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ある皇太子の逡巡  作者: ねぎまんぢう
第1章 0~10歳編
9/27

第9話 ある令嬢の豹変









私には婚約者がおります。

歳は1つ上の10歳です。



婚約者、ネレウス様は皇太子であらせられます。

私もその妻となるのですから、皇后にふさわしい女性にならなければなりません。

お父様もお母様もいつも応援してくださります。

お二人の期待に沿えるよう、努力を欠かしてはなりません。


今日の午前のお茶会にてネレウス様と初めてお会いします。

どのようなお方なのか、とても楽しみです。



△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽





後宮内に用意された私のための支度部屋はとてもあたたか。

きっと火魔石式の暖炉の性能がいいのでしょう。冬であることを忘れてしまいそう。


「フィリア様、こちらを」


侍女のリルが差し出すストールを肩にかけ、香水の香りをまとう。


「ねぇリル。ネレウス様はどんなお方なのかしら?」


「ネレウス様がどんなお方なのか注意深く見なければなりませんね」


小さい頃から私の世話係もしてくれているリルはいつもお父様の意向を代弁してくれます。それは私の行動指針となる大事な言葉です。


「注意深く…どういうことです?」


「ネレウス様は次期皇帝となられるお方。ネレウス様に足りない部分があれば、それを補うのが皇后たるフィリア様のお役目です。ネレウス様が正しき道を歩まれるよう、フィリア様が手綱を握って差し上げるのです」


手綱を握る…そのためにネレウス様の足りない部分を探すということ?

リルがそういうのですから、何としても探し出さねばなりませんね。


「でもご心配には及びません。亜麻色の美しい御髪、すらりと通った目鼻立ち、抱きしめたくなる小柄なお体。皇太子殿下もきっとフィリア様のことを好きになられますわ」











後宮の侍女からお茶会の用意ができたとの知らせを受け、リルと宮廷侍女の先導で部屋へ向かいました。




その途中、廊下の窓から見えた庭園には不思議な光景が広がっていました。

本来、冬には草木が色付くことは少ないので物寂しい雰囲気が普通なのですが。


庭園の一角には白い砂利が敷き詰められ、波のような模様が描かれていました。

所々に置かれた石は苔むしていて、不思議な存在感があります。



「フィリア様?どうされました?」


足を止めて見入ってしまったので、リルにそう声をかけられました。


「あの庭園…不思議な雰囲気ですが、何なのです?」


「あれは枯山水(かれせんずい)というお庭です」


「枯れた山と水…ですか?」


宮廷侍女が教えてくれましたが、いまいち要領を得ません。


「枯山水は白い砂利を水、石を島に見立てた庭園です。ネルさ…皇太子殿下が、草花の枯れる冬でも庭園を楽しめるよう、考案なされたのです」


「殿下が…」


屋内から見ているだけなのに、まるで静寂が聞こえてくるよう…。

静寂が聞こえるなんておかしな表現ですが、本当にそう感じたのです。


「でもこのお庭、砂でできていますから、風ですぐ乱れてしまうのです。だから毎朝庭師が模様を付け直しているのですよ」


「まあ!それは大変ですのね」


「いえ、それがそうでもないのです。いままで冬は折れた枯れ枝の掃除ぐらいしか庭師の仕事がなかったのですが、枯山水ができてからはまともな仕事ができると庭師も喜んでいるのです。それに、庭師のその日の気分で波模様を好きなように変えてよいと殿下がおっしゃられて」


「その日の気分で?勝手に?殿下はそれでよろしいと?」


自分が考案した庭に他人のデザインが入ってしまうのに何とも思われないのかしら…。


「それは庭師もそう思ったようでして、殿下に尋ねたのです。そしたら殿下は「毎日同じ形の水があるか?波があるか?」とおっしゃられまして」


「殿下はそこまで考慮しておられるのですね」


ただ見立てるのではなく、日々の変化すら趣向としてしまうなんて!


「以前、庭師が波模様をつけているときに転んでしまって、白砂利を台無しにしてしまったことがあるのですが…」


「そのとき殿下は何と?」


「「今日は時化(しけ)だな」と大笑いされていました。それにこのお庭は皇后様も大変お気に召されてまして、まったく似ていないのに何故か故郷を思い出す、と」


庭師の失敗を笑って許されるなんて、懐の深いお方なのですね。

殿下の話をする侍女もとても楽しげで、殿下を慕っているのが見て取れます。

それに皇后様とも仲がおよろしい様子…きっととてもお優しい方なのですね。



「フィリア様、お庭の話はそれくらいにして、お早く」


リルに急かされてしまいました。

リルはこのお庭を見ても何とも思わないのかしら?




△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽




そして通されたのは殿下の私室のなかの応接間。


「お初にお目にかかる 皇帝陛下が第1子、ネレウスである。よしなに頼む」


殿下が出迎えてくださったのは殿下とエルフの男性。

エルフの男性のことは教育係の方だと事前に伺っていたので存じ上げておりました。

胸ポケットにガラスの円盤を二つ繋げたような不思議な銀細工を着けておられるのが印象的でしたが。



ですが…私はそれどころではなかったのです。

初対面の挨拶もまともに出来たかどうかわかりません。

リルが割って入らなかったので、挨拶は問題なかったようですが。



殿下から目を離せなかったのです。


長い金髪は窓から冬の澄んだ日差しを受けてキラキラと輝き、サラリと言う音まで聞こえてきそうなくらい艶やか。

その深い蒼の瞳は自信に満ちた輝きを放っているのにもかかわらず、なぜか穏やかな印象を受け、まるで瞳そのものが煌めく内海の水面のよう。

口元は(たお)やかな笑みを浮かべ、精霊教会の高司祭…いえ、聖人のように生きとし生けるものすべてを慈しんでいらっしゃいます。


自分の体温がみるみる上がっていくのを感じます。

殿下に勧められてソファについたものの、自分が立っているのか座っているのかさえ分からない有様。


ああ!私はなんて幸せ者なのでしょう!

こんなにも素敵な方の妻となれるのですから!







時節の挨拶もそこそこに、殿下は優雅な所作でお茶を1杯飲むと、殿下はこう言われました。




「では私は所用により席を外すが、ゆるりとしていかれよ。ソフィア殿」







えっ?

まだお会いしてから10分も経ってないのに?




しかも、名前間違えています!私はフィリアです!





殿下は戸惑う私をよそに、小走りで出て行かれてしまいました。



「「「「で、殿下!?」」」」


私、リル、宮廷侍女、エルフの方が声をそろえて呼ぶも、もう殿下は部屋の外。



わ、私、なにか粗相をしてしまったのかしら…。

殿下に見とれてだらしない顔を見せてしまったかしら…。

ああ…私ったらなんてことを。




不安に駆られた私はおもわずあたりを見回してしまいました。

宮廷侍女とエルフの方が「またか…」というお顔をなさっていました。

リルは固まったままです。






「申し訳ありませんフィリア様…殿下くらいのお歳の男の子はまだ女性にあまり…その、興味をお持ちになるにはお早いですから」


しどろもどろになりながらフォローしてくれるエルフの方…ネクサス様といったかしら。



「それに殿下は今、夢中になられているご趣味がございまして、おそらくそちらに向かわれたのではないかと…決してフィリア様を無碍になさったわけでは…」


「そう…ですか…」


私より大事なご趣味…。知りたい…どんなご趣味なのでしょう。

視線を下すと、殿下がお使いになっていたティーカップが目に入りました。

白いカップに少し残ったお茶の色が…明るい?

薄いわけではなさそうだし…茶色が少し明るく、赤みがかっているようにも見えますね。



「あの、殿下のお茶は私のとは違うようですが」


「ああ、これですか。これは殿下御自らお作りになられた『紅茶』という様式のお茶ですね」


「殿下がご自分で? それに作るって…お茶の木を育てておられるのですか?」


「いえ…何と説明したらいいか…。フィリア様は酒盗という食べ物をご存知ですか?」


「存じ上げませんが、どのようなものなのです?」


「酒盗は殿下の好物の一つなのですが、魚の内臓を発酵させて作るのです。紅茶もまた、焙じる前のお茶を発酵させたものなのです」


「発酵、ですか。でも焙じる前のお茶は、その…苦いのでは?」


お茶を焙じるのは苦みを消すためだと聞いた覚えがあります。

発酵はチーズを作るときの工程の一つだったはず。チーズとお茶で同じ工程を行うなんて、想像がつきません。


「苦いですね…。でも殿下は結構な『苦党(にがとう)』でして。日々の食事でも「帝国人は苦いものが本当に嫌いなのだな」と文句を言うくらいです。この紅茶も殿下が水魔石と火魔石を使って作った特製の発酵器で作っておられます」


殿下は苦いものが好き…私も苦いものを好むようになれば、あの方にお近づきになれるかしら…。


「試してみてもよろしいですか?」


「ええ。殿下も否やとはおっしゃられないでしょう」


ネクサス様が目くばせすると、宮廷侍女が新しく紅茶を入れてくれました。

……殿下のカップが…殿下が口をつけたカップが良かったのですけれど。


「いい香り…色も澄んでいて美しいですね。まるでガーネットのよう」


普通のお茶とは全く違う香り。香りは苦くなさそうなのだけれど。

一口、口に含むと芳醇な香りが鼻に抜けてとてもいい気持ち。

でも、舌に残る後味は…やっぱり苦い…というより…。


「渋い…」


口の中のお肉がつままれたような不思議な後味です…。

顔をしかめた私を見かねて、ネクサス殿が助言をくださいました。


「こちらの砂糖とミルクを入れると渋みを抑えられますよ」


ネクサス様のおっしゃるとおりに砂糖とミルクを入れてみました。気持ち砂糖は多めです。

もう一口、口にするには勇気が要りますけど…殿下が作ったものですもの。






「…おいしい!」


先ほどとは大違いです!

芳醇な香りそのままに砂糖の甘さとミルクのまろやかさが相まってとてもおいしい!





私が新しい味覚に感動していると、ネクサス殿は殿下について話してくださいました。



「先ほど申しました殿下の御趣味ですが…この紅茶のような新しいものを創りだすのがご趣味なのです。今もきっと後宮裏手の工房におられるはずです」

















△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽










「フィリア様、あのような怪しげなものをお口にしてはなりません」


お茶会が終わって支度部屋へ帰る途中、リルにたしなめられてしまいました。


「紅茶のこと?とてもおいしかったけれど…殿下が手ずから作られたのです、怪しげなことなどありません」


「その殿下御自身が怪しいのです。先ほどネクサス殿が後宮裏手に工房があると言っていましたね。どんな不審なものを作っているのやら」


リルは何を言っているのでしょうか。

あんな素敵なお方が作るものが不審なわけないじゃない。


「少しその工房を調べてきます。フィリア様はお部屋でお待ちください」





きっと私は殿下のことを悪く言われて冷静では無かったのでしょう。


「まちなさいリル。私も行きます」


生まれて初めてリルのいうことに逆らったのです。













△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽












「ここが工房…」


後宮の裏手、城壁に沿うように建てられた工房がありました。

想像していたよりずっと大きい…町の工房へは行ったことがないけれど、それよりずっとおおきいのではないでしょうか。


私とリルは壁に張り付くようにして入口のほうへ向かいました。

大きく開かれた入口からはもうもうと湯気のようなものが噴出しています。


そっと中を覗こうとして…


「誰だ!そこで何をしている」


外を巡回している衛兵に見つかってしまいました。


私と衛兵の間にリルが身を滑らせましたが、衛兵は私たちに見覚えがあったらしく槍を構えたりはしませんでした。



「あなた様は確かリーベール侯爵の…」


そして、私と工房を交互に見やり、なにか得心した様子でした。


「そういうことですか…では、私は何も見なかったことにいたしましょう。ご自分の目で殿下のなさっていることをご覧になってください。あちらの窓からなら中を見渡すことができるでしょう」


「あなたは…衛兵として、それでよいのですか?」


リルが咎めるように衛兵に言い放ちました。

でも、衛兵は頭を振ってこう答えたのです。


「衛兵である前に一人の帝国臣民として、殿下の発明は世に広めるべきだと愚考しています」


そう言って懐から銀色に縁どられたガラス細工を取り出しました。

あれは確かネクサス殿が胸ポケットから下げていたモノ…。



そして衛兵はそのガラス細工を目の所に取り付けたのです。

あれは…透明な仮面?なのでしょうか。


そしてそのまま踵を返すと後宮のほうへ向かっていきました。


「皇太子殿下は天才であらせられますから」


その言葉を残して。











△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽







「殿下!このトロナを焼いた粉はすごい(でーじな)ですね!珪砂に混ぜる(かちゃーすん)とこんなに溶けやすくなるなんてさー。これで眼鏡の量産もできるし、なにより火魔石の節約が(あがねーいん)できますねー」


衛兵に教えてもらった窓から覗き込むと、小柄な女性が殿下に親しげに話しかけていました。

あれは!ドワーフは初めて見ました。本当に目が一つしかないのですね。

でもそれどころではありません。なんですかあの劣情を誘うような服装は!

布が少なすぎます!殿下を誘惑する気ですか!



「そうだろうそうだろう!こんな便利なものを打ち捨てるとは、帝国人はどうかしていたよな!」


「それも殿下がトロナの有用性を発見したからさー!」


「………うん?すまない、どうも聞き間違いをしたようだな。トロナを発見したのは貴女ですよね?ユーリカ『工房長』?」


あのドワーフが工房長なのですね。

ドワーフはモノづくりに秀でているのは有名な話。ならば工房長の地位も納得です。



殿下に工房長と呼ばれた女性は体をビクンッとさせて動かなくなりました。

すると殿下はその女性の頭をやさしく撫でながら語りかけたのです。


「ククク。この工房の主は誰かな?」


「………ウチ、デス」


「眼鏡を発明したのは誰かな?」


「………ウチ、デス」


「君は誰かな?」


「ウチ、は、ユーリカ。ドワーフ一のテンサイ、デス。コレカラもタクサン、ハツメイ、シマス…」


「よしよし。ユーリカはいい子だなぁ。これからもよろしく頼むぞ。さ、試作品の製作に戻りなさい」


「ハイ」



なんということ!ずるい!ずるい!私も殿下にナデナデしてもらいたい!

殿下にやさしく語りかけてほしい!いい子って言われたい!ずるい!ずるい!


「フィリア様という婚約者がありながらドワーフの女といちゃつくなど…!」


リルも憤慨しています。まったくもってその通りです。



△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽




「だああーー!湯じわがでちまった!こっちはバリがひでぇ!」


「兄ちゃん、こっちは型ずれで全滅だよ…」


工房の一角で声が上がると、殿下はそちらのほうへ向かわれました。


「ギャレッジ兄弟よ。苦戦しているようだな」


「おう殿下!なぁに、さすがに小せぇから手こずってはいるが苦戦ってほどでもねぇよ!なぁライン!」


「そうですよ殿下。砂型だったら大変な目に会っていたところですが、僕の土魔法があれば大丈夫!とりあえず既定数の『可動活字』は出来上がっていますので、今は量産化に取り掛かっています」


「そうか!では後で試し刷りを行えるな!これは楽しみになってきたぞ!」




ああ…殿下の笑顔がまぶしい。

いつか、いつの日かその笑顔を私に向けてくれる日はくるのでしょうか…。

しかし『可動活字』とはなんなのでしょう?動ける生きた文字?








殿下は出来上がったと(おぼ)しき可動活字なるモノを検分すると、満足そうに隣の部屋へ向かわれました。

私とリルも慌ててそちらの部屋の窓へ向かいます。



そこでは数人の男性たちがそれぞれに作業を行っている様子でした。

殿下はまず瓶に紡ぐ前の麻束やらぼろきれを入れている男性のもとへ向かわれました。


「麻は繊維が丈夫だからな、しっかり刻んでくれよ」


「へい殿下!しかしこの瓶…『粉砕機(ミル)』は便利ですねぇ。これを手作業でやってたと思うと冷や汗が出ますぜ」


「うむ、まったくだ。風魔石様々だな。だが瓶の中は刃物が回転しているからな。くれぐれも怪我には気を付けてくれ」


「へい!」


麻を刻んでいるのですか?刻んでしまっては布にはなりませんのに…。





次に殿下が向かわれたのは大きな鍋で何かを煮込んでいる男性のところ。

入口から漏れていた湯気はこの鍋から出ていたのですね。



「トロナの粉…ジューソーの割合には気を付けてくれ。本当はもっとエンキ性が強いといいんだが、沢山入れたからと言ってエンキ性が強まるわけではないからな」


鍋で煮ている男性は口に布を巻いているので声は聞こえませんが、しきりに頷いている様子。


「焦げ付きにも気を付けてくれ。混ぜるのは手間だが、重要な工程だ。頼んだぞ」







殿下は今度は棒で白い塊をたたいている男性のもとへ。


「ここが一番の重労働だが、大事ないか?」


「へい殿下!ドラウデン親方んとこじゃぁ俺が一番の剛腕ですからね!これくらいじゃへこたれませんぜ!」


「おお。心強いな!しっかりまんべんなく叩いてくれ。叩き方が甘いとうまく固まらないのだ。頼みにしている。ゴミ取りも品質に直接かかわるからな。きちんと休憩もとるのだぞ」


「へい!」


陛下が男性の肩を叩こうとして届かず、腰を叩くとまた他のところへ向かわれました。

男性たちは一見バラバラの作業をしているようですが…もしかしたら殿下が回る順番に何か意味があるのかしら?







次に向かわれたのは頭に布を巻いたおじいさんのところ。


「親方!作業全体の進捗はどうか?」


「おお殿下ぁ。やっとまともな試作品が乾いたところだぜぇ」


おじいさんは木の湯船のようなモノに手を突っ込んでなにやらゆすっています。

ここからではその中身は見えませんね…天井から縄がその中に下りてきているのは見えるのですが。



「おおお!やっと出来たか!よしよし、やっとここまでこぎつけたな!」


「おうよぉ。そりゃぁ苦労したからなぁ、俺も嬉しいんだけどよぉ。…コレぁ木工屋の仕事じゃぁねぇよなぁ?」


文句を言いながらもおじいさんはどこか嬉しそう。


「うむ、そのことなのだがな。親方の伝手で、仕事にあぶれていたり、どの道に進むか決めあぐねている若い職人見習いを集められないだろうか?なにせ『紙スキ』職人は帝都にはいないだろうからな」


「そりゃそうだなぁ、まったく新しい分野だからなぁ。分かった、ちょいと探してみんぜぇ」


「よろしく頼む。『紙スキ』職人の教育が終わったら親方たちには本業の木工で『印刷機』の量産をしてもらう予定だからな。『紙スキ』職人の育成は急務だな。…そのあとに『印刷』職人も育てねばならぬし、課題は山積みだな」


「ハッハッハッハ!これ以上年寄りを働かせようってのかい!もう『印刷機』一式と『紙スキ』道具一式で殿下からはタンマリ報酬をもらってるってぇのによ!このままじゃぁ御殿が建てられちまうぜ!」


「あ!そうか!『紙スキ』道具も量産してもらわねばならぬな!」


「………しくったぁ、藪蛇だったなぁ。そうなるとさすがにうちだけじゃ手が足りねぇ。独立した弟子たちに声をかけてみるかぁ」


「おっ、それはありがたい!」




…聞いたことのない言葉だらけで混乱してきました。

『眼鏡』『トロナ』『可動活字』『ジューソー』『粉砕機(ミル)』『エンキ性』『紙スキ』『印刷』…。

どれも初めて聞く言葉です。もちろんどんな意味かも分かりません。

リルに視線を向けても、首をかしげてリルにもわからない様子。




「そぉだ殿下ぁ。紙漉きのとき水槽に入れる『ネリ』って、何からできてんだい?ヌルヌルしてちょっと気色悪ぃんだけどよ」


「ん?ああネリか。あれはデンプン…小麦粉から作ったモノだな」


「ああ!合点がいったぜぇ。糊ってわけだ」


「ご名答!本当ならトロロアオイという植物の根からとれるものが最適とされているが…帝都では手に入らなかったのでな。小麦粉で代用したのだ。おかげで最初のほうは剥がす時にくっついてしまったがな」


「なるほどぉ。あの失敗は糊自体が悪かったのかぁ。だいぶ薄めてやっと成功したからなぁ」



「そこでだ親方、ちょっと口をあけてくれ。手は濡れているだろう?」


「なんだぁ?アメでもくれんのかぁ?」



おじいさんが口をあけると殿下はその口に黒い木の棒のようなものを突っ込みました。

で、殿下!?いったい何をなさっているのですか!?


私が息をのむのをよそに、おじいさんはバリバリと小気味いい音を立てて棒をかみ砕いたのです!

あのお年でなんと丈夫な歯と顎なのでしょう!




「…甘ぇ。こりゃなんだ?菓子か?」


「その通り!これは小麦粉からデンプンを取り出した後、残ったものを焼いて黒糖のシロップをかけたものだ。名を『フ菓子(がし)』という」


「ハッハッハ!こりゃいい!無駄をなくそうってか!弟子たちにも食わせてやってくれぇ!」


「もちろんだとも!中央作業台に菓子鉢に入れて置いてあるのでな。好きなだけ食うといい」



あれはお菓子だったのですね!

ということは…あのおじいさんは殿下に「あーん」をしてもらったということですか!?

ずるい!私も「あーん」して欲しい!













!!!!


殿下がこちらにやって来る!

か、隠れなくては!


私とリルはすぐさま身をかがめ、窓の下に身を隠しました。






…殿下は気づかずに入口から外へ出て行かれました。

工房の視察はこれで終わりなのでしょうか。結局何を作っていたのかは分からなかったですね…。


そう思って後宮のほうへ向かおうとすると…。


「フィリア様!殿下は工房の横へ向かわれました!」


まだ何かあるのかしら?


幸い殿下の目的地は工房のすぐ横だったらしく、尾行のようなまねはせずに済みました。














「あ、あれは!?」


思わず声が出てしまいました。

そこでは一人の男性が白くて薄いものを斜めに置かれた木の板に張り付けていたのです。

張り付けたものを刷毛で撫でているようですが…。



あれは紙!?

殿下は紙を作っていたのですか?

でも紙は普通、羊の皮から作ると聞いていたのですが…、工房のどこにも羊に関するものは見当たりませんでしたし…。




「出来はどうかな?」


「あ!殿下!使い物になりそうなヤツができるようになりましたぜ!しっかり乾かしましたからすぐにでもつかえやす!」


「そうかそうか!では皆を集めてくれ!印刷機のほうも仕上がったのでな、試し刷りをしよう!そのあとは昼飯だ!」


「へい!」




いけない!殿下から指示を受けた男性がこちらに来ます!







…なんとか物陰に隠れてやり過ごしましたが…。

とっさに隠れたコレ…紙を乾していた板と同じものですね。

こっちにもあるなんて、本当にたくさんの紙を作っているのですね。















また最初の窓のところへ戻ってきました。



殿下たちは機織り機のようなものの前に集まってなにやら作業をしています。

その空気は張り詰めていて、こちらにまで緊張が伝わってくるようです。




「よし、植字をするぞ」


「殿下!記念すべき最初の文言はどうする?」


「まだ成功すると決まったわけではないのだ。無難に『帝国に栄光あれ』でいいだろう」


「………え い こ う あ れ っと。しっかりインテルを挟んで…できました!」


「よぉし、紙をセットするぜぇ」




「うむ。…出来たな。ではインクをまんべんなく塗って…そうだ。そしてこのレバーをおろして、引く」


「どうだ…?」



ゴクリ…。




「…あーーーーー…」


外された紙を見て、みんな落胆の表情を浮かべました。

うまくいかなかったのかしら…?






「いや、落ち込むにはまだ早いぞ。これは『ズリ出し』といってな。印刷機の慣らし運転だ。ここから何回か刷れば活字にインクが乗ってきて、キレイにいくはずだ」



殿下の言葉でみんなの表情に光が戻りました。

殿下は皆から信頼されておられるのですね。





1枚、また1枚と紙をはがすうち、皆の表情がどんどん輝いてゆきます。

そしてついに10枚目がはがされると…。





「…成功だ!」


「おおおおおおーーーーー!!!」




殿下が高らかに宣言なされると、歓声が上がりました!


…でもいったい何ができたのでしょう?















「おーいネルソン。昼飯もってきてやったぞー!」


その時、工房の入口から一人の女性が入ってきました。

背が高くて…体も大きい方ですね。

その両手に取っ手の付いた木の箱をもっています。


「おお我が愛しのヴィオレッタ!今日は一段と美しいね!その上私の為に昼食をもってきてくれるなんてなんて優しいんだ!」


「何言ってんだ。お前が全員分予約注文したやつだろ。ウチは出前やってねえッて言ってんのに前金置いてかれたら作らざるをえないだろ。何回言わせんだ。おかげで宮廷の裏口顔パスになっちまったじゃねェか」






………え?


愛し……の…?


ネクサス様は、殿下はまだ女性に興味がないって言っていたはずなのに…?






「そうだヴィオ!ついに活版印刷が成功したんだ!これで安価な本を大量に流通させることができるぞ!」


「へぇ!ずっと入れ込んでたアレができたのか!見せてくれよ!」


「いいぞ!……よし、よっ!はっ!」


「届いてねェじゃねぇか。このレバーを下せばいいのか?」


「そ、そうだ。で、下ろしたらこっちのレバーを引くんだ」




「お!刷れた刷れた!なるほどなー、今は一文だけしかねェが、これを文章にしてページを作るんだな」


「その通りだよヴィオ。一文字一文字植字するのは手間だが、一度組んでしまえば何百、何千というページが刷り放題だ!」



「前から気になってたんだけど、安価な本ができるってのは分かったよ、でもネルはその安価な本で何をする気なんだ?」


「んむ?そうさなぁ。面白い本を作るぞ、まずはな」


「面白い本?」


「そうだ。吟遊詩人が歌うような心躍る英雄譚でもいいし、笑える喜劇でもいいし、帝都のうまい食事屋を集めた紹介本でもいい。それを皆が読めば識字率は上がるな。私塾で習うより、楽しいものを読みたいってほうが案外早く覚えるものさ」


「へぇぇ。識字率が上がるとどうなるんだい?」


「皆が文字に親しむようになれば、自ら物語を書く者もたくさん出てこよう。そうすればもっと面白い本がたくさん出回るようになる」


「もっと面白い本がたくさん出回ると?」


「私が楽しい!!!」


「アハハッ!そんなこったろうと思ったよ!やっぱお前はそうじゃなくっちゃな!」





え?え?え?

なぜ二人はそんなに親しげなの?

なぜ楽しそうに笑い合っているの?

なぜ殿下の隣にいるのは私ではないの?


なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?






「さ!そろそろ昼食にしよう!ヴィオ、配膳をお願いするよ」






「しかしよぉ、殿下はすげぇなぁ。紙漉きも活版印刷もいままで誰も思いつかなかったのによぉ」


「いや、それなのだがな…。私の個人的な考察なのだが、これは初代帝の功罪なのかもしれん」


「初代帝の?どういうことなのですか?殿下」


「帝国は麻の栽培が盛んだろう?だったらどこかで紙漉きを行う文明があったとしても不思議ではないのだ」


「あー、もしかして初代帝が征服して滅ぼした国の中に紙漉きの文化を持つものがあったかもしれないってことさー?」


「うむ。そういうことだ。それに皆は『麻酔(あさよ)い』というものを聞いたことがあるか?」


麻酔(あさよ)い!?聞いたことねぇな!」


「本来、麻の仲間の植物には阿片のように人を狂わせる成分が入っているのだ。だが、帝国産の麻にはそれがほぼ無い。帝国産の麻は品種改良…人を狂わせる成分の少ない種だけを選んで育てた形跡があるのだ」



「…ネルって普段はこんなに頭いいのによォ…」


「それは君の魅力に狂わされているからさヴィオ」




「「「アハハハハハハ!」」」





「あ、ちなみにこの麻紙(まし)と活版印刷機だが、『ドラウデン紙』と『ギャレッジ式印刷機』と名付けるからな」



「ブーーーーーッ!」

「ブフッ!?」

「ブフォ!ゲホゲホゲホッ!」


「こ、こら!ヴィオの作ってくれた料理を吹き出すんじゃない!」


「それ作ったのオヤジだよ…」



「か、勘弁してくれよ殿下!」


「兄ちゃんの言うとおりですよ!僕たちは殿下の指示通りに作っただけなんですから!」



「仕方ない、ではユーリカ紙とユーリカ式印刷機と…」



「………………………」


「やめてやってくれぇ殿下ぁ。ユーリカの精神力はもうゼロだぁ。最初のヤツで頼む」








△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽







「フィリア様、私もう我慢なりません。殿下に直接問い質して参ります」




なぜ?なぜなの…。

なぜ殿下は私を見てくださらないの?

なぜ殿下は私に興味がないの?

















「殿下、少々お話がございます。よろしいでしょうか」


工房へ入り、殿下につかつかと歩み寄ったリルは有無を言わせない口調で言いました。



「む?うむ。分かった。皆は昼食を続けていてくれ。菓子鉢のフ菓子も好きに食べてくれていいからな」



二人は工房の入口を出てすぐのところで話し始めました。

私はなぜか殿下に顔を見られたくなくて、紙を乾かしている板の陰に隠れました。





「殿下は婚約者よりもこの工房が大事なのですか?」


「婚約者?…ああ、セリアとか言ったか。彼女とは今日会ったばかりなのだぞ。大事も何もあるか」




!!!!!



「フィリア様です!フィリア様は殿下の妻となられるのですよ!?フィリア様というお方がありながらドワーフの女や平民の女にデレデレと…」



「ふん。妻と言っても親同士が決めた政略結婚ではないか。それに女性の美しさに貴賤は関係ない。ユーリカとはそういう関係ではないが、ヴィオは外見だけでなく性格もさっぱりしていて好ましい。だから褒めるのは当然のことではないか」



…親同士が、決めたもの…。

殿下に選ばれたわけでは…ない。



「あの赤毛の女は体も大きいし口調も全く女らしさがないではありませんか!」


「女らしさだけが女性の魅力だと思っているのか?だとしたらずいぶん了見が狭いのだな」


「普通の男性はフィリア様のようなしとやかで守ってあげたくなるような女性を好むはずです」


「はっ。残念だったな。私は普通になど興味はない。着替えも一人で出来ないような貴族の女性よりも、自分で働いて自立している強い女性のほうが好きだ」



着替えも一人で出来ない…。

自立していない…。



「…殿下はこのご婚約に反対なのですか?」


「何を言う。私も皇族の端くれだ。政略結婚を否定したりはせんさ。だが、結婚したからといって妻に興味を持たなければならない理由にはならんだろう?」





…!

私は今、何を思った?


なぜ私は今、安心したの?

興味はなくても結婚してくれるって殿下が言ったから。

興味を持ってもらえなくてこんなにつらいのに、結婚してくれるっていうだけで安心した?



こんなに自分に失望したのは初めてです…!!!


私は殿下に私を見てほしい!

私に興味を持ってもらいたい!

殿下も言っていたではないですか!結婚したからといって興味を持ってもらえる理由にはならない…!



「それに私はメインヒロインぽい女性は好きではないのだ」








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「………ア様!フィリア様!しっかりしてくださいフィリア様!」



どのくらい時間がたったのでしょう。

私はドレスの裾をギュッと握ったままうつむいてはらはらと涙を落としていました。


いつの間にか殿下とリルの話は終わり、殿下はどこかへ行ってしまわれた後でした。



「…フィリア様、夜会まで用意していただいたお部屋でお休みになりましょう」



そうでした…今夜は殿下と私の正式婚約の発表のための夜会があるのでした。

でも、殿下のお気持ちを知ってしまった今となっては…。


もう何も考えたくない。

半日の間に初めての恋と初めての失恋を味わってしまったのだから。









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私はどこにいるのでしょう。


あの後、部屋に戻ってベッドに入ったものの、目を瞑れば殿下のお姿が浮かんできて。

耳をふさいでも殿下のお言葉が聞こえてくるようで。


じっとしていられず、夜着のままふらふらと後宮内をさまよっていました。







「フフンフフンフンフン♪ハービバノノ♪」


最初は幻聴かと思いました。

廊下の向こうから殿下のお声が聞こえたのです。


それが本物だとわかると、私はとっさに柱の陰に隠れました。

もう殿下に合わせる顔などあるはずがありません。


楽しそうな鼻歌…そういえば今日工房で何かが完成していましたね…。

きっとそれでご機嫌がよろしいのでしょう。





殿下は私に気付かず通り過ぎてゆかれました。

このまま部屋に戻ろう…そう思った時、殿下の匂いを感じたのです。

花の香りのような優しい匂い。


後になって考えれば、その時私は正気ではなかったのかもしれません。

殿下の匂いに誘われるがまま、殿下の後をつけていたのです。







殿下がある部屋に入ると、私もつられてその部屋へ入りました。


私がその部屋の棚の陰に身をひそめると…なんと殿下が服を脱ぎ始めたのです!

驚いてあたりを見回すと、ここはお風呂場ではありませんか!


私が狼狽えている間に殿下は服を脱ぎ終え、浴室へ入って行かれました。


そこで私は思い出したのです。ここまで殿下の匂いにつられて来たことに。

手を伸ばせばすぐそこに殿下がお脱ぎになられた服があります。

それにはきっと殿下の匂いが残っているはず…!


そう思った時には時すでに遅く。

私は殿下の服に顔をうずめていました。



その時の記憶は定かではありません。

ただ、殿下に抱きしめられたらこんな感じなのだろうな、と考えていました。




私が陶酔の彼方へ旅立っていると、浴室からチャプン…と水音がしたのです。




その時の私の行為を誰かに知られれば、私は自ら命を絶つしかありません。

その時どんな気持ちだったかと問われれば、答えは「何も考えていなかった」です。

見る、以外の選択肢は浮かびもしなかったのです。




そっと浴室の扉を少しだけ開けました。音をたてないように細心の注意を払って。


いた!殿下が湯船に浸かっておられます…!


私はつばを飲み込みそうになって、自分の口の中がカラカラであることに気付きました。


でも…。


「湯気が邪魔です…!」


湯気をこんなに憎く思ったのは初めてです!



私が湯気にイラついていると、殿下はふいに上半身を湯船から出されました。

湯気の切れ間から見えた殿下は、濡れた御髪が体に張り付いていて、皮膚にはじかれたお湯が宝石のように滑り落ちて、お湯で温まっておられるはずなのにそのお肌は透けるように白くて…!


そ、それに今チラッと見えたのは!

薄い桃色の…乳首!だ、男性にも乳首ってあるのですね…。

乳首… 殿下の乳首…





湯船からお体を起こされた殿下は、脇に置かれていた棒のようなものを手に取られました。

そして御髪をひとふさ取られると、その棒に当てたのです。




「クックック!やはり私の推論は正しかったな…魔石の正体は魔力を帯びたスイショーだったのだ。この魔石レンズ…いや『魔導レンズ』を造れたのが証拠の一つだ。純度の低い光魔石も魔導レンズに加工すれば弱くとはいえ治癒魔法が顕現する。それをこうして髪に当てればキューティクルが回復してツヤツヤサラサラだ!これでもっとキレイに髪を伸ばせるな。目指せアル○ィーのタカ○○ワさんだ!そなたもどうだ?ホレホレ」



殿下しか見ていなかったので気付きませんでしたが、殿下の前の空中には半透明の…深皿をひっくり返したようなモノがふよふよと漂っていました。

あれは何なのでしょうか…?

殿下があの棒をソレに向けると先端の横がぼんやりと光りだし、ソレは光に吸い寄せられるように蠢いていました。



「うむ、気持ちよかろう。…なに?魔石の形を変えても内包する魔力量は変わらないだろうって?」


殿下はどうやらその半透明のモノと会話をしているようですね…。

でもアレ、とても言葉を話す存在には見えませんが…そんなことより!


殿下と一緒にお風呂に入るなんて!

しかもその位置なら殿下の裸を見放題ではないですか!

ずるいずるい!半透明のくせにずるい!



「ミズクラゲよ…そなた脳がないのに妙に賢しいな。まあいい、それはな、おそらくだが魔力に指向性を持たせることができたからだ。それゆえ、低純度でも一部分だけ高魔力を発することができる。今までの魔石はその魔力を全方位に放っていたから無駄も多かったのだ。マグライトも金属の筒がないとできないし、光魔石照明もガラスで覆わなければ光が散ってしまうだろう?」


そういいながら殿下は棒で御髪を梳っています。


「うん?そもそもなぜ魔石は魔力を帯びているのかって?……そなた、本当に脳も心臓もないのか?信じられんな。…それは魔力のメカニズムを解明せんことにはなんとも言えんな。エネルギーを内包しているというところはゼンセのスイショーがアツデンタイであることに似ているが…それではレンズ状にして指向性を持たせられることが説明できん。光魔石だけかと思ったら他の属性の魔石もレンズにして指向性を持たせられたので、魔力そのものが光に似た性質を持っているということか?すると魔石そのものの物性はスイショーで、内包する魔力エネルギーが光の性質を持つ?…まてよ?生物の骨や腱もアツデンタイであるという話を聞いたことがあるな。すると人体内の魔力回路による魔力発生の基本メカニズムは…」



殿下は何やらぶつぶつとつぶやきながら思考に埋没されてゆきました。

真剣に考え事をする殿下の横顔はどこか物憂げにも見えて…。

…ああ、このお姿を肖像画にしてお部屋に飾って毎日眺めていたい…。










「おっといかんな。湯船につかったまま考え事をしていたら逆上(のぼ)せてしまう。そろそろあがろう」




!!!!!!


いけない!殿下がお風呂から上がろうとなさっている!

こここここのままでは覗きがバレて…。




!!!!!!!!!!!







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「ハァ…ハァ…ハァ」


「フィリア様!?いままでどこに行かれていたのですか!?」


なんとかお部屋まで戻ってきましたが…。

最後に見た殿下のお姿…。


お風呂から上がろうとすれば、当然湯船から上がって入口の扉に向かわれるわけで。

お風呂に入っていたのだから、当然服は着ておられないわけで。

そしてお風呂に入り口には私がいたわけで…。



見ちゃった…殿下の一糸まとわぬ裸体。

お湯に濡れた肢体は艶めかしく煌めいて、それでも体つきはやっぱり男の子で。

あの棒の効果なのか、さらに輝きを増した御髪がぴったり体に張り付いていて。


それに…それに!

あああああああの股間にあったモノは一体!?

私にはついてないアレ…なぜだか私の心をゾワゾワさせるアレ。

見てはいけないような、もっと見ていたいような不思議な気持ちにさせるアレ。


アレは一体なんなのでしょう…頭に焼き付いて離れません…。



「フィリア様。ぼんやりなされていないで夜会の支度を致しましょう。お早く」



私が放心している間に、リルはてきぱきと支度を始めるのでした。












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「皆々方、よく集まってくれた。楽しんで行ってくれ」



殿下が壇上から挨拶すると、夜会が始まりました。

立食形式の夜会会場では帝国貴族の方々がグラスを手に談笑をはじめておられます。

私も殿下に並んで壇上に上がっていたのですが…殿下のほうは見られません。

午前中に失恋したこと、夕方にお風呂を覗いてしまった後ろめたさ。理由は両方です。







先に壇上から降りられた殿下のもとに、ご挨拶しようと貴族のお歴々が集まりだしました。



すると突然、殿下が胸を押さえて膝をつかれたのです!


「で、殿下!?どうされました!?」


私が慌てて駆け寄ると、殿下は苦しそうにうわ言をつぶやいておられました。


「しょ、ショーユ… ショーユが食べたい… いや、むしろ飲みたい!」


ショーユ!?聞いたことがありませんが、ショーユとは!?



「うう… せめてヒシオが… いや、コウジさえ手に入ればショーユが作れるのに…!」


なおも殿下はショーユ…ショーユ…とつぶやかれておられます。


「なぜだ… 酵母はあるのにコウジはなぜ無いのだ… この世界にコウジカビはいないというのか…! くぅぅ…」




殿下の症状に私も周りの貴族の方々も狼狽えていると、騒ぎを聞きつけた宮廷侍女や衛兵の方々が駆けつけてこられました。

あれはお茶会におられた侍女の方と工房に行ったときに見逃してくれた衛兵の方…!



「で、殿下が急に苦しまれだしたのです!ショーユショーユとうわ言を…!」


それを聞いた二人は顔を見合わせると、殿下に肩を貸して別室へと運ばれました。

殿下が心配になった私もそれについてゆきました。

















「それで…殿下は、なにかの御病気なのですか?」


「いえ…この発作は病気ではないようなのです」


ソファに横になられた殿下の脇で、宮廷侍女に事情を聴きました。



「典医の先生にも何度も見ていただいたのですが…病気の兆候は無いと」


「ではどうすれば…」


「それがなにも分からないのです…殿下自身がおっしゃるには、ショーユというモノさえ口にすれば治るらしいのですが…」


ショーユ…秘薬の名前なのでしょうか…。


「でも殿下がご自身で帝都中を探し回られたのですが…ショーユは見つからなかったのです…」


宮廷侍女も沈痛な面持ちでうつむきました。

そんな!では殿下は一生苦しみ続けなければならないというのですか…?


「なにか手はないのですか!?」


「症状を抑える方法は…ひとつあるのですが」


そう言うや否や、先ほどの衛兵がマグを大事そうに持って部屋へ駆け込んできました。


「殿下!干し海藻のスープができましたよ!ささ!」


殿下に駆け寄った衛兵は、マグの中身をゆっくり殿下に飲ませました。

すると殿下の表情が和らいでゆきます。



「こうして干し海藻か干し小イワシのスープをお飲みになると、症状を抑えることができるのです」


殿下をソファに横たえるとすぐに部屋を出て行かれましたが、このスープを取りにいかれていたのですね。


「それを聞いて安心しました…けど、症状を抑えるだけなのですね…」


「はい…。殿下御自身がショーユのことを諦めておられませんので、今はそれに賭けるしか…」










しばらくすると殿下の顔色もよくなり、ソファから立ち上がられました。


「すまなかったな、手間をかけさせた。夜会を中座してしまったな。会場へ戻ろう」


「殿下!ご無理をなさらないでください」


お倒れになったばかりなのに、皇太子としての責務を果たされようとなさるなんて…。

なんてお強い方なのかしら…。





その時、昼間の殿下のお言葉が蘇ってきました。



殿下は自立した強い女性が好き…。



そうです。たった一度の失恋がなんだというのです!

殿下が強い女性を好まれるのは殿下自身がお強いから。

強い殿下のお傍にいるには、強い方でなければ務まらない。



だったら私も強くなるしかない。


なんでも一人で出来るようになろう。

体も鍛えよう。剣も習おう。

強くなって殿下の隣へ立つために。




殿下に気に入られる為だと言えばお父様は反対なさらないでしょう。

お母様は…悲しまれるかもしれないけど。








全ては殿下の隣へ立つため。

そして殿下の、あの美しいお体を私のものに…!

そして…




















「さあ行こうスフィア殿。今日の夜会の主役は私たちなのだからな」







名前を覚えてもらうために!!!!!













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