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捨てたいもの  作者: 青子
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「別に困らねえけど」

 ぽつりと呟いた滝岡の声は、私の耳に届いて、その意味を理解するのに少し時間を要した。

 顔を上げると、私を見ている滝岡と目が合う。

「だから、その顔」

 困ったように、笑われた。ぽんと頭をなでられ、その大きな手に心地よさを覚える。

「俺のほうこそ困る。こんだけ外堀埋めていってるのに、何にも知らない顔してそんなこと言われると、俺のやってきたことって何って感じ」

「……外堀?」

「よく考えろ。何とも思ってないやつに、看病頼むか? 財布預けるか? 友だちに紹介するか?」

 男の人にそんなことをされたのは、滝岡が初めてだ。

「一回しか言わねえからな」

 ぐっと抱き寄せられて、滝岡の顔が見えなくなる。

 好きだと耳元で呟いたそれはすぐに消えそうなほど小さくて、でも私の胸にじんわりと広がり温かさを届けてくれる。

「最初、お前が自分の……捨てたいって言ったとき、短い時間ですげえ迷った。俺は、お前と、ちゃんと最初からまともに関わり合いたかった」

 確かにまともじゃない。

 それを提案させた自分はつくづく変な奴なんだと思い知らされて、抱きしめられている中でも情けない気持ちになる。

「お前は、俺のこと何とも思ってなかっただろ。そうじゃないとあんなこと言えない」

 図星をつかれて、体から力が抜けていく。

「多分気付いてないだろうけど、俺はずっと、理子のこといいなと思ってた」

「……え?」

「入社したときからずっと」

「え、だって。彼女いたじゃん」

「いた」

 某アナウンサーに似ているという美人の彼女。

「だから、いいなってだけ。こういう子が彼女だったらいいなってだけだよ。告白する気なんてないし、付き合いたいとかでもない。とりあえず、いいなって思ってた」

 よく分からない、それは好きって感情とどう違うんだろう。

「言ってる意味が分かりません」

「同期の連中は分かってたよ。お前が俺のお気に入りだって」

 お気に入り。

 いつもは何気なく聞いたり使ったりしている言葉なのに。

「……ますます意味が分からない」

「よくお前にくっついてた。他の奴らが近づけないように、お前の隣ばっか狙ってた」

 私はてっきり、私と滝岡は余り者なんだと思っていた。

「お前はさ、自分のこと悪いふうに言うけど。俺だって汚くて嫌なやつだよ。彼女いるくせに、集まりのたびにお前のこと独り占めしてた。そんなんだから付き合ってた彼女だって他に心変わりしたし、俺も別れても全然辛くなかった」

 最低だろ、と言葉では言いながらも、私を抱きしめる腕の力は強くなった。

「……けどお前は別に俺なんか好きじゃないし、口実がないと飯に誘う勇気すらない。お前が素直なのをいいことに、知らない間に付き合ってるっていう関係に持って行こうとしてた俺は、卑怯だと思わないか?」

 お前は俺がこんなやつだって知っても、好きだって思うのか?

 そう問われて、私は返事ができなかった。




 晴れた日の土曜日お昼すぎ。

 テーブルには、様々な料理が並ぶ。腕まくりをした真由子さんは、サラダボウルを抱えてこちらに駆け寄ってきた。滝岡と仙波さんは、お酒を買いにスーパーまで二人で出かけたばかり。残された私たちは、料理を並べ終えて一息ついたところだった。

「……これでよし」

 真由子さんは満足そうに呟く。もう若奥様と言われても違和感を感じない雰囲気をまとっている。どちらともなく顔を見合わせ笑う。初対面のあの日から約二週間ぶりなのに、変な緊張感を相手に抱かせないから不思議だ。真由子さんは私から見てもすごく素敵な女性で、同い年なのにどうしても「さん」付けをやめられなかった。

「お腹すいたねえ」

「うん。あの二人早く帰って来ないかな」

 車で行ってくると言ってはいたが、この時間だとお店も混んでいるだろうし、三十分くらいはかかるだろう。何となく窓から外を見ていると、真由子さんが小さく笑う声が聞こえた。

「……急にごめんね?」

 私が振り返ると、穏やかで優しそうな表情の真由子さん。

「嬉しくなっちゃって。ついに、健吾くんに彼女ができたんだなあって」

「つい、に?」

「うん。結構長い間いないからずっと心配してたの。健吾くんって器用だから家のこととかも、ぱぱって一人でやっちゃうし、このまま独身なんじゃないかって思ってたくらい」

「そんなわけ、ないですって!」

 同い年と分かってすぐにフレンドリーになってくれた真由子さんと違って、私はまだまだ会話の端々に敬語が混じってしまう。

「ええ、どうして?」

「だって、彼女いましたよね? 確かすごく美人の……」

 すぐに某アナウンサーの名前が思い出せずにいると、真由子さんは、ああと頷いた。

「前カノさんのこと知ってるんだ」

「あでも……詳しく聞いた訳じゃなくて、流れで何となく」

「私もそんなに知らないの。健吾くんって口数多いタイプじゃないし、男同士なら何か知ってるのかもしれないけど、玲司も口固いからあんまり教えてくれなくて」

 でももう別れて三、四年になるんじゃないかなあ、と真由子さんは言った。

「え?」

 そんなに経っていたとは、思わなかった。前に聞いたときは「結構前」というアバウトな答えだったが、勝手に一年くらい前かと判断していた。

「しかも遠距離であんまり会ってなかったみたいで、本当に付き合ってるのって私よく聞いてた。でも返事もいつも曖昧で……」

 そうだ、と真由子さんは両手をぱちんと叩いた。

「前ね、好きな人のことを聞いたことあるんだ」

「え……い、つ?」

「いつだったかなあ、結婚の報告したときだったから数ヶ月前かな。そしたらね、いつも恋愛系の話には素っ気ないのに、そのときは珍しく真剣に、女は誕生日に何貰ったら嬉しいんだって聞いてきて」

 誕生日。ちょうど一ヶ月ほど前にやってきた、惨めな記憶。

「相手はまだ付き合ってないって言ってたから、アクセサリーとかじゃ重いし、何気ない感じで食事に誘ったらどうってアドバイスしたんだ。そこで何が欲しいか聞き出して後日あげたらいいんじゃないって言ったの。この歳になると欲しいものって聞いてみないと分からないじゃない? まだ付き合ってない相手からなら、本当に欲しいと思っているもののほうが嬉しいし、負担にならないかなと思って」

 誕生日の朝、なぜか珍しく滝岡に遭遇したこと。

 パソコンのことは偶然だったけれど、ご飯に誘ってくれたこと。

 欲しいものは何だと、聞かれたこと。

 全部昨日のことのように覚えているのに、どうしてか滝岡がどんな顔していたかが分からない。きっとまだあのときは、彼への気持ちが芽生えていなかったからだ。

「ねえ、これって理子ちゃんのことだよね?」

 何の疑いもなく、嬉しそうに私を覗き込んでくる。

 どう返事をしていいのか分からない私は思わず黙り込んでしまった。

「……え、ちが、った?」

 急に顔が曇った真由子さんに、私は慌てる。

「あ、いえ。あの、多分……自分でいうのもあれですが……誕生日、一ヶ月前なので」

 真由子さんは、ぱあっと花が咲いたように笑う。同時に安心したよう胸をなでた。

「だよねえ!? ああ、うんうん。良かったあ! ごめんね、余計なこと言っちゃったかと思って」

 彼が真由子さんのアドバイス通りに動いたのに、私は欲しいものを言わないばかりか、はしたない願望をさらけ出したなんてまるで言えない。

「で、何貰ったの?」

 キラキラと期待に満ちた目で、真由子さんは私に近づく。

「あ……」

「健吾くん何くれたの?」

「うん、えっと……それは」

 誕生日から一ヶ月も経つとなれば、当然何か貰っているのだろうと思うだろう。どうやって返せばいいのか迷っていると、玄関の鍵を開ける音がし二人してそちらに視線を向ける。がさがさとビニール袋の鳴る音がする。

「ただいまー」

 元気にそう言って部屋に入ってきた玲司さんの後ろに、滝岡は黙ってついて来ている。ふと目が合うも、表情に変化はない。何となく気まずくて、私は下を向いた。


 真由子さんと玲司さんが帰った後、部屋は急に静かになる。後片付けも二人が手伝ってくれたから、正直することは今何もない。何となくテーブルを挟んで向かいに座っているものの、どういう話題で喋ったら良いか迷っていた。

 あの日から、会うのはこれが初めてだった。滝岡の質問には結局答えられないまま、私は今日を迎えていた。いつの間にか四人で会うことになっていたのも、全部滝岡が決めたことだ。私は断ることだって、彼女じゃないと主張することだってできたはずだ。でもこうやってここにいることは、私なりの答えを滝岡に伝えているつもりだった。

 相変わらず言葉にするのが怖い。

「……たな」

 前に座っている滝岡がぼそっと何か言ったが聞き取れなかった。私は顔をあげて、首を傾げる。

「め し。うまかった」

 前半だけ強調されて、あとは消え入るように小さな声。

「どうも……」

「俺あれ食いたいんだけど。蒸しハンバーグ」

 今日四人で話をしているときに話題になった、蒸しハンバーグ。もともとは玲司さんがハンバーグが好きで、真由子さんが様々なハンバーグのレシピを研究したという話から発展したものだ。少し前にテレビでやっていた蒸しハンバーグを自分でもやってみたらわりと美味しかった、という話を私がしたら真由子さんが異様に食いついてレシピを教えることになった。そのとき、滝岡はあまり興味のない様子だったのに。

「ああ、うん。分かった」

「今日の晩は……昼の残りがあるから、明日の昼は?」

 作れってことなんだろうか。というか、明日会う約束なんてしてない。

 今日のことだって携帯のメールで突然、『来る?』と言われ断らなかっただけ。


 でも滝岡は、大事なことをすべて私に伝えてくれている。

 少し強引なときもあるけれど、優しくて温かい人。


「……滝岡?」

 返事は聞こえないが、目が合う。私が何を言おうとしているのか、読もうとしている顔。

「この前言ったよね。卑怯だと思わないかって、自分のこと」

「ああ」

「私、分からないんだ。恋愛経験少ないから、今この状況がまともな順序じゃないってことは分かるけど、滝岡を好きになって、今も好きで、そんな気持ちになれたことはすごく誇らしく思う」

 誇らしい、という言葉が出てきたのは、自分でも意外だと言った後に思った。

 何を言おうかなんて考えないで話しだすと、予想外な言葉が出てくるものだと実感する。でもそれは本音に近いのかもしれない。私のようにいつもぐだぐだと悩んで、言いたいこともすっと言えない性格には、それくらいのほうがちょうどいい。

「なんか、普通じゃないとは、思う」

 茶化すように笑うと、滝岡も照れくさそうにおでこを掻いた。

「じゃあ、普通に、しよう」

「普通に?」

「普通に、付き合おう」

 看病のときも、真由子さんや玲司さんと会うときも、拒まなかったのと同じように私は頷いた。

 流されてるわけじゃなくて、付き合いたいとちゃんと思っている。滝岡健吾と、男と女として、向き合いたいと思っている。

「私、彼氏ができたら、したいこといっぱいあるんだ」

「……何だよ、例えば」

「ふふ、色々。29年分妄想溜まってるからね」

「年相応のやつ、頼むよ」

 滝岡のきつい目が、柔らかく細くなる。

 

 確かに明るい始まりじゃなかった。後悔していることもある。

 でも私が歩んできた道は、滝岡を好きになるためだと思うと案外悪くなかったんだと思える。自分以上に大切だと思える相手ができたとき、自分を捨てられる。自分を捨ててでも、相手に伝えたい、聞いてほしいと強く思う。そして、寄り添っていたいと思う。


 滝岡はおもむろに立ち上がり、寝室へ向かう。扉を開けっ放しにしているのでそのまま姿を追っていると、しばらくして小さな袋を持ってこちらに帰ってきた。

「やる」

 つやつやと光る袋は、有名なブランドのもの。

「え、あの、もしかして」

「お前欲しいもの言わないし」

 誕生日おめでとう、という言葉とともに。

 一ヶ月前、一人で虚しく迎えた日のことが全て吹き飛ぶ。

「……あり、がと」

 気付いたら、視界が滲んでいた。苦笑いして、滝岡が私を見ている。

「それ」

 重いからな。

 分かってる、と私は何とか頷いた。

 テーブルを隔てた向こうから、滝岡の腕が伸びてくる。大きな手のひらは私を包み、温めてくれる。私は、自分から滝岡の胸の中へ飛び込んだ。



最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

お目汚し大変失礼いたしました。


次は、明るく爽やかで健康的、なお話にします。(宣言)

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