赦し
思念式爆弾サイコマインによって爆破されたビルが、瓦礫の山と化していた。
スラム街に突如完成した塵芥とコンクリート破片の城。
そこには、この殺風景に似つかわしくない少女がしゃがみ込んでいる。
陽の光をキラと反射する白髪に、鮮血を滲ませたような妖しい紅玉の双眸。白磁器のような柔肌は、見る 者に病的な美しさと儚い印象を与えるだろう。
最も、彼女はただ一人を除き、誰にも観測されない存在ではあるが。
「もしも~し」
ピュアホワイトのワンピースに素足という、常識はずれな格好のアルビノ少女――ネネはビルの崩壊に巻き込まれた契約者に声を掛けていた。
ネネは大太刀・祢々切丸を本体とする精神体(エーテル体)なので、物理的に接触・観測することは不可能な存在だ。
ビル倒壊で圧死せず、窒息死せず、瓦礫の山をすり抜けて外に出られたのはそういった理由がある。
「ノ~ゾ~ミ~、早く起きて」
鈴を転がすようなソプラノで、子守歌の如く呼び掛ける。
瓦礫の中のノゾミに向かって。
無機有機問わずノゾミ以外に接触不可能なネネは、こうして塵芥と瓦礫の山越しに声を掛けるしかできない。
ここがネネの行動範囲の限界である。
「ねえってば~……ん? ……んん? おお?」
何度目か分からない呼びかけをしたところで、ネネが注視していた部分に変化が起きる。
じわぁ、と赤黒いシミが広がっていき、こんこんと湧き水のように血が噴出しはじめた。
それを確認したネネは満足げに微笑む。
「うんうん、そうでなくちゃね!」
「ぶっはああっ!? っはあ、はあ……ね、祢々切丸の血液操作が無かったらビルの下敷きになって死んでたぞ……」
ノゾミが閉じ込められていたのはたった数分。
しかしながら、人が窒息するには十分すぎる時間だ。
咄嗟の判断で、血液操作による鮮血を凝固させた防御壁を展開していなかったら――。
まず間違いなく、崩落によるダメージで即死していたはずだ。運が良ければ、気絶からの窒息で、気持ちよくあの世逝きのコンボを決めていたところである。
「なに言ってるの? ノゾミがこのくらいで死ねるわけないじゃない♪」
「……言ってくれるね。まあ、まだ死ねないのは確かだけどさ」
そういうノゾミの顔は、だいぶ蒼白い。
鮮血凝固による結界は、大量の血液を消費する。
しかも最悪なことに、脱出の時に血液の大半がコンクリートや砂埃等に浸透してしまい、回収不可能の状態になってしまった。
祢々切丸の柄の内部には、殺害したサスケとハルカから簒奪した血液が治められていたのだが……この一件で貯血は残高はゼロに。
それどころか、ノゾミ本人の血液すら全損に追い込まれそうになるという事態であった。
見事な返り討ちにあったと言えよう。
「で、どうするの? このまま引き下がるなんて…………しないよね?」
ネネはウキウキとした表情で問い掛ける。
「……当たり前だ。今回ではっきりした。ジーコとナギは僕を殺そうとしている……なら、僕が生き延びるには――」
「二人を殺すしかない?」
「そうだ」
「本当にー?」
「……何が言いたいんだ、ネネ」
怪訝そうに眉間にしわを寄せるノゾミ。
血濡れの瞳を覗き込んでも、答えは返ってこない。代わりに薄桃色の花弁を思わせるおちょぼ口から、甘い誘惑が流れてくる。
「ノゾミ勘違いしてるよ。良ぉく思い出して。サスケ、ハルカ、ジーコ……そして、ナギ。彼らが皆一様にノゾミを殺そうとした理由はなに……?」
「なにってそれは……」
ノゾミは口ごもった。
口にして、言葉を形にしてしまったら、ある絶対的な事実を認めなくてはならない。
一生ノゾミについて回る、呪いのような言葉。
「それはノゾミが無能力者だから」
「やめてくれ……」
懇願し、贖罪を求めるかのように、ノゾミは拒絶を放った。
しかし、ネネの口は容赦なく回り続ける。それは決して責め立てるようにではなく、どこか諭している口調だった。
それだけに、ノゾミが拒否しようにも、心の内に、脳の皺の一本一本まで染み込んでくる。
「ヴューはヌーヴォによって管理されるべき存在……虐げられる差別階級……生まれ付いた永遠の奴隷」
それはノゾミが生まれた瞬間から定められていたこと。
超能力都市デュクタチュールのカースト。
ひっくり返ることのない至高の真理そのものである。
それらが、紙切れの如く、音を立てて切り裂かれようとしているのだから、ヌーヴォたちは危機感からノゾミを殺そうとする。
実に分かりやすく、単純な人間心理。
ネネはそんな事実を、真実を、噛み砕いて言っているだけ。
「下等な存在が自分たちに歯向かってくるなんて、さぞかし気分が悪いことでしょうね」
「やめっ……やめてくれ……!」
「仕方ないから殺すことだって、あるかもしれない」
憎悪に殺されるわけではない。
憤怒によって脅かされるわけでもない。
超能力者社会にとって、デュクタチュールにとって危険な存在かもしれないという理由で、命が奪われようとしている。
後付けされた無能力者という付加価値によって、最初から存在してはいけない人間として処分されるのだ。
「やめろと言ってるだろッ!」
堪らずノゾミは叫んだが、ネネの辣言が降り止むことはない。
「うーん。別にそれでもいいけど……私が黙ればノゾミは救われるの?」
「……それは、違うけど」
ネネが示した真実を覆い隠したところで、ノゾミを待つ災難が消えるわけではない。
そんなことはとっくに解っている。
ただ、ノゾミが理解したくないだけだ。
「ねえ、ノゾミ――」
ネネは優しくノゾミを抱きすくめ、濡れ羽色の髪を撫でる。
幼子に言い聞かせるときのような、まるで母親のように振る舞う。
「復讐に権利なんていらないし、むしろノゾミは殺されかけてるんだから、正当性だってあるじゃない」
「そう……かもしれない」
きっとネネの言葉は都合のいい解釈に満ちている。復讐はいけないことだとか、復讐からは何も生まれないだとか。
そういう善性の意見などはいっさい排除して、排斥して。
言葉からトゲを切り取って、ノゾミが傷つかないように剪定しているのだ。
色鮮やかな鮮血の仇花を、ノゾミ・カミナという土壌で咲かせるために――。
「なあ、ネネ。それなら僕は…………僕をこんな惨めな存在にしてしまった奴らを殺してしまっていいのか?」
ノゾミは縋りつきながら問い質す。
絹のように柔らかな純白の長髪を梳くい、華奢な体に腕を回し、その温もりを抱きしめる。
絶対にこの少女は自分を裏切らない、そして、ノゾミもネネを裏切ることはないだろう。
――盲目的なまでにそう信じて。
「いいよ。他の人が赦さなくても、私だけはノゾミを赦すから」
そう言って、もう一度だけ、少女は少年の頭をゆっくりと愛撫するのだった。




