夢の中の悪夢
第一章 夢で出会った女
誠二は、子どもの頃から夢を見ることに取り憑かれていた。
それは色彩を持ち、温度を持ち、時には現実よりも鮮明だった。
夢の中では、空を飛ぶことも、過去を歩くこともできた。
何より――誰かと出会える。
最初に凛子を見たのは、名前も知らない、見知らぬ夢の中だった。
薄暗い駅のホーム。
人の気配はあるのに、誰一人顔が見えない。
その中で、ただ一人だけ、はっきりとした輪郭を持つ女がいた。
長い黒髪。
伏せがちな目。
そして、なぜか「知っている」と感じさせる微笑み。
「……やっと来たのね」
そう言って、彼女は誠二の名前を呼んだ。
目が覚めたとき、胸の奥に妙な感触が残っていた。
懐かしさと、恐怖と、説明のつかない安堵。
それから、凛子は何度も夢に現れた。
場所は変わる。
街、森、廃墟、知らない部屋。
だが、彼女だけはいつも同じだった。
二人は夢の中で話し、歩き、笑い合った。
現実では決して味わえない親密さが、そこにはあった。
そしてある日、誠二は現実で凛子に出会う。
駅前のカフェ。
偶然、隣の席に座った女。
夢と、同じ顔。
声をかけたのは凛子の方だった。
「……夢で、会ったことあるでしょう?」
誠二は否定できなかった。
それが、二人の始まりだった。
第二章 夢が歪み始める
付き合い始めてからも、夢は続いた。
むしろ、鮮明さを増していった。
夢の中の凛子は、現実よりも感情が強い。
愛情も、嫉妬も、執着も。
「夢の中のほうが、本当の私だと思わない?」
ある夜、凛子はそう言った。
誠二は笑って受け流したが、胸の奥が冷えた。
そして、その夜だった。
夢の風景が、突然変わった。
暗い路地。
湿った地面。
遠くから響く、笑い声。
凛子が走っていた。
恐怖で顔を歪め、何度も振り返りながら。
「誠二……助けて……!」
彼女の背後には、仮面をかぶった殺人鬼がいた。
刃物が光る。
距離が縮まる。
誠二は叫んだが、体が動かない。
凛子は――殺された。
血の音。
肉が裂ける感触。
目の前で命が消える瞬間。
誠二は叫びながら目を覚ました。
喉が焼けるように痛かった。
「……ただの、悪夢じゃない」
なぜか、そう確信していた。
第三章 戦う夢
誠二は決めた。
夢の中で、凛子を守る。
昼は現実で武道を習い、
夜は夢の中で技を試した。
夢では、物理法則は意味を持たない。
速く動ける。
高く跳べる。
痛みすら、意志でねじ伏せられる。
「ここでは、僕がルールだ」
再び、あの夢が訪れる。
暗い路地。
追われる凛子。
現れる殺人鬼。
今度は、間に合った。
誠二は凛子を突き飛ばし、刃を受け止めた。
夢の中で鍛えた体が、自然に動く。
激しい戦いの末、
誠二は殺人鬼に最後の一撃を叩き込んだ。
仮面が、床に落ちる。
そこにあったのは――
凛子の顔だった。
第四章 仮面の下
「……どうして?」
凛子は血に濡れながら、静かに微笑んだ。
「ずっと、試していたの」
「何を……?」
「あなたの、愛」
彼女の声は、夢の中なのに、異様に現実的だった。
「私たちの愛はね、普通じゃないの。
夢の中でさえ、狂気を含んでいる」
誠二は凛子を抱きしめた。
だが、腕の中の体は冷たかった。
目が覚める。
隣には、現実の凛子が眠っている。
生きている。
温かい。
だが、安心はできなかった。
第五章 境界の崩壊
「誠二……夢の中で、私を殺したでしょう」
朝食のテーブルで、凛子は何気なくそう言った。
誠二の手から、コップが落ちた。
「……どうして、それを」
凛子は穏やかに微笑む。
「私たち、特別なんでしょう?
夢でも、現実でも」
その言葉は、夢の中の凛子と完全に一致していた。
それから、誠二は眠ることを恐れ、
起きていることも信じられなくなった。
時計の秒針の音が、頭を締め付ける。
(これは夢か?
それとも、現実か?)
凛子の笑顔が、時々、仮面の下の顔に重なる。
彼は外界から閉じこもり、
答えを探し続けた。
だが、答えは見つからない。
――終章 終わらない夢
誠二は今夜も眠るだろう。
暗い路地で、
殺人鬼に追われる凛子の夢を見る。
彼はまた戦う。
また仮面を剥がす。
そして、また同じ顔を見る。
夢と現実の境界は、完全に溶け落ちた。
誠二の悪夢は、終わらない。
彼は永遠に愛する女の正体を探し続ける。
【夢の中の悪夢 完】




