メグルの選択
煌々と輝く星空も押し黙るスラム街の夜更けは、デュクタチュール都市部と比べて身が凍るような寒さがあった。
それは廃墟と化したビルの中も同様である。
オフィスビルのくたびれたソファに腰を下ろした黒服紳士は、スラムで力尽きた浮浪の死人を眺めつつ、深いため息を吐く。
地面には粗雑に横たえられた黒髪の少女が、意識を失った状態で放置されている。腕は背中に回され、荒縄で拘束されていた。
「ああ~、つっかれた」
ジーコは言葉の端々に濁点がつきそうな声を絞り出した。
大太刀の復讐鬼ノゾミ・カミナを襲い、サイコメトラー少女メグル・オモイを誘拐した後となれば、肉体と精神の両面で疲れ果てたことだろう。
「あれでミスターが死んでくれてればいいけどなー。でもナギの旦那にちゃんと殺害報告しなきゃだし……後で確認しに行くかね。と、その前に――」
砂埃だらけの床に寝転んだメグルの肩を揺すり、意識の覚醒を促すジーコ。
「ほーら、お目覚めのお時間ですよ、お嬢さん」
二度、三度、少女の体を揺さぶる。
しかし、連れ去った時、手荒に気絶させてしまったせいでなかなか起きない。
仕方なくもう何度かメグルに声を掛ける。頬の肉がフルフルと震えるくらいの強さで、叩いてやるとメグルの瞼が微弱に痙攣した。
「ん……んん……?」
「よう、お嬢さん。気分はどうだ?」
寝ぼけ眼が定まってきたらしく、メグルはジーコを確認して身を引く。
恐る恐る、少女が不審者を見る目で口を開く。
「……あなた誰?」
「俺はジーコ」
問い質しつつ、メグルは周囲に目を配った。周りはさびれたオフィス用品に囲まれ、スラム街から遠のいていないことを悟る。
問題は目の前の黒服紳士をどうあしらってくれるか、だ。
「隠しておく必要がないからついでに言っておく。俺はノゾミ・カミナを暗殺しに来た刺客で、お嬢さんをここに攫ってきた張本人だ」
「っ! それじゃあ、あなたがノゾミ君を撃ったのね!」
腕を縛られた状態で体を起こし、ジーコにタックルしようとするが、戦闘のプロに素人の体当たりが届くはずもなく。
全身で空打ったメグルは、ずざっと砂礫を散らしながら床に飛び込んだ。
「いたた……!」
「まあ怒るなよ。ノゾミ・カミナの抹殺は、ナギの旦那からの仕事なんだ。俺も殺したくて殺したかったわけじゃない」
――まあ、暗殺業してる時点で人間としてはクズなんだけどな。
などと自虐したジーコは、メグルが漆黒の瞳に怒りを灯しているのに気づく。それは己を拉致し、拘束したことへの憤怒ではない。純粋な、ノゾミに危害を加えたことに対する義憤。
「……ノゾミ君だって、好きでハルカ君やサスケ君を殺したわけじゃないんです」
堰を切って溢れだす、震えた言葉。
サイコメトリーでノゾミの復讐の一部始終を覗いたとき、ノゾミは笑いながら泣いていた。
本当なら……ノゾミだって超能力に目覚めてみんなと一緒にヌーヴォとして生きていきたかったはずなのだ。
それが軽薄な神の残酷な手違いのせいで、ノゾミは狂気漂う復讐の道へと引きずり込まれた。
そこに、どれだけの理不尽が詰め込まれていたのだろうか。
心に留めきれないくらいの憎しみがあったのだろうか。
毎日を無自覚に過ごしてきたメグルには見当のつきようもない。
すべては想像の産物であり妄想だ。
「そうかも知れないな」
反論しても無駄かもしれない、そう思いながらもジーコは口を開いた。
「だが悲しいことに、デュクタチュールでは通らねえ理屈だ。ヌーヴォがヴューを殺害しても罪に問われにくい。その逆は……まあご存知の通りだな」
「そう……でした。八つ当たりをしてしまって、すみませんでした」
つまり現状のことである、というセリフの間にある意味をメグルは読み取った。
圧倒的なカーストの前では、下級存在の戯言は潰されてしまうのだと。いやが応にも認識させられてしまう。
その中で、自分が上位者であったことが、メグルの心を絞めつける。
自分がどれだけ無意識にノゾミを傷つけていたかを悟ってしまったのだ。
メグルの思いつめた表情は、ふっとジーコの表情を和らげた。
「いや、俺が大人げなかった。好いた奴を侮辱されたら誰だって怒る。お嬢さんのその気持ちは、そのデカい胸を張って誇っていいものさ」
「はあ……」
どこかB級映画のような言い回しでセクハラをかましながら悟った表情をするジーコに、メグルは渋い顔で応える。
余計な一言が無ければ、素直に納得できただろうに。
とりあえずメグルの中で、ジーコは残念な人という位置づけになった。
「まあ、そういう各々の事情があるって上で相談があるんだが、いいか?」
「……なんですか?」
打って変わって真面目な仮面を被るジーコ。
いまだ疑心を表に出しながら、メグルは簡素な相槌で返す。メグルも自分の置かれている状況・情報をジーコから引き出したいところだった。
サイコメトリーで情報を引き出そうにも縛られているロープでは限界がある。ジーコ本人にも触れられない現状では役に立たない。それに、超能力を使うには集中を要するし、サイコメトリーは特に無防備を晒してしまう超能力だ。
どちらにせよ、そんな余裕を与えてくれる相手ではないだろう。
ここは従順になるのが最善だった。
「まあ、そう邪険にするなって。お嬢さんも気になるだろ? ノゾミ・カミナの安否がさ」
「安否がって、どういう意味ですか」
抹殺すると断言しておいて、安否の確認というのはどういう意図なのか。
メグルの知りえる情報では考察できそうにない。
ようやく聞く耳を持った少女に対し、一本指を立てるジーコ。
「実をいうと、俺の任務は正確には二つある。一つは状況証拠をサイコメトリーで手に入れたお嬢さんの確保だ」
メグルはサイコメトリーを白皮症の少女に妨害されたことを思い出す。あの時の不可解な現象が、他のサイコメトラーでも起こったのだろうということは簡単に推察できた。
それが、唯一情報を知っているかもしれないメグルの拉致に繋がることも。
限りなく不本意かつ納得はできないが、理解はできる。
「もう一つは、さっき言った通りノゾミ・カミナの抹殺だ。しかしまあ中々の怪物で、ビルごと押し潰すというスマートじゃない殺し方をしちまったんだな、これが」
「は、はあ!? ビルごと!?」
明らかに人に対する殺害方法からかけ離れた発言に、メグルは素っ頓狂な悲鳴を上げる。だがその後すぐ、メグルはノゾミの異常な回復力を思い出した。
「……ジーコさんは、ノゾミ君が生きていると考えてるんですね?」
「んー、それはお嬢さんの希望的観測だろ? だがまあ……俺も死んでるとは思えないから、確認しに行きたいのさ」
そう言ってから、ジーコはメグルの腕の拘束を解く。
締め付けられていた手首には荒縄の縄目がくっきり残って赤く変色していた。
「どうして……ロープを解いてくれるんですか? 逃げるかもしれないのに……」
「だってお嬢さんはもう俺に付いてくるしかないからな。荷物は俺が隠したし、ノゾミ・カミナの場所もわからなくなった以上、俺と行動するしか道はねえ」
「うっ」
メグルは弱い所を突かれてうめき声をあげた。
思い浮かぶ選択肢の中では、ジーコの提案が最も魅力的だったからだ。
持ってきた荷物を隠されてはどうにも立ち行かないし、ジーコを暗殺するのはメグルの技量では不可能に近い。
ならばジーコに従っておく方が何倍もいい。
そう結論付けたところで――
「それにまあ…………腕の拘束を解いたのは、ほら……おトイレが困るだろ?」
サングラスの下のほうれい線がニイと歪んだ。
「……アリガトウゴザイマス。サイッテーですね」
「おっと」
しょうもないスケベ紳士に向けて、少女は渾身の蔑みを与えた。




