メーデー
どうしてそうなんだろう、私は小声で独り言つ。誰にも聞かれてしまわないように。夕方六時を過ぎた雑踏が、私の不安とともに声を掻き消す。果たして本当に声を発したのだろうか。それさえもわからない。ごった返す駅のホームが、私の足元をぐらつかせるようで。ああ、咳がしたい。
どうしてそうなんだろう。どうしてあなたはそうやって歩くことしかできないの? そんな華奢なリュックを背負って? 真っ黒のスニーカーを履いて? 縮んだTシャツを纏って? 黒ぶちの眼鏡を掛けて?
行き詰まった人の列に潜り込み、肩がぶつかる。肩がぶつかる。鞄がぶつかる。前を歩くおじさんのアキレス腱の辺りを、思いっきり踏みつけてやりたくなる。そしたら手羽先を折るみたいな鈍い音がして、おじさんは崩れ落ちる。アハハッ。それで、私は、ひどく後悔する。懺悔する。いつまでも。
電車がホームに入ってくる。私はまだぞろぞろと歩かされている。電車のドアが開くと、割ったタマゴのように人が、人が流れ出す。ホームは虫で一杯になる。一瞬だけ、電車が空っぽになる。ああ、咳がしたい。噦いてしまうくらいに。突然私の列が止まる。私はおじさんにぶつかる。嫌な臭いがかすめる。やっぱ噦いた方がいいよ、みんな。
おじさんがバッとこちらを振り返る。汗ばんだ変な顔。私は小声でごめんなさいと言う。声に出ていたかは知らない。おじさんはまだこっちを見ている。周りのみんなは電車に乗り込み始める。追いていかないでよ。私はおじさんから眼を逸らす。すると、おじさんがなんか言った。
「どうして、無視するんだよ」
私には聞こえなかった。