ネネの誤算
セントラルホールやや中央では、二人の闘いが白熱の様相を呈していた。すでに柱は何本も切り倒され、破壊されていた。
「どうしたジーコ? もうフラフラじゃないか」
ボロボロに引き裂かれたコートを、ノゾミは憐れんで見つめる。
「へっ、お前さんが化け物過ぎんだろーが。察してくれや」
ノゾミの言う通り、ジーコはすでに体力の限界が来ていた。悲しいかな、人間の限界である。
祢々切丸の契約者として人間をやめたノゾミと、しがない傭兵でしかない中年のジーコ。継戦能力の差は、火を見るより明らかだった。
血塗られた切っ先をふらつくジーコに向ける。
「俺を殺すか? まあ、ナギの旦那逃げる時間ぐらいは稼げたか」
と、ジーコは苦しげに言うが……。
「見え透いた嘘はよすんだね。僕はセウル・ティランの構造は良く知っているんだ」
憧れていたからね。
とは口が裂けても言わなかった。
「ナギが逃走できる経路はそこのメインエレベーターだけだし。なにより、ナギは絶対に格下の相手からは逃げようとしないよ」
と、ハルカ・カザマを間近で見てきたノゾミは断言した。
ハルカはどんな時でもノゾミを下に見ていた。殺すときでさえ、憎々しげに睨み、謝罪の一つも出てこなかった。
そんな傲慢な人種の親であるナギが、ヴューのノゾミを恐れるはずがない。どうせ今だって、ジーコがノゾミの首を持ってくると信じて疑っていないはず。
ノゾミの吐き捨てるような言葉に、ジーコはため息を吐いた。
「そこまで分かってるわけか……ならしょうがねえ。殺せよ、俺にはお前を止められねえ……ごふっ!」
ジーコは頭を押さえながら喀血した。どうやら超能力を使いすぎたらしい。脳に負荷がかかり過ぎた反動のようだ。
協力すぎる力の代償。ジーコの錬金術は、普通の超能力より用途が広い分、使用する公式が多いのだろう。
「飼い主は助けてくれず、超能力も空っぽ……みじめだなジーコ。それが僕たちヴューの気持ちだよ。誰も助けてくれない。自分自身じゃ何も解決できない。見も知らぬ相手から暴力を受けることすら日常だった……それを死ぬ前に経験するとは皮肉なもんだね」
ノゾミは何も出来なくなったジーコにそう告げた。
「ふっ、確かにな。俺もちっとは無能力者のことを考えればよかったのかもな」
ひゅう、と一呼吸おいたジーコは、覚悟を決めるようにサングラスを取った。錬金術の光を防ぐサングラスを捨てたということは、闘いを諦めたことと同義。
ノゾミもうんと頷く。
「潔し、錬金術師ジーコ」
「できれば銃の匠と言ってくれ。そいつは俺の師匠のもんなんだ。それを俺の敗北で汚したくはねえ」
この期に及んで減らず口を……と思わなくもなかったが、それが本人の主張だというのなら、聞くべきだろう。
ノゾミは血も涙もないヌーヴォ共とは違うのだから。
「いいだろう。じゃあガンニッソス・ジーコ。地獄で会おう」
両者は意を決した。
ジーコは頭を垂れ、ノゾミが祢々切丸を振りかぶる。
数秒後には、ジーコの首が転がるだろうという寸前。
決闘者達の間に、華奢な影が割り込んだ。
「だめええええええっ!」
「――ッ!?」
「なっ!」
ノゾミにとってはなじみ深く、ジーコにとっては一時の協力者でしかない存在。
黒く長い髪を太い三つ編みにした少女。
(メグル……!?)
メグル・オモイが、斬られようとしているジーコの前に躍り出たのだ。
その一瞬、視線が合う。メグルの瞳はノゾミしか見ていなかった。ノゾミを復讐の呪縛から解き放つ。まるでそんな風に、ノゾミに語り掛けてくるような。
(うっ……惑わされるな! メグルはヌーヴォ。僕の敵で)
――本当に?
過去のノゾミが顔を出した。メグルは確かに直接助けてくれなかった。だが、それでもハルカにいじめられながらも、何とかやってこれたのは、メグルが傍で笑いかけてくれていたからではないのか?
そんなメグルを手にかければ、自分が自分でなくなるんじゃ――。
(違うわ)
(ネネ……?)
ノゾミは、永遠に引き延ばされた刹那の感覚の中で、しっかりと白皮症の少女の声を聴いた。姿を隠していて、声だけが響いていた。
(ノゾミ、あなたにはもう復讐する道しかないのよ? その道を、今さら理解者面する娘が躰を張ったくらいで止まるのかしら?)
そうだ。ネネは言った。ネネだけがノゾミの理解者だと。ノゾミが信じる限り、絶対に裏切らないと。
――なら迷う必要なんてない。
ノゾミにはネネだけがいればいい。
「じゃまああだあああああ!」
ノゾミは雑念を振り切り、太刀を振り下す。大太刀が天井をがりがりと削りながら、袈裟懸けに走る。
その時、ノゾミはほんの少しだけ視界が滲んだ気がした。だが、すでにそれがどんなモノで、何を意味しているかすら、ノゾミには分からなかった。
そして、メグルもろともジーコを切り捨てる。
「ああああああっ!」
「……ぐっ!?」
少女の体から血飛沫が舞い、ノゾミの頬を玉の血が跳ねる。
――だが、ジーコは斬れていなかった。
「な、に?」
ジーコの方も自分の体を触るが、どこも血が出ていない。
そんなジーコの前で、メグルが崩れ落ちた。少しくすんだヴェトマパンタロンに、彼女の血がしみ込んでまるで破瓜の後のように滲んでいた。
「あ、ああ……」
「お、おいっ、しっかりしろメグルちゃん! クソッ、なんて無茶しやがる!」
ジーコは突然、身を挺して庇ったメグルを抱き起こした。
そして、ノゾミをきつく睨んだ。
「ミスター、お前ってやつは」
「ち、ちがう。僕は――」
ノゾミが自分の行いに狼狽えて数歩下がった瞬間、ミシッと天井が悲鳴を上げた。
(天井が崩れる!?)
考えてすぐ思い当たったのは、ジーコとの戦闘で破壊したセントラルホールの支柱。トドメとなったのは、メグルを斬った時の天井への一撃だろう。
その亀裂が天井の自重で広がったのだ。
そう理解したのも束の間、ジーコとメグルは崩落した天井の瓦礫に呑まれた。
「ああっ……!」
辺りに砂煙が舞い、二人の姿は完全にがれきの下に埋もれてしまった。ジーコは分からないが、重傷だったメグルが助かるはずもない。
生存は絶望的。
「僕が、殺したのか。メグルを……」
カラン、と太刀の柄を取り落とし、震える手を覗き見る。ハルカを、サスケを、市民を殺した時とも違う。言いようのない虚無を掴んだ感触。
生前の理解者を殺したのだと、いやが応にも気付かされる。
「どうしたの?」
やがて酷薄な笑みを浮かべた白皮症の少女が現れ、ノゾミの手を握った。
「ネネ。僕は、とんでもないことをしてしまったんだ。取り返しのつかない命を絶ってしまった」
「……だったらどうするの? このままナギの前に出て、今までのことを懺悔でもするつもり?」
ネネが珍しく厳しい問いを投げかけた。ノゾミは息を吹き返したように、はっと白皙の少女を見やる。
彼女の紅の瞳が、使命を果たせと強く叫んでいた。
復讐を完遂せよと唸っていた。
「ごめん。もう僕には何も言う資格なんてないよね。分かっているさ、ネネ」
そう告げて、ノゾミは大太刀・祢々切丸の柄を拾い上げる。貫目に指を食いこませ、歯を食いしばって立ち上がる。
「ナギの所へ行こう、それで全部、僕の復讐は終わるんだから」
ノゾミは崩れた天井を見上げた。
どうせエレベーターは使えないのだから、ここから上の階に移動したところで問題はない。
「ええ、最期の時ね」
ネネはノゾミの方に腕を回してほほ笑んだ。
*
ぺチン、ぺチンと軽く頬が叩かれる。
「おい、しっかりしろ!」
「……? ジーコ、さん?」
かろうじてメグルの返事を聞いたジーコは、ほっと一息ついた。
メグルはぼやけた歯科医で辺りを確認すると、周りは随分薄暗い。というより、閉じ込められているような感じである。
躰を持ち上げるとひどい痛みが走った。
「おい、体を動かすな。塞いだ傷口が開いたらどうする」
「えっ……塞いだ? 傷口?」
焼けるような痛みの走る体を見ると、火傷後のような肉芽が盛り上がっていた。言わずもがなノゾミに斬られた跡だった。
「錬金術で無理矢理に肉を結合したんだ。その……緊急事態だったからな。許せよ」
「いえ、謝るこそしても、責めるようなことはできません」
死んでいてもおかしくなかったはずだ。
現に、ノゾミに斬られた時のショックで、メグルは気を失っていた。そのまま命を落としていたものと思ったが……。
ジーコはよく分からんと首を捻る。
「ああ、俺も不思議だ。奴の一撃を受けたら、真っ二つになってもおかしくない。もしかしたら、ノゾミ・カミナの中で迷いが生じたのかもしれないな」
「迷い、ですか……ごほっ」
だとすれば、それはメグルに対する感情だったのだろうか。
「なら、まだ間に合うんでしょうか。ノゾミ君の復讐を止めること……」
「わからねえな。メグルちゃんを斬ったことで、吹っ切れちまった可能性もなくはない。さて目を瞑ってろ……」
ジーコは照明の光がさす壁に手を向ける。すると瞼越しに強烈な光が瞬く。
目を開けると天井はなくなり、卵を内側から破ったような出口が出来上がっていた。
「どうやらノゾミは、旦那のいる上階へ向かったようだな……ゴホッ!」
「ジーコさん!? 口から血が!」
どうやら超能力の使い過ぎで、血を吐いたらしい。口元を手で拭いながら、ジーコは「気にすんな」とメグルの頭を撫でた。
「しかし、これ以上の戦闘は無理だな。俺にできるのはメグルちゃんを連れて逃げるくらいだが」
ジーコは少女の顔を確かめる。
一ミリも引く気はないという表情をしている。
「私は、ノゾミ君のところへいきます」
「その状態でか? 何も出来ないぞ?」
「だとしてもです。私がノゾミ君に姿を見せること。それ自体に意味があるんです」
「……」
ノゾミはメグルを斬ったことで後悔したかもしれない。いや、太刀筋に迷いが出たのなら、間違いなく後悔の念は発生しただろう。
ならば、無事な姿を見せることは、ノゾミを元に戻すきっかけとして十分なはずだ。
「はあ、メグルちゃんの熱意には負けるぜ。そんなにいうなら、合いに行ったらいい。んで俺はもう少し休んでから、事を見届けさせてもらう。さすがにしんどいわ」
「ワガママを聞いてもらって、ありがとうございます。では、また後ほど……生きていたら」
「あ、まて。これを持って行け」
メグルは崩落後から這い出た。
すると、ジーコがパスカードを渡してきた。上層エレベーターを起動させるためのパスカードだ。
メグルは無言でうなづき、見送るジーコを尻目にノゾミを追うのだった。




