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後編

強い太陽の光で目が覚めた。

目を開けると、健二のペンダントが見える。

しばらくボゥっとそのペンダントを見つめた。

その内、健二の腕の中に抱かれているのが暑くなってきた。


「あー、暑い」


そう言って私が体を離すと、健二が不服そうに言った。


「なんだよ。こっちは一晩中腕枕してたのに。痺れてるんだぞ、オレの腕」

「それはスミマセンね。じゃあ今度は腹枕にして」


なんだそれ、と言って健二が裸の私を捕まえる。

目覚めた後どんな顔をすればいいのか不安だった気持ちが、あっという間に幸せな気分に変わった。

時計を見ると朝の9時を回っていた。健二のお腹がグー、と鳴る。

「わぁ、こんな時間。ご飯食べなきゃ、何か作るね」

「うん、頼む。オレ死にそう・・・」


大げさな、と思って健二を見たら本当に顔色が悪い。

私は焦って健二の額に手を当てた。熱はない。


「ここんとこダメなんだ。腹減ってしょうがない。一日八食は食ってるよ、オレ」

「そっ、そんなに!?」

「ああ、食えば元気になるんだけどさ。食欲さえ満たせれば後は快調。

 夜寝ないで学校行っても全然元気だし」

「・・・夜、寝てないの?」

「そーだなぁ。昨日で三日貫徹。花音の寝顔じっくり見れた」


自分がどんな寝顔をしていたのか・・・と思うと恥ずかしかったけど、三日も寝てないという異常さに不安を覚えた。いくらなんでも三日は長すぎる。


心配だったけど、健二が「早く飯をくれー」と騒ぐので、急いで朝ご飯の用意をした。

どんぶりに盛ったご飯と卵を五個使ったスクランブルエッグ、昨日の残り物の豚汁をペロリと平らげ、足りないというのでさらに卵を五個使ってベーコンエッグを作って出した。

ご飯はその後さらに二杯、おかわりした。


やっと満足した健二が、ポケットから薬を取り出す。

私が注いだお茶でその薬を飲み干した。


「・・・それ、何の薬?」

「んー、これか? 兄貴からもらったサプリメントだよ。この前花音も聞いてただろ?

 あれから一週間以上、朝晩欠かさず飲んでるんだ。

 それが新薬実験のバイトの契約だからさ」


そうだ。あの時健二は新薬の効能を調べるための被験者になると言ってた。

健一さんはなんて言っていたっけ?

確か・・・健康になる薬・・・。


「それ、効き目はどうなの?」

「なかなかいいよ。ちょっと腹は減るけど、体調はすごくいい。

 飯さえ食えば元気ハツラツ。心配ないって」


私は急に怖くなった。

健二が日に八食も食べるようになったのは、薬を服用するようになってからなのだ。

それなら、眠れなくなったのも薬のせい?

ブルっとからだに震えが走る。思わずつぶやいた。


「・・・ホントに、大丈夫なのかな?」


「兄貴がオレにヤバイもん飲ます訳ないだろ? それより部屋戻ろうよ。

 花音に渡したいものがあるんだ」


健二の顔色はすっかり元に戻って、血色が良くなっていた。

私の手を引っ張りながら、意気揚々と部屋に戻る。

私の狭いシングルベッドは、掛け布団もシーツも乱れていて、昨日の夜の出来事を彷彿とさせた。

恥ずかしくなって頬が熱くなる。


「これこれ」

健二はすっかり元気を取り戻して、私に向かって大きな箱を掲げた。

昨日うちに来た時に抱えていた箱だ。


「バイト代、兄貴から半分だけもらったんだ。その金で買った。

 親父からの小遣いじゃないぞ」


「・・・ありがとう」


私は箱を開けた。

中には薄いイエローのサマードレスが入っていた。

手触りが滑らかで値の張るものだということは直ぐに分かった。


「すてき。こんな・・・いいの?もらって」

「当然。 さ、着替えて。ここで見てていい?」

「ダメ」


健二は仕方なさそうに部屋を出て行った。

私は今まで自分のクローゼットには存在したことがない、素敵なドレスに身を包んだ。

着替えを終えて健二を呼ぶと、惚けたように私を見る。


「想像通り。似合うよ、すごく」

「うー、でも眼鏡が合わないね・・・」


私の眼鏡は安物でレンズが厚い。お洒落な眼鏡だったら、このドレスにも合うのになぁ。


「じゃあコンタクトにしよう。今から買いに行くぞ」

「え!? 今から? それにお金だって・・・」

「バイトが終わったら残りの五万も貰えるんだ。心配すんなって」


健二はグイグイ私を押すと、玄関まで連れて行った。

私はその勢いに押されて外に出る。健二の嵐のような行動力に頭がついて行かない。


「やべ。財布置いてきた」と言って、健二が一旦私の部屋に戻った。

すぐに戻ってくるだろうと思って、私は家の前の通りに出る。

残暑でまだ暑い太陽が照りつけていて、眩しい。


フッと前を見ると、二、三メートル離れた場所に山田英治がいた。


「・・・この淫売が。ずっと外で聞いてたぞ。

 お前だけは他の女と違うと思ってたのに・・・あんな声出しやがって」


焼け付くような太陽の光に、山田英治の手元で何かが反射した。

ギラリ、とそれが光った瞬間、私は思い切り突き飛ばされた。


一瞬のことで何が何だか分からなかった。

アスファルトに膝をついて倒れたまま、私は振り返った。

山田英治が両手の平を上にして、体の前に出して立っている。

その手が小刻みに震えていた。


山田英治の前にうずくまっているのは・・・健二だった。


健二はお腹に手を当てたまま動かない。

私は跳ね起きて健二のところに駆けつけた。

健二のTシャツのお腹の部分がじわじわ赤く染まっていく。押さえた手元にナイフの柄のような物が見えた。


「キャー!」


私は叫んだ。自分の声とは思えないほど遠くに聞こえる。


山田英治は私に向かってナイフを振り立てたのだ。

でも私は健二に突き飛ばされて助かり、代わりに健二が刺されてしまった。

頭では理解できても、恐怖のあまり動けない。

私はただ叫ぶだけだった。


「こいつ、待て!」


誰かの怒鳴る声に、我に返った。

ドッと何かがぶつかる音がする。

音の方を見ると小太りのスーツ姿の男性が、山田英治にのしかかっている。

この人は・・・見たことある。

いつも下を向いて死にそうな顔で駅までの道を歩く中年のサラリーマンだ。

山田英治を押さえつけたまま、その人が叫んだ。


「誰か救急車を! そして警察も」


私は硬直して行動を起こせなかった。

そんな私の肩を、一人の女性がそっと掴んで「落ち着いて」と囁いた後、携帯電話で救急車を呼んでくれた。

この人も知ってる。近所のアパートで見かける若い主婦だ。


私は呆然として、みんなが動いてくれるのを見ていた。

いつもは挨拶もしないような人たちだけど、状況を見てみんなが協力してくれている。

向かいのおばちゃんは健二に「しっかりしな。すぐ救急車が来るよ!」とずっと声を掛けてくれた。

健二は頷いている。意識はあるみたい。安堵のあまり気が遠くなりそうになった。

山田英治はサラリーマンの男性に押さえつけられたまま、訳のわからない奇声を上げている。


救急車が到着して乗り込む時、私は助けてくれた人達に頭を下げた。

おばちゃんが「大丈夫だよ」と声を掛けてくれる。

有り難くて、涙がこぼれた。


救急車は幸い一度目の電話で、受け入れてくれる病院を見つけた。

病院に着くと、私は救急の待合室で処置が終わるまで待機するように看護師に告げられた。

刺さったままの刃物は抜く時が肝心なのだという。

私は不安で胸が押しつぶされそうになりながら、手当てが終わるのを待った。


しばらくして、白衣を着た若い医師が救急処置室から出てきた。

難しそうな顔をしている。

クラリとめまいがした。 もしかして・・・ダメだったの?


「あなたは榊原健二さんの・・・恋人だと聞きましたがそうですか?」

「は・・・はい。そうです」

「ご心配だったでしょう。健二さんは大丈夫です」

「・・・ああ、良かった! ありがとうございます」


今度は極度の安心感でめまいが起こる。

若い医師は軽く私の肘に手を当て、体を支えてくれた。

医師は「大丈夫」と言った割にはまだ硬い表情を変えない。

私はまた不安が頭をもたげた。まさか・・・後遺症が残るとか・・・。


「そのう・・・健二さんの症状なんですが、実は全くの無傷なんです」

「・・・は?」

「だから、そのですね・・・。私としても何とお伝えしたらいいのか分からないのですが、

 傷がなくなったんです」

「なくなった?」


「はい。分かりやすく言うと、見る見る内に消えてしまったんです。

 私はまだ医者になってそんなに立ってないのですが、それでも幾つか手術もしています。

 でもあんな風に傷が治ってしまったのは、見たことが無い。

 ナイフを抜いて、止血して・・・傷が消えました」


私は意味が分からなくて、答える言葉もないまま医師を見返した。

傷が消える? そんなわけない。だって、ナイフが刺さって血が・・・。


「今は失血性の貧血で輸血中です。でも本人はいたって元気です。

 腹が減ったとぼやいてますよ」


ハハッ、と神経質な笑い声を上げて医者は腕を組んだ。自分で自分を抱きしめるように。

それは怖いと認めたくないのに、怖いと思っている自分を慰めているように見えた。


「輸血さえ終われば様子を見て帰宅して頂いて結構です。

 しかし・・・私としては是非もう一度検査をさせてもらいたい。

 もしかしたら、彼は特異体質なのかもしれない」


医者は突然目を輝かせて私に訴える。

私が絶句していると、「花音ちゃん」と声が掛かった。

廊下の奥から赤川くんが小走りにこちらに来るのが見える。


「・・・それでは、輸血が終わったらお知らせしますよ」


そう言って若い医師はまた救命室に入っていった。

赤川くんが私のそばまでやってくる。


「健二はまだ中?」

赤川くんは息を弾ませながら私に聞く。

「うん。まだ・・・。赤川くん、健二が怪我したの知ってるの?」

「知ってる。健二がメール寄越したんだ。輸血中でタイクツ。腹減ったって」


健二はメールを送れるほど回復してるんだ。でもなんで私に連絡してこないのだろう。

そう思って、携帯を家に忘れてきたのを思い出した。


消えた傷、異常な食欲。そして不眠・・・。

毎日飲む薬・・・。健一さんからもらった薬。


「赤川くん」


私は不意に思いついて赤川くんに聞いてみることにした。

赤川くんは薬学部だ。健一さんには勉強を見てもらうこともあるらしい。

何か知ってるかもしれない。


「今、健二のお兄さん・・・健一さんが何を研究してるか知ってる?」


「健一さん? いや・・・製薬会社の方の研究はよく知らない。

 でも自宅の実験室で個人的にやってる薬の研究については、聞いたことあるよ。

 実はこの前、実験用ラットを見せてもらったんだ」


赤川くんは眉根を寄せてちょっと不快そうな顔をした。


「そのラット、生まれた日付が一ヶ月前なのにもう痩せてカラカラになってる感じでさ・・・。

 通常ラットは普通に育ててれば二年以上は生きるはずだから、なにか薬の実験をしたんですか?

 って聞いたら不老不死の薬を飲ませたって」


「不老不死?」


「そうなんだ。でもラットを見ると枯れ枝みたいに痩せて具合も悪そうでさ・・・。

 健一さんは、実験は途中まで成功したけどまだ副作用がひどいって言うんだ」


「副作用?」


「そう。薬を飲ませたラットは、眠らなくなって、物凄い食欲が出て、

 とにかく精力的に動き回るらしいんだ。

 傷や病気に強くなって、メスで切ってもウイルスを打ち込んでもすぐに治るって。

 そこまでは良かったけど、問題は寿命が短くなることだって言うんだ。

 ずっと毛艶が良かったラットが、いきなり手足に支障が出て痩せてくる。

 一時間後には、枯れ木みたいにカラカラになっちゃうって。

 きっとこの薬を飲んだラットは、

 自分の長い寿命を短いうちに使い切るんじゃないかと言ってた。

 おれ、それ聞いてなんか怖くなった」


赤川くんは両手を自分の体に回した。

さっきの若い医師と同じように。


私は自分の体の足の下からゾクゾクが這い上がってくるのを強く感じた。

ラットの症状は、健二の症状と全く同じだ。

まさか・・・健一さんは健二に「不老不死」の薬を飲ませたという事・・・?


「赤川くん、私、健一さんのところに行ってくる。

 健二が出てきたら家に連れて帰ってもらえる?

 それともし警察が来たら、傷は大したことありませんって言ってごまかして」


私はそれだけ言って駆け出した。

赤川くんはきっと呆気にとられてるだろうけど、振り返る余裕はない。

綺麗なサマードレスが脚にまとわりつくのを振り払いながら、私は健一さんの実験室を目指した。




今日は土曜日なので、健一さんは自宅にいた。

「珍しいね」と言って、私を家に上げてくれた。

実験室を見せて欲しい、と頼むと、涼やかな笑顔で「どうぞ」と言ってくれる。

私はその笑顔を見て思い出した。

確かに、中学生の頃少しだけ健一さんに憧れていたことがある。

〝好き〟という感情までいかない、淡い想い。

でも今はその感情も、薄く汚れて見えるような気がした。


実験室は清潔で、想像よりずっと明るかった。

ラットを飼育するカゴが並んでいる。

一つのカゴでは、一匹のラットが回し車の中を死に物狂いで走っていた。

その隣のカゴの中には、干からびて枯れ木のようになったラットが横たわって死んでいた。


「・・・ああ、やっぱりダメだった」


健一さんは死んだネズミに視線を投げて、抑揚のない声で言う。

私は震える全身を両手で抱えて、健一さんに言った。


「赤川くんから聞きました。不老不死の薬を開発してるって」


健一さんが私を見る。さっきまでの爽やかな表情が消えて無感情な目だった。


「そうだよ。でもまだ開発段階だ。色々欠点があってね」

「----その欠点のある薬を、健二に飲ませたんですか?」


健一さんは一瞬私を見つめてから、スっと後ろを向く。

「これのことかい?」と茶色の小ピンを私に掲げて見せた。


「健二は、これを飲んでとても元気になったと言っていたよ。

 あいつは小さい頃から熱が出ると高熱になって、お母さんを死ぬほど心配させてたからね。

 これでそんなこともなくなるだろう」


「・・・期間限定の〝健康〟だって分かっていて、健二にその薬を投与したんですか?」


健一さんは机の上に小ビンを乗せると、回し車をカタカタいわせるラットの前に立った。

ラットは一心不乱に車を回転させる。

まるで、すべてのエネルギーを使い切ろうとでもいうように。


「人間と・・・ネズミは違う。健二には健康なまま生き続ける可能性がある。

 そう、いつだってあいつには・・・あいつにだけは可能性がある。

 僕とは違う人生を歩む可能性。人の上に立てる絶対的な可能性。

 生まれた時から、僕とは全く運命が違うんだ。

 あいつならきっと、乗り切れるよ」


「乗り切れなかったら、どうするんですか!」


私は悲鳴のような声で言った。

「いいよ、花音」と突然後ろから声が掛かる。


健二が実験室のドアの前に立っている。後ろには赤川くんの姿が見える。

赤川くんの顔は恐怖のあまり真っ青になっていた。


「兄貴、オレさっきバカな男に刃物で刺されたんだ。

 でもあの薬のおかげで助かった。今は傷跡すらないよ。医者がマジでビビってた。

 オレ・・・ずっと兄貴に申し訳ないと思ってた。オレさえ生まれてこなければ兄貴は・・・って。

 だからいいんだ。オレは兄貴の役に立ちたい。データ取るだろ? 早く採血してよ。

 いつかどんな傷でも治せる薬、開発してくれよな」


その時の健一さんの顔は、表現するのが難しいほど複雑だった。

一度、目を見開いて健二を見た後、泣き笑いみたいな顔になる。

唇がワナワナ震えだし、やがてその震えが全身に回った。


健一さんは、突然ガラス棚の扉を開けた。中から茶色の瓶を取り出す。

そしてそれを握り締めたまま、健二と赤川くんの横をすり抜けて実験室を出て行った。

「兄貴!」と健二が叫んで、後を追いかける。


赤川くんはガクガクする脚で自分の体重を支える事が出来ず、床に膝をついた。

「あれ・・・青酸カリだ・・・」とつぶやく。


私は二人を追いかけて外に出た。

でもすでに、どこにも二人の姿は見えない。


そのままずっと、健二も健一さんも戻ることはなかった。









 


「あわわ・・・わぁ!」


私は声を上げて倒れる。

雪道があまりに深くて脚を取られてしまった。

カンジキなるものも練習したけど、いつまでたっても上手くならない。

「あはははっ」と笑い声が近くで上がる。


「もお、ひどい。いっつも笑うんだもん」

「悪い。だってあまりにマヌケな状態だからさ」


私の脇の下に両手を入れて、健二が助け起こしてくれる。

そのまま私を引き寄せるとチュッとキスする。

目の前の健二の顔は、夏の日焼けが取れて白く美しい。


「さぁ、もう少しだ。あったかい暖炉が待ってるぞ」

「うん」


私は健二に手を引かれて、森の中のコテージを目指す。

周りは雪で覆い尽くされている。

ここに来てもう五年。段々雪にも慣れてきた。


私は今、森に住んでいる。

もともとコテージは健二のご両親の別荘だった。

五年前の夏、健一さんが服毒自殺を図った後、行方不明だった健二をこのコテージで見つけた。

健二はお兄さんの死に心を痛めていて、小さい頃兄と一緒に遊んだこの別荘に来たんだと言った。


「間に合わなかった。あっという間に薬品を飲んで・・・。オレ、止められなくて・・・」


健二はずっと泣いていた。

私はそんな健二をただ抱きしめることしか出来なかった。


山田英治は警察に捕まった。でも健二が無傷で告訴もしないというので、二日ほど留置場に入ってこってり刑事さんに絞られた後、釈放された。


健一さんの〝不老不死〟の薬のことを、最初健二の両親は信じなかった。

でも眠らず、包丁で何度肌を傷つけてもすぐに治ってしまう息子の様子を見て、認めざるを得なくなった。


健二のご両親は、特にお母さんは、気が狂ったようになって健二の症状を嘆き悲しんだ。

いつどうなるか分からない、異常な体質の息子をみんなから隠すために、病気療養ということにしてコテージに住まわせる事に決めた。

でも健二のお母さんは今、かなり忙しいと思う。

何しろ三歳の孫がいるのだから。


私はご両親から健二と共にコテージに住むことを頼まれた。

私は快く承諾した。私の名前は現在、榊原花音になっている。


パチパチ・・・と薪の燃える音がする。

大型のヒーターである程度室温を高めた後、暖炉で薪を燃やすのが私と健二は好きだった。


健二とはこの五年間、殆ど二人だけで過ごした。

コテージの裏の空き地を開拓し、夏は二人で作物を作って過ごす。

何しろ食料は大量に必要だった。

足りない分はお義母さんが定期的に送ってくれる食材でまかなう。

雪に囲まれる冬は、時間が余るので時々学生のフリをして街にバイトに出たりした。


毎日が楽しかった。

ここは移り変わる季節が目に見えて分かる。

冬の寒さは厳しいけど、私たちは雪の中を転がりまわり、新雪に自分の体をスタンプして遊んだ。

嵐の日はいつまでも抱き合って過ごした。

気が遠くなるほどの長い夜を健二の熱い肌を感じながら過ごす。


私たちはあまり喧嘩をしない。

残された時間が少ないかもしれないのに、喧嘩していたら時間の無駄だ。


こんなまともでない人生は無意味かもしれない。

誰の役にも立たない。 私たちはこの世界に必要のない人間。


ただ生きていた。 それだけだった。


「・・・健太郎は元気かな」

ぽつり、と健二がつぶやく。


「元気だよ。この前日本脳炎の予防接種が終わったって。一年後に一期追加」

「そうか。予防接種も沢山あって、大変だな」

「うん。全部お義母さんに任せてるから申し訳ない。私、母親失格だよね」

「それなら、オレも父親失格だ。・・・う」


私は緊張して健二を見た。

ラットは一ヶ月しか生きられなかった。

そろそろかもしれない、と健二と話し合ったばかりだった。


「健二!?」

「・・・うん。来たみたいだ。手がしびれる」


ああ、とうとうこの日が来た。

私は胃がよじれるような失望感を覚えた。

健二が椅子から立ち上がった。


「オレ、地下室に行っとく。悪いけど、暖炉の火を落としといて」

「う・・・うん。分かった」


怖くて息が詰まる。普通の声を出したいのに、喉がつかえて上手く発音できない。


火の始末をして地下室に行くと、健二が電気ストーブの前に膝を抱えて座っていた。

健二は私に向かって顔を上げた。その顔は、シワがよって十も年老いて見える。

私は溢れてくる涙を止めることが出来ない。


「そんなに泣いたらコンタクトが流れるぞ」

「だ・・・だって・・・」

「オレ、花音に干からびてくとこ見られたくない。座ってよ。あの時みたいに」


私は健二が何を言いたいのか分かった。

健二の後ろに回って、膝を抱えて背中を合わせる。


「・・・健一さんは、最初から健二に薬飲ませるつもりだったんだね。

 掲示板に広告貼るなんてウソだったんだ」


「そうかもな・・・。でもオレ、恨んでないよ。兄貴のこと。

 ただ、花音には悪いことしたと思う。オレに付き合わせて人生を棒に振ったろ?」


「ううん。だって健二は私の願いを叶えてくれたもの。私、今森に住んでる」

「そっか。そんで分かった? 人生の真髄ってヤツ」

「うん。分かったよ」

「なに?」


「愛」


健二は少し息を吐き出して笑った。キザだな・・・と囁く。

背中に感じる健二の身体が、軽く、細くなっていく。

震えが止められない。

健二、健二、逝かないで・・・。


「花音、オレ・・・」

「うん?」

「幸せだった。ごめん、先行くよ」


うん・・・と私も囁く。

健二の息が、聞こえなくなった。


しばらく動けなかった。

電気ストーブの低い音がブーンと鳴るのだけが部屋に響いていた。






「・・・!」


その時、私にも感じた。

来たんだ。手に痺れが出てる。

私は電気ストーブの電源を切った。


ホッとした。思ったより早く症状が出たんだ。

理想は一緒に逝けること。

それは無理だったけど、すぐにでも健二の後に続くことが出来そうだ。


私は健一さんが実験室に残した〝不老不死〟の薬を飲んだ。

健二が健一さんを追いかけて出て行った時、こっそり薬をポケットにしまって家に帰って躊躇わず飲んだ。


健二は私が自分と同じ体質になったことに責任を感じて、死のうとまでした。

でもどんなに手首を切っても、首を吊っても、死ぬことが出来なかったみたいだ。


健太郎に両親の特異体質が出てしまうかどうか、不安だった。

でも息子は生まれた時からよく眠った。

自分たちの先のことが分からないので、私と健二は健太郎を生まれてすぐお義母さんに預けた。

つらかったけど、お義母さんには生きがいが出来たようで安心した。


自分から急速に水気がなくなるのを感じる。

私は走馬灯のように、この幸せな五年間を思い出した。

今では父すら、赦せるような気がした。


健二、私は今この瞬間、後悔していないよ。

悔いのない人生だった。本当にそう思える。


息を続けることが出来なくなってくる。

私は聞こえないと分かっていて、健二に最期の言葉を伝えた。


「今行くよ。待っててね・・・」










※ 文中引用

  ヘンリー・D・ソロー

  「ウォールデン 森の生活」

  映画 『今を生きる』 より抜粋

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