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7)聖剣


 今日も魔界は曇天、良い天気である。

 稀に硫酸が降ってくる魔界にあって、地面の水たまりというのは別段珍しくもなんともない。わざわざ避けるのもなんだと跨ごうとし、暗黒騎士はべしゃっと泥濘を踏んでしまった。これはしまったと足を引きあげて、この間磨いたばかりの黒鋼が溶け出しているのを見る。うっかり冒険者が聖水でも零したなと思って爪先を振ると、泥と一緒に水滴が跳ねて兜も焼いた。踏んだり蹴ったりである。

 靴下まで溶け出さない内にと執拗に地面に爪先を着いていた暗黒騎士に、腰に差された状態の魔剣は慎重に声をかけた。


 ――――――主よ、次の報告を待って、城を出れば良かったのでは。


 至極冷静な魔剣の声に、暗黒騎士は一考あると頷く。事の発端は、一月前の報告による。報告は、暗黒大陸にあってはそれほど珍しくもない聖王国の動向云々であるが、もう何度目になるか、伝説の勇者様がご降臨されたとかそういう話だ。何でも、聖王国の辺境からやって来て、神殿に納められている聖剣を引き抜いただのなんだの。要は、聖王国にある”魔王が復活した!”とかと、対のお話だ。100年前後で2-3回はある話だ。

 そんなよくある話なわけだが、魔王城のお局メイド達からの集団精神攻撃と、何故かうすら寒い感触のする騎士寮のメイドの対応など、げっそりと神経をすり減らしていた暗黒騎士は、この話を聞いてぎらりと目を光らせ、全てを代理に任せて出立した。普段のっそりと行動する彼からは想像できない早さだった。

 当然魔剣は置いて行くつもりで黙って出た暗黒騎士であったが、奴は人型になれるため足で追い駆けて来、二人の間で一悶着あったあと、今は腰に納まっている。

 お陰で毒沼の二つ程干からびて、近所に住んでいたヒドラと化け蟹にしこたま文句を言われた。主に、暗黒騎士が。相変わらず呪いの装備で困ると、彼は魔剣を評価する。


 さて、そんな噂の勇者が暗黒大陸に上陸したとの噂話が出て四日。あまり魔術が得意でない暗黒騎士が地道に探そうと、以前、自分が魔王様に会う為に通って来た、比較的人間に安全な道を歩いているわけなのだが、勇者の足跡さえも見つけられない。最も、暗黒騎士が人間であったのはもう随分と前の事であるから、今は他の道が主流なのかと思って探りを入れているのだが、聖王国の間者の話では、以前の安全ルートの存在さえ今は知られていないと言う見解だ。

 暗黒騎士がジョブチェンジをして十年程度は、彼の後輩とも呼べる聖王国の戦士達が暗黒大陸へとやって来ていた処を考えるに、彼が所属していた組織が崩壊か解体かし、その時の情報が消滅したのだろうとも思われる。いや、良い思い出のない場所だったから、解体消滅は当然だろうか。


 今の魔王様の祖父である大魔王様が現役時代、人間達はジリ貧で、武器どころか人まで使って彼らの侵攻を食い止めるのが精いっぱいだった。そんな時代に孤児なんかは珍しいものではなく、そんな一人が暗黒騎士だった。

 そんな孤児を集めて精鋭に育てる組織があったのだが、そこの生活は今思い出しても恐ろしい。逃げ出さないように足には重し付きの枷、首と手に食事と訓練の時以外は、これも一体化した枷をつけられ、碌に食事もなく、管理者の気分次第で飯を抜かれ、訓練と称して生身に近い状態で魔物の前に立たされる。

 そんな生活をしていて、成人の年まで生き残れば、次には魔族侵攻の最前線に立たされ、盾も無いので、倒れた味方の死体を盾に前に進み、食事がないので、自分で倒した魔族を喰った。時には、死んだ味方を喰う。草を齧って腹痛を起こせば、このまま腹が裂けて死ぬのではという痛みに襲われ、その状態で上から敵のドラゴン隊の投げ槍が降ってきたり。


「いやぁ、よく死ななかったな」


 すっかり昔の事を思い出して、のんびり言う暗黒騎士の呟きを拾うものはない。食当たりの腹痛を起こしてドラゴン隊に遭遇した時の事など、今では酒の席で大笑い出来る珍事だ。良い時代になったなと、普段は死にそうな顔しかしない彼も、魔界の生臭い風に吹かれて穏やかに呼吸する。


「久しぶりに運動が出来ると思ったんだがなぁ」


 そう言って伸びをする暗黒騎士だが、声音だけ聞けば、自殺願望者が懇願するような酷く落ち込んだ声であった。

 今代の魔王様は聖王国と全面戦争など面倒事をする気はないようで、勇者が来たのならば適当に、なるべく秘密裏に送り返せと命じられている。手加減が下手な竜の女頭領、『今はダーリンしか無理なの』という吸血鬼、『子育てって大変なのよ、旦那も大きな子供みたいだし』と家庭から出る気のない死霊の女頭目がそんな面倒な話を真面目にするわけもなく、適度に非日常の業務を楽しみたい暗黒騎士がその手を受け持っていた。

 そんな彼の覇気のない声に、腰の魔剣はため息を堪える声で返す。


 ――――――主よ。これは、仕事だ。


「そう、仕事仕事と、気力を削ぐような事を言うな。気晴らしが最悪になる」


 心底うんざりした声の方がハキハキしている暗黒騎士は、首をめぐらせてゴキっと凝りをほぐすと、やれ手近な木に登り始めた。重い黒鋼の鎧をつけたまま器用に登り、チクチクする針葉樹の間から顔を出す。黒鋼の兜の隙間から青い炎のような眼光が浮かび、細まり、遠くまで見渡しているのだが、人の影はない。業務らしい業務もなく、足が基本の出張のようなものだが、これは一度城に戻って報告を聞いた方がいいかもしれないと、暗黒騎士自身も思い始めた。

 さて下りようかと次の枝に手をかけようとした時、遠く、荒野の方でびかっと金色の輝きを発見する。一瞬だけのそれだが、川を泳ぐ魚の鱗の反射と同等、先の展開を夢想し、暗黒騎士は涎を飲み込んだ。いきなりテンションを上げて木の上から飛び降りて着地、なんぞすれば足を痛めるので、逸る心を押さえてそろそろ下りる。すとんっと軽く着地すると、そこからはにやりと自然と笑みが浮かび、暗黒騎士は駆けだした。

 林を突っ切るつもりなので、時々半身に回転したり、ちょっと左右にステップを踏むように半側飛びするたびに、腰の魔剣が「痛っ」「あ、主!?」などと声を上げたり、刀身が引っ掛かってしまったりで、こっちにとっても酷い事になっているのだが、暗黒騎士はそれを無視した。最後に倒れた木の幹を飛び越え、うっかり出会ったゴブリンの親父の頭を蹴っ飛ばしてバランスを崩し、お互い転がって着地。すまんと軽く手刀を掲げた後、瀕死になって泡を吹いている彼の冥福を祈りつつ、彼は次に見えた、ごろごろ岩が乱立する山を登る。頂上まで一気に走り込みしてしまうと、どっと汗が出て呼吸は乱れっぱなしになったが、荒野が見えた。


「っしゃあ!」


 随分とテンションが上がっていたようで、万感の思いを込めて吠えると、存外大きく響き渡り、荒野の先、ハゲワシの群れが渡り鳥のように飛び上がっていた。さてちょっと落ちつこうと深呼吸して、両腕を中央から外側、外側から中央と振っていると、荒野の一点に金色の輝きが見える。

 ここで暗黒騎士は奇妙な事に気が付いた。金色の、地面に突き刺さる物体以外、人影が見えないのである。目が合って警戒する猫に近づく様に、視線は金色の何かに固定したまま、そろりそろりと岩山を下ると、次第に全容が見えてきた。


 遠くから長方形型の物体に見えた金色の何かは、暗黒騎士の身長程もある巨剣であった。それはそれは派手な金色で、如何にも勇者が持つ雰囲気がある剣なのだが、如何せん巨大すぎて手に取ろうとも思えない。さらに、剣に降り注ぐようにして薄雲の間から光が零れるせいで、反射してびかーっと輝いている。もっと言うと、聖なる気の様なものが、その輝きと一緒に漏れ出ている。


「っあ―――…」


 なんだか、≪鈍ら≫を見つけた時と同じ空気がするぞと、暗黒騎士は眉を顰めた。また相対する属性のためか、腰の魔剣がガタガタと震え出しており、高まる殺気から、どうも武者震いをしている様だと推測する。


 ――――――主。折りましょう。


「お前、段々物騒になってきたな」


 俺のせいかなとぼんやり暗黒騎士が考え、「こういう面倒事は魔王様にお任せした方が良い」ともっともらしい事を言った。踵を返そうとした際、背後の聖剣が動く気配があって、すかさず≪鈍ら≫を抜くことになってしまったが。

 ガンっと力任せの一撃が来る。人の気配は無かったはずと暗黒騎士が見れば、巨剣が宙に浮いて彼を攻撃してきていた。


 ――――――良く、私の前に姿を現したぁ!!


 質量を頼りにした力任せの一撃も、見た目細い剣の魔剣は折れないらしい。というより、言葉からして≪鈍ら≫の同類の様子だと暗黒騎士は嫌そうに顔を顰めるものの、この呪いの装備は柄から手を放そうと念じている暗黒騎士の手を乗っ取って、金色の巨剣と打ち合いを始めた。片や主人を乗っ取る魔剣、片や勝手に一人で動く聖剣と、属性に違いがあるだけで、どちらも呪いの装備に違いない。


 ――――――シュバルツハルト、貴様の封印が解けた事は感じていた。


 ――――――ディレンベイン、お前の方は、まだ主を持てずにいるようだなぁっ。


 二人の香ばしい会話にも驚いたが、あの≪鈍ら≫が大層な名前を持っていた事に驚く。勝手に腕を乗っ取るものの、見た目は美しい剣だ。これまで手入れをされた事も大事にされた事もないと言っていた、愛すべき道具なのである。名付けは偶然でいつでも解約して良いと言っているのに、ずっと≪鈍ら≫を大切にしている魔剣を思い出して、ちょっと申し訳ない気分になった。帰ったら、手入れをしてやろうと思う。


 ――――――主よ、もっと気合いを入れてください!


「いや、うん。何だ、知り合いか」


 ――――――何て、おぞましい事を!!!


 気も漫ろな暗黒騎士に助力を乞う魔剣だが、一時怒りが彼を突き動かしたのか、腕から体まで乗っ取られる。体を動かす必要が無くなった暗黒騎士は、打ち合う相手、金色の巨剣を見た。刃こぼれがなく艶めいているのは魔剣と一緒だが、細く砥がれた魔剣に比べ、延べ棒でも作ったかのような滑らかさの刀身だ。こちらも刀身に彫りがあり、古代文字を書かれているらしい。良く見れば、落とし損なった苔のような緑が所々にあり、存外道具を大事にする性質の暗黒騎士は気になった。


「おい、ちょっと待て」


 体は魔剣が乗っ取っているものの、暗黒騎士はそう言って間に入ろうとした。だが、魔剣は頭に血が昇っているらしく、こっちの言う事は全く聞く気配がない。しばらく遊ばせてやってもいいかと思っていた暗黒騎士だが、双方ともに無茶な打ち合いをするせいで刃こぼれしそうなぐらい火花が散っており、堪忍袋が小さい暗黒騎士はぎゅっと眉を吊り上げた。


「いい加減に」


 言って、体の支配を取り戻す。やりすぎたとはっとする魔剣の気配を引っ掴み、


「人の話を」


 宙に浮いたまま、斬りかかってくる剣の柄を殴り取って、


「聞けよ、おいっ」


 二本同時に地面に斬りつけた。


 瞬間、魔剣の方は目測10Mを斬り裂き、聖剣の方は半径3Mを陥没させる。魔剣はともかく、流石にぼこっとされるとは思っていなかった暗黒騎士は、剣の柄を握ったまま、二本と同時に巨剣側へ転げ落ちた。5-6Mは落ちただろうか。強かに後頭部を強打した彼は、響く兜と痛む頭を両手で掴んで押さえつけ、全身悶絶して転げ回る。


「痛っってぇ!!!」


 踏んだり蹴ったりである。ようやく痛みが収まって舌打ちしながら起きると、麗しの美青年となった魔剣と、ワイルドな筋骨隆々の青年が取っ組み合いの殴り合いを展開している。恐らく片方の、男の色気がある青年の方が巨剣なんだろうなと眺めていると、こちらに気付いた巨剣がにやりと微笑んで来た。何だ喧嘩を売られているのかと軽く片眉を上げた暗黒騎士だが、奴は麗しい美青年な魔剣を蹴っ飛ばすと立ち上がって手を出した。


「資格在る者よ。我が手を取り、真名を掲げよ」


「んなっ!? 図々しいぞ、貴様ぁっ」


 蹴っ飛ばされて土塗れながらも麗しい美青年な魔剣が吠える。急な展開に「あん?」と暗黒騎士は固まったが、巨剣な男は、思考停止中の彼の手をさっと取ってにこりと爽やかに微笑んだ。


「さぁ、主」


 瞬間、巨剣に攻撃を喰らわせるよりも主を確保する方が大事だと気が付いた魔剣が、反対側の手を握る。握ると言うより、どこぞの乙女のように暗黒騎士の片腕をぎゅっと抱き込んできた。


「いけません、主よっ。あれは、魔族の天敵、聖剣ですよ!?」


 魔剣に言われずともそれは分かっているのだが、片方ぎゅうぎゅうと無い胸を押しつける魔剣な美青年と、片方人の手を取り、乙女にするように一つ口付る男前な青年、これはどういう状況か真剣に暗黒騎士は悩み始めた。

 言っておくが、暗黒騎士は身長180越えの長身、筋肉質な、間違っても女には見えない外見である。良い年で魔族となって成長が止まっているので、常日頃甲冑、しかも大量に汗をかいた後の体臭は、我ながらきついものだ。そんな中、何故俺は呪いの装備に大人気なのだろうかと、首を傾げる。


「そうも言うがな、シュバルツハルト。主は我が聖気を受けても平然としているぞ」


 確かに、元人間であるので他の魔族に比べて聖気の耐性も高い。というか、魔法が苦手な暗黒騎士は、瘴気にも聖気にも鈍くあると言うべきか。まぁ、確かに、純粋な魔族が握れば手が爛れるだろうそれも、別段ごついなと思うだけで済んでいる。


「浮気は許しませんよ、主っ」


 女日照りな自身は、とうとう、性別雄な魔剣にこんなセリフを言われてしまった。一種の衝撃を受けながら、暗黒騎士は叫ぶ。


「俺は呪いの装備を増やすつもりはなぁいっ」


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