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神仙百鬼夜行  作者: 今川義郎
第1部
3/10

3

 才蔵が燕に拾われ水無村へ居着くのと同時期、場所は遥か離れて京の内裏にて、時の天皇陛下と右大臣殿が二人で向かい合っている。

 天皇は垂れ幕に姿を隠しており、その前に、右大臣が畏まっているという構図。燭台の火が揺らめくごとに、垂れ幕の向こうの影も朧のように揺れる。

「時にそなた、例の要件はどうなったかな……」

「はっ」

 右大臣は両手をついた。

「まだ成就の一報はございませぬ」

「もう、半年にはなろう……なのに、私の不安の種は取り除かれていないと」

「申し訳ございませぬ。しかし、世が世でございまして、先の大乱からまだ立ち直れていない地方も多く、行脚も妨げが多かろうと存じ上げております」

「言い訳は聞きとうないわ。早くせんと、私の地位も危うくなる。くれぐれも、迅速に、しかし極秘裏に頼んだぞ」

「かしこまりました」

「下がって良い」

 右大臣はそそくさと退出した。

 帝は、脇息から身を起こし、香の(くゆ)る中空を凝視した。そこには何もない。何もないが、彼の脳は知識を通し、忽ち中空に一つの幻影を構築してゆく。

萩姫(はぎひめ)……」

 彼は憎々しげに呟いた。脳裏には衣姫の顔ともう一人――よく記憶に残った顔が浮かぶ。凛々しい目と優雅な振る舞い、公家を体現したような男。即ち――今は亡き我が兄。

「あの日も、こんなふうに、月のものすごい夜であったな」

と呟きながら、帝は目を閉じた。今は亡き、兄の遠い記憶を思い起こしているのである。浮かび上がる、宮中の襖、金襴屏風、釣殿(つりどの)、築山。そう、あれは……。


 春宮(とうぐう)は勤勉で実直な男で、大陸の書を諳んじ、武芸にも通じ、風雅の道にも堪能であった。彼の父も、「あれが跡継ぎなら私も安泰である」と、庭で遊ぶ我が子を見ながら高笑いしたものであった。

 しかるに、春宮18の年、宮中を揺るがす凶変が起こった。

 その夜、凄まじい月明かりの中を春宮の(きょ)へ翔ける人影があった。間者――実に、この者、帝の次男の妻の父、つまり時の左大臣の命を受け、春宮の命を刈り取らんがため疾駆しているのであった。

 警備のにわか兵士は、手練の侵入者に気づく間もなく息の根を止められ、バタリバタリと倒れてゆく。その鮮やかさ! まるで、電光が叫ぶ間も与えず打ちのめすような壮観が、この、暗夜の庭にて繰り広げられている。

 間もなく、間者は春宮の室へ入った。折しも彼は側室と衾を共にしていた。間者は、閃く短剣を月光に輝かせ、そして――。

 ……ところで、この悪夢のような光景を見届けていたのが、次男の光治(みつはる)――即ち、春宮の弟にして現在天(あめ)の下をしろしめす天皇その人なのである。


「しかし、まさか兄に、忘れ形見がおったとはな……」

 回想を打ち切って思い出すのは、いつも苦味。今も、安泰かと思っていた己が地位を揺るがす、一つの種を思うと悶々として夜も眠れないのである。

 それが、春宮の一人娘である、萩姫なのであった。

 暗殺の当夜、萩姫は乳母と共に寝ていた。翌朝、侍女より凶事を聞くや乳母は、彼女の身の危険をいち早く察して、侍従数人をつけ内密に萩姫を出奔させた。爾来、彼女の行方は杳として知れないのである。

「あの者に速やかに誅殺するよう命じたは良いものの、あれは未だ行方すら知れておらん。もし、我が皇位の暗部を知っているとしたら……ダメだ、ますます神経が昂る。権力と金に目が眩み、義父を唆しお膳立てをせしめてまで得たこの位、今はもはや、私を炙り、引き裂く地獄でしかない。皮肉なものだ……」

 目頭を抑えながら、つくづく彼は人の業を思った。が、しばらくすると、目にはもとの炯々たる光が戻っていた。彼は祈るように、

「頼んだぞ、才蔵」

 と呟くと、そのまま御帳台へ姿を消した。


 才蔵は燕への文字の教授を終え、村のはずれを散歩していた。

「こんな場所にいると、使命を忘れそのまま一生を過ごしてしまいそうだ」

 彼は己の密命を忘れたわけではない。しかし、あわや死の危機を救われた恩もあり、また一方では、あの燕という娘が何か自分にとってかけがえのない存在となりつつある。

 この世に生を受けて18年。幼い頃より、間諜としての教練をみっちり受けてきて、今や父をも凌ぐ手練となった。仕える左大臣の命で、何人を手にかけたかも分からない。苦々しさ……というのを覚えないわけでもないが、これが宿命と諦め、友もなく、恋というのもしたことがないままここまで来た。

 しかし、彼女は自分を変えつつある。それが、彼にとって気がかりでならないのである。

「あの子は良い子だ……習熟も早いし、それに、俺に懐いてくれている。人の温もりというのを、あの子は俺に教えてくれる。心地よい――が、果たして、これは正しいことだろうか?」

 これが、彼の煩悶なのであった。

「俺は萩姫とやらを探し出して葬らねばならぬ。そのために、ここにいつまでもいるわけにはいかない。が、燕の教師をしているのも楽しい。今まで味わったことの無い喜び……」

 気がつけば、彼は山懐にまで来ていた。正午の強い日差しが、緑の屋根を透かして彼を熱気にこめる。むせ返るような植物に、一種の驚きを感じていると、はるか遠く――それこそ、彼でなければ気がつかぬほど遠くで、かすかに、人の声がする。

 二人だ。

「はて、こんなところに誰だろう?村の人たちは今時分家で腹ごしらえをしているのに」

 用心して近づくと、それは武具に身を固めた武士(もののふ)の一組であった。それが、道無き道に佇み、何やらヒソヒソ話をしている。近くの木に隠れて伺っていると、彼らの話が聞こえてくる。

「しかし、殿も物好きなものだ……わざわざこんな時期に、山ひとつ越えた隣村を攻撃しようだなんて」

「全くだ。不作でも無し、要衝の価値も無し。ただ征服欲を満たすためだけの進軍……いやはや、水無村の連中も、災難でござるな」

「殿に諫言しようにも我ら足軽では謁見するも(かた)い。結局、農民も我らも、上様の命令に従うしか生きられんのだなぁ」

 両者しみじみと語らいながら、やがて夏草の群生する茂みの向こうへ姿を消した。それを見送って、才蔵は村の方へ引き返した。

「あれはヤサカノ国の者らだな」

 彼はさっき聞いたことを反芻した。水無村、進軍、即ち……

「早く、村の人々へ知らせなければ」

 やがて彼は韋駄天のごとく走り出した。


「村長様、才蔵でございます」

「おお、才蔵か。どうしたのだ、そんなに慌ておって」

 危難を聞いて焦る才蔵とは裏腹に、村長は縁側でのんびりと茶をすすり、日光を浴びていた。

「まあ、座れ。焦らんでも良いわ」

「それが、なかなかどうして焦らずにはいられないので」

「ほう」

 村長の目が俄に鋭さを増した。

「何かあったのかな」

「はい。ヤサカノ国の国守が、水無村へ軍を進めるとのことを耳に入れて参りました」

「なに、ヤサカノ国!?」

 のんびりとしていた村長の顔が、忽ち険しさを帯びた。

「ふむ、そうか。まさか嘘をつくのでもあるまい。しかし、何故今時分に……」

「かの者に道理は通ぜんでしょう。いつも唐突に事は起こるのです」

 ヤサカノ国当代国守は、その邪智暴虐ぶりで天下に鳴り響いていた。酒と色と力を好み、気に入らない輩は部下だろうと容赦なく斬る。戦も好きで、鍛え抜かれた豪腕と大業物國光(くにみつ)で、立ちはだかる猛者共を次々に斬ってのける。まさに、絵に描いたような暴君であるが、ついに先日、未だどこの支配下にも置かれていない水無村に、毒手を伸ばそうと決めたのだ。

「ふうむ……」

「村長様、戦いましょう。そうしてこの村を守るのです」

「馬鹿を言うな。相手は一国の主、対するこちらは寒村に過ぎぬ。結果はやる前から明らかであろうが」

「それでは、この村を渡すのですか。あの暴君に?」

「生き延びるにはそれも必要なことじゃ」

「私はこの村が好きです。それをみすみす、あの弾正(だんじょう)めに明け渡しとうありません」

「それは蛮勇というものじゃ」

「村長」

 才蔵は居住まいを正した。

「生きるため、と仰りましたが、弾正めの支配下にあっては、生きてるか死んでるかも分からぬというもの。私は旅芸人として諸国を巡って歩きましたが、あれの手中の民ほど、飢え疲れてなお地獄を味わわされている人々は見たことがありませぬ。女は慰みものにされ、若い男や子供は奴隷として扱われ、老人は殺される。行く手は深淵でござりまする」

「しかし……」

 なおも村長は決断しかねている。それを見かねて、才蔵はやや語気を強めた。

「村長様。生き地獄に村人を放るか、戦って浄土へ行くか。二つに一つ、ご決断くだされ!」

「むむむ……」

 村長は、才蔵の強い勧めに抗すこともできず、冷や汗を額にびっしりと浮かべてしばらくうんうん唸った が、生垣に止まった鳥が再び飛び立つ程の時間を経て、沈んだ調子で、

「分かった。そなたの言う通り、戦おう」

 と言った。




第1部 終幕

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