居場所になる者
ノゾミは純白の少女の前に泣き崩れるように座り込んでいる。泣きついて懺悔するように弱音を吐いていた。白皮症の少女は、そんな弱弱しい姿になった少年を優しく、守るように抱く。誰にも奪われないように、しっかりと。
メグルが驚いたのは少女の表情だ。まるでノゾミが自分の子供であると主張するように抱擁しつつも、その口元は愉快そうに歪む。人形遊びでもしているかのようだ。
少女の体に顔を埋め、ノゾミが問う。
「なあ、ネネ。それなら僕は…………僕をこんな惨めな存在にしてしまった奴らを殺してしまっていいのか?」
――ネネ。謎だった白皮症の少女の名前がノゾミの口から漏れる。だが、そんなことは今のメグルにはどうでもよかった。それ以上に、ノゾミの追い込まれ方が尋常でなかったからだ。
『そんな……ダメだよ。これ以上誰かを殺してしまったら戻れなくなっちゃうよ……!』
ノゾミが口にした質問は、少年が鍵をかけていた心の扉を開け放つものだ。サスケやハルカを殺害した時以上の悲劇を引き起こすための鍵。
瞬間的にそれを感じ取ったメグルは、傷心するノゾミに触れようと近づく。しかし、すぐにサイコメトリーが見せる過去の出来事だと悟り、足が止まる。
残酷なシーンは、メグルの意思と関係なく進む。
ノゾミを包み込むように抱いたネネが、一瞬――
『今、私を見た……?』
横目でメグルを覗いたような気がした。しかし、それもほんのわずかな間。すぐに我が子の如く抱きすくめたノゾミに視線を戻した。
「いいよ。他の人が赦さなくても、私だけはノゾミを赦すから」
赦す――何を赦そうというのか。メグルには彼女の、ネネの言っている意味を理解するのに、しばし時を要した。そして思い至った。ノゾミがヌーヴォたちに抱く巨大な負の感情を抱いていることを。ネネが、ノゾミの心を歪めようとしていることに。
『止めなきゃ、私が……ノゾミ君がこれ以上苦しまないように……』
ネネがノゾミを唆し、己が目的のために誘導しようとしている。そう察したメグルだったが、ここはサイコメトリーの過去の映像の中。メグルが干渉できるのは過去視だけだ。
だが、相手は違ったらしい。
『――もう遅いよ。メグル・オモイ。ノゾミは完成したんだから』
『っ、え? しゃ、しゃべった……?』
そこには、メグルしか存在しえない過去視空間の中で、普通に佇んでいるネネがいた。ノゾミを抱きすくめたままのネネとは違う、もうひとりのネネがメグルに話しかけている。
それは以前、ハルカの殺害現場でサイコメトリーを行使した時と同じ感覚だった。
超能力に干渉されている、脳に直接触れられているような肌が泡立つ恐怖。
『じゃあね。もうノゾミがあなたに振り向くことは無いよ。未来……永劫ね』
『待って。ネネ、あなたはノゾミ君をどうするつもりなの?』
『……私がそれを教えたら、あなたはノゾミを諦めるのかしら?』
振り向いたネネは、値踏みするようにメグルに微笑んだ。メグルとノゾミに釣り合うかではなく、メグルがネネと対等かどうかを知るための視線。唯我独尊を貫く、挑戦的で挑発的な緋色の瞳。その瞳には、血の赤色しか映っていない。
『諦めないよ。ノゾミ君が戻って来るまで』
その瞬間、初めてネネの瞳にノゾミ以外の人間が映った。紅から放たれる感情は混じりっ気のない敵意……のはずなのに。だが、どうしてか。どこか鏡を覗き込むようなネネの表情がメグルを困惑させる。
『そう。そうなの。あなた、ノゾミが好きなんだ。そっか、あなたもノゾミの居場所なんだね』
『居場所……そうありたい……いやなるよ』
ノゾミの帰る場所は、すでにデュクタチュールにはない。ならメグルが、ノゾミの帰る場所とになればいい。否、なるしかないのだ。
ノゾミを取り戻したらデュクタチュールの外に逃げ、共に生きることになるだろう。外の世界で生きていくのは厳しいだろうが、そうなるだけの覚悟はしている。
『なら止めてみせればいい。あなたの愛で、私のノゾミを。そして止めてみなさい、次に流れる怨嗟の血を。もう容赦はしないから。ノゾミを取り戻そうというのなら、プーチ・ティランにいらっしゃい、メグル・オモイ。あなたの想う最後の希望をズタズタに切り裂いてあげる』
背筋を指先でなぞるような声が最後に残った。
「はっ……!?」
メグルは脳内がスパークする感覚によって現実に引き戻された。振り返ると、ジーコが見張りとして傍に立っている。
「よお、いい夢見れたかお嬢さん?」
ふざけ半分で冗談を飛ばすジーコがいる。ここが現実なのは確かなようだ。メグルは黒服紳士を睨みつけると、彼は反省するように肩をすくめる。
「その顔は、良くなかった感じだな」
「そうですね。よくなかったです。でも……まだ希望はあります。私は、そこに一縷の望みをかけようと思います。ジーコさん、私が知り得る全てを聞く用意はありますか?」
本当は聞きますかも何もない。ジーコの助力なしには、メグルは動けないのだから。しかし、ジーコとてメグルの情報なしに下手に動けない。
ほうれい線の刻まれた口元から、思わず苦笑が漏れる。
「可愛くないねえ。もう交渉の仕方を覚えやがった。だがまあ、聞こうじゃないか。俺は早い話が大好きなんだ」
*
夜の帳が降り、星々が鉛雲の隙間からわずかに輝きを放っている。虫の鳴く声も野鳥のさえずりもない暗闇に、ただ機械の駆動と運河がとくとくと波打つ音が流れていた。
ここはデュクタチュールの外壁。必要なモノと不必要なモノを分断する、超能力都市が誇る長城だ。
「戻って来たね、ここから先は、血で血を洗う戦いになる」
「ああ、わかってるさ。ネネが言わなくても、十分すぎるほどにね」
すべてがオート化された外壁は、ノゾミの逃走中だというのに警備の巡回が少なかった。おそらく、ノゾミの抹殺は、ジーコ一人にほぼ任されている状況なのだろう。事態を明るみにしたくないというナギの思惑が透けて見えた。
黒鉄の壁は、何者をも通さぬことを誇るようにそそり立つ。
だが、その強固な壁にも隙はある。
それは汚染された運河の中。ゴミが浮かぶ汚水の抜け道だ。ノゾミが都市部からスラムへ逃亡した時も、正規のルートではなく、運河を抜けてやってきた。普通の人間では、絶対に通行不可能なルートである。
「ネネは僕に捕まってて。まあネネが溺れるなんてないだろうけど」
「ノゾミは心配性ね。ま、そこが可愛いんだけど」
ネネは笑みを崩さず、ノゾミに負ぶさるようにしがみつく。
「じゃ、いくよ」
ノゾミは大きく、深く呼吸を行い、澱んだ運河へダイブした。




