第八話
夜が深まり、皆が寝静まった時間帯、一向に眠りにつけなかった俺は宿舎の裏手の訓練場の端で一人星空を見上げていた。
どこの世界も空に浮かぶ星々の光は変わらない。
例え、それが見知らぬ星座でも、魅入られるほどに美しいことには変わりなかった。
「はぁ……」
美奈からもらったポーション箱を眺めながらため息を零す。
女神の理不尽な神託に翻弄され、戦うことを強いられた友人たちと、彼らを助けるために努力する友人たち。
彼らにはできることが沢山あるのだろう。
だけど、対毒というスキルを持つ俺は、たった一人では何もできない。
美奈は頼ってくれるが、本当は分かっているんだ。
美奈があれほど効果の大きすぎるポーションを作る必要なんてないことを。なんでもこなせるあいつなら、最初から誰でも飲めるポーションを片手まで作れる。
それをしないのは、まあ、単純にそれがあいつにとってつまらないからだろう。
いつだって、あいつはそうだった。
一番が自分が楽しむことで、それ以外は二の次になる。
「……駄目だな。こんなこと考えてるようじゃ」
「どうしたの? そんな顔して?」
「……っ!」
すぐ隣から誰かに突然話しかけられる。
飛び上がりそうなほどに驚いた俺が、すぐ隣を見れば、肩が触れるほど近くにこの世に存在しているとは思えないほどの金髪の美少女が最初からそこにいたように座っていた。
月明かりに映える赤黒いドレスを纏った少女に、潜在的な恐怖を抱きながら、なんとか声を絞り出す。
「……誰だ?」
「……ふぅん、思った通り、普通とは違うんだ」
俺の言葉を無視して、にっこりと笑みを浮かべる少女。
「私? そうねぇ、アイラって名前はどう?」
「いや、どうって俺に聞かれても……」
膝を抱えるように座り、首を傾げた少女に毒気を抜かれ、構えかけた『フィジカルブーストX1』を懐へ戻す。
「名前なんて、どうでもいいでしょ? イズミ・ダイキ」
「……もしかして、城に勤めてる人か?」
「あー、うん。そうね」
俺の名前を知っているということは、城の人に限られる。
なにせ、それほど城下町にはいかないので知り合いはいないからだ。
だけど、どうしてこんな時間にここにいるんだ?
「この世界にきて、どんな感じ?」
「……そりゃあ、大変だよ。いきなり見知らない世界に連れてこられたんだ。いきなり、スキルなんて解析されて、しかもダンジョンを踏破しろだなんて言われて混乱しないわけがない」
アイラの質問に答えると、彼女は「ふーん」とつまらなそうに返事をした。
まるで、月並みな俺の言葉に呆れているようだ。
「でも貴方、対毒スキルじゃない。とてもダンジョンへ行くようには思えないけれど?」
「行くのは俺じゃない。友達だよ」
対毒スキルのことを指摘され、地味に傷つきながら、ダンジョンへ行かなくてはならない4人の顔を思い浮かべる。
皆、何かしらの特技を持っているけど、元は俺と変わらない普通の高校生だったんだ。
歯がゆい気持ちに憤っていると、アイラが俺の手元にあるポーション箱を手に取った。
「なにこれ?」
「ポーションだよ」
「へぇ、どれどれ。まっする・ぐれーと? 聞いたことないわね、ちょっと開けて――」
「っ! よせ!」
「きゃ!?」
そう言って箱から取り出した『マッスルグレートΣ1』と日本語で記されたボトルの口を開けようとするアイラの手から、ボトルを奪い取る。
突然のことに唖然としていたアイラだが、すぐに顔を真っ赤にして怒り出した。
「いきなり何するの!? 驚いたじゃない!」
「もし、君にこの液体がかかったら……筋骨隆々のマッスル美少女になるけど、それでもいいのか?」
「なにそれ!? え、嘘、そこまで危ないものだったの……? さ、流石にこの体を借りてるときにそんなことにはなりたくないし……」
俺の手の中のボトルを見て、あわあわと震えるアイラ。
マッスルグレートX1の効力は絶大だ。レッドゾーンの毒素を誇る上に、使用者の肉体をビルドアップさせる効能を持っている。
しかも細マッチョではなない、ゴリマッチョだ。
初めて使った時は、衝撃のあまり椎名さんが失神した。
「ちょっと待って、それじゃあこの箱に入っているのって……」
「ほとんど普通の人が口にしちゃいけないものだよ。一口飲んだら昇天する」
「……返す」
「はい、ありがとう」
これ以上なく顔を青ざめさせたアイラに、箱を返される。
「ま、毎日こんなものを飲まされてるの?」
「ん? ああ」
「……た、対毒スキルで、そこまで酷い目にあうなんて……」
後半はボソボソと聞き取れなかったが、どうやら同情されているようだ。
自分では納得しているが、こう何度も他の人に同情されると泣きそうになってくるな。
「コホン、話は変わるけれど……貴方は、自分たちがこの世界に呼ばれた理由を知ってる?」
「ダンジョンを踏破するためじゃないのか?」
突然の問いかけにそう答えると、アイラはどこか意地の悪い笑みを浮かべる。
「本当にそう思う?」
「……どういうことだ」
「どうしてダンジョンなんだって考えなかった? そのダンジョンはどこからきたものか考えなかった?」
そう答えるアイラに違和感を抱く。
なんだ、この漠然とした嫌な予感は。
なんだかここにいてはいけない気がする。
心の奥底から湧いてくる恐れが分からないまま、アイラは続けて言葉を紡ぐ。
「ダンジョンは古代の神々が与えた振るい。本来の役割を英雄を作り出すためのもの。でも、今の人間たちは、挑むことを忘れて、ダンジョンを食い物にしている」
「なに、を」
「それってずるくない?」
見ぼれそうな笑顔のまま、驚くほど冷え切った声でそう言葉にしたアイラに、ようやく恐怖を自覚する。
怖い。
見た目は可憐な少女なのに、その内にあるのは全く得体のしれない何かだ。
「今までずっと人間たちに豊作を約束し、暮らしを与えてきた。それなのに、今や祈りも感謝も忘れて、ダンジョンという英雄の試練の場を我が物顔で歩き回っている。ねぇ、イズミ、ひな鳥のように餌を待つだけの人間に、どうしてそこまでしなくてはならないの?」
「お前!!」
「『動くな』」
ポーション箱に伸ばした手が、アイラ、否、女神アイラスの言葉と同時に止まる。
目線だけ手に見やれば、金色のリボンのようなものが俺の全身を縛り付けていた。
「お前は、女神……!」
「貴方の対毒スキルって不思議よね。誰もが心奪われる神の魅力さえも『毒』として扱うのだから」
くすくすと口元を押さえ微笑むアイラに、鳥肌が立つ。
気づける要素はいくらでもあったはずだった。
偶然女神と似通った名前。
いきなり現れた不審な少女にこうもあっさりと口が動いてしまったこと。
そして、この世界の文字ではない日本語が書いてあるポーションのラベルを難なく読んでみせたこと。
目の前の女神は、上機嫌な様子で俺の手の中にある三つのボトルを奪う。
「マッスルグレートにフィジカルブースト、そしてオーバードライブダブルX、ね? ……参考程度に聞かせてほしいのだけど、これを飲んだらどうなるの?」
「……筋骨隆々になって、体力が増加して、体から煙が出る」
「……うわぁ」
どうしよう、女神にドン引きされてしまった。
俺もどうなるかは分からないが、きっとポーション二つの時点で大変なことが起こるのは間違いないだろう。
「どうして、女神が俺の前に姿を現した……!」
「それは確かめたかったことがあったから」
動けない俺の頭を両手で包み込むように掴んだ女神は、無理やり目を合わせる。
吸い込まれそうな虹彩の奥には、多くの意志が蠢いているように見える。
美しいがそれ以上におぞましいと思える瞳だった。
数秒ほど鼻と鼻が触れ合うほどの距離で女神と視線を交わしていると、俺の体に異変が起こる。
「……ッ、が、ぁ……!」
体が熱い、なにかが暴走しようとしている。
動けないまま、自身の体に視線を向ければ、見える肌の色が真っ黒に染まっていた。
右手の甲を見れば、中毒度が『KあMぃG6S』と表示が見事にバグっていた。
「そういうことね」
内から漏れ出す力に必死に抗っていると、女神が俺の肩に手を置く。
すると力を吸い取られたかのように体からなにかが抜け、肌の色も元に戻る。
「はぁーッ! はぁーッ!」
「普通なら神の力を直視して目が潰れてもおかしくないんだけど。他の神を見せたら、どうなるかしら」
「ざっけんなよ、お前……!」
訳分からん力で暴走させた上に、ナチュラルに俺の目を潰しにきた!?
しかも、視線を合わせるだけで中毒度がバグるくらいにやべぇ毒素食らうとか。もしかして肌が真っ黒になったのは中毒度の限界を超えた副作用なのか?
なにそれ恐ろしすぎる。
「流石、あんな個性の強い人間たちに馴染める唯一の常人なだけある。いえ、むしろそういう面で貴方が一番異常なのかもしれない」
「……なんだと?」
言うにも欠いて、俺が美奈や優利たち以上に普通じゃないだとぉ!?
女神にだって言って良いことと悪いことがあるんだぞ、この野郎。
「訂正しろぉ! あのメンツの中じゃ俺はノーマルだぁ!」
「怒るところそこ!? もっとこう、目を潰されかけたとかで怒っていいんじゃないの?」
「そんなことはどうでもいい! 訂正しろぉ! 今すぐにだぁ!」
「な、なにも泣かなくても……ええと、ごめんなさい……」
無意識にこみ上げる涙に構わず、怒鳴りつけると女神は素直に謝ってくれた。
すぐにハッとした表情を浮かべた女神は、プンスカと怒り出す。
「あー、もう、調子が狂う! ……でも、そういう点を含めて逸材ね。この先が楽しみになってきちゃう」
「ちょっと待て、聞きたいことが――」
「今日はここまで、これ以上はこの『体』がかわいそうだから」
そう言って、指を動かした女神は俺を拘束しているリボンを動か、さらに拘束を強める。
そして、意地の悪い笑みを浮かべ続けて言葉を紡ぐ。
「『今宵の出来事を第三者に明かすことを禁ずる』」
「っ」
「『今、眠りの時を迎え、太陽の輝きと共に覚醒する』」
二度、交差された黄金色のリボンが胸に叩きつけられ、体に溶けるように消失する。
それにより、前触れもなく強烈な睡魔に襲われる。
薄れゆく視界の中、最後に見たのは美奈と同じような『新しい玩具』を見つけたような喜色の表情を浮かべた女神の姿だった。