第二十六話
女神アイラスからアイラの話を聞いてから三日。
俺は色々と準備を進めながらもいつもの日常に戻りつつあった。
「お、俺の腕がぁぁぁ!?」
「イズミ君の腕だけ真っ黒になってる!?」
椎名さんと談笑しながら研究室に入った俺に、とことこと駆け寄ってきた美奈が「手、貸して」と声をかけたことが、そもそもの始まりだった。
俺が素直に手を差し出した瞬間、あろうことかこのマッドサイエンティストはマッスルグレートΣ3を俺の腕に振りかけやがったのだ。
一瞬のうちに手から肩までの筋肉が強化され、おまけに真っ黒に染まってしまった。
突然の変貌に慌てる俺と椎名さんを他所に美奈はふむふむと頷きながら、ノートに筆を走らさせている。
「おお、マッスルグレートΣ3を腕にだけかけるとこうなるのかー。イズミ君、中毒度はどうなってる?」
「美奈、お前……! これがカッコよくなければ、今頃お前の頭をスイカのように砕いていたところだぞ……!」
「かっこよければいいんだ……」
戸惑うように呟いた椎名さんと、からからと笑っている美奈。
いや、男子はいつだってロマンというものが大好きだ。
全身が変身するのはロマンがある。だけど、だけどもだ、その上で部分的に変身できればもっとかっこいい……!
試しに黒く染まった右拳を動かしてみると、腕だけがマッスルグレートを飲んだ時みたいに力強く動いてくれる。
最初は驚いたが、冷静に見るとかなりいいのではないか?
「イズミくーん、中毒度ぉ」
「分かったって。中毒度は……うん?」
中毒度の表示される手の甲を見て、首を傾げる。
なにせいつもは数字しか表示されないのに、今に限っては人型の表示(?)のようなものが浮き出ているのだ。
表示の右腕は黒く染まっており、その部分から『114』というふきだしが伸びていた。
そして心臓にあたる部分にはやや大きなふきだしで『31』と記されていた。
「もしかして、部位別にも中毒度を表示できるのか? 効果が集中している腕の中毒度が114で、全体的な中毒度が32って感じで」
「へぇ、結構対応してくれるんだね」
他にも色々と試せば、見れる情報も増えていくのかな?
とにかく新発見もできて万々歳だな。
「他にも試してみようよ! 今度はオーバードライブダブルXで! 多分すっげぇことになるよ!」
「いや、流石にそれは嫌だよ」
「美奈ちゃん。あまりイズミ君に無理をさせないほうが……」
ほら、椎名さんもそう言っているし。
さすがに腕から煙を噴き出しながら、猛烈な熱さに耐えるとか無理だから。
やんわりと断ろうとする俺に、美奈は
「いいの? もっとかっこよくなるかもしれないのに」
……。
「……じょ、上等じゃねぇか! 美奈、ありったけのポーションを出せい!」
「あいよっ!」
「前から思ってたけどイズミ君はその場のノリと勢いに流されすぎだよぉ!」
ロマンには勝てなかった俺を椎名さんが止めてくる。
「止めるな椎名さん! 男には、時として引けない時があるんだ!」
「それが今じゃないことは私にも分かるよ!?」
「持ってきたよー!」
「よっしゃぁ!」
「ああっ!?」
勢いのままオーバードライブダブルXを黒色へと染まった腕に振りかける。
その瞬間、研究室の扉が開かれる。
そちらに視線を向けると、訪れてきたのはクラスのまとめ役の二人、明石さんと竜宮君であった。
「イズミ君いる? 貴方にお客さんが来てるけど」
「なんだか全身黒づくめで怪しい人なんだけど、ここにいれて大丈……」
俺の姿に気付いた二人の視線が、右腕に集中する。
現在、俺の右腕は真っ黒に染まり、さらに肘から先から強烈な熱と蒸気のようなものを発している、控えめに言ってやばいことになっていた。
「「お前(貴方)が大丈夫!?」」
仰る通りです。
その後、二人に散々注意された後、研究室内での中毒度の高いポーションの同時使用は禁止となりました。
●
ちょっとした騒ぎが起こしてしまった後、俺の住んでいる宿舎へ訪れてくれた黒い外套を全身に纏った少女、アイラを今は誰もいない食堂へと案内した。
落ち着きなく座っている彼女に飲み物を差し出しながら、俺は話をするべく彼女の対面の椅子に座る。
「イズミ君、この怪しい人誰?」
「なぜ貴様がいる。美奈」
なんの疑問もなく俺の隣に座っている美奈に、視線を向けずに声をかける。
あれ? おかしいな、クラスメートには「込み入った話をするから、二人だけで話をさせてくれ」って言ったんだけどなぁ? こいつには聞こえてなかったのかな?
そう訊くと、美奈は満面の笑顔で答える。
「寝てた!」
「そうか、それならしょうがないよな」
もう美奈がいても構わねぇ。
半ば投げやりになりながら、目の前に座っているアイラへと意識を向ける。
「こいつのことは気にしなくてもいい。それで、話してくれないか? どうしてダンジョンへ行きたかったのかを」
「……はい」
本当は女神アイラスから聞いているが、まずはこの子の口から聞かなきゃ信じられない。
緊張した様子で、フードの奥から青色の瞳で真っすぐと俺と視線を合わせた彼女は、意を決したように口を開いた。
「私、ずっとお爺ちゃんとお婆ちゃんと一緒に暮らして——」
「ねぇ。君、名前は?」
「え、アイラ……です」
「美奈、今話をしているの俺だからちょっと黙ってようねぇ?」
右手にアイアンクローを作りながら、左手にマッスルグレートΣ3のボトルを持って、笑顔と共に美奈に注意すると、珍しく顔を青くさせこくこくと頷いてくれる。
分かってくれてよかったよ。
「続けていいよ」
「? はい。えと、捨て子だった私がお爺ちゃんとお婆ちゃんに拾われて十五年間。二人以外の誰ともかかわらずに生きてきました。でも優しかった二人がいるなら、それでも構わないって思っていたんです」
声を震わせたアイラはそのまま俯いてしまう。
「……家の近くに雷が落ちてきたんです。それで山火事になって、家にいた二人も……」
「……君は無事だったのか?」
「私も家にいたんです。だけど、炎が私を巻き込む寸前に雨が降ってきて……生き残ってしまったんです」
運よく……ではないよな。
女神の力で避けられたと考えてもいいだろう。
しかし、命は助かったけれど、その心境は俺には想像もできないほどの悲しみに満ちていたはずだ。
「その後、一人で生きなければならなくなった私は……ダンジョンがあると噂のグランゼリア王国にやってきたんです」
少し話が飛んだ気がするが、さすがに育ての親である人たちの死について話すのはつらいのだろう。
そう察した俺は、次の話にへと耳を傾ける。
「ダンジョンでお金を稼ぐのは割と簡単でした。偶然とってきた植物が希少なものだったり、転んで頭を打って気絶してるモンスターの素材を取ったりとか……あ、ダンジョン内の罠って壊れているやつが多いので、それを持って帰って換金したりもしました」
「イズミ君、この子と組もう。私達、この国でビックになれるよ……!」
小声でそう囁いてくる美奈に軽いチョップを入れながら、彼女の話を考察する。
無条件にモンスターを惹きつけるわけではないのか? それどころか彼女の幸運めいた力があるように感じる。
「だけど、お金はあっても私には知り合いと呼べる人がいませんでした」
そう自分で呟いて、どんよりと落ち込む。
こ、これは重症だな。
「私、フードの下ががこんなだから避けられたり、すごく目立ったりするから……誰とも知り合いになれなくて、何度かは一緒にダンジョンへ行ってくれる人もいたんですよ! でも、気づいたらその人たちもいなくなって……次に会ったときは私を見て逃げてしまって結局……一人になってしまうんです」
フードの中を指さしながら自嘲気味に話した彼女は、再び顔を上げた。
「だから私、友達が欲しいんです……」
「いや、それなら俺達がなっても———」
「違います!」
突然、大きな声を出して立ち上がったアイラに驚く。
ど、どうしたんだ? そこまで気の触るようなことを言ったか!?
「私は……軽い言葉だけでの友達なんてものじゃなく、苦楽を共にし、背中を預けれる……そ、そう! 戦友が欲しいんです!」
「……え?」
お、思ったより熱血な方の友達だった……!?
あの女神、何が友達が欲しい、だよ! これ同じ言葉だけで全然違うじゃねぇーか!
これって戦友と書いて戦友って呼ぶやつだぞ!
ど、どどどどどうしよう! この三日間考えた「アイラ友達作ろう計画」の大部分が頓挫してしまったぞ!?
予想外の発言に戸惑いを見せる俺に、今更ながらに恥ずかしくなってしまったアイラに、呑気に欠伸をしている美奈。
しかし、次の瞬間、食堂の扉がかつてない勢いで開かれたことで、俺達の視線はそちらへ向かう。
「話は聞かせてもらったわ!」
ババーン! と扉が開かれ、聞き耳を立てていたクラスメートが地面へ倒れるように雪崩れ込む。
昔のアニメのワンシーンのような状況を作り出した明石さんは、瞳の端に涙を浮かべながら、状況を飲み込めないアイラの肩に優しく手を置いた。
当のアイラは大パニックだ。
「よく、頑張ったわね……ここまで辛いみ道のりだったでしょうに……」
「あえ、えぇ!? 誰!?」
「私達はイズミ君の友達よ。ごめんなさい、貴女の話を盗み聞きしてしまって」
「そ、それはいいんですけど……」
扉の方を見れば、コントの如く「お前がどけ!」「重い!」などというやり取りをしているが、目の前の彼女はそれが気にならないのだろうか。
「イズミ君」
「は、はい!」
凛とした声に思わす敬語で返事をしてしまう。
腕を組んだ彼女は、自信満々といった表情でこちらへ口を開いた。
「安心しなさい。戦友ってのはね、戦いの中だけで生まれるものじゃないってことを、この炎の女子高生、明石灯が教えてあげるわ……!」
「……あ、姉御ぉ!」
持つべきものは尊敬できる姉貴肌。
今日、俺は頼れすぎる明石さんを見て、そう思い知るのだった。