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期待葬の司祭  作者: 八海クエ
第1章 司祭、巫女、狐
7/17

第7話「どうせ自分なんて」

 その棺は、ひどく整っていた。


 白い布に覆われ、角も歪んでいない。大きさも重さも。

 宗継がこれまでに見てきた棺の中では、かなり”正しい”部類に入る。


——正しすぎる。


 向かいに座る男性は七十代半ば。

 背筋は少し曲がっているが、姿勢を崩すことはない。

 椅子に座るというより、そこに収まっている。


「妻は、五年前に亡くなっています」


 男性は淡々と話す。


「子どもは二人いますが、もう独立しています」

「連絡は……まあ、年に一度か二度。十分でしょう」


 それは不満でも、愚痴でもなかった。


「誰かに期待される立場では、もうありません」


 宗継は、棺に目をやる。


——嘘だ。


 彼の前には、確かに棺がある。


「それでも」

「ここに棺がある理由は、分かりますか」


 宗継が問うと、男性は少し考え、


「ええ」


 と、短く答えた。


「これは、私が作ったものです」


 棺は、期待から生まれる。

 だが期待は、他者から向けられるとは限らない。


「誰からも必要とされていないのなら」


 男性は続けた。


「余計なことはしないほうがいい」

「目立たず、邪魔にならず、大人しくしているべきだ」


 宗継は、頷くでもなく答える。


「それが、あなたの正義だった」

「期待されないことを、期待したと」


「ええ」

「”どうせ自分なんて”という言葉は便利でしてね」


 棺が、ギギと音を立てる。

 男性に、笑みのようなものが浮かぶ。


「期待されないことは、楽なんです」

「失敗もない。責任も、なにも求められない」


 棺は、確かに存在している。


「ですが」


 宗継は言った。


「その棺を葬れば、別の可能性が開ける」

「他者から期待されたいと願う、本当のあなたです」


 沈黙。長い、沈黙。


「……怖いですね」


 男性は、ぽつりと呟いた。


「今さら、誰かに必要とされたら」

「何も返せないでしょう。失望されます」


 棺を背負って生きること。棺から自由になること。

 どちらも、楽ではない。どちらも、簡単な選択ではない。


「葬ってください」


 最終的に、男性はそう言った。

 声は震えていなかった。


 宗継は、棺に手をかける。儀式は、いつも通り淡々と進む。


——あまりにも、素直だ。


 棺が消えたあと、男性はしばらく動かなかった。


「……静かですね」


 そう言った声は、わずかに掠れていた。


「はい」


 宗継は答える。


 男性は、そのまま帰っていった。


 後日。


 彼が地域の集まりに”面倒な老人”として顔を出していることを知る。

 噂にはなってはいても、誰もこの男性の名前は知らない。


 男性は結局、満たされたとは言えないままだった。

 ただ——

 誰にも求められない時間だけが、

 以前より、はっきりと輪郭を持って残った。


 彼の棺は、もうない。空白だけがある。


——本当の自分であることは、必ずしも救いではない。


 アパート。


「……俺は、何をしているんだろう」


 静久は、答えない。ただ、茶を淹れる。


——増やした選択肢に、人は潰されることもある。


 湯気が立ち上る。


「この仕事をやめて」


 宗継は、ぽつりと続けた。


「ただ静久と生きる人生も……あるんじゃないだろうか」


 静久は、宗継の前に湯呑みを置く。


「宗継さん」


「……」


「それを選ぶのも、選ばないのも、あなたです」

「あ、もちろん私にも選択権がありますよ」


 宗継は、目を伏せる。


「プロポーズ、期待していいんですか?」

「大きな棺が、できちゃいますよ」


 静久が、コロコロと笑う。

 しかしここに、静久が生み出した棺はない。


 棺を葬ることは、終わりではない。始まりでもない。


 それが、誰かを救うかどうかは——

 分からない。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


宗継と静久の関係、気になります。

っていうか、そこがメインテーマなのだと思います。

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