6)侍女
その日、魔界四天王である暗黒騎士は機嫌が良かった。以前他種族の女性に押しかけられていた件が、ある程度片付いたというのもあるだろう。彼の代わりに、甲冑を脱いだらイケメンだった他の暗黒騎士が、今は頭が涌いている状況である。それについてまた暗黒騎士のダークサイドが騒ぐが、それはさておき。
さて、件の暗黒騎士であるが、今日は何処に行くにも宝物のように一つの箱を所持して回っていた。これは昼過ぎに、宅急便が彼宛てに届けた荷物である。片腕で持てる程の大きさしかないので、持ち運びにも苦でなく、大して邪魔にもなっていないので、他の同僚は『やれ珍しい事もあるものだ』ぐらいの気持ちで見ていた。
気になっているのは、同じく彼の所有物である伝説の魔剣様である。普段から鬱陶しがられている自覚があるのか、今回は聞きだしにくい様子(それほど暗黒騎士が大切に持っている)で、意を決したのが仕事上がりの余裕が生まれる時間であった。
―――主よ。
「何だ。俺は、残業はせんぞ」
何かあれば仕事関係とでも思っているのか、随分嫌そうな顔をして、腰に差した魔剣を見る暗黒騎士。それに対して、やはり歯切れ悪く魔剣は返した。
―――いえ、そういうわけでなく、その……今日届いた箱の事なのだが。
「あぁ。何だ、お前も楽しみなのか」
―――んむ?
普段より愛想良かった暗黒騎士の、さらに爽やかな声の返答に魔剣も首を捻る。周囲で聞き耳を立てていた同僚たちも同様で、たまたま隣に居た同僚と顔を見合わせては、同時に魔剣様を見た。
「そうだ、今夜試してやろう。たまにはお前も可愛がってやらんとな」
良い事を思いついたとばかりに暗黒騎士が言って、珍しく魔剣の表面を撫でる。意味深なセリフと動作に同僚たちが一斉に咽たのは言うまでもない。
帰宅した魔界四天王である暗黒騎士は、部屋のドアを開けても不審者が居ない、心落ち着く環境にあって、ほっと息をついた。
緊張していて無言な魔剣を適当に机の上に置くと、自身は勢いよくベッドに腰掛け、今日一日大事に持っていた箱の包装を破く。刀のままながら、そわそわとする魔剣は、それが何なのか気になってガタガタと揺れた。
本物の呪いの装備のそれに、一度手を止めて暗黒騎士は嫌そうな顔を向ける。
「何だ。呪いの儀式か?」
それは単なる独り言の様で、すぐに暗黒騎士は興味を無くし、指摘された魔剣もまた大人しくなり素直に待つことにした。
「おおぉ。これがヤーパンの……いや、世界のジストン社製!!!」
恐らく、箱の中身を確認したのであろうが、唐突に主である暗黒騎士がそうして雄叫びを上げた。地声は聞き取りにくいと言われると彼は言っていたが、実は自信を持って話せばものすごくよく通る声を持っているのである。
声量にびくっと魔剣がすれば、暗黒騎士は、次には悪巧みをしているとしか考えられない笑みで魔剣を掴み、徐に剣を抜いて膝の上に置いた。
久しぶりの破格の待遇に、魔剣はさらに驚愕する。
「ふん、身体まで美麗なのか、ムカつくな」
言って暗黒騎士は、軽く指先で刀身を弾く。女性的な繊細さを持つ細い刀身は、しなやかさでもって軽く振動したが、魔剣は新しい感覚にびくりとした。
「特に手は入れなくても…いや、ここか?」
―――うぁっ!?
刀身と柄の差込口を軽く撫でられて、魔剣は呻く。
持っていた暗黒騎士もこれには驚いたようで、「いきなり声を上げるな」と苦言を言った後、ベッドサイドの引き出しから古布を取り出した。箱の中身である、瓶詰の白いクリーム状のモノをたっぷりと布に取り、魔剣の気になる個所に乗せていく。
「ふむ。よく見ると、此処…」
―――ああぁっ
「黒一色かと思えば、見にくいだけの様だな。ここが良いか?」
―――うぅ…ぅわっ
悲鳴を上げられているが、特に拒否はないらしい。どうして人型に戻らないのかと思う程の声だったので、最初は様子を見ながら布で擦っていた暗黒騎士は、そういえば最初から声を出す呪いの装備だったと、気を取り直して手早く布で拭っていった。反応が良ければ、うんうんと頷いて。
「そうか、良いか」
――――ひゃ、…あああっ
一際手の中の刀身がガタッとし、それ以降、呻くような声しかしなくなったので、暗黒騎士はほっとして彼の剣となった魔剣を磨く。
本当は古くなった盾の整備用に最高級であるジストン社の研磨剤を購入したわけだが、これだけ喜ばれれば悪い気もしない。さらに日頃人型で後ろをついて回り、やれ仕事がどうの、やれ使命がどうのと言ってくる魔剣が今日は大人しいとあれば、彼の心境は平穏そのものである。
自分で納得できるほど磨き、月がさらに傾いた頃に、機嫌よく苦豆の煮出しを入れ、香りを楽しむ余裕が生まれた。
「あ…主ぃ…」
へろへろでもイケメンな、魔剣の情けない声が聞こえる。他の防具と一緒に単に手入れをしただけだというのに、「あうっ」だの「ぉうっ」だの呻いて煩かったので、時々「やかましい」とバシバシ叩いたのがいけなかったか。苦豆の煮出しを飲みながら振り返れば、人型になったらしい彼は図々しくも、主のベッドに寝そべっていた。心なしか顔が赤い。
「何だ、磨きが足りなかったか」
せっかくしゃべるのだからと、自分の手入れが不満かと尋ねれば、魔剣。
「い、いえ。このような事は初めてで…」
曰く、誰も手にしたことのない剣だったので、地面に刺さったまま放置されて幾星霜、刀身を磨かれたことなどなかったと言う。さもありなんと暗黒騎士が頷いて、「飲むか」と人型に勧めれば、「錆びます」と苦笑された。
苦豆の煮出しは、香りも良いし、変に頭がハイになって仕事が進む気がするのだが、勿体ない事だ。
しゃべりはするが、これも愛すべき道具の一つなんだなと、存外物を大切にする性質の彼は思った。もう少し大切にしてやるかと、かなり珍しく慈悲の心が出て人型の額を撫でれば、赤く色づいた白い肌と潤んだ瞳ながら、色気のある美青年の顔に、やっぱりイラッときてデコピンを食らわす。
「何をなさる…」
「うん。すまん」
流石に美男子顔に嫉妬が出たとは言えず、簡単に謝罪すると、ふと、部屋の扉の前に違和感があった。
魔剣が反応しない(それどころじゃないのかもしれないが)ので、するっと足音を殺して扉の前に立つ。そこでさらに伺えば、やはり部屋の前に数名の気配がある。上手く気配を殺している所を見れば、それなりのやり手だろう。
この間の続きがまだあったかと、半ば諦めながらドアに手をかけ、一気に開く。
「「「…あ」」」
「あ゛?」
思わず同じ言葉が出て、暗黒騎士と、部屋の前で小さくしゃがみ込んで寄せ集まっている女中達は視線を交わした。明らかに盗み聞きしていただろう態勢だったが、彼女らは素早く立ち上がると優雅に微笑んでさえ見せる。
「「「騎士様、ご不便等ございませんでしょうか。私たちにお申しつけください」」」
「あ、いや。特には。それより侍女殿、ここで何を」
女性に耐性のない暗黒騎士らしく、彼女らの笑顔にビビったのと、その同調率に慄いてそう告げれば、ニコニコと仕事の笑顔を崩さない彼女ら。
「「「かしこまりました。御用の際は、是非、こちらでお願いいたします」」」
一人が代表して差し出してきたのは金色の鈴で、そんなもの、この暗黒騎士寮には配置されているモノではなかった。基本、騎士は自分の事は自分で、である。当然、魔窟と化そうが、女中などが入ったことなどない。
そう思い出して、彼は自室を振り返った。
「おい、“鈍ら”。貴様、何かしたか」
「ぃ、いえ、主…私にもさっぱり…」
困惑顔ながら、先ほどの朱が差した顔で魔剣が返事をすると、背後で「きゃー!」との歓声が上がる。魔剣見たさにここまでしたのだろうかと、驚いて振り返れば、魔剣だけでなく自身も熱心に見られている事に気が付いた。
そういえば、女性の前に出る格好ではない。甲冑も部屋の中であるし、仕方なしに彼は上着の襟をきっちり留めた。
「申し訳ないが、侍女殿。ここ騎士寮は、女性が見、来られるような場所ではない。迷われたか? ご不快だろうが、俺が持ち回り場に案内しよう」
「「「ご心配には及びませんわ、騎士様。私達、以前より騎士寮も担当しておりましたの」」」
綺麗に礼をされ、暗黒騎士は困惑する。一応の立場があり、様々な情報が回ってくるが、騎士寮についての案件など、ここ数年見た事がなかったのに、だ。侍女配属などという重要案件が回っていなかった事、知らなかった事に愕然とする。
「俺は、その話を聞いていないぞ」
「「「申し訳ありません、騎士様。ここの担当は、我ら同s…いえ、有志で行っておりますの」」」
「有志? いや、しかし、無償と言う訳には」
完全にボランティアだと言われて、さらに暗黒騎士は困惑する。そういった労働基準法に触れる案件は、宰相の爺さんが喧しいのだ。やれ受付が定時から5分過ぎただけで残業代をせしめるとの愚痴を、散々聞かされているのだから。
「―――“鈍ら”。予算いくら残っていた?」
「…ぅぁ、あ…少々お待ちを」
ささやかながら給与を回していないと、女性に優しい魔王様からも怒りのメガトンプレスを頂きかねない。すっかり副官の様になっている魔剣に声をかければ、掠れた、色気のある声で返事がき、少々鳥肌が立った。
だが、背後の女中らはさらに悩ましげに溜息を吐いて、それから奮い立ったように急に声を大にした。
「「「お待ちになって騎士様!!!」」」
「―――――――――はい…」
いきなり詰め寄られて暗黒騎士は身を引く。彼女らは掴みかからんばかりの勢いで捲し立てた。
「「「自然の、あるがままの騎士様の姿を拝見できるだけでよいのです! これは給金ではいただけない、価値のあるものですのよ!!」」」
「―――――――――は、はい」
急に変な方向に諭され始めたと呆気に取られれば、彼が返事をしたことで多少落ち着いたか続けられる。何だか、目が爛々としていてちょっと怖い。
「「「それに、私達の業務内容に魔王城の清掃があります。これは、新たな事業でなく、通常業務なのです!!」」」
「通常、業務?」
その割には、今まで廊下の掃除やらなんやらを騎士たちの持ち回りでしていた様な気もするが。通常業務の一環として寮も含めてもらえるのはありがたい。
「では、清掃業務として寮に来られていたのか?」
「「「もちろんですわ」」」
「あぁ、それは失礼を。今迄侍女殿の姿を、拝見したことがなかったもので」
「「「えぇ。今迄は少数であったのは、確か。けれど、これから有志が増えますので、ご心配には及びませんわ」」」
これから人員増加でもするのだろうか。素直に感心して暗黒騎士は礼を言った。
「そうか。それは、有難い」
女中の姿があれば、日頃だらしのない同胞たちも、多少は騎士として気を引き締めるだろう。良い話を聞いたなと思いながら、鈴を受け取りつつ、「何かわからないことがあれば聞いてくれ」と告げると、待ってましたとばかりの顔が並んでいた。繰り返すが、目が爛々としていて、その、かなり怖い。
「「騎士様。私たちもっと交流が必要と思いますの」」
「「つきましては、暗黒騎士様と魔剣様のスリーサイ…いえ、馴れ初めからお願いしますわ」」
「「特に、その……苦難を乗り越え、魔剣様をお迎えに行かれたお話とか」」
「「普段何をなさっているかとかでも、結構ですのよ」」
彼女らの眼光に怯んで身構えたは良いものの、何か全然関係ない事で詰め寄られている気がして暗黒騎士はさらに身を引いた。
次々と、周囲を固められるように包囲網が狭まってきている気がする。
「「先ほど、何をなさっていたかでも…ぐふっ、結構ですのよ」」
「「うふ…日頃から、そういった事をなさっているのですか?」」
じりじり、じりじり。
干物を持って野良猫の前に出た時の、あの緊張感がよみがえる。
噛まれそうだと、身の危険を感じた彼が、「すまんが、今日はもう寝る!」と部屋に退避するのはそのすぐ後だった。