クエンとフランの出会い
闇夜を、その闇と同じくらい濃い黒の装束を纏い、クエンは駆けていた。黒すぎる髪をなびかせ、闇を切り裂くその姿は死に神を思わせる。
今回の標的は大物だった。今まで成功した人はいないらしい。だが、自分は失敗しない。世界の真理、それを見つけるまでは死ねない。死ぬことはないと言ったほうが正しいかもしれない。その証拠に、クエンは今まですべての仕事を成功させてきた。その手のものではクエンの名を知らない者はいないほどだった。だから、今回も成功する。
仕事を行う前はいつもそんなことを考えていた。半ば一つの儀式となっている。
屋根を軽々と越え、標的のいる部屋の窓へと近寄る。素早く施錠を解除すると、音もなく部屋へと侵入した。部屋に入るとすぐ、窓の横に鳥かごが見えた。青い鳥が不思議そうにこちらを見つめる。
暗闇に慣れきった目で、標的のベッドへと忍び寄った。短剣を口にくわえ、いつでも殺せるように構える。
標的をみて、時が止まった。
依頼者に標的の特徴を聞いたとき、この世で一番美しい女だ、とだけ言われた。それだけでどうやって見分けるのかと思ったが、実際にその寝顔を見て、理解した。切れ長の瞳に、白い透き通るような肌。つややかな青の髪が胸元まで垂らされていて、まるで触れれば壊れるガラスの花を見ているかのような儚げな美しさがあった。暗闇でもなお輝くその美しさはクエンの思考を止まらせて、時が止まってしまったと錯覚させたのだ。
だが、それも一瞬。すぐに時は動き出す。標的の名前はフラン。この国の姫にして、唯一の世継ぎだ。化け物が住んでいるといわれているこの国だが、他の国よりも裕福で民は皆、王を慕っている。なぜ化け物が住んでいるといわれているかというと、それは王族に問題があった。この国の王族はみな、よく死ぬ。現国王の兄弟も誰一人生きている者はいない。妃も早くに亡くなった。そして王の子供たちも皆、十五歳になる前に死んだ。原因は不明。どれも暗殺だと言われている。唯一の世継ぎであるフランは十四歳。もう少しで十五歳の誕生日を迎える。
すべての首謀者だと思われる今回のクエンの依頼者はフランを殺す為にたくさんの暗殺者を雇った。だがすべての暗殺者が返り討ちにあったのだ。それ故に、フランが化け物なのではないかと暗殺者たちは囁く。それは噂であり、本当かどうかはわからない。だが、暗殺者たちをことごとく追い返したのは事実であり、次第にその依頼を引き受ける者はいなくなった。だからクエンが呼ばれた。十代にしてその名を全国に轟かせた天才が。
殺すのは惜しいと思ったが、これは仕事だ。それに、依頼者はこれが成功すれば何でも願いを叶えるといった。クエンが知りたいのは世界の真理。この依頼者はそれを知っている、教えてくれるとわかっていた。
だから、この仕事を失敗するわけにはいかない。クエンはあっさりとフランの胸に、短剣を突き立てた。的確に、急所を狙う。手応えを感じて、すぐに短剣を引き戻す。そのまま、来たときと同じように窓からでようとした。
だが、
「あれ、もう終わりかな?」
少女の声が後ろから聞こえた。とっさに振り返る。そこにはさきほど殺したと思っていた標的、フランが立っていた。
「ばかな、急所ははずしていないはず……」
フランは笑う。こんな状況で、なぜか大きな声で笑う。
フランが指をならすと、部屋に明かりが灯った。部屋が明るくなって床一面にたくさんの花が敷き詰められていることに気づく。よくみるとフランの髪にも花の髪留めのような物がついていた
「私の噂を聞いたことはないかな。化け物、私は化け物なんだ」
フランが再び指をならすと、窓が次々と閉まっていく。さらに頑丈そうな鉄板が窓を覆う。
(まずいっ、脱出経路が……)
だがクエンはすぐにその檻に穴を見つけた。左から二番目の窓を覆っている鉄板は薄い。あれくらいなら突き破って脱出が可能だ。
「私は何だってできるんだよ。例えば……」
フランの話を聞きながら、その隙を伺う。
「散れ」
ぞっとするような声音でフランが手をこちらにむけた。
『右に避けて!』
クエンはとっさにその手から逃れる。何となく嫌な予感がしたのだ。だが、予想していたようなことはなにも起きなかった。不思議そうな顔をしていると、
「はずしたか……」
その言葉を聞いて、フランを警戒しつつ自分の後ろを盗みみた。するとそこにはさっきまで生きていたはずの青い鳥が、ーー死んでいた。
クエンは言いようのない恐怖を感じた。ふつうじゃない、何か不思議な力がこの少女にはあるのだ。
「私には勝てないぞ。さあ、どうする?」
こんなところで死ぬわけにはいかない。だが、ーークエンは迷わず、フランへとつっこんだ。
「なっ!? なぜ逃げない……」
フランがあきらかに動揺する。
ここで自分が死ぬわけがない。その思いがクエンの行動を大胆にして、これまでの功績を作ってきた。だが、今回はいささか無謀と言わざるを得ない。それでもやはりクエンは自分がここで死ぬわけがないと思っていた。確信していた。
なぜなら、声が聞こえたから。クエンが今まで生き延びてこれたのは、大胆だったから。だが、それだけではない。声が聞こえるのだ。心の声とか、そういったものではなく本当に。優しく包み込まれるような、柔らかな女性の声。声がクエンを導いてくれた。いつだって、今だって、これからだって。そして声は、
『いきなさい。いけば、世界の真理にたどり着く』
短剣を片手にもち、一気に距離を詰めて針を投げる。だがそれはフランに当たる前に何かに阻まれるように跳ね返った。
花の髪飾りが散って、宙に舞う。フランの驚く顔に、誰かの面影を感じた。その一瞬の思考が、クエンの動きを鈍らせる。あと一歩というところで上から何かが落ちてきた。それはクエンを押さえつけ、短剣をたたき落とす。
「終わりだな、クソ暗殺者!」
クエンの上に乗った赤髪の男が長い剣を振りおろした。
「待ちなさい、ラルフ」
ラルフの動きがぴたりと止まる。
「どうして、姫様。早くやっちまいましょうよ」
クエンに向かって話していたときとはあきらかに違う態度でラルフが言う。
「君、なんでつっこんできたのかな? あきらかに勝ち目はないと思っていたけど」
フランは高圧的にクエンを見下ろす。クエンはその様も似合っていて美しいと思ってしまった。
「別に……。死なないって思ってたから」
「今君は死ぬところなんだけどね」
言葉がでなくて黙り込む。クエンはそれでも不思議と死ぬとは思わなかった。この少女ならもしかしたら生かしてくれるかもしれないと。
「死にたくない?」
「死にたくない」
「なぜ?」
再び黙り込んでしまった。ラルフがしびれを切らして、
「もういいだろ、早く……」
「じゃあ、ここに住む? この化け物と」
「おい姫様、なにを……」
「うるさい、ラルフは黙って」
とたんにラルフは静かになる。
「いいのか?」
「私と一緒にいたらいつ死ぬかわからないけど、それでもいいのなら」
「……かまわない」
まだ死ぬわけにはいかない。世界の真理を見つけるまで、死ぬわけにはいかなかった。
「じゃあ、よろしく」
にっこりと笑うその顔は、とても化け物には見えなかった。クエンは小さくうなずく。
「姫さまぁ~」
後ろで誰かの嘆いている声が聞こえる。これがクエンとフランの二人の出会いだった。