第6話 ある店主の困惑
俺の店ァ帝都港の近くにある酒場だ。
港の荒くれどもに酒と酒に合うメシを出すのが俺の店だ。
店を開いてから…そうだなァ、10年くれェかな。
焼きモンやら魚のカルパッチョみてェな簡単な料理と酒を出すのが俺の役目。
煮込みモンとかスープとか、手のかかるモンは母ちゃんの役目。
料理や酒を客のテーブルまで持ってくのが愛しい俺らの娘の役目ってェワケだ。
今、帝都は景気がいい。店の売り上げも結構なモンなんだぜ。
これも当代の皇帝陛下のおかげよォ。
24年前までの帝都、いや帝国はひでェ有様だった。悪大臣がいろいろやらかしてくれたからな。
その大臣を蹴散らしてくれたのが今の皇帝陛下さ。
あの時はもうお祭り騒ぎさ!俺もひよっこの料理人だったが、胸が熱くなったもんだぜ。
そん頃今の母ちゃんと出会ったんだけどな、へへへ。
帝都がまたにぎわいだしてやっと見つけた料理人の仕事。その勤め先の料理屋の娘が今の母ちゃんよォ。
もう一目惚れだったぜ。今もあんま変わってねェが、母ちゃんはひどい人見知りでな。
口説くのに苦労したぜ。
帝都の復興に比例して景気が持ち直してきていたからな。
波に乗り遅れちゃなんねェって必至こいて働いたさ。母ちゃん口説きつつな!
その甲斐あって母ちゃんと結ばれて、娘も生まれて。
おやっさんに暖簾分けを許してもらってな。この店を構えたってワケよ。
そんな順風満帆な俺の人生だけどよォ、最近困ってんだ。
いや、なんかよくないことが起こってるワケじゃねぇ。
変な客が常連になったんだ。
変、っつッても、金払いもいいし、モノを壊すワケでも騒ぐワケでも喧嘩するワケでもねェ。
とにかく変なんだよ。
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大体来るのは九ツ鐘を少し過ぎたころ。
晩飯には早ェ、店の空いてる時間だ。
空いてるって言っても、港の早番あがりの連中が一杯やってたりして全く客がいないわけじゃ無ェ。
その頃になると何の前触れもなく、突然10人くらいの客が入ってくる。
普通よ、団体客ってェのはざわざわ喋りながら入ってくるもんだが…奴らは一言もしゃべらねェ。
いや、怖ェよ。
ガタイのいい連中が連れだって無言で店に入ってくんだぞ。
いっちゃん初めは強盗か!って身構えちまったよ。
その連中は店の中をぐるっと見回した後、外へ向かって手招きして、それから3人くらいずつに分かれて店の端っこのテーブルに着くんだ。
店全体を見渡せる席にな。
そのあとアイツが店に入ってくるんだ。
数人の屈強な男たちを引き連れてな。
10歳になるかならねェかくらいの小僧なんだけどよ。
大勢の男どもを引き連れてる時点で普通じゃねェだろ?
どう見ても護衛だよな。身なりのいい子供に無言で付き従っている屈強な男共がいたら護衛に決まってんだろ?
その小僧はよ、飾り布のごてごてついたいかにもお貴族様が着るような服着ててな。
女共が嫉妬しそうなくらいサラッサラな金髪を胸のあたりまで伸ばして後ろに流してる。
顔も整っててなぁ。将来は大勢の女を泣かすんだろうよ。
深い蒼の目は小僧とは思えないくらい落ち着き払った光を宿してやがる。
この容姿、実は聞き覚えがあんだけどよ…突っ込んだら多分、虎の尾を踏むことになる。
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小僧はいつものカウンター席に着く。
その両脇が護衛の連中だ。
「ご注文は?」
すかさず娘が注文を聞きに行く。
…ちょっと警戒してやがる。まぁ毎度毎度アレをやられちゃそうなるわな…。
「おお!ヴィオレッタ!美しき私の港!今日も一段と美しいね…」
やっぱ今日もやんのか…アレ。
小僧、来るたび毎度毎度俺の娘、ヴィオを口説きやがる。
なんせ初対面から「美しい…!こんなに美しい女性を見るのは初めてだ!」とか抜かして娘の手を握りやがった。
普段だったら怒鳴りつけてやるんだが、そん時ャ小僧の護衛たちを見るのも初めてだったからな。雰囲気にのまれて何も言えなかった。
ちなみに男を船、女を港と見立てるのは船乗りたちの間じゃあ口説き文句の定番だ。
娘は顔を真っ赤にしながらも、小僧が手を握ろうと出してきた手をサッと避けた。
おお!進歩したじゃねェか!今までは硬直してされるがままだったってェのに。
小僧はこの世の終わりみたいな顔をしてやがる。
いい気味だと思ったが、娘はその顔を見てさらに顔を赤くしやがった。ユデダコみてェだ。
「注文は…サザエのつぼ焼きと、カツオの酒盗、あとアジの一夜干しをもらおうか」
「オヤジ!聞いてたろ!アタシは他をまわっからな!」
あいつ逃げやがったな。娘は隅の席の護衛たちに注文を取りに行った。
護衛たちも毎度律儀に注文してくれるからな。上客なんだが…なんだがよォ。
あと、どうでもいいが小僧のチョイス、シブすぎんだろ!?ホント歳いくつだよ?
両脇の護衛は「でん……この方と同じものを」とか注文しやがったが。
まあいい。聞こえなかったことにしといてやろう。藪をつついて蛇を出すこともねェ。
ヴィオ…俺の娘は、なんというか…俺に似ちまった。
俺ァ無駄に体がでけェ。昔っからあだ名は鬼熊だった。
酒場の仕事は酒樽担いだりすっからな。鍛えてるわけじゃねェが筋肉もついてる。
そんな俺に似ちまった娘は14の女にしちゃあ上背がある。
肩幅も広いし、骨盤もしっかりしてる。
顔は母ちゃんに似て美人になってくれたが…。
接客が苦手な母ちゃんに代わって、俺と一緒にちっちぇえ頃から荒くれどもの相手してたら口調も性格も活発に…いや、威勢のいい……、…男勝りになっちまった。
一緒に風呂に入らなくなってからは直接見たわけじゃねェが、多分筋肉もそれなりについてんだろうな。
こんなに逞しく育っちまって…嫁の貰い手がいんのか?とか心配してたんだが。
小僧はなかなか見る目があんな。そこだけは認めてやる。
やっぱヴィオの可愛さは分かるやつにはわかるんだよなー!うんうん。
しばらくして料理が出来上がると、小僧は嬉しそうにさざえのつぼ焼きをほじくり始めた。
「時に店主よ。ヴィオを嫁にいただきたいのだが…」
ほらきた。ハッハッハ!
だがなー、ヴィオはそう簡単にやるわけにはいかんぞォ!10年早いわ!
「店主は爵位を拝領する予定はないのか?」
「ねェよ!なんでそうなんだよ!」
驚いて大声が出ちまった。なんで酒場のオヤジがいきなり爵位賜んだよ!?
小僧も驚いてさざえの身を途中で千切れさせちまった。
「ああ…せっかくのさざえの苦いところが…」
ざまぁみろ。いい気味だぜ。
てか子供のくせにさざえの苦いところ好むんじゃねェよ!アレのうまさは大人の特権だぞ!
「店主よ…身分違いの恋など、双方にとって悲しいことになるだけではないか」
そりゃそうだがよォ…。
だからって相手の身分を底上げしようってのか?
普通は自分の身分を捨てるモンじゃねェのかよ。
でもやっぱコイツお貴族様か?
「むう…予定がないなら皇帝陛下に直接掛け合って…」
「ヤメロ。いやほんとマジでやめてくれ」
皇帝陛下に直接掛け合えるってか。
やっぱ噂は本当…なのか?
最近、怪しいやつが帝都内のあちこちで目撃されてるらしい。
大勢の護衛を引き連れた美少年。長い金髪をなびかせて貴族街、商店街、住宅街、下町、裏町のべつ幕なしに訪れるという。
…風体を聞くにまんま目の前の小僧じゃねェか。
いかにも貴人丸出しで裏町とか行ってんじゃねェよ。危ねェだろ。
と、思いきや裏町の連中に袖の下から賄賂の鼻薬を嗅がせまくってんだってよ。
金に飽かせてなにやってんだ…。
特に多く目撃されてんのが市場だ。
そいつはあるものを探し回っているんだそうだ。うちの店も贔屓にしてる香辛料屋のジジイから聞いた。
「店主よ。重ねて聞くが…本当にコメのことは聞いたことも無いのだな?」
「ああ、知らねェ」
「ヒシオもミソもショーユも…」
「知らねェ」
「前回聞いた時から、今日までの間に…」
「ねェな」
というか、俺にも聞いてる。今まさに。
説明はされたが、大豆が調味料になるなんて聞いたこともねェ。
酒盗みてェに発酵させるってェんだがよ…腐るだけだろ。
「ああ…」
小僧は絶望したように両手で顔を覆った…ように見せかけて、奥の厨房から料理を運んできたヴィオを指の間から見てやがる。
あれは乳が揺れるのを見てやがんな…俺も男だ。分かんだよ、なんとなくな。
小僧は気を取り直したのか、料理を運び終えて戻ってきたヴィオをとっ捕まえて口説き始めた。
てかよ…親父の目の前でやんなよな…。
「ああヴィオ!君は本当にカワイイな。その腰つきは私を魅了してやまないよ。すらりと伸びた足はまるで彫像のように美しいのに、豹のような気高い力強さを秘めている…!炎よりもなお紅い長く美しい髪は私の心に火をつけるのに…私を見下ろすその瞳は癒しの大精霊様のように慈愛に満ちているね…だのに笑顔は本当にカワイイ!」
歯が浮くってェのはまさにこのことだな。
この年でこんなセリフがすらすら出てくるって…ワケが分かんねェよ。
しかも小僧が一番気に入っているであろう大きい乳のことは褒めないって、どんなテクニックだよ。
ヴィオはまた顔を真っ赤にして固まってる。
「ア、アタシがそんなにカワイイワケねェだろ!おおおおお世辞もいい加減にしろよ!アタシは背もでかいし声だって低ィし…お、男女だしよ…」
ヴィオはちっちぇえ頃から体が大きかった。
だから、近所の悪ガキどもはヴィオを男女ってからかってたんだ。
言われた本人は何でもねェような顔してたが…内心気にしてたんだろうな。
髪を長く伸ばし始めたんだ。手入れにも結構な気を使ってる。親父は知ってんだぜ。
まぁ仕事中はジャマになっから、頭の高い位置でくくってるがな。
でもそれがヴィオの真紅の髪色にはよく似合ってる、と思うのは男親の贔屓目か。
「男女…だと?」
小僧の雰囲気が変わった。今の今までヴィオに向かってだらしねェ笑顔を向けてた顔から表情が消えて、声も怒りがにじんでやがる。
小僧の豹変にヴィオも面喰って固まってる。
「誰か、君にそんなことを言ったのか…?」
「あ、いや、昔っから近所のヤツが…」
「そうか…君の魅力が理解できない痴れ者がこの世にいるとはな。それ以前に、君にそんな暴言を吐くような奴は帝国には必要ないな。殺してやろう。社会的にな」
殺ッ!?
あ、社会的にか。
いやいやいやいや!それだって十分穏やかじゃねェよ!
「なーに、10年も牢に入っていれば自分の愚かさに気付くだろう。それでもまだヌルいが…私は寛大なのだ。それで勘弁してやろう」
全然寛大じゃねェ!!
「それでヴィオ、そいつの名と住所と人相と家族構成を教えてもらえるかな?」
マジでやんのかよ!
しかも家族構成って…まさか連座でしょっ引くんじゃねェだろうな!?
俺がドン引きしていたその時、入口のスイングドアをドガァ!と乱暴に開いて数人の客が入ってきた。
3人…か。全員千鳥足でかなり飲んでるように見えるな。どう見ても酔っ払いだ。
ギャハハハとか下品な笑い声をあげているが、どうも厄介なタイプの客だな。
タイミングが悪ィ。小僧がいるときに
「なんだぁ?なんでこんなトコにガキが」
ガタタッ!
ドゴォ!「グヘッ!?」ゴリッ!「グホッ!?」ガギッ!「グヒュ…」
ザザッ!
ズルズルズルズル…
あー、何が起こったかわからねェと思うが。安心しな、俺も分からねェ。
まず酔っ払いの一人が小僧を見つけると、それを面白がったのか3人連れだって小僧にからもうとした。
小僧がそれを冷め切った目で一瞥すると、傍に控えていた護衛があっという間に酔っ払いどもを畳んじまった。
床に倒れた酔っ払いたちを小僧がまるでネズミの死骸でも見るような目で一瞥すると、今度は店の隅に控えていた護衛がソレを引きずって出て行った。
この間、小僧は一言もしゃべってねェ。2回、奴らを見ただけだ。
アイツら、きっと目が覚めたら牢の中なんだろうな…。
だが、もしかしたらアイツらのおかげで近所のガキの人生が助かったのかもしれん。
「ふむ。騒がせてしまったな。店主よ、客の方々に一番上等な酒を頼む」
…お前ェがやったわけでもないだろうに。
こっちは金さえ出してくれんならいいんだけどよ。
客共も「よ!お大尽!」とか軽く囃してるけど…絶対ェ「コイツの機嫌損ねたらマジヤベェ!」って思ってっからだろ。無理もねェが。
ヴィオも目ェ潤んでんじゃねェ!
「アタシのために本気で怒ってくれた…」とか考えてんじゃねェだろな!?
小僧自身も言ってたが、コイツに惚れても不幸になるだけだぞ!
「小僧。今更だがお前ェ、名はなんてんだ?」
小僧はもう1年近く通ってくれてんだが、まだ名は聞いてねェ。
まさかこんな変な連中が常連になるなんて思いもよらなかったしな。
「私の名はネル………ソン!ネルソンだ!」
なんで自分の名前言いよどんでんだよ。
明らかにいま思いつきました的な顔してんじゃねェよ。
小僧…ネルソンは料理を平らげ、ヴィオに熱い視線を送った後、護衛たちを引き連れて悠々と帰って行った。
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俺が聞いてた噂。
それはいろいろ探し回ってる怪しいやつらの正体についてだ。
いまから3年前、突然シーレーン族の重鎮たちが帝都港にやってくる事件があった。
なぜやってきたのか理由は定かじゃねェ。
奴らの対応にはまだ5歳の皇太子が当たったそうだ。
いくらシーレーン族が皇室に親しいとはいえ、外交の場に5歳の子供が引っ張り出されるなんて、普通じゃ考えられねェ。
しかも対応に感激したシーレーン族の重鎮たちは、その場で皇太子への忠誠を誓ったという。
感激のあまり空を泳いだなんて言う噂もあるが、さすがにそれは眉唾すぎんだろ。
その後、どこぞの酒場で酔いつぶれた衛兵が「皇太子殿下は宮廷でも評判の天才だ。既に次期皇帝としての器をそなえておられる」とか漏らしちまったもんだから、この噂は信憑性がついちまった。
3年前当時に5歳だから、皇太子殿下は今8歳のはず。
女の口説き方を見ると忘れそうになるが、ネルソンの小僧もそんぐらいに見える。体はな。
又聞きだが、3年前に皇太子殿下を目撃したやつの話によれば皇太子は金髪碧眼だったそうだ。
外見、年齢が一致してやがる。だから街の連中はこの怪しい奴らの正体は、お忍びの皇太子殿下ではないかと噂してんだ。
そうすっと、こういう構図が成り立つわけだ。
皇太子=怪しい奴ら=ネルソン
あくまで、噂を聞いて俺が勝手にそう思い至っただけだ。
だが、それを否定する根拠もまたねェんだ。
まさか本人に問いただすワケにもいかねェ。あの酔っ払いたちの二の舞はゴメンだぜ。
冒頭の話に戻っちまうが、だから俺は困ってんだ。
変な奴らが常連になった、ってな。