憶の整理がついてきたわ。…ああでも、もう一つ聞きたい事があるの」


なんとなく、まだ半信半疑ではあるけれど、ここが元いた世界とは別の世界であること、そしてシャイオンジー家の事情もわかった。


だが、一つ疑問に感じた事がある。リシュールはさっき、ユーリアの両親が亡くなってからここに仕えていた多くの使用人のほとんどは屋敷を去ったと言っていた。当然だろう。世界的に有名なピアニストの両親の間に生まれておきながら、ピアノが下手で稼ぎの少ないポンコツなピアニストが屋敷主になったのだ。私が使用人であってもすぐに見切りをつけて屋敷を出ていくだろう。


──それなのに何故。


「あなたもここを去っていった多くの使用人達みたいに、屋敷を出て行こうとは思わないの?」


そう、目の前の、朔谷と同じ顔をした男、リシュールに尋ねる。


「思いませんよ」


答えは、即答だった。リシュールが、翳り一つない晴れやかな顔で続ける。


「私は、ユーリアお嬢様の事を心からお慕い申しておりますから」






そんなリシュールの言葉を聞いて、私が本当のユーリアではない事を絶対に知られてはならないと悟った。例え屋敷一つ守れないようなポンコツピアニストでも、この男はユーリアの事を慕い、大切に思っているのだ。


もしも私がユーリアではないと知られるような事があったら、リシュールはきっと私から離れていくだろう。…そうなったら、この異世界で居場所を持たない私は生きてはいけない。


隠し通さなければ、私が西園寺ユリアである事を。ユーリアになりすます事でしか、この世界で生きていく術がないのだ。…ただ、ピアノが下手だという点はいただけない。


生死をさまよう程の病から復活し、今まで秘めていたピアノの才能を突然開花させた、遅咲きの天才ピアニストとして私は生きる。



──そして、このシャイオンジー家の生計を立てなすのだ。





そう内心でこの世界で生きていくための志をかかげた。








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