或る魔王、人の世を思案する
「なによいくじなし! そんなんだから二百年も童貞なのよ!」
「たわけ! 自分の貞操も守れん奴に国が守れるか!」
それが、十二番目の刺客と交わした最後の会話だった。
とかく人の世は乱れている。私はそれを悲観する。
魔王たる私が、人の行く末について憂うのもおかしな話ではあるが、連日のようにそのとばっちりを受けていれば、嘆息せざるを得ないのも必然である。
近年著しく勢力を伸ばしつつある人間たちにとって、この世界における脅威は我々魔族のみとなった。『脅威』とは言うものの、別に魔族と人間が敵対しているというわけではない。魔族と人間の間には歴然とした力の差があり、攻撃を仕掛けたところで戦争にすらならないからだ。しかし、圧倒的な力を持つ我々に対して人間たちは恐れを抱いていた。あの強力な魔族たちが牙を剥いて来たなら、自分たちはあっというまに滅ぼされてしまう、と。そこで人間たちが考えたのは、『力で敵わないのなら、王を失脚させて魔族をバラバラにしてしまおう』ということだった。
我々魔族の間では、『現魔王が生殖行為に及ぶときは、王位を破棄する意思表示と見なす』という決まり事がある。いつ頃、どういう経緯でそういった決まり事ができたのかは定かではないが、純潔信仰とも言うべきか、不老不死に近い寿命をもつ魔族にとって、生殖行為というものがそれほど重要ではないということが要因にあるのだろう。行為そのものを憎悪するところまではいかないが、生殖に関する話題や行為は隠される傾向にある。
対して人間の文化圏では、性に関する知識や経験を持たない者は軽視される風潮があるようだった。もっとも、人間の寿命はせいぜい五十年、長くても百年程度と短命であるから、積極的に子孫を残そうとするのは無理もない話だ。か弱い生物ほど性欲が旺盛なのは理に叶っている。しかし、そういった事情を踏まえた上でも、彼女らの主張に素直に納得出来ないのは、種族の違いゆえの問題なのだろうか。
……なにやら城内が騒がしい。つい先ほど十二番目の刺客をワイバーンで強制送還したところだというのに、もう次の刺客が来たというのか。やれやれ。
家来のワーウルフが刺客を捕らえたというので、会ってみることにした。
今回の刺客はいつもとは様子が違っていた。
「貴様……女ではないな?」
問いかける私に、十三番目の刺客は鋭い目を向けた。
なるほど。私の貞操を奪って失脚させるのは諦めて、基本に返って武力行使に出たということか。
「陛下、僭越ながら、わたくしが説明を」
だんまりを決め込む刺客の代わりに、ワーウルフが口を開く。
「矮小な人間に、陛下の力を超えることは不可能。この者の目的は、今までの刺客と変わりませぬ」
「なに……?」
「人間どもの愚かな国王はこう考えたのであります。『選りすぐりの娘をどんなに送り込んでも魔王は落とせない。よもや魔王は女に興味がないのではないか』と」
「……くだらぬ。ワーウルフ、そいつの縄を解いてやれ」
「よろしいので?」
「構わん。じきにワイバーンが戻ってくるだろうから、それまで菓子でも与えておとなしくさせておけ」
「御意」
ワーウルフは恭しく頭を下げてから、刺客の両手を縛っていた縄を解く。
そのとき、自由になった刺客の手に、銀色に輝くものが握られていることに気付いた。
しまった、と思ったときには遅かった。ワーウルフは刺客に切りつけられ、肩から赤い飛沫を噴いて倒れ込む。本来ならすぐに修復するはずの傷口から、泡状になった血液が溢れている。
銀の短刀だ。魔族にとっては猛毒の、破邪の力を持つ金属の刃を握り締め、刺客はこちらに突進する。
殺意を纏った凶器が私の皮膚を切り裂く——ことはなかった。
竜の鱗に弾かれた短刀は少年の手を離れ、大理石の床に落下する。銀は武器としては柔らか過ぎるため、鉄よりも硬い鱗に覆われた私の身体に傷を付けることはできない。銀の毒は、魔力の源泉たる血液に触れてこそ真価を発揮するのだ。
少年の顔に落胆の色はなかった。使命を果たせなかったことを嘆く様子もない。十三番目の刺客は膝を崩し、呆然と座り込む。
「なにも死に急ぐこともあるまい」
治癒魔法でワーウルフの傷を癒しながら、私は言った。
「国に帰ったら国王に伝えろ。『我々魔族は人間を脅かすつもりはない。金輪際くだらぬ刺客など送ってくれるな』とな」
承諾の言葉も、拒否の態度もなかった。彼の口から漏れたのは乾いた笑い声だった。
「情けなんかいらない。ぼくのことは好きにすればいい。どうせ国に帰ったって、居場所なんかないんだ」
「ほう」
いわゆる『捨て駒』というやつか。スライムのように分裂できるわけではないが、人間も繁殖力の強い生物だ。代わりはいくらでもいるというわけだ。
「君を殺すことで我々に利益があるのか? せいぜい飢えた獣の腹を一時的に満たすことにしかなるまい」
少年はガラス玉のような目で私を一瞥して、そしてその視線を床に落ちた短刀に向けた。
私は炎を飛ばし、短刀を蒸発させる。魔力を纏わない竜の息吹なら、ダメージを跳ね返されることもない。
「くだらんことは考えないことだ、人間。我が神聖なる城を汚すんじゃない」
私は特別短気な性格ではないと自負してはいるが、そろそろ刺客の相手にはうんざりしていた。
私はすぐに伝令を飛ばし、人間の国の国王へと書状を送った。謁見の約束を取り付けるために。
そして数日後、了承の返事が返って来た。なにを勘違いしたのかずいぶんと不遜な文面ではあったが、気にしないことにする。罠の可能性も想定して、呪術に長けた部下を二人連れて行くことにした。刺客の少年はひとまず城に置いていくことにする。強制的に送り返してもよかったのだが、色々と複雑な事情がありそれは躊躇われた。自殺でもされたら交渉に支障が出てしまう。
人工的な建物が多いことを除けば、人間の国の暮らしぶりは魔族とそう変わらないようだった。彼らの創作物の一つ、この国を象徴する巨大な宮殿の前に降り立った私は、そこで人の姿へと変化した。
案内役の小間使いに導かれ、謁見の間へと通される。
正面奥の玉座に、煌びやかな服を纏った女が鎮座していた。
「ほう」
私は思わず感嘆の声を漏らす。
「女の王か。珍しいな」
「誰の許可を得て口を利いている? 魔王」
見た目に違わず、人間の王の口調は尊大でぞんざいだった。
「……まあいい。書状は拝見させてもらったぞ。降参の印に首を差し出しに来たのか?」
「降参するとは言ってない。鬱陶しい刺客を送り込むのをやめろと言っているんだ」
「わかっているさ……だが魔族は狡猾だからな。人類を脅かすつもりがないと言うなら、その誠意を見せてもらおうか」
「誠意など……非暴力の対価は非暴力しか有り得ん。君が余計なちょっかいをかけないならば、我々も君たちに干渉はしない。そう約束するしかあるまい」
「約束か……では今後一切、魔族が人類に害を与えることはないと証明できるのか?」
「私が玉座に座っている内は——おそらく、健康であればあと千年近く先までは——保障しよう」
「千年か……長いな。途中で気が変わったらどうする?」
「……人間よ、短い寿命をくだらん問答で消費するな。君の守るべき国民のひとりが我が手中にあるのだぞ」
「魔王よ、貴様もわかっているだろう。人間とは脆弱な生き物だ。貴様ら魔族のように強力な魔力を持っているわけでもなく、獣のように牙や爪で身を守ることもできない。我々には、確信が必要なのだ」
「だからといって、わざわざ眠っている竜を起こすことはあるまい?」
「…………」
「……わかった。ならばこうしよう」
沈黙を破った私に、女王は訝しげな視線を投げる。私は続けた。
「女王よ、君がずっと欲しがっていたものをくれてやる。それで決着としようじゃないか」
「私の、欲しかったもの……?」
とぼけているのか? いや、この顔は私の言葉の意味を理解していない顔だ。
今まで散々ちょっかいを出しておいてこの反応とは。まったく、面倒な生き物だ。
「私の貞操が欲しかったのだろ?」
「……ッ!?」
女王の顔が、石油に火を放ったように一瞬で紅潮した。
「なにを慌てている?」
「ばっ、ばばば馬鹿か貴様はッ!? 阿呆かッ!?」
「結婚すれば私は玉座から降りることになるが、君が女王として座ってくれれば問題ない。私は鬱陶しい刺客から解放され、君は魔王たるこの私を亭主にすることで安全を手に入れる。悪くない条件だと思うが?」
「そういう問題じゃないッ! 出会ったばかりの相手にいきなり……そ、そんなことを言われても……心の準備というものがだな……」
今度は顔を伏せてもにょもにょと呟いている。
「十三回も刺客を送り込んでおいて、準備もなにもないだろう。それとも、なんだ? 他者に身体を張らせておいて、自分は嫌だとでも言うのか?」
「くっ……!」
女王は歯を食い縛り、視線を泳がせて、何度かなにか言いかけては口を閉じる動作を繰り返す。
長い長い沈黙を経て、女王が下した答えは——。
「おお陛下、ご無事でしたか」
私が城に戻ると、傷の癒えたワーウルフが出迎えた。
「なにかあったのか? ずいぶんと慌てていたようだが」
「ええ。それがですね……」
ワーウルフが言いかけたとき、廊下を走る慌しい足音がその言葉を遮った。
兵舎に閉じ込めていたはずの十三番目の刺客だった少年が、こちらに向かって走ってくるところだった。また性懲りもなく襲い掛かってくるのかと思ったが、少年は私から数歩距離を置いた位置で立ち止まり、恭しく跪いてこう言った。
「魔王様! ぼく……わたしはあなた方魔族を誤解しておりました! 命を救ってくれたばかりか、身に余るほどの待遇をしてくださって……感動いたしましたッ! ぜひ、わたしをあなたに仕えさせてください!」
突然の申し出に、私もさすがに面食らう。
「私は構わんが、いいのか? ここには君の同族はいないんだぞ」
「同族だろうが、異種族だろうが関係ありません! わたしはあなたに仕えたいのです!」
「……うーん、まあ、いいだろう」
「ありがとうございます!!」
「陛下、ところで例の交渉はいかがでしたか?」
ワーウルフに言われて、私は今日の出来事を思い出した。
「ああ。うまくいったよ。少なくとも今の王が現役のうちは刺客が送られてくることはないだろう」
「その割には、浮かない顔のようですが?」
ありのまま今日起こったことを話そうと思ったが、面倒だったのでやめた。
少しの間を置いて、私は答えた。
「……まったく、人間とは面倒な生き物だ」
あの女王、よもや私の申し出を断るとは。
人間という生き物は、どうやら他者を振り回すのが好きらしい。
かといって、別段嫌な気分でもないのが不思議だ。人間の行動や価値観は不可解な部分も多いが、それもまた愛嬌といえるのかもしれない。
もう少し、人間という生き物について知りたくなった。あの少年に話を聞いてみるのもいいだろう。
奇妙な隣人と共存できるようになるには、今しばらく時間がかかりそうだ。