ラルフ、陥落
計画が順調に進んだことに、クエンは内心で笑みを浮かべずにはいられなかった。
すべては計算でしかなかった。フランの胸に短剣を突き刺したとき、クエンはフランが死なないことを確信していた。そもそも、心臓をひと突きにしただけで化け物と呼ばれるフランが、今までどんな暗殺者もその任務を成功しえなかった者が、あっさりと死んでくれるわけがないのだ。だからまず、その力を見極めようと思った。いくら化け物と呼ばれる者でも、何かしらのカラクリがあるはず……であった。クエンは人間には為し得ない特別な能力など信じてはいない。だがフランのあれをみた今となっては、信じざるを得なかった。
ーー彼女には化け物の力がある。
どんな力なのかなど、想像もできない。分析を試みたが、その力は出鱈目で。一つわかることは、フランには勝てないこと。いかなる戦法を用いても、勝てる気はしなかった。クエンの命はフランの手の上で転がっているのだ。
では何故最後の最後。逃げ道があったのにフランへと挑んだのか。答えは簡単だ。
今までフランへと挑んだ暗殺者たちは例に漏れず皆、生きて帰ってきていた。彼女に不思議な力があると噂されていたのもそれ故であり、そこにクエンは活路を見いだしたのだ。即ちフランは一人である、と。彼女が暗殺者を殺さなかったのは、自分を怖がらない人間を探していたのではないだろうか。というのはまあ、あまりにも限定的な想像ではあるが。そうと断定していたわけではない。可能性の話として少しばかり考えていた程度。一番大きなところは、彼女の優しさだ。自分を殺そうとする人間を殺さない、これは並の人間にはできない。いつ、再び襲ってくるかわからないのだ。その場で始末するのが妥当であろう。だが彼女はそうしない。脆いほどの、危なげな優しさ。その優しさに賭けた。幸い、殺されることはない。それならいっそ、できる限り近づき、彼女の反応を待つのが一番簡単である。まさか、一緒に暮らすか、と言われるとは思わなかったが……。計画は順調。このままいけばきっと、『任務』は無事に達成されるだろう。
「おい」
だが、ひとまずは目前の問題を解決しなければいけなかった。
「……なんだ?」
随分と不機嫌そうな赤髪……ラルフが話しかけてきた。
クエンたちがいるのは城の庭の一角だった。フランの指示で部屋へと案内されるはずのクエンだったが、ラルフはその部屋から窓を飛び越え、ここまで連れてきた。明かりもなく、月も分厚い雲に隠された今(もっとも、そういう日を選んだのはクエンであるが)、どんな事故が起こっても不思議ではない。
「どうしてお前をここに連れてきたかわかるか?」
「……殺すため」
まるで獣のように炯炯とその眼を光らせるラルフ。その語るものは明らかであった。
「わかってんじゃねーか。じゃあ、話は終わりでいいなぁ?!」
瞬。
警告が聞こえる間もなく、ラルフが袖に隠していた鋭利な何かがクエンへと迫る。
すべて、わかっていた。
半身、からだを横にずらすだけでかわす。
ラルフの追撃がかかる。闇夜のせいでほとんど不可視なその攻撃をクエンはまるで犬とじゃれるように簡単にいなす。
ラルフも黙ってはいない。その都度攻め口を変え、クエンを捉えようと躍起になっていた。
しばし、空を斬る風の音が淡い暗闇に蛍の光のように浮かんでは消えた。
「どうして反撃しない!?」
そろそろか、とクエンは思った。クエンの設置した仕掛けが動き始める。
「くっ、奴らか……」
クエンは苦しげに呻くと、一気にラルフを押し倒した。
クエンの最も得意とするのは暗闇だ。ずっと闇の中で過ごしてきたクエンにとって、闇とは安らぎの場所でしかない。そこに恐怖はない。そこに不安はない。闇の中こそクエンのすべてを発揮できる場所であり、ラルフがここを選んだのは、クエンにとって好都合でしかない。
だからこそ、あっさりと押し倒すことができた。
「くそ!」
ラルフがクエンの下で暴れる。クエンはそれを重点を的確に押さえることで、止めていた。
瞬。
ラルフの眼前を通り抜け、クエンの腰を何かが掠める。
「今のは……な……んだ?」
「静かにしろ。敵に位置を気取られる」
クエンの押し殺した声に、ラルフは呆気に取られながらも暴れるのをやめた。
瞬。
再び飛来した何かを、クエンは自分の持っていた短剣で弾き落とした。
「矢……?」
それはクエンたちの横に落ちる。
「……いったみたいだ」
しばらくして、クエンはゆっくり立ち上がった。地面に押さえつけていたラルフに腕を貸し、立たせる。
「今のは何だ?」
「暗殺者だ。まさか俺を狙ってくるとは……」
ラルフは、渋い顔を作る。
「どうして俺を助けた」
これを待っていた。もちろん、すべてはクエンの自作自演だ。部屋から外へ。ラルフについていくときにあらかじめ設置しておいた時限式の矢を発射する道具が、役に立った。
「当たり前だろ。これから一緒に暮らすんだから。俺はフランに助けてもらった。そのフランの悲しむ顔はみたくないんだ……」
さも当然、といった顔をして言うクエンにラルフは、
ふんっと一度鼻をならすと、
「ほら、俺たちの部屋に帰るぞ」
そう言うと、大きな足音をたてて先へと行ってしまった。
「ちょろい」
図らずも、口からでた言葉だったが、今の状況にぴったりだと思った。
ちょろい。もう一度。心の中で呟く。
ラルフもまた、一人だと思った。きっとフランとラルフの間には、何らかしらの溝がある。そうでなければ、フランがクエンを求めるはずがないのだ。