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12.叶った願い事

「おかえりなさいませ」


 少し離れたところに立ったままのリュシアンに、クラリッサは声をかけた。

 途端に、くしゃりと彼の顔が歪む。今にも泣き出しそうな顔で、リュシアンはクラリッサに近づいてきた。


「……もういいのか?」

「ええ、熱はすっかり下がりました。でも今日一日は念の為ベッドにいるようにと、妹たちに言われてしまいました」

「そっか」


 リュシアンはベッド脇に突っ立ったまま、動こうとしない。

 クラリッサはどうしたものか、と思案した。

 痛みをこらえるような表情をみれば、彼がどれほど自分を責めているか分かる。

 クラリッサは手を伸ばし、リュシアンの手を握った。


「どうぞこちらにおかけになって。見上げていると、首が辛くて」

「ああ、だよな。ごめん」


 弾かれたようにリュシアンはベッドの端に腰掛ける。それから、何とか話を切り出そうと努力した。


「昨日、弟がいるって言ったよな。えっと、名前はジェラルドだ。双子で、でもガキの頃からものすごく仲が悪くて、それで」


 苦しげに言葉を紡ごうとするリュシアンの口を、クラリッサはそっと押さえた。


「無理はなさらないで。実の弟から謗られる痛みは、私にも想像出来ます。リュシアン様だって、ご両親を亡くしたばかりでしたのにね」

「どうして……アレックスか」

「ええ、お昼間、様子を見に来て下さって。自分からはなかなか言いにくいだろうからって」


 余計な気を回しやがって、といつものリュシアンなら思っただろうが、今回ばかりは助かった。

 全て打ち明けるつもりだったのに、実際に話し始めると当時の気持ちが蘇ってきてしまい、上手く口が回らなかった。リュシアンはほろ苦く笑った。


「情けないだろ。もう十年も前の話なんだぜ?」

「いいえ。一度受けた心の傷は、薄れはしても完全には消えないものです」


 クラリッサは労わりに満ちた眼差しでリュシアンを包んだ。


「それでも、君には打ち明けておくべきだった」

「……私には言い辛かったのだということも理解できます」

「ごめん。家族想いの君には分かって貰えないと思った。軽蔑されたら立ち直れないって怖かった。俺が臆病だったせいで、君を苦しめた」


 リュシアンは座ったまま、深々と頭を下げた。


「本当にすまない」

「いいえ! 私もきちんと確認すれば良かったのです。すっかり気が動転してしまって……恥ずかしい」


 クラリッサは昨日の醜態を思いだし、いたたまれなくなった。

 嫉妬に狂い、子供のように喚いて暴れてしまった。傍から見れば、どれほどみっともなかったことだろう。

 あの情熱的なキスについてはあまり考えたくない。頬が火照ってしまうから。

 クラリッサはリュシアンに懇願した。


「忘れて下さると嬉しいわ。私も忘れます。もうこの話はおしまいにして下さい」

「君は優しすぎる。それで、よく世間を渡ってこれたな」


 リュシアンは呆れたように眉を寄せる。

 いつもの彼らしい憎まれ口に、クラリッサは微笑まずにはいられなかった。


「――そこで笑うとか反則だろ」


 リュシアンもようやく肩から力を抜き、ベッドに片手をついて身を乗り出した。

 近づいてくる甘い瞳に、クラリッサは睫毛を伏せた。

 唇に優しく触れるだけの口づけを落とし、彼はそのまま離れていく。何だか物足りなくて、クラリッサは目を開き、リュシアンの熱っぽい視線をしっかりと受け止めた。


「そんな可愛い顔で見るな。こっちはもうギリギリなんだ」

「私たちは夫婦なのでしょう? リュシアン様になら、私は何をされても」

「そこまで!」


 リュシアンはクラリッサの頭の上に毛布を被せ、すっぽりくるんでしまった。


「週末まで待って。その後なら、どれだけ挑発してくれてもいいから」

「リュシアン様?」

「今度の休み、俺と一緒に出かけてくれるか?」


 毛布にくるまれたクラリッサが、こくんと頷く。

 愛しい人の形をした布の塊を、リュシアンは彼女が苦しくないよう気をつけながら、しっかりと抱きしめた。こうでもしないと、約束を破ってしまいそうだった。



 そして三日後。

 リュシアンはクラリッサを伴い、とある高級宝石店を訪れた。

 応対した店員はリュシアンの顔を見ると、すぐに店の奥へと案内する。特別な顧客しか通さない、表に置いてある商品とは桁違いの宝飾品が置いてある部屋へ。


「ようこそ、マイルズ様」

「出来てる?」

「はい。ご注文の通りに仕上げることが出来たか、と。これほど大きく上質な原石は、私どもも久しぶりに扱いました」


 何が何だかわからず、ぱちぱちと目を瞬かせるクラリッサの前に、ビロウドで覆われたトレイが置かれる。トレイの上に並んでいるのは大きさの違う三つの宝石箱だ。


「こちらが首飾り。こちらが耳飾り。そしてこちらが指輪になります」


 白い手袋をはめた店主が、恭しい手つきで箱の蓋を一つずつ開いていく。

 中に鎮座していたのは、深い青に煌くサファイアを使った宝飾品だった。ロイヤルブルーと呼ばれる美しいその色に、クラリッサの目は吸い寄せられた。どれも非常に繊細で優美なデザインに仕上げられている。


「サファイアには、君主を不幸から守るという言い伝えがございます。まこと、オルティス侯爵様にふさわしい品かと」


 今まで贈られたどの宝飾品より高価であることは、一目で分かる。

 複雑なカッティングに輝く見事なサファイアを取り囲むダイヤモンドの粒ひとつ取っても、かなりの金額になるだろう。


「リュシアン様……」


 こんな高価ものを買って頂くわけには、と辞退しようとしたクラリッサだったが、リュシアンが先に「いい仕上がりだ。包んでくれ」と答えてしまったので、口を噤むしかない。

 店主が一旦商品を持って下がったのを見届け、クラリッサは困りきった表情でリュシアンを見上げた。


「値段を尋ねるのはマナー違反ですが、それでも聞かずにはいられませんわ」


 声をひそめてそう言ったクラリッサに、リュシアンはポケットを探り、一枚の便箋を差し出した。


「教えてやりたいけど俺も知らない。あれは君の父親からだ」


 リュシアンの言っている意味が分からない。

 クラリッサはおそるおそる、便箋を広げてみる。

 そこに綴られた文字を見た瞬間、彼女の喉に熱い塊がせり上がってきた。懐かしいその筆跡は、確かに亡き父のものだった。


「リューブラント伯から預かってる手紙なんだ。大事なものだから、破くなよ」


 リュシアンの注意が、遠くに聞こえる。

 クラリッサは食い入るように、弱々しく墨薄い文字を追った。立派な字を書く人だったが、病には勝てなかったらしく、所々歪にゆがんでいる。


『クラリッサにはサファイア。シルヴィアにはルビー。リリーには真珠を用意した。

 娘たちが結婚する時、夫となる男に、これで宝飾品を作ってやるよう頼んでくれ。

 あの子たちは素晴らしい娘だ。すぐに夫は見つかるだろう。

 肩身狭く嫁ぐことがないよう、どうかこれらを持たせてやって欲しい』


 クラリッサは叫び出したかった。

 私たちは日々を食いつなぐパンにすら困っていたのに!


 借金で首が回らない家の、常に空腹を抱えている思い詰めた顔の娘に、一体誰が求婚するというのか。父の時は、一体いつから止まっていたのだろう。

 彼だって、持っている服はどれも合わないほど、痩せこけてしまっていたではないか。

 そんな宝石、さっさと売ってしまえば良かったのだ。

 父は馬鹿だ。

 大馬鹿者だ。

 その愚かさが酷く哀しく、それでもどうしても恨みきれない。

 

 父の見ていた世界は、最後まで過去の栄光に満ちた優しいものだったのだ、とクラリッサは悟った。その優しい世界の中で、彼なりに娘達を気にかけていた。父が大切にしていたのは母だけではなかった。



「おじ様にこんな面倒事を押し付けて逝くなんて、父はどうしようもありませんわね」


 声を震わせるクラリッサの肩を抱き寄せ、リュシアンは真面目な顔で頷いた。


「だな。娘が餓死寸前なのに、そんなことにも気がつかないで、いつ使うか分からない宝石なんか大事にかかえてさ」

「ええ」

「きっと彼には現実なんて見えてなかった。君は怒っていい」


 こくこく、と首を縦に振って同意を示すクラリッサの膝に、大粒の涙が落ちていく。


「だけど俺は、この手紙見せられた時、嬉しかったよ。親父さんなりに君たちを愛してたって分かって」

「リュシアン様……」

「リューブラント伯は、侯爵の願いを叶えてやれって俺に言った。それが出来たら結婚を認めるって。だから俺は、これが出来上がるまで待たなきゃならなかった。リューブラント伯には君に会わせてくれた借りがあるからな」


 リュシアンはクラリッサのこめかみに優しく口づけ、その手から便箋を抜き取った。このままだと涙で滲んで読めなくなってしまう。あと二回は出番がある手紙だ。


「シルヴィアにもリリーにも、その時が来たらちゃんと作って持たせてやる。親父さんの願いは果たすから、だから、俺のものになって、クラリッサ」

「とっくに私はリュシアン様のものですわ」


 涙声で間髪入れず答えたクラリッサに、リュシアンはきつく拳を握り締めた。

 ここは外、ここは外。心の中で繰り返し唱え、リュシアンは何とか理性を保つことが出来た。


 

 綺麗に包装された包みをさげ、リュシアンはクラリッサと共に店の外に出た。

 クラリッサは随分すっきりした顔をしている。もう泣いてはいない。

 リュシアンが自分を見つめていることに気づくと、視線を合わせ、恥ずかしげに微笑んできた。

 空は青く、風は気持ちよく、妻は笑っている。

 申し分のない休日に、リュシアンは腹を括った。


「帰りに、ちょっと弟んとこ寄ってもいい?」

「え?」


 クラリッサは目を丸くして、リュシアンを凝視する。


「いや、まだ会うのは無理だけど、顔だけ見てやろうかと思って。今でもそこまで似てるのか気になる」


 かつてない行動を取る理由が可愛い悋気だと気づき、クラリッサは彼への愛しさを募らせた。

 見間違えられたことが、実はショックだったのだろう。

 たとえそっくりな外見を持っていても、クラリッサが愛しているのは目の前の夫だけだ。今すぐに抱きしめ、私にはあなただけだと囁きたい衝動をこらえ、クラリッサは首をかしげた。


「遠目に見た分にはそっくりだったわ。でも、そんなに都合よく見かけることが出来るものかしら?」


 いつの間にか砕けた口調になっているクラリッサに、リュシアンは嬉しくなった。

 すぐに実際的な段取りを考え始めるところも、たまらなく好みだ。

 リュシアンをそのきずごと寛容に受け入れてくれる彼女を、この先一生大切に守っていこうと改めて心に誓う。


「んー。だよなぁ。じゃあ、ホテルだけ見る」

「それで気が済むのなら、お付き合いいたします」


 リュシアンの大好きなあの眼差しで、クラリッサは言ってくれた。


「君のこと、愛してるって、俺もう言った?」

「聞いたような気もするけど、何度だって聞きたいわ」


 くすくす笑いだしたクラリッサの手を取り、リュシアンは歩き出した。

 ジェラルドがどういうつもりで帰国したのかは知らない。まだ怒ってるのかもしれないし、もしかしたら謝りたいと思ってくれてるのかもしれない。どちらでもいい。会うつもりはないが、腹の底に居座っていた悲しみと怒りは消えている。


 クラリッサは上機嫌な夫にぴったりと寄り添い、自分の願いが叶った喜びを噛み締めた。

 妹達の明日の心配をせず済む生活。隣には愛する人がいて、過去も想いも丸ごと預けあえる。

 これ以上望むことはもう何もない。



これにて完結です。

連日お話を追いかけて下さった方に、心からの感謝を!

ありがとうございました。

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