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続々編 「ベィビー・Lady!」④

文化祭当日は、爽やかな小春日和だった。

最近の天気は、年間を通して十一月が一番安定しているみたいだ、と花鈴と学校までの道のりを歩きながら健太郎は思った。


花鈴の両親は明後日、ヨーロッパ旅行から帰国する。花鈴は両親が戻るまでの間、榊原家に泊まっていた。

両親がいない家に一人になる花鈴の為に、用心棒として泊まり込んでいた大村圭介がいなくなったので、家に帰ると花鈴は一人になってしまう。

それはあまりに危険だと榊原家一同が判断し、花鈴を一時的に引き取ることに決めたのだ。


それでもいくら両想いであれ、年端もいかない若い男女がひとつ屋根の下に眠るのはいかがなものか、という事で、榊原健之介の妻であり、健太郎の祖母である榊原濃子が花鈴の両親に電話で話をつけた。

旅行先のフランスのホテルで、花鈴の両親は榊原濃子から次のような宣言を受けた。


「大切なお嬢様を、血の気の多い若い男がいる場所に預けるのは、気のもめる事だと思います。

 けれどわたくしは孫の健太郎を、合意もないのに女の子に襲いかかるような、

 ハレンチな男に育てたつもりはございません。

 でも所詮、男の性衝動など神風特攻隊のようなものですからね。

 健太郎が突然トツゲキをかける可能性がない、とは言い切れません。

 なので花鈴ちゃんはわたくしの寝所で休んで頂きます。どうぞご安心下さいませ」


おばあ様は一体オレをどんな目で見てるんだ、と健太郎は複雑な気持ちになったが、こう言われては花鈴と二人きりになって、ロマンスの続きを実行することが出来にくくなってしまった。

それでも花鈴は毎日結構楽しそうに、おばあ様と武重から、榊原家に関する色々な事を教わっていた。

武重のレッスンも再開された。でも健太郎はその練習に混ぜてもらえなかった。二人で何か新しい技を開発しているらしい。健太郎はちょっと寂しかったものの、花鈴の元気な姿をみられるだけで幸せだった。


「若、お荷物はどちらにお運びすればよろしいですか?」


武重がトラックを校門の中に乗り入れて、健太郎に聞いた。

「体育館の裏につけてくれ。そこに搬入口がある」

健太郎が答えると、「かしこまりました」と武重は言って、賑やかに飾り付けられた校内をゆっくりとトラックで抜けていく。


「一人で舞台の上に立つなんて緊張しちゃうね。あたしならお腹壊しそう」


花鈴が気遣わしげな瞳を健太郎に向ける。

健太郎は軽く笑うと、「花鈴が見てくれて、カッコイイって思ってくれれば満足だよ」と答えた。花鈴は嬉しそうに頬を染めると、パチパチ手を叩いて言った。


「健太郎くん、かっこいい! すごいっ」

「まだやってないって」


健太郎は苦笑して、人差し指で花鈴のおでこをそっと小突く。

その時「榊原くーん」と甘えた声が後ろから掛かった。


清水都は健太郎に近づくと、健太郎の腕を掴んで自分の方に向かせた。

「おうちからわざわざ楽器を運んでくれたのね。ご苦労様」

いかにも羨望の的である素敵なお姉さま的口調で言うと、清水都は健太郎にしなだれかかった。

そして健太郎の死角になるところで、しっかり花鈴をひと睨みする。

「これで榊原くん、男子の人気投票ナンバーワンになること間違いなしよ」と言って小首をかしげて健太郎に笑いかけた。

「はい、頑張ります。オレ、本気でキング狙ってるんで」

健太郎が少し微笑を浮かべてそう言うと、「やだ、榊原くんったらぁ」と清水都は真っ赤になる。何を期待してるんだこの女は、と内心思いつつ、愛想良く健太郎は清水都を見送った。例えあんな女の一票でも、今の健太郎には大切だ。

とにかく、絶対キングになる。健太郎は硬く心に決めていた。


隣を見ると、花鈴がしょんぼりした顔で下を向いている。

「オレが信用できない?」と聞くと、花鈴はちょっと下唇を出してプルプル顔を横に振った。

健太郎は笑って、もう一度花鈴のおでこを指で押すと、楽器を下ろす手伝いをする為に体育館裏の搬入口に向かった。

花鈴も美術部の絵を体育館に飾ってあるので、最終確認の為に同じ方向にむかう。途中で花鈴と別れて、健太郎は人気のない裏口にたどり着いた。

トラックは搬入口のすぐそばに停車されていたが、既に乗せていた楽器はなかった。

健太郎が搬入口から中に入ろうと足を踏み出した所で、首に鋭い痛みを感じた。


不意に視界が霞む。首元に手をやると、小さな針のようなものが刺さっていた。急いでそれを抜いたが、目の前のあるはずのドアが歪んで見える。

吹き針か、と健太郎は推測した。何か薬品を塗ってある針を、首に刺されたらしい。

段々意識が朦朧としてくる。カサカサと草を踏みしめる音が聞こえた。なんとか後ろを振り向くと、体にピッタリフィットする黒服に身を包んだ男たちが、自分を囲んでいるのが見えた。

二人の男が健太郎の両脇に付いて腕を取る。残りは六人。

「ニューフロンティア・・・」と健太郎が囁くと、「バレてるぜ」と後ろの男の片方が言った。

「とにかく運ぼう。人が来ると面倒だ」

もう一人が小声で答えた。そのまま二人で健太郎を引きずり始める。残りの男達も健太郎の周りに付く。健太郎は抵抗しようと試みたが、どうしても体に力が入らなかった。


総勢八人の男に囲まれて、体育館裏の雑草がまだらに生えた小さな空き地を、健太郎は引きずられていく。意識が完全に落ちてしまわないように、ワザと唇を噛んで傷つけた。

八人の中で後ろについていた者が、「おい」と仲間に注意を促す声が聞こえた。

健太郎は無理矢理目をこじ開ける。


体育館の搬入口前に、武重が立っているのが見えた。いつもの微笑が消えて、眼光鋭くこちらを見ている。健太郎は武重を見て心強く思ったが、どう考えてもこっちの劣勢だった。

いくら武重が武道の達人でも、多勢に無勢だ。健太郎が動けるなら勝算はあるかもしれないが、一人で八人はキツイ。

健太郎は、一度このまま連れ去られなければならないか・・・と覚悟した。


突然、武重が両腕を真横に伸ばした。直立不動の姿勢のまま、十字架のような姿勢を取る。

すると次の瞬間、その腕を波打たせ始めた。

健太郎を含めた、九人全員が武重に注目する。

その時後ろの搬入口が細く開いて、花鈴が外に出てきた。


ダメだ、戻れ!

健太郎は叫ぼうとした。でも声にはならず、苦しげな息が漏れただけだった。

花鈴の目の前で、武重が一人でウェーブをするように、腕を動かしている。

そしてつま先立ちになると、トウシューズを履いたバレリーナのように、細かく足を動かしながら移動し始めた。

ふらり、ふらりと左右に動きながら、腕を波打たせて武重は近づいてくる。

そのあまりの奇妙さに、全員が固まった。健太郎も呆然と武重を見る。ついに追い詰められて頭がおかしくなったのか、と思った。

でも次の瞬間、その場にいた者全てが、度肝を抜く事態が起こった。

なんと花鈴が、武重と全く同じ動きでこちらに向かって進んで来たのだ。


「ヒィッ」とニューフロンティアの一人が声を上げる。その声は、苦手な生き物・・・例えばゴキブリやナメクジに偶然触ってしまった人が上げるものに似ていた。実際、目でその感覚を味わったのかもしれない。

視界のぼやけた健太郎ですら、体に鳥肌が立った。


武重は全員を驚愕に陥らせたまま、いつの間にか人さらい一味に接近していた。

武重の一番近くになってしまった不幸な男は、唇をわななかせながらバカでかい奇妙なスーツ男に対峙していた。恐ろしさのあまり身動きが取れないように見える。

武重はいきなりウェーブを止めると、斜め上方に向けて両腕をピンと張った。そのまま軽やかにステップを踏み始める。武重の姿が、秋の柔らかな太陽の日差しに照らされ、明確に九人の目に焼き付けられた。

その姿はまさしく、「グリコのマーク」だった。


「う、うわぁーっ」と武重の近くになった男が声を上げる。健太郎は可能なら自分も叫びたかった。

ステップを踏みつつ、「まず意表をつく!」と武重が言う。

つきすぎだろっ、と健太郎が思うそばで、武重の手が端から順番に敵に触れていく。

武重は見ているだけでは、男達を優しく撫でているようだった。首筋に手が触れた、と思うとその人物はストンと倒れる。


急所術だ、と健太郎は武重を見て思った。

Dr.ローリングサンダーから伝授された秘術。健太郎にとっては、まだ未完成の術だが、武重は完璧にマスターしていた。クルクルと回転しながら、既に四人、敵を倒している。

健太郎は悔しかった。クソッ。オレだってこんな状態じゃなきゃ・・・!

健太郎はより強く唇を噛んだ。意識がさらにハッキリしてくる。


健太郎の視界の片隅で、キラリと何かが光った。なんとか首を回して見ると、黒服の男の一人が、アーミーナイフを握りしめている。

そいつは真っ直ぐ花鈴に向かって進んだ。武重とは反対方向なので、ダッシュしても間に合わない。

男が花鈴に突っ込んでいく。最初の武重と同じポーズで一人ウェーブをしていた花鈴は、急に身構えた。

健太郎は花鈴の方に手を伸ばそうとした。でも両脇の男に抑えられる。


「やめっ」と健太郎が叫ぶのと、「光り物が怖くて」と花鈴が声を上げるのが同時だった。

アーミーナイフの男が花鈴に覆いかぶさる。健太郎は全身を硬直させた。

「鯖が食えるか、バカヤロー!」と花鈴が叫ぶと、男の身体がふわりと持ち上がった。そのまま前のめりになって、顔から地面に突っ込む。

花鈴は男のすぐ横で体勢を立て直すと、一歩後ろに下がった。


合気道、という言葉を頭に浮かべながら、健太郎は後ろの男に後頭部で頭突きした。

もう一人には強烈な肘鉄を食らわせる。

健太郎の優秀な血液は、もうほとんど針の薬品を解毒していた。

健太郎は花鈴に向かってダッシュした。花鈴の投げ飛ばした男が、起き上がってまたナイフを構える。健太郎は男のナイフを手刀で叩き落とすと、スっと首筋に手をかけた。


人間の体には、急所がある。その部分を確実に攻撃できれば、それほど力を使わなくても相手を倒すことができる。それがドクターの教えてくれた秘術だった。


健太郎はトンッと男の首下を押した。男は一瞬虚空を見つめると、目をむいてガクッと膝をつき、その場に崩折れた。


健太郎は瞬時に花鈴を背中に回すと、武重の方に視線を投げた。武重はもう、残り五人を全員倒していた。自分に近い位置に倒れている男をつま先で小突きながら、「何縛りがお好きですか?」と問いかけている。


健太郎は肩で息をしながら、その場にへたり込んだ。「大丈夫ですか?」と言いながら武重が健太郎の元へ来た。花鈴は健太郎のすぐそばに座る。


「なんだったんだ、あれはっ」

健太郎は二人に向かって怒鳴った。武重と花鈴は顔を見合わせ、嬉しそうな顔で笑い合う。そして武重はいつものひとをくった微笑を浮かべると、直立不動になって言った。


「岡崎花鈴、相馬(そうま)武重による渾身の新技です。どうです、驚異を感じましたか?」

「狂気を感じたわッ!」


涙目になって健太郎は叫んだ。本当に二人の気が狂ったのかと思った。健太郎は今頃全身に震えが襲ってくるのを感じた。


「名づけて〝恐怖、タコ人間〟って言うの。すごいでしょ?」


ニコニコ笑いながら言う花鈴の隣で、健太郎は自分が今、どんな顔をしているのか分からなかった。

笑顔の花鈴をしばらく眺めた後、健太郎は腕を伸ばして花鈴を抱き寄せた。

「もうあんなことはやめてくれ。刺されたらどうするんだ」

健太郎の訴えに花鈴は、「あたし、武重さんとおばあ様から合気道の技を教わったの。結構上手になったんだよ」と答えた。

「おばあ様に?」

驚いて健太郎は聞き返す。

「うん、あの決め台詞もおばあ様から教えてもらったんだ。他にも色々あるみたい。

 その内また教えてくれるって」


健太郎は目を閉じて息を吐き出した。旧華族の出で、護身の為に合気道や薙刀を身につけている祖母が、武重と花鈴の〝新技〟とやらに関わっているとは計算外だった。

「女は強し」というのが榊原濃子の座右の銘の一つだが、それを花鈴に仕込み始めているらしい。


「それにしてもナイフはよくない。刃物を持つ敵を見たら、逃げないとダメだ」

よくぞ刺されなかった、と健太郎は安堵の冷や汗をかいた。

「わたくしはこれを投げるつもりでしたが、花鈴様は見事でした」と言って、武重がスーツの内ポケットから収納式の小型ナイフを覗かせる。

なんて奴だ、と武重を見て健太郎は思う。二メートルの風体を晒してるだけでも充分怪しいのに、これで職務質問でもされたら銃刀法違反で逮捕されるぞ。

その時は減給処分だな、と思いながら健太郎は花鈴をもう一度ギュッと抱きしめた。

オレは花鈴を守っているのか、守られているのか、どちらなのだろう、という疑問を心に抱いて。






体育館の中に、健太郎の奏でる(きん)の琴の音が反響する。

午後二時、袴姿の健太郎が舞台の上に用意された琴の前に現れると、体育館にどよめきが走った。甘い顔立ちの健太郎が和装に身を包むと、独特の爽やかさが漂う。

幼い頃からたくさんの習い事をしてきた健太郎だが、特に琴を鳴らすのが上手かった。

弦の上を健太郎の指が素早く動き、正確に音階をかき鳴らしていく。その美しい音色に、普段ポップスしか聴かない若者たちも、魅せられたように聞き惚れていた。


健太郎の出し物は大成功だった。昇降口に設置されたキングの投票箱の中は、一年榊原健太郎の名前が多数入っていると思われる。


二時間後の開票結果は、校庭の特設舞台の上で司会役の男子生徒によって発表された。

「キング、榊原健太郎」の声に反論するものは誰もいなかった。

裏工作が聞いたのか、入れないことでの復讐をみんなが恐れたのか、今年のクイーンも清水都に決まった。清水都は舞台上の健太郎の横に、当然、という顔で並んでくる。


「それでは恒例の」と言って司会者が校庭に集まる生徒たちにマイクを向けると、「キスー!」とみんなが叫んだ。

清水都はスポットライトを浴びて、頬を紅潮させた。いよいよこの時が来たのだ、と勢い込んでいる。その姿は確かに、美しく輝いて見えた。


健太郎は黙って片手を上げた。司会者が気がついて、「おおっ、榊原くんが意気込みを宣言します!」とマイクに向かっていう。

群衆の中で花鈴は、下を向いて舞台から視線をそらした。


司会者にマイクを向けられると「一つ意見があるのですが、いいですか?」と健太郎が言った。司会者が「どうぞー」と言ってマイクを健太郎に渡す。


「盛り上がってるとこ申し訳ないですけど、

 僕は好きでもない女性にキスなんかしたくありません」

おもむろにマイクを握った健太郎は、無表情でそう宣言した。隣で清水都が目をむいて健太郎を見る。


「ついでに言わせてもらいますが、勝手に他人のメールアドレスを使って、

 人を中傷するような文章を不特定多数の人間に送りつけるような女性にも、

 僕はキスしたくありません」


清水都の顔から血の気が引いた。健太郎のこの言葉の意味が分かった人は、清水都と柾と花鈴、坂崎由紀他数名だったと思われるが、ほとんどの生徒は何を言っているのかわからなかったようだ。

健太郎は気にせず、続ける。


「この文化祭恒例のキングとクイーンによるキスも、僕はやめてもらいたいと思っています。

 どうせならこれからは、選ばれた二人の好きな人に舞台に出てきてもらって、

 その相手にそれぞれがキスをすればいいと思います。その方が理にかなっている」


どぉっと会場が湧いた。みんなが同意を表しているのが分かる。健太郎は司会者にマイクを返した。


「オーケー、みんな聞いたかい?

 今年のキング様は、白百合高恒例行事にも変化を与えようという強者だ。

 勇気を讃えて彼の意見を採用していいという人は、拍手!」


わああ、という歓声と共に、大きな拍手が起こった。健太郎は真っ直ぐ前だけ見ていた。

隣で清水都が歯ぎしりする音が喧騒の中、耳に届く。


「それではキング、そのお心を捉えた幸運な女子のお名前をどうぞ!」

ノリノリで司会者が健太郎にマイクを向ける。

「岡崎花鈴さんです」と健太郎が言った途端、会場女子の悲鳴が近隣に轟いた。


赤くなって青くなった花鈴が、舞台の上に連れてこられる。清水都が今度は隣で足を踏み鳴らすのが聞こえた。

〝地団駄を踏む〟をその通り実行した人間を、健太郎は初めて見た。


「さぁみなさん、ご注目。本物の恋人同士の口づけをとくとご覧あれっ」


司会者は手を振って会場を沸かせる。

健太郎は、こいつ将来テレビに出てそうだな、と思った。


健太郎が花鈴と向かい合うと、今度は水を打ったようにみんな静かになった。

健太郎は花鈴の小さな肩を両手でしっかり掴むと、今度こそ、その唇を花鈴の唇に重ねることに成功した。


一拍の静寂の後、若者たちの歓声が舞台の上の二人を包む。

パンパンとクラッカーを鳴らす者がたくさんいた。生徒会役員が、清水都に命令されて作った紙吹雪を、健太郎と花鈴に全部ふりかける。

健太郎が唇を離すと、花鈴はヘナヘナと座り込みそうになった。健太郎は花鈴を抱きとめると、腰の抜けた花鈴の身体を両腕に持ち上げた。


「・・・え~と、キングは今夜、彼女をお持ち帰りということで!」と司会者がまとめたところで、健太郎は舞台を降りた。

生徒たちの歓声は、ますます大きくなるばかりだった。


健太郎は花鈴を抱いたまま、中庭まで歩いた。外は夕闇が深くなり、薄暗い中庭にいると校庭での喧騒は少し遠くなった。植木の下で鳴く虫の声が、ここでは良く聞き取れる。


健太郎は花鈴をベンチに座らせた。さっきから何も言わず、目を開けたままぼうっとしている。健太郎は自分もベンチに座ると、花鈴の肩を抱き寄せる。

「・・・ちょっと、やり過ぎた?」と花鈴に声を掛けた。

花鈴は今目が覚めた、というように、目を瞬かせて健太郎を見た。

「あたし・・・」と花鈴がいう。健太郎は文句を言われるのか、と覚悟した。

「初めてのキスって、レモンの味がすると思ってた」


相変わらず、花鈴の感想は健太郎の予測を超えている。「どんな味がした?」ととりあえず聞き返した。

「歯磨き粉」と花鈴が言った。

それはそうだろう。舞台に上がる前、健太郎は入念に歯磨きをしたのだから。


「・・・もう一度、味わってみる?」

健太郎が聞くと、「うん」と花鈴が答えた。

今度は後二ミリで唇が重なるという時、「ケン、カリン!」と声が掛かった。


二人は同時に姿勢を正し、声の主に目を移した。

中庭に向かってDr.ローリングサンダーが、武重を従えて歩いてくる。

「お別れに来ました。今夜、カナダに帰ります」と両手を広げてドクターが伝える。


「もう戻られるのですか?残念です」と健太郎は花鈴と共に立ち上がってドクターに言う。

「はい。せっかく来たのだから、と日本を少し旅しましたが、

 ロッキーが私を待ちわびていることに気がつきました。私も山が恋しいです。

 日本は楽しかった。とても食事が美味しい。特にホルモン焼きは最高でした」


健太郎は苦笑いした。今度からカナダの山奥で、嬉しそうに内蔵(ホルモン)を焼くドクターの姿が見えるような気がした。


「ではケン、今度はあなたの女神と共にカナダに来てください。

 そこの小さなレディと一緒に」


健太郎がちょっと目を見張ると、ドクターはウインクして笑った。そして花鈴の手を取ると、握手をしながらお別れを告げる。


「私の可愛いベィビーレディ。

 どうかこの次会う時も、あなたが幸せに満ち足りていますように」


そう言って、ドクターは花鈴の頬にキスをする。健太郎はそのキスは見逃すことにした。

外人にとって、キスは挨拶だ。カリカリしてもしょうがない。

花鈴はドクターに向かってニッコリ笑うと、「サンキューベリーマッチ」と言った。ものすごい日本語英語だったが、気持ちはこもっていた。


「若。ニューフロンティアの連中は拘束の上、トラックに乗せて、

 新社長の自宅の庭に捨ててきました。

 ちなみに今回の縛り方は〝後頭部後手股縄縛り〟です。

 多分、奴らもしばらくの間は大人しくしているでしょう。

 わたくしはこの足でドクターを空港にお送りします。

 お帰りは徒歩で問題ありませんか?」


武重の言う通り、両製薬会社からの陰謀はとりあえず落ち着きそうだった。

「大丈夫だ。気をつけて送って行ってくれ」と健太郎は答える。


ドクターと武重を見送った後、健太郎は花鈴と歩いて家に帰った。文化祭の後片付けは次の日の午前中に当てられているので、生徒達は盛り上がった気分のまま解散する事ができる。


健太郎は花鈴と手をつないで自宅に向かいながら、藍色の濃くなった空を見上げた。

宵の明星が輝き始めた空は宇宙の神秘を垣間見せて、初々しい恋人たちを優しく祝福してくれた。






「健太郎くん、おはよう」

花鈴がいつもの待ち合わせ場所に現れた。

健太郎は「オッス」と返して、花鈴と学校に向かって歩き出した。


文化祭も無事終わり、花鈴の両親も旅行先から帰ってきた。いつも通りの日々が戻ってきた。

いつもと違うのは、健太郎と花鈴の仲が周知の事実になったことだった。

今では花鈴も堂々と、私のカレは健太郎くんです、と言えるようになった。


花鈴の学生鞄には、健太郎の作ったクマのキーホルダーがぶら下がっている。

カナダの山奥で、ドクターと交代で夜間火の番をしていた時、あまりに暇なので健太郎が木を削ってクマの形にしたものだ。

お土産として渡そうと思っていたのに、矢継ぎ早に騒ぎがあったせいで、すっかり忘れていた。結局渡したのは花鈴が自宅に戻った後だった。

花鈴はこのお金のかかっていない、手の込んだお土産を何より喜んだ。値段の高いものをもらっても、恐縮してしまうだけだ。こういう物なら、気兼ねなくいただくことが出来る。


「あたしね、今、外国の小説読んでるの。特にスティーブン・キングが好き。

 外国の文章って言い回しが面白いよね。

 健太郎くんのおばあ様から色々〝決め台詞〟を教わったけど、あたしは小説から、

 〝捨て台詞〟を研究してるんだ。独特の言い方がたくさんあってすごく楽しいの」


毎回思うことだが、花鈴の言うことは分かるようで分からない。〝捨て台詞〟を研究する、なんて普通は考えつかないだろう。

このまま武重と花鈴がタッグを組んで、おばあ様まで関わり始めたら、この先何をしだすかわからないな、と健太郎はゲンナリした。


学校の正門が近づくと、健太郎と花鈴は生徒たちから注目される。

みんなは並んで歩いていく二人を見ていたものの、それは冷やかすような視線ではなかった。公認になったことを、暖かく見守っていくれているような感じだ。


でも一人、納得していない人物がいた。


清水都は取り巻き三人を従えて、正門から校内に入ってきた健太郎と花鈴に視線を寄越していた。四人で固まって、「不釣り合い」だの「似合わない」だの聞こえよがしに囁く。

しまいには、「胸が気持ち悪い」と花鈴を馬鹿にする声まで聞こえてきた。

健太郎が、その言葉に傷ついて下を向いた花鈴の肩を、そっと抱いた。

清水都はそれを見ると、余計嫉妬に狂ったらしい。

「捨てられちゃえばいいのよ」とハッキリ聞こえるように言い放った。


花鈴は健太郎の腕の中で、下を向いたままピタリと止まった。

その体が細かく震えている。

健太郎が清水都に一言、文句を言ってやろうと一歩踏み出すと、花鈴がそれを制止した。

健太郎を脇に追いやると、清水都の方に身体を向ける。


花鈴はキリリとした顔で、清水都に向き合った。健太郎は花鈴は何か言うつもりだな、と思った。

そこでフッと、さっき花鈴が言っていた言葉を思い出す。

確か・・・〝捨て台詞〟を研究している、と言ってなかったか?


なんとなく、健太郎の脳裏に嫌な予感が走る。花鈴のことだ。きっと予測不可能な言葉を口走るに決まっている。健太郎は耳を塞ごうと思ったが、諦めた。

多分、オレはそのセリフと聞くことになる。

もしかしたらこの先もずっと、色々なバージョンの〝捨て台詞〟や〝決め台詞〟を。


その後花鈴が言った言葉を聞いて、健太郎は一生花鈴の尻に敷かれるだろう、と確信することになった。


花鈴は、女王の貫禄で睨みつけてくる清水都に向かって、毅然を顎を上げ、口を開けた。

諦念の思いで目を閉じた健太郎の耳に、女神花鈴の声がついに届く。


「尻の穴に傘でも突っ込んでな、サノバビッチ」










【作中引用】

リチャード・バックマン(実はスティーブン・キング)著 

『痩せゆく男』(文藝春秋 真野明浩訳)より。

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