第7話 ある大臣の怱忙
儂は栄光あるベルフィルド帝国の栄えある国務大臣のひとりである。
と、大見得を切ったが、政治的発言力はそこそこしかない。
爵位も男爵だし、領地も狭い。村5つ分しかないので、代官も一人で済んどるくらいじゃ。
それでも長年帝国にお仕えしてきた甲斐あって、国務大臣に選ばれとる。
これは非常に栄誉あることなんじゃが…実際には裏がある。
26年前、当代の皇帝陛下が帝都を奪還なされた後、宮廷人事は大掃除が行われたのじゃ。
前宰相(宰相といっても自称で、本当は大臣格じゃったが)がとんでもない奸臣でな、そやつの息のかかった貴族どもは軒並み没落する羽目になった。
それでも救われたほうで、どっぷり腐敗に浸っていた連中は断頭台の露と消えたわい。
儂は早いうちから皇帝陛下と通じておったから、領地は安堵されたがの。
そんな下地があってな、皇帝陛下は貴族派閥間のパワーバランスに苦慮しておられる。
増長しないよう大派閥の力を抑えながらも、心離れしないように派閥の存続に注力したりな。
その力関係の調整に、儂がお力添えをしておる、というわけじゃ。
儂の国務大臣としての担当は街道の管理じゃ。
街道の整備はもちろんのこと、商人たちへの通行許可証の発行・管理、通行税の徴収、僻地への物流の免税措置とその調整、それが領地ごとに不公平にならんよう配慮して利益分配したり、損を分かち合ったりしたりする。
そのために大商人たちの顔色を窺ったり、領主たちへ儂自らあいさつ回りをしたりせにゃならん。
大仕事じゃが、その分影響力も大きい。
なんせ街道は2代皇帝の御世に帝国中に張り巡らされたからのぅ。
街道担当大臣の決定は帝国全土へと波及するのじゃ。
皇帝陛下は影響力の大きいこの役目に、あえて儂のような弱小貴族を任命なされた。
そうすることで大派閥の影響力を抑えたのじゃ。
まぁ、大派閥がそれを唯々諾々と飲むはずがないでな、代償として大派閥筆頭の貴族の令嬢と皇太子殿下のご婚約が約束されたというわけじゃ。
皇太子殿下も令嬢も御生まれになるまえから婚約が決まっておったのじゃ。
だから儂はとかく忙しい。
商人たちは税の減免を求めてせっついて来よるし、領主たちはもっと利益をよこせと文句を言うしな。
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儂の前に一人の男がおる。
前といっても、執務机のその向こう側におるが。
人払いをしたので、部屋には私とこの男の二人きりだ。
場所は儂の執務室。宮廷の錦秋殿の一角にある。
部屋のカーテンは閉め切られ、執務机の上の蝋燭だけが唯一の明かりじゃ。
男は真っ黒なローブを着て、フードを目深にかぶっておる。そのせいで相貌は見えん。
不気味な男じゃ。
「エルデン卿。お会いできて光栄です」
男は深々とお辞儀をした。栄光となど露とも思っておらんくせに。
「儂は忙しい。要件は手短にな」
「エルデン卿…貴方は今のお立場に満足しておいでか?」
「……何を言っておる」
「貴方のその地位ならば、もっと益を手にしてよいのでは?と」
「………儂に帝国を裏切れというのか」
確かに、儂が帳簿の数字を書き換えれば、その差分を懐に入れることも可能だ。
「滅相もない。何も不正をしろと言っているのではございませぬ」
「ならば儂に何をさせようというのだ」
「ネレウス皇太子殿下ですよ」
「なに?」
こやつ…いったい何を企んでおる?まさか、皇太子殿下に危害を加えるつもりではないだろうな?
「皇太子殿下は皇帝陛下に大変愛されておいでです。皇太子殿下の言うことならば、陛下は無下になさらないでしょう。そこを利用するのです」
「殿下は宮廷内でも評判の麒麟児じゃぞ。機智に優れ、珍しい魔法も使いこなしておられる。そのようなお方が易々と利用されるとは思えぬが」
儂がそう反論すると、男は苛立ったように身じろぎした。
その時にちらりと見えた口元は舌打ちをするように歪んでおった。
「いくら優秀なお方とはいえ所詮は10歳の子供。天才と呼ばれて増長している今こそ好機。適当なおもちゃでも与えてやれば喜んで飛びつくでしょう。そうして信用を得て、貴方が後ろ盾となるのです。そうすればもうこちらのもの。殿下の要望だと騙ればあらゆる要求が思いのままです」
…。
儂が黙り込んでいるのをいいことに、男は自分の計画を語り続けた。
「そうして無茶な要求を通し続ければ、やがて皇太子殿下は信用を失うでしょう。ですが、それは問題ではありません。皇位継承権を剥奪し、どこか地方にでも押し込めてやればよいのです。そうなればもう用済み。貴方はそれを第2皇子のクロノス様と協力して行ったことにするのです。無能な皇太子を廃嫡した、正統なる皇位継承者はクロノス様だと声高らかに宣言すれば、やがてクロノス様が帝位を継がれたとき、貴方は宰相として迎えられるでしょう。さらに貴方の孫をクロノス様に嫁がせれば、貴方は皇帝の岳父として貴方自身だけではなくご一族の…」
男は饒舌に語り続けているが、儂は構わず窓辺へ行き、分厚いカーテンを開け放った。
勢いよく開いたので、その風で蝋燭の火が消えた。
「皇太子殿下のことを悪しざまに言うのは許さんぞ!」
蝋燭の不気味な光が消え、窓から差し込んだ陽光が照らし出したその顔は…
「たとえそれが殿下ご本人の事だとしても、です!」
ネレウス皇太子殿下その人であった。
「むう。いつから気づいておった?」
「最初からです!」
「さすがはエルデン卿。父上からの信頼が厚いだけのことはある」
「誰でもわかります!いいですか!まず背丈!そして声!あとフードの隙間から御髪が出てます!」
「変装は完璧だったはず…」
「ローブ着ただけではないですか!それになにより、面会の約束を申し入れてこられたのは殿下ご本人だったではありませんか!」
「それは盲点だったな」
「しかもなんですか!カーテン閉め切って蝋燭灯して待つように、とか!敬語は禁止で、とか!先ほどのお話の内容も聞き捨てなりませんぞ!臣下に不正をそそのかすようなことを言ったかと思えばご自分のことを所詮子供だの増長しているだの…」
くどくどくどくど…
「クロノス様に帝位を継がせる?冗談にもほどがありますぞ!殿下がクロノス様のことを殊の外大事になされていることは存じておりますが皇位継承権とそれとは話が別!殿下は栄光ある帝国の正統なる後継者であってそれを軽々しく論ずるなどもっての外!」
くどくどくど…
儂が口角泡を飛ばしてお説教をしている間、殿下は…
御髪をいじって枝毛を探しておられた。
全然聞いとらーん!!
儂は全身の力が抜けてがっくりと肩を落としてしまった。
「ゼェゼェ… そ、それで、結局殿下はどうなさりたいのですか…面会の目的は…?」
と、年寄りにあまり無理をさせないでいただきたいのだが…。
「うむ。まぁさっきの話は冗談ではないのだ。『適当なおもちゃ』を所望しに参った」
「て、適当なおもちゃ…?」
おもちゃをねだられてこんなに精神をすり減らされる羽目になるとは…。とほほ。
「うむ。エルデン卿は仕事柄商人に顔が利くであろう。その伝手を使って手に入れて欲しいものがあるのだ」
「確かにおっしゃる通り商人に話はできますが… いったいどのようなものを?あまり突飛なものは無理ですぞ」
この殿下が欲しがるようなものだ。生半なものではないのじゃろう。
ドラゴンの卵か?精霊教会の秘宝か?
「うむ。細工物のできる腕利きの魔導具職人を用意してほしい。固定観念に凝り固まっていない若く柔軟な頭を持つものならばなお良い」
「あ、あと後ろ盾云々の話も本当だからな」