また、明日
「うわぁ、でっかい……」
織原。
堂々たる書体で分厚い名札にそう書かれた家は、武家屋敷を思わせる立派な邸宅だった。
恐る恐るインターフォンを鳴らし、織原綾瀬さんのクラスメイトですと名乗るとしばらく間を置いて凛とした美人が姿を現した。
「あの、ボクは結城一彦といいます。織原綾瀬さんはご在宅でしょうか?」
「ごめんなさいねぇ、綾瀬はまだ戻ってないんですよ。」
「え、まだ?」
ええ、と困ったように眉をへの字にする女性、その意外に温和な表情は織原さんによく似ていた。
「多分河原じゃないかしら。」
「河原、ですか?」
「ええ、あの子辛いことがあった時よくそこで過ごすんです。おじいさんが亡くなった時もそうでした。」
「おじいさんが亡くなった時も?」
「ええ、おじいちゃん子だったものだから。おじいさんも初孫だから猫かわいがりして、キャッチボールやサッカーみたいな男の子の遊びを教えて……」
懐かしそうに目を細める、織原さんのお母さん。
お話によると、今の子供っぽい織原さんはずいぶんとお祖父さんの影響を受けていたようだった。
さして面識のなかった僕をいきなり信用してくれたのも、僕がお祖父さんによく似ていたからだろう。
「ありがとうございます、河原に行ってみます!」
「あ、ちょっと。」
「はい?」
「あの子今も子供っぽいところがあるから、大変でしょうけどよろしくしてやってくださいね。」
「は、はい!」
辛いこと……
それはウツボカズラに苦戦したことでも大事な槍が折れたことでもない。
きっとそれは、僕に裏切られたこと。
苦い思いに責めさいなまれながら、僕は河原へとかけ出した。
大きな夕日に照らされて、オレンジ色に染まる河原。
日が傾き、風はすっかり冷たくなっている。
そんな中織原さんは一人膝を抱えて水面を見つめていた。
「織原さん!」
「…………」
僕の声は聞こえているはずだけど、彼女は返事をしてくれなかった。
きれいな長い髪がベールのように彼女の表情を覆い隠してる。
こんなに悲しく寂しげな姿を見たのは初めてだ。
彼女はいつだって、跳ねまわる子猫のように元気で、くるくると生気にあふれる表情を見せてくれていた。
それはまるで真夏のひまわりのように、燦々と輝く宝石だった。
ところが今の彼女はどうだろう。
すっかり怯え、しょげかえって縮まっている。
こうしたのは僕だ。
僕の裏切りだ。
「ごめん。」
「…………」
「僕がどう謝っていいかわからないけど、ごめん。」
「…………」
「君を怖がらせて、ごめん。君を悲しませて、ごめん。」
「……」
「君の信頼を裏切って、ごめん。」
君に見とれてうっかりした、君なら大丈夫だと思った、十分勝てると思った……エトセトラエトセトラ。
言い訳はいくらでも湧いてきたけど、そんなものは大事じゃない。
彼女に許してもらうために謝ってるんじゃない。
彼女が、少しでも前の明るさを取り戻せるように、それだけを願って、僕は謝った。
「あの、ね。」
「うん。」
「昔はあたし、サッカーとか得意だったんだ。」
「うん。」
「男の子に混じって、どろんこになっていっぱい練習して、となり町の子たちとの練習試合にもいつも勝って。」
「うん。」
「でも、小学校高学年の頃かな。胸が大きくなり始めて、もう男の子と一緒に遊べなくなって。すごく寂しかった。」
一般的に言って、女子は男子より早く成長する。
体も、心も。
そして次第に男同士、女同士のグループに分かれていく。
織原さんの場合、体は人一倍早く成長したんだろう。
でも心はどこか子供のままで、大人になる喜びよりも、友だちがいなくなる悲しみを感じてしまったのだろう。
「だから、結城くんとの冒険はすごく楽しかった。久しぶりに男の子と気兼ねなく遊べて、彼氏とか彼女とかそんな難しいこと考えずに心から楽しめた。」
だけど、といって織原さんは言葉をつなぐ。
「だけど、今日の冒険で結城くんもあたしのこと、女の子だって見てたって気づいた。」
「……ごめん。」
「ううん、あたしが悪いんだよ、きっと。いつまでたってもお子様のあたしが悪いの。」
ごめんねと寂しげに笑う織原さん。
違う、違うんだ、そんな顔が見たくて追いかけてきたんじゃないんだ。
「ぼくも!」
息を吸い込んで一息に言う。
「僕も君と一緒に冒険できて楽しかった!」
「結城くん……」
「僕はね、織原さん。僕は昔から人見知りがひどくて、初めて会う人はみんな怖くていつもいつも、無表情に応答することしかできなかったんだ。だから人からよく人形のようだって言われた。黙っていれば綺麗だけどどこか冷たい人形だって。そう言われて敬遠されて、それでもいいと自分の世界に閉じこもって。
そうやって過ごしてきた。」
だけど君は違う。
「だけど織原さんは違ったよね。ほとんど面識のない僕に話しかけ、僕の壁を乗り越えてきてくれた。」
「……」
「僕だけの世界じゃない、君と二人で作り上げる物語は、とても明るくて、生気に満ちてた。僕だけの世界は冷たくて、寂しくて、凍えてた。君はその壁を超えて太陽を運んでくれたんだ。」
だから
「だから僕は君と冒険を続けたい。君と暖かな物語を続けたい。君と一緒にいたいんだ。」
だから僕は君に笑顔を取り戻して欲しいんだ。
「織原さん……あの、また明日、」
彼女は俯いていたけど、そっと涙を拭いて顔を上げてくれた。
「うん、また、明日ね。」
夕焼けにオレンジ色にそまる彼女は本当に、本当に美しかった。