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2.風変わりな求婚者

「いい子にするから、だから私を売らないで!」


 扉が開いたままの応接室に入ったクラリッサを待ち受けていたのは、大粒の涙を零している末妹と、途方に暮れた様子で立ち尽くしている青年だった。


「だから、違うって言ってるだろ!」


 自分に飛びつき、泣きながら訴えてくる妹を見て、クラリッサは目つきを鋭くした。

 彼女の咎めるような視線を受け、青年は慌てて首を振る。


「どういうことなの? 落ち着いて、リリー。そんな大きな声を出すものじゃないわ」

「この方、人買いかも。でもお願い。私、ここにいたい!」

「馬鹿なことを言わないで。また図書室で変な本を見つけて読んだのね」


 クラリッサは何とか妹を宥め、絶対に契約書にはサインしないと約束し、部屋の外へ追いやった。

 静かになった部屋で改めて客人に応対しようと向き直った瞬間、テーブルの上に放置されていたお茶が目に入り、彼女は目を擦りたくなった。

 緑色をした飲み物。あれは一体何だろう。

 東方のお茶の色が緑だと聞いたことはあるが、うちに輸入品を購入するだけのゆとりはない。

 

 クラリッサはさりげなくトレイを横にずらし、リュシアンの前に腰を下ろした。


「妹が失礼いたしました。私がクラリッサ・オルティスです」

「どーも」


 リリーの相手ですっかり気を削がれたのか、リュシアンはどさりとソファーに腰掛け、軽く頭を下げた。

 まさかとは思うが、今のが挨拶なのだろうか。

 クラリッサは礼儀正しく背筋を伸ばしたまま、次の言葉を待ったが、リュシアンはただじろじろと見つめ返してくるだけだ。


「……それで、お話というのは?」


 しびれを切らしたクラリッサが尋ねると、リュシアンはようやく口を開いた。


「君が死にかけの親父さんを抱えて、金に困ってるって聞いた」

「リューブラントのおじ様が、そんな風に?」


 衝撃を受けたクラリッサがか細い声で問い返すと、彼は違う、というように手を振った。


「いや、もっと持って回った言い方してたよ。俺が要約しただけ。曖昧なのは苦手でね」

「そう、ですか」


 どうやら悪気はないらしい。

 そして、詳しい説明をする気もないらしい。


「仰る通りですわ」

「で? これから、どうするつもり? 使用人は全員切ったみたいだけど、それで浮く費用くらいじゃこの状況は変えられないだろ」

「……何故そのようなことを、初対面の貴方に言わなくてはなりませんの?」


 クラリッサは控えめな微笑みを崩さず、首をかしげた。


「おじ様からの言伝があるのかと思ったのですが、どうやら違うようですね。私に話せることはございません。どうぞ、お引き取りくださいませ」

「ちょ、待てって! くそ、このやり方じゃ駄目なのか」


 クラリッサは立ち上がりかけたが、耳を疑うような汚い言葉に固まってしまった。

 その隙を逃さず、リュシアンはクラリッサの腕をつかみ、半ば無理やり座り直させる。その不躾な振る舞いにも、彼女は心底驚いた。


「見ての通り、俺は貴族じゃない。先祖が土地持ちで、そっから代々のし上がってきた成金だ。金は持ってるが、礼儀作法とかそういうのには縁がない。大目にみてくれ」

「……そうですわね、リュシアン様。縁がある者同士でお付き合いすればいいことですもの」


 何とか平常心を取り戻したクラリッサが答える。

 彼女が遠まわしに込めた皮肉に気づき、リュシアンは好戦的な眼差しに変わった。


「そうやってお高くとまってきたから、今、落ちぶれてるんだろ?」


 ぐっと言葉につまったクラリッサを見て、彼は気まずげに目を伏せ、口元に拳を当てた。


「っと、言い過ぎた。悪い。いつもはもう少しマシに振る舞えるんだが、どうにも落ち着かなくて」

「落ち着かない?」

「世が世なら、君はお姫様だろ。さっきから舐められないようにって必死だよ、こっちは」


 リシュアンの言葉に嘘はないように思えた。

 傍若無人な男のように見えたが、実は緊張していると打ち明けられ、クラリッサは心の一部が緩むのを感じた。

 弱みをそのまま曝け出すなんて真似、貴族ならば絶対にしない。商人でも同じかと思ったが、どうやら目の前の男は違うらしい。

 

 世が世なら、とリュシアンは言った。

 その夢を捨てきれなかった祖父と父のようには、なりたくない。大それたことを望んだりしない。ただ二人の妹が、きちんとお腹を満たし、明日の心配をせずに一日を終えてくれたらいい。ただそれだけだ。


「姫様じゃなくていい」

「……は?」


 弱音が声となり自分の鼓膜を打つ。クラリッサは目を瞬かせた。

 会ったばかりの男の前で、いったい何を言おうとしていたのだろう。

 クラリッサはすぐさま気を引き締め、固い表情で柔らかな心を覆った。


「いえ。それでリュシアン様はどのようなお心積もりでいらしたのです? リューブラントのおじ様にオルティス家の悲惨な現状を聞き、見物にでも?」

「泣くかと思った。強いな、君は」


 いっそ感心した口ぶりで呟いたリュシアンは、気を取り直すように両手を前で組んだ。


「俺は今日、君に取引を持ちかけに来た」

「取引……」


 挑戦的な光を帯びた美しい瞳に射竦められ、クラリッサはわずかに身を引いた。


「俺は君の家に届く沢山の招待状が欲しい。貴族同士の会に乗り込み、顔を繋いで商談の場を広げたい。その見返りとして、君は俺の持っている金を使って、借金を返す。贅沢が出来るとは思うなよ? 余分な金は、一メルデだって渡さない」

「……お待ちになって。仰ってる意味が分かりませんわ」


 平民である彼は、もっと大きな商いを行う為に貴族との繋がりを求めているようだ。

 そこまでは分かる。

 今は公爵でさえ、工場経営に乗り出す時代だ。有力な商人と手を組み、資産を運用しているらしいとも聞く。貴族の中にはリュシアンの話に興味を持つも者もいるだろう。

 だが、没落貴族の口添えなど役に立つだろうか。

 それこそ、リューブラント伯爵に紹介して貰う方がよほど彼の仕事に役立つ気がする。


 貴族流の『持って回った言い方』とやらでクラリッサがそう言うと、リュシアンは今度は顔をしかめた。

 とにかく表情の豊かな男だ。

 クラリッサはつい、彼の顔に見入ってしまった。

 

 父は感情を表に出すのはみっともない、とよく言っていた。

 その言葉通り、彼はいつも冷静沈着だった。

 父が感情をあらわにしたのは、風邪をこじらせた母があっけなく逝ってしまった時だけだ。母を恋しがる娘たちを遠ざけ、亡骸が横たわる寝台に縋りつき、父は大声で泣いた。

 扉の隙間からその様子を覗き見たクラリッサは、唇を噛んだ。

 そこまで妻を惜しむのならば、何故オルティス家の財産を守ろうと動かなかったのか。何故全てを、両手からこぼれる砂のように黙って見送ってきたのか。

 母が死んだのは、心労のせいも過分にあるとクラリッサは思っている。母は気丈に振舞っていたが、没落を止められない現状に常に心を痛めていた。

 父は一晩中泣いたあと、何食わぬ顔で葬儀の喪主をつとめたが、あの日、彼の心は母と共に死んだのだろう。

 母がいなくなってどれくらいも経たないうちに、父は倒れ、当主としての責任を手放した。


「リューブラント伯とはすでに幾つか提携してるよ。彼は新しいもの好きで、俺みたいな平民相手でも面白そうな話ならすぐに聞いてくれる。でもそんな貴族ばかりじゃないのは、分かるだろ? 今、ここらへんに鉄道が通る話が持ち上がってて、俺はどうしてもその計画に一枚噛みたいんだ。うちの船のある港のところまで、線路を引いて貰いたい。もちろん、そう思ってるのはうちだけじゃない。競争は激しい。しかも鉄道会社の社長は、デュノア公爵だ。俺なんかが滅多に近づける相手じゃないけど、まず彼にうちを知って貰わなきゃ話にならないんだよ。その為の肩書きが欲しい」


 そこまで話し、リュシアンは首に手をやった。喉が乾いたのだろう。クラリッサはトレイを横目で見たが、気づかぬ振りをした。得体の知れない飲み物を勧めるわけにはいかない。

 それより気になることがある。クラリッサは口を開いた。


「今のお話の中で、リュシアン様は『俺みたいな』という言葉を二度もお使いになりましたわ。ご自分で気づいていらして?」

「そうだっけか?」


 訝しげに眉をあげ、リュシアンはうーんと考え込んでいる。


「無意識ですのね。礼儀としてのへりくだりと卑屈は、似て非なるものです。リュシアン様はまだお若くいらっしゃるのに、すでにご自身の会社を持ち、立派に経営なさっているのでしょう? 誰にでも出来ることではありません。もっと胸を張っていいと思うのです」


 リュシアンのスーツは上物だ。時計も。磨かれた革靴も。しかも見るからに健康そうで、生気に溢れている。

 常に空腹と不安を抱えているクラリッサにとって、彼の口癖は非常に耳障りだった。

 思わず注意してしまったが、言い終わった後で自分が恥ずかしくなった。初対面の、しかも年上の男性にきいていい口ではない。

 心のどこかで平民だからと侮っていたのだろうか。

 そんな人間にはなりたくないとあれほど念じていても、祖父から連なる呪縛に自分もまた囚われているのかと思うと、目の前が暗くなった。

 

「……申し訳ありません。生意気なことを申しました。どうかお忘れになって」

「いや、忠告ありがとう。礼儀と卑屈は違う、ね。なるほど」


 リュシアンはしきりに頷いている。

 

「そういうのも色々教えて貰えると有難いな。口の利き方には全く自信がないし、俺がこんな風だから……ほんとだ、言ってるな。えーと、とにかく貴族相手の商談はたいてい上手くいかないんだ。それを君に助けて貰ったらどうかってことなんだと思う。そうか、なるほどなぁ」

「はぁ」


 リュシアンは一人納得しているようだが、クラリッサには事態がさっぱり飲み込めない。


「曖昧な言い方は止めるというご提案に、今だけ賛成させて下さいませ。確かになかなか話が進みませんわ」

「だろ?」


 賛同者を得て嬉しいのか、リュシアンは相好を崩した。

 笑うと甘い顔立ちがますます優しげになる。

 思わずつられて笑いそうになり、クラリッサは自分の手の甲に爪を立て堪えた。


「要約しますと、私はどうすればいいんですの?」

「俺と結婚すればいい」


 クラリッサは目を閉じた。

 これは夢だ、夢に違いない。

 白昼夢を見るほど、疲れているのだ、休まなければ。


 心の中で十数え、彼女は再び目を開いた。

 リュシアンが首を伸ばし、そうっとトレイを覗き込んでいるのが見える。

 飲んで倒れてしまえばいい。

 クラリッサは無言で見守ったが、彼は色を確認しただけのようだった。


「これ、東方のお茶? こんなの買ってる余裕あるの?」

「あるわけないでしょう!」


 とうとうクラリッサは我慢しきれず叫んだ。

 


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