狙撃手ジーコの逃亡劇
「絶対に逃がさないぞ……!」
肋骨や内臓が侵されたせいか、常人ならショック死するレベルの激痛と出血がノゾミを襲う。治癒しかけの銃創はじくじくと痛み、傷口から憤怒が沸き上がってくるようだった。
忌々し気に、大泥棒よろしくトンズラしようとするスナイパーを睨みつける。祢々切丸の太い柄を握りしめ、ノゾミは駆け出した。
後ろからメグルが制止を呼び掛けていたが、ノゾミは聞く耳を持たずにその場を離れた。憤激しながら殺伐とした鬼ごっこを始めたノゾミだったが、すぐに袋小路に迷い込んでしまった。
「チッ」
イラついて舌打ちが出る。
襲撃者が逃げ込んだビルは、今のノゾミにとって長い距離ではない。それこそ六百メートルなんて一分足らずで走り切ってしまえるような距離だった。
「ネネ、僕にしっかりしがみついてて」
「はあい」
少々虫の居所の悪いノゾミに抱きつくネネ。これからの行動を悟っているようだった。
その予想はおおむね当たっていて、
「祢々切丸っ!」
と大仰に叫んだノゾミは血の大太刀を生成し、
「はあっ!」
走りながら、前方のコンクリの地面に紅に滾る長物を突き立てた。
瞬間、まるでポールで運河や塀を飛び越えるフューエルヤッペンのように祢々切丸の刀身がグンと伸びる。
しかしながら常人の行う棒跳びなど比較になるはずもない。その飛距離はとんでもなく、その一跳びでスラムを上空から見渡せるほどの飛距離を生み出した。
大跳躍で空中を踊るように飛んでいくノゾミは、ネネのか細い腰のくびれを抱き寄せる。
ネネに質量的な攻撃・衝撃が通じないのは分かってはいるが、それでも、無意識にネネを庇っていた。そんな庇う態勢のままノゾミは、暗殺者が下っているだろうビルの中に突っ込んだ。
――ガシャアアア!
ノゾミと正面からぶつかったガラスが木っ端微塵に飛散する。腕や足などを切り裂いたが、そんなものはすぐに修復されていった。ネネとの契約のおかげだ。
ふらりと体を揺らして、ノゾミは立ち上がった。
襲撃者をゆっくり探そうと突入した部屋から、非常階段のほうに向かおうとすると。
「やべえ、やべえ! 腹ぶち抜いて死なねえとかモンスターだ――って、あ……」
なにやら愉快そうに階段を降りていく黒服の紳士が、ドタドタとコミカルに降りてきたのだ。
黒服の男は、サングラス越しにノゾミと目を合わせていた。両者は思いがけない邂逅に硬直する。躰がさび付いて動けなくなっていくような、重苦しい静寂が続く。
やがて、黒服の方が仕方なしという風に手を挙げた。
「よお、ミスター! 俺はジーコ!」
ジーコと名乗った男は、やたら親しげに挨拶してきた。
「んでアディオス!」
「ふっざけるなああああああああ!」
ここまで来てなあなあに流されてたまるものか。
激情に身を任せ、またも逃亡劇をジーコを追いかけるべく、ノゾミも非常階段を降り始める。激しい靴音がリズミカルな降下音を輪唱のように追いかけていく。考えるまでもなくノゾミが襲撃者ジーコを追い詰める一幕のバックミュージックである。
ノゾミは階下を駆け抜けていくジーコと距離を詰めようと数段飛ばした。その作戦は上手くハマり、おそらく一秒ほどを短縮しただろう。
生死をかけたこの逃亡、もしくは追撃において、この一秒はあらゆる刹那より重い意味を持つ。ノゾミがこの好機を逃すはずもなく、瞬時に大太刀へと意識を切り替えた。
(この距離なら刀身を伸ばせば殺れる!)
「ちぇえええいッ!」
偶然、相手のと距離が縮まったタイミングを狙いすまし、妖刀一閃を煌めかせた。
「マジかっ!?」
まだ距離に余裕があると思っていたジーコは、たまらず階段を転がり落ちるように回避した。
鉄骨の階段を転がりながらも、ジーコはしかとノゾミの姿を捉えている。でなければ、ノゾミが放った祢々切丸の剣閃を避けられはしまい。
階段という受け身の取りにくい地形でありながら、ジーコは怪我一つ負わず下り抜けていく。
「なんて奴だ……人間の動きじゃない……!」
「本当……あくろばてぃっくね」
ノゾミとネネは二人して、一体どの口が言うのかというセリフを発する。
一人は怪物のような身体と再生力を持ち。
かたや、少女の姿をした電波系の大太刀の精霊である。
そんな二人でさえジーコの肉体派技術に舌を巻くのだから、ある意味この紳士然とした男も人間離れしているのだろう。
鬼担当の二人に言いたい放題言われている当のジーコは、しびれを切らしたように叫ぶ。
「いい加減しつこいぜ、ミスター!?」
「だったら捕まれ! 命の保証は無いけどねッ!」
再度放った斬撃も、ジーコは身軽に回避した。軽業師もびっくりな身のこなしで手すりと壁を蹴り、跳躍しながら降りていく。すでに階段の存在意義はなくなり始めていた。
このままビルの最下層まで鬼ごっこが続くかと思いきや、ジーコが一転攻勢を見せた。漆黒のトレンチコートの内側に腕を忍ばせ、腰のベルトから白銀の筒を引き抜く。
「フ……」
掌に収まったそれは、熱光学兵器、超能力が発達した現代でもはや化石と言っていいモノ――回転式拳銃。
その最たる特徴は、六つの穴が空いた独特の弾倉、回転輪胴だろう。リボルバーが回転式、と呼称される由縁でもある。
しかも生産中止の間際まで使われていた、高威力の金属薬莢を使用できる近現代モデル。
速射性に優れ、火薬がふんだんに詰め込まれたマグナム弾をぶっ放すソレは、人間を殺すには申し分ない代物だった。
「――っ!?」
その無機質な銃口の死線を眉間に感じた瞬間、ノゾミは反射的に屈んだ。
数瞬遅れて乾いた炸裂音が響く。
弾丸が頭上を通り過ぎたとノゾミが感じたのは、銃声が聞こえるより前だ。
ならどうして躱せたのかといえば、銃口のベクトルと引き金に掛かる指が引かれるタイミング……それらを踏まえて、弾道を見てから避けたに過ぎない。
「ワォ……避けたぜ……」
「僕じゃなかったら死んでるっつーの……!」
数多くのヌーヴォを仕留めてきた暗殺者ジーコでも、マグネティッカーの簡易電磁弾を回避・迎撃する相手は初めてだろう。サングラス越しに驚愕の色が浮かんでいる。
ジーコはそのまま唖然した顔で遁走するという器用な真似を披露しながら、非常階段を折り返していった。




