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神仙百鬼夜行  作者: 今川義郎
第2部
6/10

3

 シュンショウ国薄桜邸(はくおうてい)の四畳半で、国守実美(さねとみ)が漢籍を耽読している。

日月(じつげつ)赫赫(かくかく)として江水天際を往く……」

 丸窓の外では老鴬(おいうぐいす)のかなしげな声が遠くからやって来て、庭の古木に降り立ち、その鳴き声が、物音ひとつしない薄桜邸の中庭で反響して、屋敷の隅々まで水のように響いてゆく。

「ふうむ、天晴れ。さて、今日はここらで読みさすとしようか……」

 薄桜邸主人は満足したように書を閉じて、大きく伸びをした。その間も鶯の声は断続的に響いてくる。庭の泉水の流れる音がする。折しもそよ風が吹きさらい、庭に咲く杜若や花菖蒲がざわざわと揺れる音が、屋内にいながらも響いてくるほどの緩慢な昼下がりである。

 と、そんな寂寞(せきばく)とした中を、彼の侍従の一人がドタバタと廊下を駆けて来た。

「なんだ、騒々しい。この情趣を理解出来ぬ野人め」

「申し訳ございません。しかし、早急にお耳に入れたいことがございます」

 侍従は、乱れた直垂(ひたたれ)を整えつつ冷静に言った。

「ふむ、喫緊事とな?」

「ええ。客人にございます」

「何、客人だと? しかし、今日尋ねてくる者はおらんはずだが……」

「それが、昨日の今日に出立して来たということでございまして」

「出直してもらえ。今日は会いとうない」

「それが、宮中御庭番衆(きゅうちゅうおにわばんしゅう)だと申しております」

「何?」

 それまで、興味なさげに聞いていた実美がピクリと眉を動かした。そうして、中庭から身体を侍従の方へ向ける。相手は相手で、聞く耳を持ってもらえたことを幸いに口早に申し立てた。

「宮中御庭番衆だと?しかし、何も心当たりがないのだが……して、名は?」

「才蔵様でございます」

「才蔵殿! ははあ、まさかあの男がわざわざこちらへ出向いてくるとは……そうして、ご要件はなんと?」

「なんでも、ヤサカノ国国守の弾正殿が、我々との境に位置する水無村へ軍を進めんと画策しているとのことで」

「なんだと!」

 実美は怒りの声を上げた。そのこめかみには青筋が走るほどの、羅刹の相である。

「ええい、痴れ者の弾正めが。それを聞いてこちらが黙っているとでも考えていたのか? それとも、余程自信があるのか――すると、才蔵殿はこちらに助力を仰いできたというわけだ」

「ええ、そのようで」

「しかし、宮中御庭番衆ともあろう者が、なぜ辺鄙な村のために出向いてきたのだろう?」

「何でも、萩姫の所在が水無村らしいとの噂を掴んだらしいとのことです」

「ふむ、それは幸いなるかな。で、弾正の手中に治まるのを防いで、早く萩姫を見つけ出して葬ろうという魂胆か。なるほど、合点がいった。よし、快く承ろう。蘭丸、大至急兵を集めよ。――戦の時だ。それと、客人をこちらへ上げるように」

「かしこまりました」

 蘭丸は、両手をついて最敬礼をして出ていった。

 後に残った実美は、しばらく黙然と座っていたが、立ち上がると部屋を行ったり来たりして、何やら思い悩むところがあるらしかった。

「先はすっと腹に落ちたような気がしたが、今考えるとどうも分からないことがある。才蔵殿一人でも村ひとつ守るならば、ヤサカノ国の雑兵ども相手ならば容易いはず。用意周到に、とも考えられるが、それならば村ごとつぶしてしまえば、萩姫も洗い出せるであろう。なぜ彼はそうしない? それともできないわけがあるというのか……まあ良い。どうせ出兵は決まった。才蔵殿も力を貸してくださるということだし、ヤサカノ国が我が支配下になる日も近い。フフフフ、これが天祐(てんゆう)というのだな――」


 間もなく、蘭丸の案内で才蔵は客間へ案内された。才蔵は屋敷を見回し、懐かしき実美の顔を見ると、端正な顔をふと綻ばせた。

「お久しゅうございます、実美様」

「これは才蔵殿、ご達者なようで何よりでござる。」

 彼らは向かい合って座った。お互い、久闊を叙して、最近の稲作がどうの、魚がどうのなどと他愛ない世間話に花を咲かせていたが、その実腹中(ふくちゅう)では、相手が何を考えているのか、探りあっているのだった。

「時に、才蔵殿。何やら水無村に暗雲が立ち込めているようですが、お主の法術でヤサカノ国の脆弱な兵どもを蹴散らしてやろうとは思わないのですかな?」

「なるほど、既にあの侍従から聞いておりましたか」

 本題に入ったか――。

 才蔵は眼を光らせた。

「いや、私も差し支えなくば己の術を駆使して八面六臂の活躍をせんと思ってはいるのですが、ここに一つ、差し障りがございます」

「ほう」

「すなわち萩姫が水無村にいるという噂。これは先日村へ忍び込んだ者を、弾正の間者と捕らえて尋問してみたが意外や意外、帝の命を受けた密偵であった。なぜここに来たかを尋ねれば、萩姫が水無村へ紛れ込んでいるという情報を手に入れ、それを確かめるためとのこと。目からウロコでございました。よもや、私が寄宿している村に、目当ての人物がいるとは……それで、もしも戦に私が出張って法術を使ったりすれば、腐っても皇族。たちまち私を宮中御庭番衆の一人と心得てどこかへ雲隠れすることになりましょう。差し障りというのはこれでございます」

「ふむ、そんなことが……」

「ですから、是非朝廷とも縁の深い実美殿の助力を乞いに来たのです。無論、帝にもこれは上奏しておりまして、萩姫を抹殺した暁には実美様の御位もよき取り計らいをしてやろうとのこと――」

「良い、良いわ。そんなことはどうでも良い。萩姫が水無に雌伏(しふく)しているというのもどうでも良い。それよりも余は、お主が村のためになぜここまで働くか――それを聞きたいのだ」

 実美がそう言うと、才蔵は伏せた顔を一瞬さっと曇らせたが、すぐに平静を装った。しかし、才智狐をも射殺すとまで言われる実美は、鋭くもその一瞬を見逃さなかった。やはり、何かあるな――彼はますます確信する。

「いえ、そんなことはございませぬ」

「とぼけるでない。萩姫を殺すのならば、村を離れて戦を監視する、そして村から誰も逃げられないようにして、弾正の毒牙に皆殺しにされるのを待てば、自ら手を下さずとも萩姫の命の灯火は掻き消えるであろう」

「流石実美様、天地を明らめるご明察。そこまでは考えも及びませんでした」

 目の前の美青年は微笑んだ。それが何かを隠そうとしているのは明らかであったので、実美も焦れったくなり、声を荒らげた。

「ええい、まだとぼけるか。余とお主の仲ではないか。何を隠す必要がある?まさか不都合があるわけでもあるまいに」

「いかにも、私と実美様は幼少よりの竹馬の友。今こうして方や一国の主、方や朝廷の秘密警察となっても、ゆめ粗略(そらく)にしようとは思わなんだ。よろしい、申し上げましょう。私はあの寒村に、一人の鳳雛(ほうすう)を見出したのでございます」

「ほう、鳳雛、とな。してそれはいかなる幼子か?」

「なんのことはない、少女でございます。田舎に生まれ、田舎で育った小娘――しかし、京に行き学問をしたいと言う」

「それは殊勝な心がけだ」

「それだけならば私もまともには取り合いませぬ。どれ、試みに文字を教えてみよう……そうして、冗談半分にあの子の教師となったのですが、驚くべきは才能。私の教えることを片端から覚えていき、それのみならず一を聞いて十を知る――鳳雛でなくてなんでしょう」

「なるほど」

 実美は彼の言うことをじっと聞いていたが、しばらくすると目を開けた。のみならず、口元はこれ見たりとばかりにニヤニヤと笑いを浮かべている。

「才蔵、お主、惚れたな?」

「なっ!?」

 今まで澄ましていた才蔵が素っ頓狂な声を上げた。

「誤魔化すでない。その入れ込みよう、ただの才頴(さいえい)にはすべくもない。やはり、恋……それがなくばその師弟関係は続かなかろう」

 才蔵は、額に浮いた冷や汗を拭った。そうして、実美の双眸を凝視していたが、ふっと観念の笑いを浮かべた。

「いや、恐れ入りました。その通りです。私は村娘に恋とはいかずとも、特別な想いを抱いているようです」

「お主の恋路を邪魔しようとは思わぬ。存分に楽しむが良い。私は今年26。妻を娶って9年にもなる、恋などとうの昔に忘れてしもうた。お主の情熱が羨ましいわ」

「ご冗談を……」

「ハハハハ」

 その後は、日が沈み月光が地上の花を照らすまで2人は語らった。そうして実美は才蔵に宿を勧め、才蔵もあえて辞退はせず言葉に甘えることにした。

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