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ある皇太子の逡巡  作者: ねぎまんぢう
第1章 0~10歳編
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第2話 ある侍女の賞嘆



私は、自分の仕事に誇りを持っている。


なにせ帝都の宮廷付きの侍女なのですから。

ただの侍女ではないのです。侍女の中の侍女!宮廷侍女!

皇族の方々のお世話をするのですから、身分卑しき輩ではまずなれません。

かくいう私はヴィルヘイム伯爵の三女クリスティネ。身分はそれなりに高いです。

妾腹ですが。精霊教会の修道院に入れられていましたが、教会歴史学の学士様付きに任命されてからその才を発揮し、北方教区にその人ありと言われるほどになりました。

そのまま学士を目指してもよかったのですが、私も女ですから、華やかな仕事にあこがれがありました。

ですので、教区長様のご推薦を頂き、宮廷侍女になりました。

若いうちが華の職場ですし、年を取ったら教会へもどり学術の道へ進むつもりです。

それまでに帝都で結婚相手が見つかればなー、などと甘い期待を抱いていたことは否定しませんが。


宮廷侍女の中でも比較的身分の高い私は、お生まれになられたばかりの皇太子ネレウス様付きに任命されました。





なんとまぁ皇太子様の愛らしいこと!

まさに絵にかいたようなかわいい赤ちゃん!

赤ちゃんのお世話は大変ですが、皇太子様の御顔を拝見するたびに表情が緩んでしまいます。




皇太子様が1歳になられる頃、疳の虫がひどくなられました。

昼夜問わずお泣きになられるので、我々侍女もくたくたです。

とくに乳母のリンネ様はご自分のお子様もおられるのに皇太子様につきっきり。

少しおやつれになられていました。

あまりにもひどいので、典医の先生に見てもらいましたが、特にご病気の兆候は見られないとのこと。

原因が分からないとは不安です。ああ、皇太子様が言葉をお話になられれば、原因がわかるでしょうに。

1歳の幼児には酷な期待をせずにはいられません。






ですが、それも半年ほどで落ち着きました。

このころになると、皇太子…ネル様はよちよちと歩かれるようになりました。

疳の虫のせいか、ハイハイはあまりされませんでしたが、つかまり立ちをとばしてすっくとお立ちになります。


その度に「ヤレヤレドッコイセ」と喋るのです。


ふふふ、可愛いですねぇ。意味の分からない、言葉にすらなってない声ですがお立ちになるときは毎回おっしゃられるので、きっとネル様の中では何かの言葉なのでしょう。

ネル様語といったところでしょうか。




ある日、ネル様がよちよち歩かれ、乳母のリンネ様の足元へ向かわれました。

私はその後ろ姿を見ながら「ああ、可愛いあんよ」とか「ぷりぷりしたおしり、たまんない」などと考えていました。


またおむつがよごれたのかしら?

賢いネル様は歩かれるようになってから、おむつが汚れると侍女やリンネ様のもとへ自ら赴かれるのです。

そう思って替えのおむつを棚から取り出し、ネル様を追いかけました。


その時、ネル様はリンネ様に向かって驚くべきことをおっしゃったのです。




「うばぁー くちばぉおしゅえれうえ」



私は驚愕しました。舌足らずとはいえ、ネル様はこうおっしゃったのです。


「ウ・バー クチバォ シュ・エレウ エー」



これは古代精霊語です。

ウ・バー=我が魂  クチバ=叡智(ォが語尾につくと、後ろの単語の所有形となる)

シュ・エレウ=神 エー=手に入れる、修める


こんなところで前職の知識が生かされるとは…。

つまり、ネル様は古代精霊語でこうおっしゃられたのです。







『わが魂、神の叡智を得たり』






いやいやいやいや!ありえません!

きっとネル様語が偶然そう聞こえただけです。


私が固まっていると、リンネ様はネル様を抱き上げました。

古代語が分からないリンネ様は顔をほころばせてる。

喋った内容はともかくとして、ネル様が初めて明らかに人に向けて意思をもって話しかけたのです。

うれしいご成長であるのは間違いないのですから。


この時は「偶然って不思議ねぇ」くらいの気持ちに落ち着きました。

そのあとはリンネ様と二人でネル様とおしゃべりをしました。

もちろんネル様は意味不明なネル様語でしたけどね。それもとても可愛らしいです。



ですが、ネル様に驚かされるのはこれが最後ではなかったのです。





△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽






「でたでた。クリスのネル様天才説」


半ばあきれるようにそう言うのは同じネル様付き侍女のエイダ。

彼女は宮廷騎士の家系の出で、弟さんが宮廷騎士団の小隊長をしているそうだ。


「茶化さないでよ!ネル様は本当に天才なんだから。きっと精霊様のご加護があるのよ」


エイダは口があまり良くない。もう4年近い付き合いになるから、バカにしているわけではないとわかるけど…宮廷侍女としてはどうなのかしら。


「相変わらずお堅いんだから…。確かにさぁ、ネル様は皇后様に似て美少年よ? でも、そこまで入れ込むほどなの?

 アタシと一緒に中庭駆けずり回ってるのをみると、普通のガ…ゲフン! お子様よ?」


使用人控室に備え付けのビスコットをバリバリ食べながら喋るエイダはとても誇りある宮廷侍女には見えない…しかも今何か不穏な単語を漏らしそうになっていませんでしたか?

口からもらすのは食べかすだけにしてほしい。いや、食べかすもダメだけど。


「そんなことはないわ。今ネル様がお読みになっている本、どんな本か知ってる?」


「知らない。しかし流石皇族ねぇ。3歳児に本なんて高級品を与えてるの?」


「そうね。皇帝陛下はネル様には甘いから…ってそうじゃなくて。本の内容よ」


「なになに?そんなヘンテコな本なの?」


「タイトルは…『ドラゴン災害の実録と対策』」


「なにそれ?完全に学術書じゃない。叙事詩(サーガ)の『竜の結婚』のほうじゃなくて?」


『竜の結婚』もいい物語だけど…特に人族の英雄が竜に「人に近づいたお前を愛したのではない。竜のままの、ありのままのお前を愛したのだ」と告げるシーンは女心の琴線に触れるものがある。


「ネル様は読書家よ。…まぁまだ文字をお読みになれないから、私が読んでいるのだけど」


「そういえばクリス、ここの前は学者さんだったんだっけ。学術書の音読なんて、学者さんじゃなきゃ無理だわー」


「その前は『ソヴィル国税収支記録・岩塩』をお読みになったわ」


「それ、本じゃない。帳簿よ。税収記録を子供に与えるなんて…陛下、どんだけ…」


確かに、古い記録とはいえ属州の税収記録をお与えになるのは普通ではない…けど、きっと陛下もネル様が天才だと気付いてらっしゃるのよ。

裏面にラクガキする用に与えたとかではない…はず。


「それで?その帳簿読んだネル様はなんて?」


「『しおでもうけるのむりかー』ですって」


「…アタシの負けね。ネル様天才だわ。3歳で通商を理解してる」


そういうとエイダはぐでん、とテーブルに突っ伏した。

ふふん。やっとエイダも理解したようね。


「正しくは3歳と11ヶ月よ。来月お誕生日ですからね」


「はいはい。あ、誕生日で思い出したけど、3歳のお誕生日にネル様が陛下からもらった木馬あるじゃない?」


「あの、足に風魔石がついてて、走るやつ?」


「そうそれ。あれって本来は大人が歩くぐらいの速度しか出ないはずなんだけどさ」


「まぁ、子供用ですからね」

子供用だけど…皇太子用だから一流魔導具職人のオーダーメイドでかなりの値はするんですけど。


「ネル様が乗ると本物の馬のトロットぐらいの速度がでるんだわ」


トロットは常歩と駈足(かけあし)の中間くらいの速度。速足といったところですね。


「それこそまさかよ。ネル様がご自分で魔力を注いでいるとでもいうの?」


魔石の用途は、込められた魔力を魔法として放出すること。魔法は石の属性に依存します。

使い方は大まかに言って2通り。1つはあらかじめ込めた魔力を設定された一定量放出し続けること。もう1つは込めた魔力をすぐさま放出すること。

前者は照明などの魔法装置として使用し、後者は術者の持たない属性の魔法を使うための変換器として使用する。

つまり、設定された量以上の魔力を放出するためには術者自ら魔力を込めなければならないのです。


しかし、小さな子供は魔力回路が成長してないから、うまく魔力を循環させることができないはず。

循環できなければ放出することもできません。


結論として、小さな子供は魔法を使えない。魔法が使えなければ魔石も使えないのです。

だから、ネル様は魔法が使えるってことになるのですが…。


「でもさぁ、そうとしか考えられないんだよ。木馬の足から出る風がさ、渦巻いてるんだ」


「渦巻く…?つむじ風のようにってことですか?」


「あ、いや。つむじ風と違ってさ、こう…縦に渦巻いてるんだよ」


エイダは突っ伏した体勢から体を起こすと目の前に円を描くように指をくるくる回しました。


「馬車の車輪みたいに?」


「そうそう、まさにそれだよ。それでスイーッと走ってっちゃうんだよ、ネル様の木馬」


あの風魔石はただ風を一方向に出して木馬を浮かせるだけのもののはず…設定された以外の挙動をとるとなれば、やはりネル様が魔法を使えるということ。


ネル様の非才っぷりは魔法方面にもあらわれているのかしら…。








「あら?ネル様のお話?」


「「リ、リンネ様!?」」


控室の入口からネル様の乳母、リンネ様が不意に現れました。

控室はオープンスペースになっているのでドアなどはありません。

別に陰口を叩いていたわけではないですが、目上の方に噂話を聞かれるのは少し気まずいですね。


さっと居住まいを正した私たちを見てリンネ様はくすりと笑われました。


「そう固くならないで。貴方たちは休憩中なんだから、楽にしていいのよ」


そうおっしゃられましても、リンネ様は先代皇帝陛下の弟君のお子様。

つまり、当代の皇帝陛下のいとこに当たられるお方。

それをかさに着たりする方ではないのですが、やんごとない血筋のお方を前にすればだらだらした雰囲気を恥じてかしこまるのは当然です。


「ネル様と言えばね、先ほど面白いことがありましたの」


リンネ様のお家は先代の御世に臣籍降下され、伯爵位になられました。

ご本人は他の伯爵家に嫁がれておられますが、身分は私とほぼ同格。

まぁ、お血筋の『格』が違いますけど。


二人目のお子様がネル様と同年生まれでお乳がでること、そしてそのお血筋でネル様の乳母に選ばれたリンネ様。

元々のお立場は侍女長。つまり、私たちの上司です。


上司と部下、年齢も離れていますが、私とリンネ様は結構仲良しです。


なぜなら私たちは…『ネル様にメロメロ同盟』だからです!


私とリンネ様がネル様のお話で盛り上がっているときは他の侍女たちは蚊帳の外。

現にエイダも「また始まった…」とつぶやいています。




「ネル様が積み木で遊ばれていたのだけれど、積み木って普通、高く積み上げたりして遊ぶものじゃない?」


「まぁ、『積み』木ですからね」


「でもネル様は積み木を床に規則正しく並べてらしたの。(わたくし)、それを見てピンときましたわ。これは積み木を何かに見立てたゴッコ遊びだって」


「へぇ~!それで、何ゴッコだったのですか?」


「ネル様に、これは何ですか?って聞いてみたら、『しょーぎょーくかく!』ですって!」


「しょーぎょーくかく…? 商業… 商業区画!?」


「そうなの!それで、こっちは何ですか?これは?って聞いてみたのだけど、『じゅうたくくかく!』『けーさつしょ!』ですって」


「住宅区画は分かりますが…ケーサツショってなんです?」


(わたくし)も分からなかったから聞いてみたのだけれど、衛兵詰所のようなものらしいわ」


「町中に衛兵詰所を置くのですか?」


衛兵は宮廷騎士団の下部組織。

当然、詰所は宮廷騎士団の本拠地・夏砦にあります。

それを町中に置いたら、民を無用に威圧することにならないのでしょうか?


「それを聞いたら、ケーサツというのは衛兵の中でも治安対策の専門部隊で、民を守るものだそうよ」


民を守る?

皇族貴族は勿論のこと、帝都の帝国臣民を野盗や敵国兵などの外敵から守るのが宮廷騎士の役目。他の街や地方では領主軍や自警団がその役目を担っています。

その中でも衛兵は主君や主君の所有物を守っていて、それは主君が所有する街を含みます。

主君の所有する街を守る…その一環としての治安維持ですが…。

それを町中に置くということは、民から民を守るということ?

『善良な民』を『善良ではない民』から守る…?






「つまり、ネル様がなさっていたのは…」


「そう!『都市計画ゴッコ』よ!」


ああ…ネル様。

わずか3歳11ヶ月にして都市計画!

それも民を安んじる配慮まで…!

貴方はどれだけ天才なのですか…!





「でもねぇ、アレだけは何かわからなかったのよね」


「アレ、とは?」


「積み木の街の郊外に一つだけ高く積み上げられたものがあったのだけれど。何か聞いたら『タナシタワー』とおっしゃっていたわ。何のためのものか聞いたら『デンパトー』ですって」




神の叡智以来の衝撃が私を貫きました。

またしても古代精霊語だったのです。


タ・ナシ=他に類を見ない、未曽有の  タワー=尖塔

デン・パ=天啓、ひらめき、お告げ   トー=通す、通過させる、中継ぎ



他に類を見ない尖塔…?   お告げを通過させるためのもの…?




今回はちょっと意味が通じませんね。

でも、2年ぶりとはいえ偶然とは思えません。やはりネル様は精霊様のご加護が…。










「あ、あの! リンネ様は何か御用事があって来られたのではないですか?」


それまで黙っていたエイダが口を開きました。

リンネ様は乳母の役目に就かれている期間中、ネル様の寝室の近くのお部屋に二人目のお子様、つまりネル様の乳兄弟に当たられるお方と暮らしておられます。

だから、この使用人控室に来ることはないはずですが。



「そうそう!ネル様のお話に夢中になって忘れていましたわ。連絡事があったのでした。

 来月のネル様の4歳のお誕生日から、ネル様に教育係がつくことになりました。私の乳母としての役割はおしまいですね」


教育係…。

ネル様ももうそんなお歳になられたのですね。

教育係がつくということは皇太子、次期皇帝としての教育が始まるということ。

同時に乳母のリンネ様はお役御免。といっても元の侍女長に戻られるだけですけどね。

私たちの上司として、皇后様のお傍仕えとしてのお仕事に。


「教育係は結局、どなたが選ばれたのですか?」


侍女たちの噂話では、教育係の任命は少し紛糾していたはず。


「大臣たちのごたごたを見かねて、宮廷魔導師団の団長様が自ら立候補なされましたわ」


「「団長様が!?」」


私とエイダは声をそろえて驚いてしまいました。

魔導師団長と言えば50年の長きにわたりこの国の魔導師のトップを務めてきたお方です。


「でも、団長としてのお勤めは…?」


「自ら副団長に降格なされて、団長職は後進に譲られるそうで…教育係のお勤めが終われば、そのまま引退なさるそうです」


「そ、そんな!?」


団長様が引退?

あの美しい団長様は侍女の中でもあこがれの的。

気難しくて気位の高い種族のエルフなのに、とても穏やかで優れた人格のお方。


「このまま寿命の長いエルフの私が団長の地位にありつづければ、後進の重しにしかならない…そうおっしゃられたそうよ」


なるほど、後進の方々のためを思ってのことですか…。

それでもやっぱりさびしいですね。




それでも、あの団長様がネル様の教育係になられるのはとても喜ばしいこと。

天才のネル様に団長様の英知が加われば、この国は安泰です!

当代の繁栄がネル様の御世にも…いえ、もっともっとこの国は栄えるでしょう。








ネル様のこと、よろしくお願いしますね。

宮廷魔導師団長ネクサス様。






















しかし、美少年ネル様と美貌の魔導師ネクサス様…。

まさに美の饗宴!そんなお二人をこれから毎日拝めるなんて!


ああ…宮廷侍女になってよかった……!







「おいクリス。よだれが出てるぞ」












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