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神仙百鬼夜行  作者: 今川義郎
第1部
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1

今よりも遥か遠い昔、誰も知らぬ異界でのこと――。


ここは水無(みずなし)村。緑深い大山脈の懐に抱かれた寒村で、半ば忘れ去られた村人たちが細々と渡世をしている。とは言うものの、やはり物流とは絶えぬもので、山を越え谷を越えてきた行商人が外界の珍品をもたらすし、山岳修行者が憩いに来るし、一応の治世にも置かれている(最も、形だけのもので、実際には村の人々が自ら治めており、中央からの役人の介入は皆無と言っていい)。

 人口は100人程度。田畑を耕しそれを業としている。たまの楽しみといえば酒と漂白の民の一芸くらいのもので、人倫穏やかに、仙境にでもいるかのような気分を催すような所柄である。


 その日、村の女たちは山へ出ていた。週に数度、大人の女たちは山菜と薬草を取りに行くのだった。

 渺茫たる碧落に太陽が浮かんでいる。昼下がり、降り注ぐ日光が鬱蒼とした木々に落ち、光線のように歩く人々を透かす。熱気のこもった森林の中を、一行は歩いていた。

(つばめ)、足元に気をつけなさい」

「大丈夫だよ、お母さん」

 獣道を行く行列の最後尾に母娘がいる。子の方は女盛りといった感じで、背は高いが顔にはあどけなさを表すように、頬に赤みがかかっている。

 燕は今回、初めてこの行にお供していた。

 この村では女は16で成人と見なされる。昨日、誕生日を迎えたばかりで、成人と子供の半ばに立っているようなもの、母にくっつくように歩いているのも無理はない。が、彼女は勝気な性分で、

「私、もう大人なんだよ。そんなに心配しなくても良いから」

「そんなこと言ったって、初めてじゃない。浮かれるのもいいけど気をつけてね」

「だから分かってるってば……」

 燕は不満そうに言った。


 しばらく行くと、道は一層険しくなる。小砂利の散見されていたのが、今や、巨大な根が地を這う秘境の装いを呈し始めた。山の中腹、いよいよ霊山に抱かれたというのが実感されるようになる。

「流石に、ここまで来たことはないかな……」

 さっきまで元気だった燕も、初めての深山には疲弊していた。うら若い、初心(うぶ)な少女を阻む山の神秘……だが、それは他の大人にとっても同様であった。

「そろそろ休憩しましょう」

 先頭の、分別ありげな目をした女が言うと、一団は待ってましたとばかりにそこらの木に腰を下ろし始めた。


 さて、一休みして体力が戻るのは若いのが早く、燕もまた例外ではない。彼女は小半時も憩うたかと思えば、さっさと立ち上がり、大人たちに見つからないよう、コソコソと道を外れた。

「薬草採りなんかせずに、私は自然を見ていたい、自然と触れ合いたい」

 燕は、人の手の入らぬ自然にいる時、最も安らぎを得られるのであった。

 顔ほどもある葉や、古木に絡まる蔦を避けながら彼女は道無き道を進む。その間聞こえたのは、木々の囁きや雲雀の囀り、花の色香などのみ。人声無き、駘蕩たる春の空気である。

 斜面を下ってゆくと、細い河に出た。見たことの無い河だが、恐らく、村のそばを流れるあれの上流だろうと、彼女は徐ろに岸辺へ降り、口をつけた。冷たさが喉を通る。そうして腰を下ろし、流れに耳を澄ました。彼方よりの雀の声が聞こえる。目をつむれば、まるで自分の輪郭が溶け、自然と一体化したかのような気分になる。

「はぁ……戻らないと」

 そのまま、汚れた手足を洗い、彼女は引き返そうとした。

 と、その時、見えにくい草陰の隙間から、確かに人の顔が見えたのである。

 ギョッとして、彼女は隠れたが、しばらくしても物音一つ聞こえない。おそるおそる顔を出し、先の茂みへ目をやれば、確かに、男の横顔が見える。が、横たわって目を瞑ったままで、死んだように動かない。

「野垂れ死にだろうか?」

 とにかく、確かめずにはおかれない。男のそばへ行って、ジロジロ見てみれば、やはり意識は無い。

 縁起の悪いものを見たと、燕は再び引き返そうとしたが、その時、男がかすかに呻くのを聞いた。はて、と男の口元へ耳を近づけると、弱々しいが、呼吸音が聞こえる。

「生きている!」

 が、行き倒れの人間を担いでいけるかというと、それだけの体力は燕にはない。しかしみすみす、生きている人間を見捨てるわけにもいかない。汲々と考えた挙句、彼女は一度引き返した。


「それにしても、行き倒れなんてねぇ。お役人様でもなさそうだし、どうしてあんなところにいたんだか……」

 水無村の村長の家に、今、人だかりができている。見物人は皆、燕が引っ張ってきた異人を一目見ようと来ているのであった。

 結局、あの後燕は母に見たことを伝え助力を仰いだ。母も彼女の道草に怒っていたが、事情を聞くと顔色を変えて向かった。そうして、薬草採りは中止し、引き返して青年の手当に力を尽くした。

 青年は、生死の境をさまよった末、発見から三日後に意識を取り戻した。

「いやぁ、本当に恩に着ます……」

 彼は己を才蔵(さいぞう)と名乗った。旅芸人をしていたが、仲間とはぐれフラフラと諸国を遍歴するうち、力尽きて倒れたということである。

「いえいえ、これもワシらの役目でありますから、どうか旅のお方、気を休めていかれるよう……」

 才蔵と向かい合う村長は、髭に隠れた口を微笑ませた。それを見て、才蔵の方も青い目を細めた。

 この、青い目に惹かれ、村人らは彼を見に来ているという事情もある。

 水無村の人々は皆黒い目をしている。ゆえに、青い目の人間を見るというのはあるにしても、異国の修行者や山窩といった、およそ日常で関わることのない異形の人々のみであった。

 そんな青い目の異邦人が、今、村長と対座し、所在なさげに寂しい顔を浮かべている。珍しくないわけがない。

「ところで、そなた、お仲間とははぐれてしまったのかの?」

「なんの、なんの」

 才蔵は決まり悪そうに、

「私には仲間と呼べる者はいません。かつて、諸国を歩いた友もおりましたが……旅に病みそれきりで。この度も、たまたま道中を共にした旅芸人の一座がおりましたが、仲違いして顔を背け、彼らと反対の道を行っている最中に足を滑らしたので。……全身を強く打って、一度目が覚めると右脚の骨が折れていて、辺りには河こそあれ人の訪れる気配はない。まさに深山幽谷に呑まれたという経緯(いきさつ)でした」

「それは、災難じゃったな……」

 しかし、彼の涼しい横顔はさほど曇らず、

「いえ、これもまた宿命。絶えなば絶えねというわけで、黙念と死を待ち望んでいたのですが、そこを拾われ危うく露命を繋いだというわけで。確か、燕、と言いましたか。あの娘さんには感謝してもしきれない」

「燕は利口な娘でしてな。しかし、利口が過ぎて大人の目から度々逃れるきらいもある。それに手を焼いていたのですが、今回ばかりは、その性が幸いしました。村のはずれで母と二人で暮らしております。後で、行かれてみてはどうですかな」

「父親は?」

「先の大乱で討ち死に」

 聞かねば良かった――忽ち、青年の顔は曇った。彼自身、天雄(てんゆう)の乱には苦い記憶を持っていたのである。

「それでは、傷が癒えたら行ってみましょう。しかし、本当にここにご厄介になってもよろしいのですか?」

「ええ、是非とも。辺鄙な村ですが、暖かい人々ばかりですぞ」

「忝ない」

 才蔵は深々と頭を下げた。

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