1.プロローグ
ゴロゴロ――……
暗雲から無数の稲妻が走り、地面を叩き付けるような雨が降り注ぐ。
鬱蒼とした森の中、自分の背丈より小さな洞窟を見つけたアーシィは息を切らせながら駆け込んだ。
洞窟の中は人や生き物が居た形跡は無く、岩肌には所々コケが生えていた。
薄暗いし気味が悪いけど、雨に打たれて風邪を引くよりマシね。
「夜になれば止むと思ったんだけどなぁ」
そうぼやいて何度も深呼吸をして息を整える。
身体は雨に打たれ続けたせいで体温が下がり、編み込まれた金色の艶やかな髪は毛先から雫がポタポタと落ちていった。
早く温まらないと、本当に風邪を引いてしまうわ。
幸いなことに、洞窟の地面には木の枝や枯葉が落ちている。これをかき集めれば焚火が出来そうだ。肩に掛けていた荷物を置き、体を屈めて木の枝や枯葉を集め始めた時だった。
「あれ? この枝、真っ白だ」
ふとアーシィの目にとまった白く小さな木の枝。
手に取ると他の枝に比べれば泥や土埃で汚れていない。寧ろ艶があり綺麗なのだ。
誰かが白く塗って捨てたのだろうと思ったアーシィだが、この洞窟は無人。周辺には町や村など無い。
「もしかしたら魔法使いの杖だったりしてね」
ノーヴァル大陸にはかつて魔法使いや魔女が存在した。時代と共に、彼等の存在はおとぎ話になりつつあるが……。
この白い枝はなんだと思う? と人に問えば、木の枝だと答えるだろう。
しかしアーシィは違う。
彼女は物心がついた頃、魔法使い達に憧れ弟子入りすることが夢だった。
存在しないなら、せめて魔法に使用された道具や書物を見たい。その思いは強く、両親の反対を押し切って実家を飛び出したのだ。
見知らぬ町や村で情報収集しては宿や民家に泊まる。時と場合によっては野宿をした。
そして十六歳を迎えたと同時に、ある情報を得た。
魔女の郷――
遥か昔、魔法使い達が探し求めた場所らしい。
断言できないのは、未だに誰も見つけられないからだ。その為、どういう場所で何があるのか誰も知らない。
それなら私が第一発見者になってみせる。
家出同然でフラフラと旅をしてきたアーシィに明確な目標が出来た矢先、森で迷ってしまった。更に土砂降りの雨に見舞われ今に至る。
「よし。火が点いた」
集めた木の枝と枯葉にマッチで火を点けると、洞窟の中が明るくなった。
茶色のパーカーを脱いで乾かす。
赤いキャミソールとショートパンツ姿になったアーシィは焚火の前に座り、燃やさなかった白い木の枝を改めて見る。
よく見ると文字が彫られていたが、かすれていて読めない。
それだけの理由で読めないのではない。憶測だが、古代文字のようだ。
「……怪しい。この枝の文字怪しいわ」
アーシィはじっと枝を見つめると、荷物から丸められた紙を取り出す。それを勢い良く広げた。
そこにはノーヴァル大陸の地図が描かれており、所々アーシィのメモやマークが記されている。
そして大陸南東を指差して呟く。
「ここがマーフェ国。あと二、三日歩けばアルテに到着できる」
白い木の枝に視線を向け、説明するかのように喋り続ける。
「マーフェ国は魔法の歴史や記録が残っていることで有名みたいなの。私はアルテっていう街に行けば、何かあると思ってるわ」
まぁ堪だけどね、と付け足してゴロリと横になる。
朝になったら晴れてるといいんだけど。
弱まらない雨音を聞きながらアーシィは瞼を閉じた。
気付けば見渡す限り荒れ果てた土地に立っていた。
枯れ草が風に揺れ、大地には深く亀裂が入っている。
そして小ぢんまりとした木造の民家が何軒か目に入った。どうやら此処は小さな村のようだ。
だがアーシィはこの村に訪れた記憶が無い。それよりも人間……いや、生物の気配を感じない。
灰色の分厚い雲から見え隠れする太陽だけが、こちらを見ている錯覚に陥る。訳も無く恐怖心から身体が震えてしまう。
「ここはどこ?」
アーシィの弱々しい声が虚空に消えた。
先程まで雨宿りを兼ねて洞窟で横にな眠っていたはず。
もしかしたら、これは夢?
その疑問は確信へと変わった。片足で恐る恐る地面を強く踏むと、感触が無い。更に右手で地面を触るが、やはり感触は感じられなかった。
夢だと確信して胸を撫で下ろすのも束の間。
ふと気配を感じて振り返ると、遠方に幼い少女がこちらを見つめている。
やっと人を見つけた。歳は十歳前後だろうか。
豪華なフリルが印象的な黒いワンピース。胸元には大きな白いリボン。腰まで長いウェーブがかった白銀の髪の毛は輝いて見える。
じっとこちらを見つめる緋色の瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
幼いながら鼻筋の通った美しい顔が台無しだ。何故泣いているのか問うべく近寄った時だった。
「あ……れ」
視界に入る全ての景色や少女の姿が歪み、やがてアーシィは意識が遠のいた。
ぱちりと目を開けると、景色は見知らぬ村から洞窟の岩肌へと変わっていた。
アーシィは上体を起こして周囲を確認するように見渡す。
朝日が森や洞窟に差し込み、小鳥のさえずりが響く。昨夜の土砂降りだった雨が嘘のようだ。真っ青な空には雲ひとつ無い。
「やっぱり夢だったんだ」
今度こそ安堵したアーシィは赤いキャミソールの肩紐を直し、焚火の後片付けをしようと立ち上がった。
「あ、そういえば」
思い出したかのように呟き、手に持っていた小さな白い木の枝に目をやる。
「この枝を持っていたから変な夢見たのかも」
枝に話しかけても返事がある訳が無い。
ふぅーと溜息を吐いてショートパンツのポケットに閉まう。
続けて焚火の後片付けをするアーシィだが、夢のことが気になって仕方ない。
あの景色や空気はやけに現実味で気味が悪い。
少女の様子も普通ではなかった。
まるで絶望的な、この世が終わるのではないか。そんな恐怖感に包まれたからだ。
考えるだけ無駄かな――
モヤモヤと曇った思考を振り切るように、乾いた茶色のパーカーを羽織り荷物を肩に掛けた。
「お世話になりました!」
洞窟の外へ出て礼を告げるアーシィの表情は、昨夜見た夢の疲労を感じさせない程明るいものだ。
予定では二、三日でマーフェ国のアルテに到着する。
忘れ物がないか確認し、スキップするかのように駆け出した。
あとで気付いたことだが、アーシィが迷い込んだ森はマーフェ国内だったらしい。既にマーフェ国に到着していたのだ。
森を抜けたすぐ目の前に、アルテの方角を示す看板が立てられていた。
「まぁ予定通り物事が進むことなんてないわよ……」
そう自分に言い聞かせたが、少し調子が狂ってしまった。