紡ぐ物語
「あー、何やってんだろうな僕……」
愛用の目覚ましを見るとすでに深夜23時、中学生の僕には少々きつい時間。
こんな時間まで相棒片手に何をするかといえば、古いゲームブックを読み進めてる。
これも今日の織原さんの爆弾のせいだ。
また今日のように彼女の注視のなか翻訳するという拷問は避けたいし、何よりこのゲーム、どうもただの遊びじゃない。
曲がり間違えて僕の誤訳が原因で、彼女を危険に晒すなんてはめに陥りたくはない。
「でも本当に織原さん来るのかな?今日もあんなことがあったばかりだし……」
と口に出して言うものの、帰り際の彼女の笑顔を思い出してみると
「……来るよなぁ、きっと。」
そういう結論になった。
はぁ、とため息ひとつついてコーヒーを入れに行く。
今夜は2つか3つ、できれば4つシナリオを翻訳するつもりだ。
なるべく難易度の低いのを出さないと……。
「今日はホント、楽しかったなぁ~♪」
湯上がりのほてった肌を夜風に当ててて涼みつつ、織原綾瀬はひとりごちた。
手にした金貨をそっと青い月にかざしてみる。
それは神秘的にキラキラ輝いて、本当に宝物という気持ちがするのだった。
(こんなに気兼ねなく男の子と遊べたのはいつ以来かな……)
綾瀬は親しい友人からかなり子供っぽいとよく言われる。
友人たちは、だいたい早い子であれば小学生のうちから彼氏彼女の間柄を意識して遊ぶようになる、という。
彼女に声をかける男の子たちも、付き合うということを意識して声をかけてくるらしい。
だが彼女にはいまいちピンとこない。
(だいたい彼氏彼女って何するの?)
そもそも彼女にとっては、サッカーしたり野球したり、かつては男の子と一緒に出来てた遊びができなくなることのほうが寂しいと感じるのだ。
それ故に、一彦とともに腹の底から驚いたり笑ったりした今日の冒険を、とても貴重な体験だと感じていた。
「明日はどんな冒険ができるんだろう?楽しみだなぁ♪」
期待に弾む声で、おやすみなさいと月に挨拶して、彼女は布団に潜り込んだ。
ピンポ-……
ガラッ
「おっはよう♪今日は早いね、結城くん。」
「……ちょっと夜遅くまで起きてたもので。」
「大丈夫?なんか眠そう。」
「あ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。顔洗ったしすぐに目が覚めるから。……さ、どうぞ。」
「おじゃましま~す♪」
本の読み過ぎで夜更かしするのはいつものことだったし、そんな時はコーヒーに頼れば大丈夫。
ただ『Lion Quest』は色んな意味で興味深い本だったから、少々根を詰めすぎたかもしれない。
でも僕がヘマをしたら、織原さんの命にかかわるかもしれないのだ。適当な仕事はできない。
今回訳した4つのシナリオは比較的シンプルな化物退治。期待値を計算したけど、”アヤセ”の能力ならまずまず楽勝と言っていい。
あとは進行役である僕が、ちゃんと伏線と警戒すべきポイントを示せばいい。
まぁそれを公平といえる範囲でやれるかどうかが難しそうなのだけど……。
「あれ、今日はズボンなんだ。」
「うん、こっちのほうが動きやすいかなって。あ、ちょっと準備体操していい?」
「ど、どうぞ……あ、お茶いれてくるから。」
(煩悩退散!煩悩退散!)
ショートパンツからスラリと伸びた足が目に眩しい。こういう時は避難するに限る。
このゲームは遊びじゃないんだ、真面目にやれ結城一彦!
宝物庫の双頭の巨人、沼の底に住む巨大な人喰い鬼、高い塔で決闘での死を望む犬の頭の剣士、僕が翻訳した3つのシナリオを、着実に攻略していく”アヤセ”。
彼女は勇敢で沈着で、活力にあふれた優秀な冒険者であり、まさしく織原さんの分身にふさわしいヒロインだった。
直接答えを言うのは不正だが、重要な事柄への描写を詳細に説明するのは公正である。
そんなこの本のルールに僕自身が慣れてきたことで、僕のサポートも、今のところ上手く行っている。
”アヤセ”自身はちょっと頭をつかうのが苦手だだけれどけれどそこは素直な織原さんのこと、僕が適宜出すヒントに的確に反応していくんだ。
「楽しいね♪結城くん!」
「ああ……うん、楽しいね織原さん。」
「も~今のあたしは冒険者”アヤセ”なんだから!”アヤセ”って呼んで!」
「あ、うん、わかったよ……”アヤセ”。」
「よろしい♪」
そう言ってにっこり笑う織原さん。
なんだろう……この楽しさは。
大好きな小説に没頭する時とも違い、TVゲームのやりこみとも違う。
物語を語り、二人でストーリーを紡いでいく、この楽しさはなんだろう。
「よし、最後の冒険だよ。……『君は真っ暗な大きな部屋の中にいる。頭上では風音がビュウビュウと鳴り、厚く垂れこめた雲が星の光も月の光も遮ってしまっているようだ。』」
「つまり何も見えないってこと?」
「うん、人間の目ではムリだろうね、せめて松明でもあれば違うんだけど。」
「え……『風音がビュウビュウとなっている』のに?」
「うん、そうなんだ。風音は聞こえてくるけど風は吹いてない、だから松明があれば火を付けられるかも。」
(結城くんがこんなに詳しく説明するってことは、上に注意しろってことだよね。)
(あたしは松明持ってないから目で見ることはできない……なのにどうして松明って繰り返すんだろう?)
(風がないのに聞こえる風音……注意すべき空……目で見えない部屋……あ!)
アヤセの脳裏で一彦の描写がひとつの像を結んだその時……!
「(…うん。)『ビュウビュウ、ビュウビュウ!その時風音がいっそう大きくなる!』」
「剣を持ち上げて頭部を防御するよ!」
「見事!君はこの巨大な怪物の一撃を防いだ。一瞬の交錯で見えたそれは、巨大な、巨大な悪魔の鷲だ!奴はその魔法の力で暗闇を見通しているんだ!」
「ずる~い、あたしにも魔法を使わせろ~!」
「ごめん、アヤセは戦士だから……」
「うん、分かってる、言ってみただけ。」
「ねぇ、鷲の悪魔はどうやって攻撃してきたか見えた?」
「(コロコロ)……詳しくは見えなかったけど、ワシの赤く巨大な瞳が印象に残ってるよ。」
(え、あたし顔のことなんて聞いてない……)
「その瞳はフクロウのものを何倍にも大きくしたような、真っ赤に輝く丸い瞳だ。」
一彦はちょっと焦りながら真剣に告げる。
(攻撃してきた時に顔が見えた……ふくろうのような瞳……魔法の力で闇を見通す……)
アヤセの不安に揺れていた瞳が、定まる。
(あたしはこの闇の中を見通せない。)
(あたしは空を飛べない。)
(でも、だからこそ、チャンスが有るんだね……!)
アヤセと一彦が視線を交わし合う。どちらからともなく頷いて、戦いが始まった!
「『ビュウビュウ、ビュウビュウ!その時風音がいっそう大きくなる!』」
「音の変化に耳を澄ませるよ!」
「『君の勘はあたった!悪魔の鷲は攻撃する時翼を畳み、頭から猛スピードで突っ込んでくる!』」
「剣を槍のように掲げ、交錯する瞬間、大きな赤い瞳に投げつけるよ!そして同時に真横に飛び下がる!」
「『見事だ!君の作戦は当たった!君の剣によって突然視力を失った悪魔の鷲は、そのスピードのまま地面に突っ込んでくる!』」
ドンッ!と床を大きく鳴らし、巨大な鷲がジオラマに突っ込む。
もうもうと土煙を立てる中、無残にも首の骨を折り悪魔の鷲は事切れていた。
そしてケホケホと可愛らしい咳をしながら土煙の中から姿を現す冒険者”アヤセ”!
「えへへ、やったよ!結城くん!」
土煙にちょっと涙目になりながら、Vサインを掲げ勝利を宣言する”アヤセ”であった。
「『君はこの異世界での冒険を終えた。誇りと栄誉をもって幕を下ろそう。さぁ、あるべき世界へ帰り給え。』おめでとう”アヤセ”!冒険クリアだよ!」
「ありがとう!さすがに四回目は疲れちゃった~」
「ハイこれで汗ふいて、それからスポーツドリンク出してくるから。」
「うん、嬉しい!」
虚空に響く万雷の拍手の中、僕は清潔なタオルと冷えた飲物を用意して織原さんを出迎える。
さすがに4回目、昨日の初めてのアレを含めれば5回めともなれば、慣れたものだ。
昨晩あんなに心配していた冒険の失敗についても、織原さん、いや”アヤセ”の前では全くの杞憂だった。
抜群の運動神経、こちらの注意を素直に受け止めてくれる心、どんな状況でも沈着でいられる胆力、
彼女は本当にスーパーヒロインだった。
「ありがとう、結城くん。みんな君のお陰で勝てたよ!」
「え?……いやいやいや、実際に頑張ったのは織原さんじゃないか。」
「むー。あ・や・せ!」
「あ。うん、実際に頑張ったのはアヤセだよね?僕はただ状況を説明してただけで。」
「でもちゃんと注意すべきポイントとか説明してくれたじゃない。特に最後の冒険なんて、結城くんのヒントがなかったらやられてたよ。」
「……う、でも。」
「本当に感謝してるんだよ。ありがとう、結城くん。あたしの我儘に付き合ってくれて、あたしに冒険をくれて、あたしに成功をくれて。」
彼女の大きくて黒い瞳がまっすぐに僕を見る。
その瞳に映り込む僕は真っ赤になってモゴモゴと口ごもってる。
でも……
「ありがとう、僕も感謝してる。」
僕もまっすぐに彼女を見る。
「僕に付き合ってくれてありがとう、僕を信じてくれてありがとう、そして僕に物語をくれてありがとう。」
心からの感謝を伝える。
この冒険は彼女と僕二人で紡ぐ物語。
だからこそ君にありがとう。
物語を作り上げる喜びをくれてありがとう。
「……」
そう伝えると彼女は真っ赤になって黙って、やがてニッコリと笑ってくれた。
「結城くん。」
「うん。」
「また、明日。」
「うん、また明日。」
二人して真っ赤な顔で別れの挨拶をする。
さぁ明日もまた冒険の旅に出よう。
二人の物語を紡ぐんだ。