5
細く開いた戸から垣間見えたのは、月光下に羽ばたく漆黒の翼、金剛力士の如き面相の大山伏の格好をした男たち、そして、彼らから少し距離をとって不気味に笑う女人であった。
大山伏たちはひっそりとした水無村の道に降り立ち、藁葺きの村家の戸を蹴破っては荒らし回っている。絶間なく聞こえる悲鳴、それに被さるように肉を裂き骨を砕く音が聞こえてくる。
「おい、いたか?」
「いやダメだ。それらしいのもおらん。若い女はいるが……」
「一刻も早く探し出せ」
雷のような恐ろしい声で、大山伏たちは口々に相手に怒鳴っているのである。
「化け物か。あれはおそらく天狗……しかし、一体天狗がこんな村に何をしに来た?いや、理由などなかろう。天狗は人に災いをなす妖怪。天理のまにまに動いたというわけか」
才蔵はなおも戸の隙間から彼らを伺っている。天狗たちは、一軒一軒を回っては、殺生略奪心の思うままに成し遂げているらしい。
「まさかこんなことになるとは……」と才蔵は歯噛みする思いであった。
水無村を救い、しばらく暗雲も来ないだろうとたかを括っていたところに、この深夜の化け物騒ぎ――流石の才蔵にも予想ができなかったのである。
こうしている間にも、天狗らの殺生は続く。
「とにかく、彼らをとめねばならない。しかし、どうしようか。術を使えば早いが、村人に見られれば俺はもうここにいられない。宮中御庭番衆は闇の一団。たとえ寒村の村人だろうが、存在を知られてはならぬ。が、このままではいずれこの家も、あの化け物めらに蹂躙されるだろう……己の保身か、人の命か」
彼はなおしばらく逡巡していたが、きっと口を結び、「よし!」と一声言うと、両手で印を結び始めた。と、伸びる彼の影。そして、それが四方八方にタコ足のように這ったかと思うと、月明かりに落とされた大山伏たちの影にまとわりついた。すると、彼らは皆一様に、なにかに縛られたかのように身体を硬直させたのである。
「うお、なんだこれは?」
「う、動けん……」
「これは……法術か!」
口々に呪詛を唱えるが、術は解けない。才蔵は小刀をとりそのまま外へ出、動けぬ天狗一人一人に飛びかかり、確実に息の根を止めてゆく。
が、その時、女の声が一言、
「破!」
と言ったかと思うと、先まで金縛りにあっていた天狗共に身体の自由が戻った。が、時すでに遅し。辺りには累々と倒れる天狗の亡骸が、戦争の爪痕のように広がっている。
「ホホホホ、よもやこの村に術者がいるとは思っていませんでしたわ。おかげで太郎坊様からもらい受けた部隊は壊滅。さて、どう申し開いたらよろしいのか……」
そう言って笑う、浅黄色の袷を纏い胸のあたりをはだけた女は、言葉こそ柔らかいが物凄い笑顔を浮かべている。青ざめた美貌は驚愕と怒りとに歪められていた。
「貴様、何者だ。この村に何の用だ?」
才蔵はギロリと睨んだ。そこに立っているのは、宮中御庭番衆一、二を争う暗殺者――もはや、水無村で燕親子に寄宿する気さくな旅芸人の面影はどこにもない。
「あら、これは失礼。私は人魚菩薩と申します。天狗の頭領太郎坊様から使命を受け、萩姫の身柄をもらい受けに参りました」
人魚菩薩と名乗った女は、血のように赤い唇を歪める。
「なに、太郎坊!?」
才蔵は、凄まじい形相を浮かべた。
「太郎坊とは太古からの憎むべき朝敵。神々に呪われ永遠の責め苦にとらわれ、今も虎視眈々と国家転覆を狙っているとは聞いていたが……まさか、本当に実在するとは」
「あらお詳しいのですこと。聡明な殿方は嫌いではありませんわ」と人を食ったようなことを言う。
「太郎坊様こそこの国を治めるにふさわしいお方。あなたたち人間ではもやは、この荒御魂領する神州を統治することはできない……」
「ふざけた口を!神々に見放された貴様らがのこのこと現れおって。そして、お前も天狗だというのか?」
「いいえ、私は人間……正真正銘、人から生まれた人の子ですわ」
「人の子であれば、なぜ太郎坊に手を貸す?」
「あの方の器に見せられたから、と申す他ありませぬ。それが女、というものでありますわ。人の子として生まれながら天狗に身を委ね、はや12年。ようやく、太郎坊様のお力になれる時が来たのです」
「貴様らの好きにはさせん。この国は我が主の知ろしめすところ。いざ尋常に!」
と、飛びかかってゆく才蔵をヒラリとかわして人魚菩薩は宙を飛んだ。
「ウフフフ、今やもう目的を果たすべくもない……貴方と命のやり取りをするのもゾクゾクしますけれども、楽しみは後に取っておく方が楽しくなるとも言う。今回は手を引かせていただきます。けれどもお忘れくださいますな。私が貴方の前に現れたということを!」と彼女は謎めいた捨て台詞を吐いた。
次の瞬間、彼女の身体は黒い靄に包まれたかと思うと、夢見るように輪郭がぼやけてゆき、やがて何も見えなくなった。
天狗の死体も全て消えている。
後には、夜風に立つ才蔵の蕭索たる立ち姿のみが残されていた。
翌朝になって、村が壊滅的な打撃を受けたことが判明した。生き残った村人はわずかに20を数えるのみで、他は行方知れずか命を落としたか――戦勝に浮かれた前日とは打って変わっての沈鬱な雰囲気が、生き残りたちの間に漂った。
「これから、どうする?」
痩せぎすの男――久遠が、神経質な目で周りを見る。が、誰も答えるものは無い。これからのことを考えるには、喪ったものがあまりにも大きかった。
「どうするも何も……村はもう捨てるしかないだろう」と年嵩の男が言った。
「捨てるって言ったって、私たちはどこへ行けばいいの!?小さな子供もいるから、明日があるのかも心もとないし……」
年増の女が言った言葉に、無言で頷く人間も多かった。
「とりあえず、シュンショウ国へ行くしかないだろう。実美様ならば良きに計らってくださるかもしれない」
「そうね、私も行くわ」
結局、村人たちは村を一時捨て、実美の庇護を乞うことに決まった。
そんな中、燕は才蔵に聞いた。
「ねえ、才蔵さんもシュンショウ国に行くの?」
「俺か?俺は……」
彼は、この生き残りの中に萩姫がいるのかも知らなかった。そして以前から感じていた疑問――帝が掴まされたのは、偽の情報ではなかったか、という疑問が頭をもたげ始めていたのであった。であれば、また彼は暗殺対象を探しに、旅に出ねばならない。
「そうだな、俺はまた旅をするよ。この村にはお世話になったけど、所詮流れ者だからね」
「そう……」
燕は、しばらく思案ありげに考え込んでいた。やがて顔を上げると、彼女はなにかを決意したかのように、きっと才蔵の双眸を見つめ、言った。
「なら、私も行きます」
その燕の一言に、才蔵のみならず周りの村人らまでが驚いた。なかんずく、母親は目を丸くした。大人とはいえまだまだ子供っぽさの抜けない子供が、流れ者の男と旅に出ようと言う。その酔狂さに呆れ半分、怒り半分で、彼女はどうにか娘を諭そうとした。
「行くっていったって……貴方はまだ16でしょう?」
「16は立派な大人なんだよ、お母さん」
「でも……」なおも母は躊躇している。そこで、彼女の肩に手をかけたのは村長であった。
「行かせてやりなさい」
「村長……」
「燕は立派な大人だ。それに、才蔵がついていれば安心だろう。彼女は京へ行きたいと言っているのだから、そのために諸国に遊ぶのも決して無駄ではあるまい」
村長が優しく諭すと、母親は観念したように肩を落とした。
「分かったわ。貴方の好きになさい。でも、辛くなったらいつでも帰ってきなさいね。貴方の帰る場所はいつもここにあるから」
「……ありがとう、お母さん」
燕は深々と、頭を下げた。そうして零れ落ちる涙がしばらく止まらなかったから、なかなか顔を上げられない中で母は優しく娘を胸で抱きとめ、彼女もまた静かに涙を流したのである。
第2部 終幕